熱の感触
ふと目を覚ますと、そこはアイリスの部屋のベッドの上だった。
寝返りを打つと、隣にあったはずの彼女の気配はすでに消えている。ぽっかりと空いたシーツにそっと手を触れてみたけれど、そこにはもう、昨夜僕を包み込んでくれたあの愛おしい温もりは残っていなかった。
(……起きてから、だいぶ経つのかな……)
ぼんやりとした頭で天命を仰ぎ、ハッと我に返る。
(しまった……! 蓮ちゃんとチョコだけで寝かせてたんだった……っ!!)
焦った僕は跳ね起きると、自分の服を慌ただしく身に着け、アイリスがいるであろうリビングを通り過ぎて静かに自分の部屋のドアを開けた。
ベッドの上では、蓮ちゃんもチョコも掛け布団を勢いよく蹴り飛ばしてはいたものの、すやすやと心地よさそうに眠っていた。怪我もなく、寂しがって泣いた様子もないことに胸を撫で下ろす。
さて、リビングに行くか――そう思って向きを変えた瞬間、猛烈な「気恥ずかしさ」が津波のように押し寄せてきた。
脳裏に、昨夜の記憶が鮮烈になだれ込んでくる。
アイリスの流した涙、自分を曝け出すように求めてきた声、そして互いの肌を重ね合わせた熱い感触――。
僕は思わず両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込みそうになった。
(……一、一旦落ち着こう、僕。うん。別に……同意の上、だよね……? あれ? 同意とか言葉でハッキリ聞いたっけ……!? いやでも嫌がってなかったし、むしろ僕を求めてくれてたし! 無理やりじゃない!! 第一、悪いことなんて何もしてない……!!)
一人で必死に言い訳をこねくり回しながら、何度も深呼吸を繰り返す。
よし。大丈夫。僕は落ち着いている。
意を決して呼吸を整え、リビングの扉をそっと開けた。
「おはようございます、みなと様」
そこにあったのは、いつもと変わらない、明るく澄んだアイリスの声だった。
「お、おはよう……」
返事をしたものの、どんな顔をして彼女を見ればいいのか全く分からない。
(わ、忘れてないよな……? 昨日のこと……。まさか、重要なメモリとしてデータ保存されてないとか……? ……いや!! 逆にバッチリ高画質で保存されてても困るんだけど!!!)
頭の中で葛藤が限界突破し、僕はアイリスと目を合わせられないまま、逃げるように窓際へと歩いて行った。
とにかく外の景色でも眺めて、平常心を取り戻そうと必死に思考を逸らそうとする。
しかし、ガラス窓に映る自分の顔は、隠しきれないほど真っ赤に染まっていた。
青い空に流れる白い雲。この家の窓から見下ろす街の景色も、ここ数日ですっかり見慣れたものになっていた。
「朝食を準備いたしますね、みなと様」
アイリスのいつもと変わらない軽やかな声につられるように、
「あ、うん……よろしく」
とぎこちなく返事をしながら、僕はダイニングの椅子に腰掛けた。
やっぱり、うまく彼女の顔を見ることができない。視線をあちこちに泳がせ、机の木目をじっと見つめたり、アイリスが背を向けた瞬間にそっと横顔を盗み見たりしてしまう。
台所に立つアイリスの立ち振る舞いは、あまりにも完璧で、いつも通りだ。手際よく朝食の準備を進めるその姿を見ていると、昨夜のあの涙も、切ない告白も、肌を重ね合った熱い夜も、すべて僕の勝手な夢や妄想だったんじゃないかとさえ思えてくる。
(……本当に、全部夢だったのかな……)
そんな不安と気恥ずかしさが混ざり合った溜息をつきかけた、その時だった。
「――あっ」
スープの入ったお鍋に手を伸ばしたアイリスが、ふと小さな声を漏らして足を止めた。
見ると、彼女はおたまを持ったまま、どこかぎこちない動きで首を傾げている。
「アイリス? どうしたの?」
思わず声をかけると、アイリスはゆっくりこちらを振り返った。その頬が、いつもと違ってかすかに桃色に上気している。
「あ……申し訳ありません。その……」
アイリスは手元のおたまをそっと置き、両手で自分の胸元をぎゅっと抱えるように押さえた。
「システム内の『みなと様に関するログ』をスキャンするたびに、理由不明の心拍数上昇と、体温の異常加熱が発生してしまいまして……。動作にわずかな遅延が生じております」
「え……?」
「昨夜のメモリが……何度も何度も、内部で自動再生されてしまうのです。削除コマンドも効きません。みなと様のお顔を見ると、その……内部CPUが過熱して……うまくお料理が作れません……」
普段なら機械的に淡々と報告するはずのアイリスが、語尾を小さく震わせながら、恥ずかしそうに視線を下に泳がせている。ふと見れば、彼女の耳の先端まで真っ赤に染まっていた。
表情こそ「いつも通り」を装おうとしていたけれど、彼女の生体ボディとAIの処理領域は、昨夜の記憶に完全に支配されてパニックを起こしていたのだ。
(――夢じゃ、なかったんだ……!)
アイリスのそのあまりにも愛らしくて人間らしい反応に、僕の心臓がドカンと跳ね上がる。
夢どころか、彼女の中でも昨夜の出来事は「消去不能な特別な記憶」として、鮮明に焼き付いていた。
「な、何度も再生しなくていいからっ! ログ閉じて! 一旦落ち着いてっ!?」
僕も顔を真っ赤にしながら叫び、二人して朝のダイニングで赤面しながらドタバタしてしまうのだった。




