ミューリ 過去編 三
ノインはただ見ていた。
白い光がジャンバの中に入っていく瞬間を。
対物、対魔の結界を抜けることはないだろうと油断していたのだ。
勇者の特殊能力すら完璧に防いで見せた結界に、かなりの自信を持っていたのだ。
だからこそジャンバに白い光が入っていってからきか声をかけることが出来なかった。
その声にジャンバは何の反応もしない。
まるでノインが呼んだジャンバという人物について何も知らないかのように何の反応も示さなかった。
その様子を見ていた見張りの魔族達も次々に声をかけていくが、誰の言葉にも反応することは無かった。
ジャンバは何かにやられて危険な状態だと判断したノインは、兵士達に魔王城にジャンバを運び込むよう頼んだ。
ノインは残って爆散した勇者から白い光について何かわからないかと、飛び散った勇者の私物を探し集めた。
遺品はすぐに集めることが出来た。
ノインの結界の範囲は勇者の背後から、門の内側にかけて張られていたため、飛び散った遺品は大半が勇者が立っていた場所の近くに落ちていた。
遺品を検めると、目立った物は持っておらず、武器や防具以外にはシンプルな指輪が一つ落ちていただけだった。
宛が外れてガッカリしたが、散らかった遺体をこのまま野ざらしにしておくわけにもいかず埋めることにした。
勇者の遺体を一箇所に集め、軽く掘った穴に遺体と持ち物を入れた。
最後に投げ入れた指輪が遺体に触れた瞬間、急に発光しだした。
その光を見て、ジャンバに入った光の可能性を思い出したノインはすぐさま飛び退ったが、光は飛び出すことなくすぐに収まった。
恐る恐る穴の中を覗き込むと、遺体の上に一冊の手帳が置かれていた。
どこから現れたものかはわからなかったが、新たな手がかりらしきものを埋めるわけにもいかず、取り出して読んでみることにした。
手帳の表紙には、転移記録と書かれていた。
最初のページから読んでみれば、勇者がこの世界に転移した経緯から、魔族との戦が計画されるところまで情緒豊かに書かれていた。
そしてそれ以降、客観的な事実のみ書かれた、観察記録のような文章が、ジャンバによって殺されるまで書かれていた。
全て読み終えたノインは方を震わせ、その目からは涙が流れていた。
その涙はジャンバに向けられたものではなく、ジャンバによって殺された勇者に向けての涙だった。
◇
勇者が攻めてきてから二年の間、ノインはジャンバを見張っていた。
あの日、気を失ったと思われていたジャンバは、一年もの間眠り続けた。
その影響で、魔王としての公務はノインがすべて行い、国民たちはノインの事を魔王として見るようになっていた。
そんな情勢下で目を覚ましたジャンバは、起きて早々何事もなかったように執務室に篭もって本を読み始めた。
特に公務に関わることも無く自由に振舞う様は、明らかにジャンバのそれとは異なっていた。
おかげで監視はしやすかった。
必要最低限の用事以外で部屋から出てくることがなかったのだ。
公務が終わっても国民のために働き回っていた以前のジャンバであれば常に一緒に行動する必要があったが、この様子なら兵士達に出入りを見張って貰うだけで十分だった。
そのおかげでノインは大抵の時間を城の中で研究に費やし、ジャンバが移動した時に限り一緒に行動するようにしていた。
ノインが新たな魔法の開発に一段落付いた頃、ジャンバは不審な行動をとるようになっていた。
夜中に門の外へ飛んで行って森の中の魔物を狩り尽くしたり、公務の最中になにかと理由をつけて魔法を使いたがったり。
自分の使える魔法の確認をするようにどの魔法も完全詠唱で使っていた。
魔法使いは基本的に接近される前に敵を排除する。
しかし、魔法には飛行や転移といった奇襲に適した魔法も存在している。
不意をつかれた時に咄嗟に発動できるような魔法の工夫を行ってきた魔法使い達は、詠唱を短縮したり破棄したりしても発動できるようになっていた。
その技術が普及すると、何代か後には子どもの頃に親から習う基礎的な技術として受け継がれてきた。
つまり大人になってからの完全詠唱はほとんどの場合で無駄である。
詠唱が短かろうが無かろうが完全詠唱と同様の結果が得られる今、完全詠唱は格好をつけたい魔法使い用いるか儀礼的な場で用いられる技術に成り下がっていた。
夜の魔物退治にも隠れてついて行っていたノインは、ジャンバが完全詠唱を毎回使うのは魔法について一から学んでいる者のように見えた。
それは今のジャンバが元のジャンバとは違うだろうとノインは考えていた。
ノインは城に仕えている使用人達を夜毎集め、国民達を避難させる計画を練っていた。
時間はジャンバが魔物退治に出かける夜中、使用人達の宿舎に自ら出向いて、長い時間をかけて計画を完成させた。
計画と言っても、作戦決行の合図決めと避難場所の決定の二つだけだった。
主に話し合われたのはジャンバの正体と対策についてだった。
対策と言っても兵士達を含め、国民の誰にも戦わせるつもりはなかった。
いくら中身が違うと理解していても、いざという時に手が止まってしまうような兵士達では犠牲を出すだけと判断したのだ。
ジャンバは国民全てに好かれていたと言ってもいい程に人望のある魔王だった。
そんなジャンバを殺すには、体を良いように利用されていることへの怒りだけでは足りないと考えたのだ。
そもそもジャンバの中身が違うことは明確な証明はできておらず、仮に乗っ取られていたとしても肉体は生きていると皆が理解していた。
一部でもジャンバが生きているとわかって殺そうと踏み切れるものは恐らくいないだろう。
仮にも魔王だったのだから中身が違っても圧倒的力に対して恐れを抱くことも考えられた。
ノインはジャンバを救えなかったことに自責の念を感じていた。
叶うならばジャンバを乗っ取った存在を殺し、元に戻すことが最良なのだが、そのやり方がわからない。
勇者の時は肉体が死ぬと同時に乗っ取る体を変えた。
肉体を殺すだけでは乗っ取ったものは死なない。
ジャンバの体を殺せても原因は殺せないとわかっていた。
そのためにノインは新しい魔法を開発していたのだ。
その魔法は使えるものがノインしかおらず、その対価故に誰にも教えることがなかった。
◇
その日のジャンバは朝から森へ向かっていた。
珍しくノインは付いてこずに、一人で魔物狩りをしに出てきていた。
ほぼ毎日狩っているため、夜だけでは遭遇できない程に近くの魔物達は狩り尽くしてしまっていたのだ。
ジャンバ限界を感じていた。
国は豊かとは言い難いが、普通の生活は送れる程に食料の生産や生活水準の引き上げが済んでいた。
最後に行った戦から人間達が攻めてくることもなく、復興に専念できたためにこの速さで自給自足にシフトすることが出来ていた。
ジャンバは、復興が進んで国民達が喜ぶことが都合がよかったために何もせず放っておいた。
いつか自分で殺し尽くす時のために、いい悲鳴を上げてくれる程の充実を提供する手間が省けたのだ。
ノインには感謝してもしきれない。
わざわざ殺される瞬間の盛り上げのためだけにここまで頑張ってくれたのだから。
「明日だったな、人間の軍が攻め込んでくる日は」
ジャンバは勇者の体の時に立てた計画について一人呟いた。
前回の戦は基本的に徴兵された民間人が大半だった。
貧民層に暮らしていた人間を間引き、尚且つ魔族の力を削ぐことが出来る一石二鳥の作戦だった。
魔法部隊もいたが、あれはただ遠距離魔法を使えた一般人や魔法部隊の落ちこぼれの集団だった。
そう、戦闘力という面で見ると人間側はほとんど減っていなかったのである。
勇者だった時四年の時間があれば内部から魔族を切り崩せると作戦立案し、特殊能力に見せていた毒の霧で王族や有力貴族立ちを片っ端から脅していったのだ。
吸わせた毒は遅効性の致死毒で、期間を五年としていた。
その期日まで具体的にはあと半年。
その間に魔族を駆逐し、占領することが出来たら解除するという約束だった。
その約束も勇者の体で行ったことであり、肉体を変えた今はその約束を守るつもりはなかった。
魔王が国民と人間を惨殺する凄惨な事件を起こし、世界舞台とした狩場を作る目的までもう目と鼻の先まで迫っていた。
日課の魔物狩りを済ませて国に帰ったジャンバは、いつも通り門を越えて中に入ろうとしていた。
いつもなら飛び越すだけで出入りできた門は、今日に限って妙な気配を放っていた。
中で何かあったのだろうか、とりあえず入ってから確認しようと門を越えた時、体の力が抜けていく妙な感覚を覚えたために即座に飛行魔法で門の正面まで逃げた。
忌々しいことに門の上には兵士数名が武器を構えて見下ろしており、半端に開かれた門からはノインと執事長と侍女長の三人だけが出てきた。
すぐに門は固く閉ざされ、ダメ押しとばかりにノインは固定化魔法を門に重がけした。
城壁と門、門とカンヌキが固定化され、結界に包まれた国はとても強固な要塞と変わり果てた。
ジャンバは、先手を打たれたことに苛立ちを覚えていた。
予定としては今日の夜中にノインを連れて狩りに出たところで殺害し、次の日の朝慌てて国に駆け込み訃報を伝え、国民達が集まった王城において一網打尽にするつもりだった。
認めたくはないが、相手が一枚上手だった事を無理やり納得し、警戒を高めた。
死ぬことはないとタカをくくっていたが、死の可能性を考慮した立ち回りが要求されると考えを改めた。
ジャンバは一年でノインの危険性を十分知っていたつもりだったが、自分の常識が異世界の常識に通じることを確認していなかった。
だからこそあっさりとジャンバは勇者の遺体を中心とした魔法陣に足を踏み入れてしまっていた。
しかし、その魔法陣は攻撃のために用意されたものではなく、勇者が持っていた本来の特殊能力、自動書記をジャンバに対して発動するための魔法陣だった。
対象は魔法により探知した、ジャンバとは異なる魔力を持った存在に設定し、今までの人生全てを書き記すように範囲を決めていた。
そんなこと知る由もないジャンバは自分の体を見回していたが、近づいてきたノインが結界を張ったことで意識をノインに向けざるを得なかった。
「ノイン、これはどうしたことか?」
ジャンバは冷静に話そうと気をつけて声を出す。
「そろそろ私も我慢ができなくなりまして。ジャンバの声で私の名を呼ぶな」
そう返事をしたノインは、さらに結界を幾重も張り、その結界に封印の魔法をかけ始めた。
ノインは静かに怒りをためていた。
元は縛魔族の王族、嫁いできたことで夫を支える女としてその牙を見せることは無かったが、今はその制約から解き放たれている。
体がジャンバのものでなければ、肉体に直接結界を張り、細切れにしているところだった。
結界は外と内を遮る障壁であり、その強度が並外れていれば、空間魔法のように物体を断ち切ることが可能だった。
ノインの研究の内の一つは結界強度の極端な強化にあった。
ノインの結界はジャンバの魔法を完全に防ぎきる硬さはなかった。
中身は違ってもジャンバを封じ込めるには圧倒的な強度不足だったのだ。
そこでノインは種族特性を最大限に活かした結界生成を考えた。
結界を発動した時に魔力を結界内部に拘束し、魔力ロスを無くした結界に存在維持の封印をかける。
これを一つの術として開発し直した、縛魔族にのみ使える結界は、例え本物のジャンバであろうとも壊せるものではなかった。
「そこで大人しくしてなさい。あなたに破れるほどやわな結界じゃないから」
そう言ってからノインは自動書記の対象としていた手帳をめくる。
ジャンバが何事か喚いているが気にもとめない。
読み進めていけば色々と信じられないことが書いてあった。
それは読んでいるだけで気分が悪くなってくるものばかりだった。
その中にジャンバに取り付いた存在について書かれていた部分、天使が生き物に寄生するとあった。
信じたくはなかったが、今まさに喚き続けている本人が天使だと叫んでいたため、なんとか信じる他なかった。
ジャンバは天使が寄生していた勇者を殺したことで、強者だと目を付けられて乗っ取られたと書かれていた。
対抗策は見つけることが出来なかったが、対抗しうる存在については見つけることが出来た。
しかし、その存在を見つけることは不可能に近いとわかっていた。
その存在は悪魔。
天使同様生き物に寄生し、見つけ出すことは容易ではない。
ノインは倒すことが出来ないと知り残念に思いはしたが、国民達の平和のために天使をジャンバの体ごと封印することにした。
倒すことを諦めたわけではなく、倒す術が出来るまでの封印である。
また、悪魔がやってきた時のために、天使の魔力パターンを元に、似た魔力を持つ存在が近づいた時に封印が弱まるようにしておいた。
弱まると言っても、結界強度を弱めるわけではなく、天使の声や気配が出るようにするだけである。
そうして結界ごと地中に封印されることになった天使はジャンバの顔に笑みを浮かべた。
◆
カーラが森に足を踏み入れて、魔族の国へと半分くらい進んだ頃、ノインは森の中の魔物を狩っていた。
天使の人生を記した手帳には、魔物の食し方やその利点についても記されていた。
完全自給自足の生活となっていたために酪農以外で肉が食べれなかった魔族にとって、美味しく食べられるなら魔物の肉でも食べたくなるのは当然のことだった。
そして魔物の肉を取ってくるにはノインの張った結界を通り抜けることの出来る存在にしか不可能であり、ノインを含めて五人程度しか居なかったため、順番に森に入って魔物狩りをしていた。
たまたまノインが担当の日にカーラが森を抜けようとしたのだった。
ノインが魔物の遺体を引きずって門の近くまで帰ってきた時、地中から天使がせり上がってきた。
まだ封印されて三年しか経過しておらず、天使に結界を解かれた感じもしていない。
つまり、悪魔がここに近づいているということになる。
そう判断したのも、手帳によりこの世界には天使と悪魔が一人ずつしか存在していないことを知っていたからだ。
ノインは久しぶりに見るジャンバの姿を見下ろした。
不思議なことにどこにも衰えは見えず、座禅を組んで瞑想をしていた。
「·····フォールン」
不意に天使が何かを呟いた。
途端に変な寒気がノインを襲った。
そしていつの間にか天使が見つめている。
新しく作り出した結界は魔力密度を高めており、内と外を完全に遮断するだけの性能があったはずだ。
ただ一言発し見つめられただけで他に何もされていないのに、ノインは不安を拭うことが出来なかった。
ノインは門を越え、魔物を兵士に預けると、門の封印を解き、数人に兵士を連れて天使の元に向かった。
さっき感じた不安を受け、何かしらの対策が必要と考えたのだ。
開いた門は残った兵士達が閉め直している。
槍を持った兵士達、総勢三十名は天使を包囲し警戒している様子を見せつけている。
ノインはそれを満足げに見つめ、天使の封印を解き放った。
「遅かったな、ノインよ」
「申し訳ございません」
主人と従者のように話す様子に、ノインについてきた兵士達は困惑している。
「ノイン様! なぜ封印を·····っ!」
「魔王様の前で不敬ですよ」
ノインはそう言って兵士の首に結界を張った。
兵士の体は徐々に倒れていき、結界内部に置かれた首だけが宙に浮いていた。
兵士達は即座に槍を構え、魔法を準備し始めた。
その対象にはノインも含まれている。
しかし天使とノインにとって、魔力の流れから魔法の種類を理解することは簡単である。
兵士達の努力はある種微笑ましいものであり、その切り替えの速さには関心するが、力の差がありすぎる。
ノインは全員の上半身だけを結界で包み込み、兵士達を皆殺しにした。
◇
天使は笑いをこらえるのに必死だった。
ノインは微笑みながら兵士全員を一瞬で殺し、そのことに疑問を抱いていない。
この世界に来る前から持っていた能力、ドラッグミストはかなりの効果を発揮していた。
天使が勇者の体で使っていたものは、薬の作用を極端に引き上げた毒の霧であったが、元々の能力は薬を作り出す能力である。
封印されるまでの一年間様々な薬を日常的に用いて、ノインはとっくに洗脳状態だったのだ。
封印された時はノインを使って皆殺しにしようかと思っていたが、結界の強度を見て、自分がまだまだ未熟だと思ってしまっていた。
どんな障害も踏み倒すだけの力があると思っていた天使にとって、一時ですら封印可能な能力が存在するならば対策する必要がある。
程度の低い世界に飛ばされたと思っていたところに思わぬ収穫である。
大人しく封印されてから、結界の解析を行い、自己の精進に務めた。
そして今日、理由はわからないが封印に綻びが出て、外の音や気配が感じられるようになった。
機は熟した。
天使は長らく使ってなかった洗脳状態をノインから呼び覚ました。
反省の時は終わり、悪逆の時が始まったのだった。
◇
ノインは違和感を感じていた。
天使に従うことも、兵士達を殺すこともおかしいとわかっていても勝手に体が動く。
精神と肉体が矛盾している。
洗脳の魔法であれば自意識は残らないはずであり、この状態にノインの精神は異常をきたしていった。
そしてノインは門にたどり着く前に意識を手放した。
天使はノインが倒れるのを見て自身の見落としに気付いた。
勇者の体で毒を用いた時にノインや兵士達は死ななかった。
解毒によってどうにかしたと思っていたが、それが勝手な思い込みでしか無かったとしたら、ノインには薬が一切効いていなかったことになる。
ただの催眠術の技術だけでは他人を殺させることは不可能である。
天使はドラッグミストの他に魅了の魔法や印象を操作する魔法を併用していたおかげで、何とかノインが兵士達を殺せるまでには洗脳できていたのだ。
その洗脳もおそらく解けてしまっただろう。
もはやノインに利用価値はない。
ジャンバの代わりを務めていたノインにとって、惨殺された国民を見ることはかなりの苦痛となるだろう。
倒れたノインは放置して、先に国を滅ぼすことを思いついた。
久々の自己満足の殺人に、高まった気持ちを抑えるべく、天使が放てる最大の魔法を門に向けて撃ち放った。