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落鵬  作者: 接殷
第一章
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プロローグ


 ゴーンゴーンと新たな芽吹きを知らせる鐘がなる。


 カツカツカツと沓と廊下が擦れ、音を立てていく。目指すのは、側室の一人、昭妃の部屋である。

 

苹国の皇帝、張籍(チャンジエ)は緊迫した面持ちで部屋の扉前で竦んだ。願うのはただ一つ、「男の誕生」のみである。


「昭妃よ。加減はどうだ」


 思ったよりも低い声がその喉から出て、扉で反射し帰ってくる。


 返事は無かった。


 沈黙というものは時には自身を守る物であるが、時には恐れていたことを嫌でも痛感させる武器にでもなる。


 今回は後者だ。


「……今回も女か……」

 

 子の誕生。それは喜ばしいことであるはずだ。そこに性別など関係ない。そんなことはわかりきっている。そう思いたいのに……だが、張籍にはそう考えるほどの余裕がないほどに憔悴していた。


 というのも、この国で今までに生まれた皇帝の子は数えること十二人。その全部が女であるのだ。


 玉座につくことができるのは男のみ。つまり、張籍の実子は自分の後継となることができない。


「なんということだ……」


 今年で五十五歳を迎える張籍にとって、もう子を作ることは簡単ではない。頼みの綱は男の末子のみであった。だが、その最後の希望、最後の星が今この瞬間に消え失せ、落ちてしまった。


 張籍は苦悩した。


 後継競争に打ち勝ちやっと手にした玉座。それを易々と他の者に明け渡すことができるのか。いや、できるはずがない。兄が二人、弟が三人。その存命中の全部が自らの欲に溺れ、不当に権力を振り翳す怪物であることは明確であった。


 ふと扉が開いた。


 産婆や女官たちが跪き、恭しく、そして不安気にこちらをのぞく。


 昭妃の伏せた瞼の先には、女にしては凛々しき顔立ちの赤子がおぎゃあおぎゃあと泣き声をあげている。

 邪心が湧いた。


  男が生まれなければ、男としてまつりあげればいい。


 それは、とても残酷で、娘にとって大きな試練となることが、自らの娘が刺々しい道を歩いていかなければいけないことが、今からでもわかる考えである。


 ひどいことをするものだ、と我ながらも思う。


 だが、こうでもしない限りは張籍が皇帝として君臨した二十数年で積み上げてきたモノが全て崩れてしまう。せっかく荒廃した政や税体制を整備し、軌道に乗ってきたはずだったのに、せっかく民が小規模な乱を起こさずに真面目に地を耕し商工をするようになってきたはずなのに。


 頭の中をぐるぐると巡るのはそのようなことばかりだ。


 今、決断の時が迫っている。


 天秤にかかっているのは「娘」と「国」だ。


 考えろ、考えるんだ。どちらが重いのか、どちらを優先すべきなのか。


 周囲を見回しながら、震える声で、皆に、自分に言い聞かせるかのように、言葉を繋いだ。


「……皆のもの。此度生まれたのは、“男”だ。よいな?」


 ごくりと唾を呑む音がする。


 天秤は「国」に傾いた。その重さに比べると「娘」なんぞ、羽のように軽く小さいものであった。


 仕方がない、そう、仕方がなかったのだ。これは天命。あらかじめ決まっていたものだ。


 そう頭の中で考えていても、どうにも煮え切らないものが頭の中で警鐘を鳴らしている。だがその音も次第に鳴りをひそめ、今度は隠蔽について浮かんでくる。


 乳母や女官たちを黙らせるのは簡単だ。


 ここにいるのは僅か十数名。宮から追放するなり、金子を握らせるなりなんとでもなる数だ。


 赤子に近づき、凛々しいその顔を覗き込む。


 まだ目は開いていない。それにもかかわらず、その瞼は張籍を超え、さらにはこの国をも超えすべてを見通すかのような、そのような感じがした。


 手を伸ばし、まだ柔らかく細い髪に触れる。


「私の希望、この国の星。天をも穿ち悠々と羽ばたく大鵬(ダーペン)よ。その羽は折れ、禿げ、落ちてしまうかもしれない。だが、どうか、朕たちの未来を、希望を乗せて飛び立ってくれ……」


 祈りが届くかは、わからない。不確かな天に祈るのは嫌いだったが、今はただこの脆く小さな雛の未来とその治世の泰平を祈ることしかできない。


「このことを他言してはならない。良いな?」

 側近たちに金子の準備をさせているのが見えた産婆や女官たちは、口元に弧を描く。これで他言の心配はないだろう。


 まだ、何か言いたげな表情をしている昭妃に向かって語りかける。


「昭妃よ、理解してくれ。この国では男の影響が大きいのだ。特に皇帝のことになると言うまでもなく、だ。其方にも、赤子にも、酷な試練であるとは理解しているつもりだ。」


 一向に晴れなさそうな顔から目を背けて言葉を続けた。


「朕が生きている間はこの雛を、いや息子、張鵬(チャンペン)を守ると約束しよう。」


「えぇ」と昭妃は小さく返事した。


 布にくるまったその小さな雛はもぞもぞと動いている。その小さな葉のような手は何かをしきりに探しているようだった。


 探し物は、天下なのであろうか。


 これまでに十一の赤子を見てきたはずだが、どうしても張鵬だけは目が離せなかった。いや、離させてはくれなかったのだ。


 この雛が、大きく、強く、逞しく育つことを願おう。


 そう思い、忌々しき狐のような宦官たちに男皇子が生まれたと報告すべく踵を返した。

初カキコども

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