19
――――どれだけ時間をかけて積み上げてきたものであっても、壊れるのは一瞬だ。
その日、久しぶりに魔獣の討伐依頼を請け負った私が任務を終えて家に帰ると、外に繋いでいた二頭の馬のうちの一頭がいなくなっていた。
「どうしたんだろ? ケイとメテが出掛けている……はずないよね。馬を使うほど遠い場所に行くのに、事前に私に言わないはずがないもん。ってことは、ひょっとして逃げ出しちゃった?」
広い世界に憧れての脱走なのかもしれないけれど、家畜として人に飼われていたあの馬が、いまさら野生生物として生きていくのは難しいだろう。
そんな考えから「後で探しに行かなくちゃ」と呟いて、私は自宅の敷地内へと足を踏み入れる。
しかしそんなふうに楽観的だった私を出迎えたのは、踏み荒らされたケイの畑だった。
大人の男性のものと見られるその足跡は、少なくとも二人以上によってつけられていて、顔から血の気が引くのを感じる。
「ケイ! メテ! 私よ、アイよ!!」
心臓がばくばくと脈打つ中、大声で叫びながら玄関の扉に手を伸ばす。
鍵がかかっていますように……!
そう念じながらドアノブを回したけれど、私のささやかな願いも虚しく、扉は呆気なく開いてしまった。
その時私が目にした光景と、その時感じた絶望を、私は二度と忘れることはないだろう。
「ああっ……」
想像以上に酷い有様を前に、私の口からは嘆息が漏れる。
私の目に飛び込んできたのは、どう見ても人の手によって荒らし尽くされたリビングだったのだ。
テーブルや椅子がひっくり返されているだけじゃない。
食器は割られ、クッションは切り裂かれ、壁に飾っていた絵までもが破り捨てられている。
「二人はどこ!?」
犯人がただ家を荒らすことを、あるいは何かを盗むこもを目的に入って来たのであれば、まだいい。
しかし繰り返しになるが、この世界には暴漢や盗賊が存在しないのだ。
恐ろしさのあまり叫び出しそうになるのを堪えて、私は二階へと駆け上がる。
いつもならば閉じられている各部屋へと繋がる扉は、全て開け放たれており、扉の向こうはどの部屋も一階のリビング同様めちゃくちゃな状態だった。
「お願い、お願いだからいて。お願い」
譫言のように繰り返しながら、私は慌ただしく部屋を行き来する。
クローゼットの中、机の下、布団の間。
絶対に身を潜めることができないであろうベッド下の僅かな隙間まで覗き込み、何度も確認したけれど、二人の姿はどこにもない。
それどころか、ケイの部屋では血のようなものまで見つけてしまって、目の前が真っ暗になるような心地がした。
一階から玄関扉が開く音がしたのは、ちょうどそんな時だった。
「二人が帰って来たのかもしれない!」
しかしそう思えたのは一瞬のことで、二階に上ってくる足音は鈍く、足音の主が大柄な大人であることが察せられた。
……ひょっとして、家をこんなふうにした犯人?
お腹の底から怒りが湧き上がるのを感じた私は、相手が階段を上り切るのを待てなかった。
衝動に突き動かされるように、腰に刺した剣を引き抜き、階段の途中にいる相手にその切先を向ける。
「おまえかっ!!!!」
私の怒声が、家中にこだまする。
たとえ刺し違えたとしても、息の根を止めてやる。
こちらの方が不利な状況であろうとも、絶対に引いてなどやるものか。
できるだけ苦痛が長引く方法で、おまえを傷つけてやる。
その時の私は、そんなふうに考えていた。
しかし、殺意を隠そうともしない私とは対照的に、相手から返ってきた言葉は、随分と落ち着いたものだった。
「待て、俺だ。剣を下ろしてくれ」
「…………マモリ?」
「ああ、そうだ。ケイとメテは無事だ」
マモリの言葉を聞いて、身体中から力が抜ける。
「本当に? 二人は今どこにいるの?」
「俺の家にいる。身の危険を感じたらしく、馬を走らせて助けを求めに来たんだ」
「よかった……」
何かあった時のためにと、ケイにはマモリの家の住所を教えていたのみならず、何度か会わせたこともある。
その時の判断は、どうやら間違っていなかったようだ。
そうでなければ、用心深いケイは素直にマモリを頼らなかったかもしれない。
それに、なんの紹介もなく半魔人が訪ねて来たら、さすがのマモリもびっくりしたことだろう。
今まで張り詰めていたものから解放されたせいで、私はその場にへたり込んでしまった。
そんな私を前にして、マモリは慣れない手つきで私の背中をさする。
「遅くなって悪かったな。ケイもメテも、おまえに会いたがっている。それに俺も、話しておきたいことがあるんだ」
マモリはそこで言葉を区切ると、「今から家に来てくれないか?」と続けた。
「ええ、もちろん構わないわ」
「こんな状況なのに、慌ただしくて申し訳ねえな」
「ううん。こんな状況だからこそ、私も早く二人の元気な顔を見て安心したいもの」
そんな会話をしながらも階段を下り、マモリの家に向かうために玄関扉をくぐる。
けれども家の前に繋がれているのは一頭の馬だけで、マモリが乗って来たであろう馬は見当たらなかった。
「……あなた、ひょっとして歩いて来たの? マモリの住む村からここまでは、歩いてだと一時間はかかるでしょう?」
走って来たのかもしれないけれど、いくらマモリほどの身体能力があろうとも、大剣を背負った状態ではそれほど速くも走れないだろう。
しかしマモリは、私の言葉を聞いてにやりと笑うと、首元から何かを取り出した。
首に掛けられた革紐に通されていたのは、深みのある青色の物体で、表面がつるりとしたそれは、鉱石のようにもガラス玉のようにも見える。
「これは……?」
「ケイから借りたものなんだが、ケイは〈魔道具〉と呼んでいた。ケイが一から設計し、作り出したそうだ」
「魔道具?」
「ああ。誰にでも転移魔法が使えるようになる代物だそうだ」
マモリの説明を聞いて、自分の眉間に皺が寄るのを感じる。
だってそんなチート道具を、子どもであるケイが作り出したなんて話、どうしてすぐに信じられるだろうか。
それに『LOJ』においても、そんな道具が登場した記憶はない。
戸惑う私を前に、マモリが苦笑を浮かべる。
彼は「気持ちはよくわかる」と言いながらも、自身の手の中にあるそれを、親指の腹でするりと撫でた。
「俺もケイから説明を受けた段階では、半信半疑だったからな。だが実際、俺は自分の家からここまで、転移魔法でやって来た。勇者が扱う転移魔法とは勝手が違う部分もあるらしいが……詳しくは開発者本人に聞いてくれ」
そう語るマモリが嘘をついているようには見えないし、そもそも彼にはそんな嘘をつく理由もない。
だからきっと、その魔道具の力は本物なのだろう。
「……私、今とってもびっくりしてるの。我が家のあの惨状を目にした時と同じくらいに、驚いてるかもしれない」
「まあ、そうだろうな。使っておきながらなんだが、俺だっていまだに信じられねえ気持ちだ」
マモリはそう言うと、私に満面の笑みを向けて、「お前の家族は大したやつだな」と付け足した。
マモリのその言葉に、自分の功績ではないにもかかわらず、口元がむずりと動くのを感じた。
「……さて、無駄話はここまでだ。早く帰ってやらねえと、ケイとメテが今か今かとおまえの到着を待ってるだろうからな」
真剣な表情を浮かべて、マモリがこちらに右手を差し出す。
彼が初めてこの家に来た際には、ティーカップを持つのにすら使われていなかったその手に、私は恐る恐る手を重ねた。
「行くぞ」
そんな言葉と共に、私の手はマモリの大きくて硬い手に握り込められる。
痛いくらいに強いその力に、その時の私は心から安心させられたのだった。




