父影
学園生活は比較的順調に進んだ。
学園では爵位に関わらず、生徒全員が寮に入る。従者もおらず、苦労する者もいるという。バルサバ家は身の回りのことは自分でできるように訓練されており、俺は苦もなく過ごせていた。
懸念があるとすれば、ケビンとは度々衝突することがあることだ。
ある日、図書室で勉強していたところ、ケビンが話しかけてきた。
「お前が勉強しても結果は同じだ。入学試験ではたまたまいい成績を取ったようだが、学園ではそう簡単にはいかないぞ。俺が指導してやろう」
「はぁ、ありがとうございます」
気は進まなかったが、無下に断るのも気が引けた。第一王子であるケビンの知識を学ぶ機会だと考え、彼の提案を受け入れた。
「では、歴史の課題についてですが・・・」
俺は、マキシムから与えられた歴史の課題についてケビンに意見を求めた。
「そ、それは・・・」
「この時期、国内の情勢が不安定で、地方貴族の動きまで把握しきれていなかったのでは?」
「うん・・・いや、そうかもしれない」
「なので、個人的には・・・」
「そ、そうだな、それで間違いないと思う」
俺は自分の考えがケビンと一致したことに満足した。しかし、ふと気づくと、自分ばかり話してしまい、ケビン自身の考えを聞いていなかった。
「失礼しました。僕ばかり話してしまって。殿下のお考えはどうですか?」
「いや、概ねラトランドと同じだと思う」
「そうですか」
ケビンから具体的な意見を引き出せなかったのが少し残念だった。
「おっと、こんな時間か。では、またな」
「お時間をいただき、ありがとうございました」
ケビンはそそくさと立ち去り、俺はその後も図書室で課題に取り組んだ。
翌日、俺はマキシムに課題を提出した。そして1週間後、俺はケビンと共にマキシムに呼び出された。
「さて、先日の課題だが、両者ともにオリジナルな意見があって、非常に興味深く読ませてもらった」
笑顔を見せるマキシム。しかし次の瞬間、その表情は真剣なものに変わった。
「だが、二人の内容がほとんど同じだな。課題は共同で行う指示はなかったが、真実はどうなんだ?」
「ラトランドが僕の内容を盗んだんだと思います」
俺は驚いてケビンを見た後、マキシムに目を向けた。課題内容は確かに自分のオリジナルだ。ケビンと意見を交換したが、彼から得たものは特にない。
マキシムは俺に目をやった後、ケビンを見つめた。その視線は「黙っておけ」と言わんばかりで、俺は反論を抑えた。
「ほぅ」
「図書室でラトランドと意見を交換した。いや、正確には俺の意見を彼に教えたんだ。考えが浮かばなかったんだろう。その内容をそのまま書いたに違いない」
「なるほど、ケビンはそう言っているが、ラトランドはどう思う?」
「先生、こいつの言うことなんて聞かなくていい。王子である俺の言うことが信じられないのか?」
ケビンがその地位を使って俺に反論の機会を与えない。
父から「爵位を振りかざさない」という教えを受けて育ったし、この学園内では身分の差は取り払われているはずだ。
「俺は教師だ。ここでは爵位は関係ないと、入学初日に言ったはずだ。さて、ラトランド。君はどう思う?」
マキシムの強い態度がケビンを黙らせた。
心強いと思ったものの、真実を話したところで証拠はない。無駄に争うのは得策ではない。
「はい。図書室で課題を調べている際に、ケビン殿下が来られて意見をいただきました。殿下の見解と重なる部分はありましたが、それをお伝えする前に殿下が退席されました。殿下のご立腹はもっともですが、私の見解はこの通りでございます」
頭を下げる俺。図書室での会話を正確に知る者はいないが、見られていた可能性はある。話の内容が入れ替わったとしても問題はないだろう。殿下の態度を考えると、こちらの方が優位だと感じた。
「なるほど、ケビンはラトランドを疑うか?」
「・・・筋は通っているようだ」
不承不承といった態度でケビンは答えた。マキシムの態度から、詳しく話せば自分が不利になると気づいていたのだろう。
「わかった。この件は不問とする。ただ、こうしたことが続けば、僕も疑わざるを得ない。注意するように」
『はい』
俺たちは揃って返事をし、部屋を退室しようとした。その時、マキシムが俺だけを呼び止めた。
扉が閉まると、マキシムはにやりと笑った。
「で、本当はどうなんだ?」
「え?」
「とぼけるなよ。提出された課題を見れば、誰が理解しているか一目瞭然だ。ケビンが君の意見を真似したんだろう?」
マキシムはすべてお見通しのようだった。俺も同じ考えだが、今さら真実を暴く必要はない。
「いえ、先ほどお話しした通りです」
「ふむ、そうか。だが、君がそれでいいのなら、僕も気にしない。この学園内のことは教師に一任されていて、国王陛下の名の下に、それが保証される。つまり、第一王子より僕の権限のほうが上なんだよ」
この学園の教師がそこまでの権限を持っているとは知らなかった。ケビンもその事実を知らないのだろう。
それでも俺は真実を語らなかった。
「なるほど。君はそれでいいんだな?」
「はい。ですが、マキシム先生には感謝しております」
俺はマキシムに敬礼をした。公平に生徒を評価してくれるこの先生を、俺は信頼できると思った。
その後、しばらくして武術の授業があった。武術の授業は男子のみで、全員で行われる。
「ラトランド、俺と組め」
騎士を育成するバルサバ出身にも関わらず、俺の剣の腕が高くないことは周知の事実だ。その分、学問では引けを取らなかったため何も言われなかったが、ケビンだけはいつも何かと突っかかってきた。
だが、俺は特に気にしていなかった。腕が未熟なのは事実だ。
王都で文官の家に育った子息たちよりも、騎士の家系で育った俺の方が遥かに優れている。
だが、王族であるケビンは違う。一流の剣の腕を持っている。
「わかったよ」
俺が「参った」と言うまでケビンは攻撃してくるだろう。裏を返せばそれも防御の練習にはなる。攻撃されなければ死ぬことはない。隙をついて逃げることもできるだろう。
「はじめ!」
剣技もマキシムが担当している。彼の合図で打ち合いが始まった。俺が一方的に打たれる展開だ。
確かに武術は苦手だが、努力を怠ったわけではない。何度も剣を交えていれば、相手の癖や太刀筋も見えてくる。最初に戦った時は10合も持たなかったが、今では数分は耐えられるようになった。
カンッ!!
乾いた音と共に、俺の剣が手から離れる。
喉元に木刀が突きつけられた。
「そこまで!」
マキシムが仕合終了の合図を出し、ケビンは剣を下ろす。彼は少し息を切らしており、額には汗が滲んでいた。
「ふん。大したことないな」
ケビンは俺に背を向け、吐き捨てるように言った。俺に勝ったものの、想定よりも時間がかかったことに苛立っていたのかもしれない。
「バルサバ領は騎士を輩出すると聞いていたが、お前がその長男とはな。辺境伯も大したことないな」
胸の奥に熱いものがこみ上げ、拳が自然と震えた。家族を侮辱する言葉だけは、絶対に許せなかった。
「おい」
俺はケビンの肩を掴んだ。第一王子に対する行為ではないと瞬間的に悟ったが、怒りが止まらず、思わず拳を振り下ろした。
「俺のことはどう言っても構わないが、父を侮辱するな!」
「ちょ、待て!!」
追い打ちをかけようとした瞬間、マキシムが俺を羽交い絞めにして止めた。
「今日はここまで!全員、寮に戻れ!」
マキシムの声に従い、ざわついていた生徒たちは寮へと帰っていく。
俺はすでに冷静になっていた。
正確には、冷静にはなっていない。怒りは拳がケビンの頬をとらえた瞬間に消え、今は冷たい後悔と取り返しのつかないことをしてしまったという感覚だけが残っている。
気がつくと俺とケビンはマキシムに連れられて、彼の部屋の前に来ていた。
「ケビン、申し訳ないが少し待っていてくれ。一人ずつ話そう」
「・・・厳罰をお願いしますよ」
ケビンが低い声でつぶやいた。それに応じないマキシムの沈黙が、俺の不安をさらに煽る。
マキシムに続いて部屋に入ると、彼は困ったような表情で俺を見た。
「大変なことをしてしまったな。しかし、お前が怒る理由もわかる」
「父を侮辱されたので、つい・・・。冷静でいようと思っていたのですが」
「打ち合いの後で興奮していたのだろう。気持ちは理解するが、第一王子を殴って無罪放免というわけにはいかない。退学や拘禁もありうる。わかっているな?」
「はい」
「とりあえず、自宅謹慎だ。沙汰は追って伝える」
「承知しました」
俺はマキシムに頭を下げて部屋を出る。
「退学にでもなったか?お前は辺境に帰るのがお似合いだ」
部屋を出ると、ケビンが憎々しげに微笑みながら言った。再び怒りが込み上げたが、ここで手を出したら謹慎を待たずして退学になってしまう。
俺は堪えて寮の自室に戻った。
失意の中、俺は2通の手紙を書いた。一つはタウンハウスを管理するローニーに、もう一つは領地の父、父に宛てて。
翌日、粗方の荷物をまとめて俺はタウンハウスに戻った。
「おかえりなさいませ」
ローニーが深々と頭を下げて出迎える。
俺の胸は重い。期待を裏切ったという気持ちが強く、言葉が出なかった。
「ここは第二の故郷ですから、いつでもラトランド様をお迎えしております。どうぞ中へ」
ローニーは事情を伝えているが、それでも変わらぬ態度で接してくれることが嬉しかった。
タウンハウスで過ごす間、俺はただダラダラしているわけにもいかず、勉強したり本を読んだり、庭で木刀を振ったりして過ごした。
4日後の夜、馬の蹄の音が響き、玄関のドアが勢いよく開く音がした。
玄関に駆けつけると、そこには父が立っていた。
「ランド!元気でおったか!」
父は豪快に笑いながら俺に歩み寄り、強く抱きしめた。
「ちょ、苦しいって!元気なわけないだろ!」
「よし!元気だな!」
父はローニーに話しかけるとリビングへ向かった。突然の訪問だったが、ローニーは落ち着いていた。先振れがあったのかもしれない。
「アルジー様、ワインをお持ちしました」
「うむ」
父は杯にローニーが用意したワインを注ぎ、俺にも一つ渡す。先ほどローニーに話しかけていたのはワインを持ってくるように頼んだのだった。
「俺、まだ学生なんだけど・・・」
父の豪放な性格が、俺の緊張と苛立ちを呼び起こす。だが、盃を持った俺をジッと父は見つめる。
父の圧に負け、俺は仕方なく一口だけ口に含む。
「で、何があった?」
父はグラスを空にし、2杯目を注ぎながら問うてきた。
「手紙に書いた通りだよ。第一王子に手を挙げて謹慎処分になった」
「お前がそんな簡単に手を出すはずがない」
父は俺の言葉を遮り、強い口調で言った。顔を挙げると、真剣な瞳が俺を見つめていた。俺を信じて疑わないその目を見て、胸が熱くなった。
「・・・ケビンが父上を侮辱したから、つい・・・。本当はやっちゃいけないとわかってたのに・・・。ご迷惑をかけて、すいません」
俺は声を震わせて答えた。涙を流さなかったのは、ささやかな抵抗だ。
父は再びグラスを傾け、一気に飲み干すと立ち上がった。
「わかった。俺に任せろ」
そう言って父は屋敷を後にした。
俺は酒が回ってきたのか、急に眠気が襲ってきた。父の行く先は気になったが、ローニーに片付けを頼み、自室で眠りについた。
翌朝、ローニーに起こされると、父が帰ってきていた。全く眠っていないように見えたが、顔には満足げな笑みが浮かんでいた。
「お前の謹慎は今日で解けた。明日からまた学院に戻れ」
そういうと、父はすぐに屋敷を後にした。
しばらくして学園から手紙が届いた。中は謹慎を解除する旨が書かれていた。
こうして、俺は学園生活に戻れることになった。
いかなる理由があっても、第一王子を殴って「謹慎1週間」で済むはずがない。おそらく、父が手を回してくれたのであろう。どういう力を持っているのか、どういう形で俺の謹慎を解くように働きかけたのかは謎ではあったが、改めて父の偉大さを知り、自分がしっかりと領地を守る、そのために勉強することを心に誓った。
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