第一章:女王の椅子と不穏の影
光の差す、大聖堂。
かつて、フランシスカが叱責され、追放を言い渡されたその場所に、今は新しい玉座が置かれていた。
金の冠。それは、かつてのクズ国王が被っていたものとは違う。白銀の、慎ましくも美しい冠。
玉座に座っているのは、フランシスカ。新たな女王である。
彼女の表情は、穏やかだった。しかし、どこか疲労の色が見える。
無理もない。内政は混乱を極めていた。クズ国王が残した負の遺産。奴隷市場の解体、民への配給、崩壊した税制の立て直し。やることが山積みだった。
そんなフランシスカの傍らに、一人の少女が立っていた。
黒髪の女の子。目は赤い。黒い装束を身にまとっている。
彼女の名前はホウオウ。フランシスカの忠実な部下であり、この国で最強の戦士。
「フランシスカ、顔色が良くないぞ。また休んでいないのだろう。スープを持ってきた。飲むがいい」
ホウオウが木のお盆を持って近づいてきた。上には、温かい温野菜のスープと、名産の乾パン。
ホウオウ自身は、既に自分の分の肉をもしゃもしゃと食べ終えている。口元に少し油がついている。かわいい子である。
「ありがとう、ホウオウ。そうね、少し根を詰めすぎたかもしれないわ」
フランシスカは微笑み、スープを口にした。
温かい。生きている実感が湧く。
不戦の誓いを経て、掴み取った平和。この平和を、絶対に守らなければならない。それが、聖女であり、女王となった彼女の信念だった。
だが、世の中はそれほど甘くはなかった。
大聖堂の重厚な扉が、大きな音を立てて開いた。
入ってきたのは金髪の男性。美男子。彼の名はシュクレ・ロアンターズ。現在はフランシスカの優秀な参謀として、内政や外交の手助けをしていた。
シュクレの表情は険しい。真剣な表情だ。
彼は足早に玉座の前まで進み、膝をついた。
「フランシスカ殿、いえ、女王陛下。状況が良くありません。大変危険な情報が入りました」
シュクレの声が響く。大聖堂の中に、一瞬で緊迫感が走った。
フランシスカはスープの杯を置いた。
「どうしました、シュクレ。冷静に話しなさい」
「隣国……バルドル帝国が動きました。皇帝の指示の元、我が国の国境に向けて、五千の兵が進軍を開始したとのことです」
「五千!?」
フランシスカは驚きの表情を浮かべた。
五千という数字は、安い数字ではない。我が国の現在の戦力は、結集しても千に満たない。内政の立て直しで、軍備を縮小していたからである。圧倒的戦力差。
シュクレが続ける。
「バルドル皇帝は、我ら六人の聖女が結託したことを、極めて危険視しているようです。『元聖女どもが国を乗っ取った。次は我が国へ侵略してくるに違いない。芽が大きくなる前に潰す』。そういう口実です。完全に言いがかりですが……」
「陳腐」
フランシスカは言い放った。かつてミリアムの行動を切り捨てた時のように。
「私たちは、他国を侵略するつもりなど毛頭ありません。ただ、この国の民を救いたいだけ。何故、それが伝わらないのか……」
「相手は皇帝ですからね。パワーバランスが崩れるのを恐れたのでしょう。聖女が六人、一丸となっている。その脅威は、バルドル帝国にとっても無視できないレベルなのです」
「選択肢は二つ、ですね」
フランシスカが左手の指を上げた。思考の回転が速い。
「一つ。バルドル皇帝に使者を送り、不戦の意図を対話で伝えること。二つ。向こうが聞く耳を持たない場合、戦うしか無い。しかし、五千の兵に対して、今の私たちでは為すすべ無しです」
「対話は通じないでしょう」
シュクレが首を振った。
「バルドル皇帝は冷酷です。かつての国王のように、自分の利益しか考えていない。綺麗事だけでは、事は収まりません」
「ふむ」
ホウオウが口を挟んだ。腕を組んでいる。
「戦うなら、私が全員切り殺せばいい。四天王の指輪もある。今の私は、以前より強い。五千だろうが、一万人だろうが、フランシスカに近づく者は、一人ずつ殺す」
「ホウオウ、それは駄目よ」
フランシスカが窘めた。
「貴女がどれだけ強くても、五千の軍勢を一人で相手にすれば、いつかは疲弊します。死んでしまったら、元も子もありません。私は貴女を失いたくないの」
「……お前のために、命をかけると誓った」
ホウオウは俯いた。赤い瞳が、少し潤んでいるように見える。
フランシスカは玉座から立ち上がり、ホウオウの元へ歩み寄った。そして、その小さな手を優しく握った。
「生きるのです、ホウオウ。勝って、一緒に美味しいレストランに行くのでしょう?その約束、忘れていませんわ」
「……うん」
ホウオウはこくこくと頷いた。忠実な部下。
状況を整理しなければならなかった。
戦力差は圧倒的。ならば、どうするか。
フランシスカは、カバンから紫の水晶を取り出した。マリアンヌの、テレパスの水晶。
これを使って、各地に散った聖女たちに、再び連絡を取るしか無い。
第一聖女ミリアム。
第二聖女ナイム。
第三聖女イグドラシル。
第四聖女ディーク。
第五聖女マリアンヌ。
彼女たちの力が必要だった。再び、六つの聖女を立てる時が来たのだ。
「シュクレ、マリアンヌに連絡を取ります。彼女のテレパスで、全員をこの大聖堂に集めるように伝えてください。拒否する聖女はいないはずです。これは、私たちの、国全体の危機の話なのですから」
「承知しました。すぐに手配を」
シュクレが一礼し、足早に出ていった。
廊下に響く、シュクレの足音。
風が吹いてくる。大聖堂の窓から、冷たい、今後の運命すら冷たく感じさせるような風が。
フランシスカは、白銀の冠に手を当て、遠くの空を見つめた。
暗雲が立ち込めている。
バルドル帝国の進軍速度は速い。数日中には、国境を越えるだろう。
その時、フランシスカの頭の中に、懐かしい声が響いた。
マリアンヌのテレパスである。
『フランシスカ様……マリアンヌです。シュクレ様から話を聞きました。大変なことになりましたね……。既に、ディークとイグドラシルには声をかけました。彼女らも、すぐにこちらへ向かうとのことです。ただ……』
「ただ、何ですか?マリアンヌ」
『ナイムとミリアムの消息が、掴めないのです。二人は、数日前から、西の領地の方へ出向いたまま、戻ってきていません。嫌な予感がします……』
「西の領地……」
フランシスカは眉をひそめた。西の領地といえば、バルドル帝国との国境に最も近い場所だった。
もしや、既に二人は、バルドル帝国の先遣隊と接触しているのではないか。
焦り。
脳内を駆け巡る、最悪のシミュレーション。
ナイムは強い。ミリアムも大魔法使いだ。しかし、相手は五千の大軍。
二人がいくら強くても、囲まれれば終わりである。
「ホウオウ」
「分かっている。すぐに出る」
ホウオウは既に剣を引き抜いていた。名刀は新調されている。
四天王の指輪が、彼女の指でキラキラと怪しい光を放っていた。
「西の領地へ向かう。ナイムとミリアムを、死なせはしない。それが、私の使命」
「気をつけて、ホウオウ。私も、最低限の護衛部隊と共に、後から追いかけます。シュクレには国を任せます。仕掛けられてからでは遅い。こちらから、前線へ赴くのです」
「了解」
ホウオウの即答。
彼女は、疾風のように大聖堂を飛び出していった。
素足で速い。速度の限界を超えている。
残されたフランシスカは、静かに祈った。
明日を掴むは死闘の先。
私たちの反逆の旅は、まだ、終わっていなかったのだと、痛感しながら。
第二部の幕開けです!読んでくださって、ありがとうございます!
バルドル帝国の五千の軍勢に対し、フランシスカ達はどう立ち向かうのか。
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