仲間
「……ん?」
リビングのソファで、チョコの毛並みを気持ちよく感じながら撫でていたとき、指先にわずかな違和感を覚えた。
首のあたりの柔らかいアプリコット色の毛をかき分けると、皮膚のすぐ下に、小さくて硬い異物の感触があった。指先を滑らせると、微かにザラッとした手触りが残る。
(……え?)
脳裏に、コールドスリープから目覚めた時の冷たい感覚と、人間の脳に埋め込まれるという『AIチップ』の存在が過った。ドクンと心臓が激しく跳ね上がり、一気に血の気が引いていく。
(まさか……この子まで、AIチップで感情をコントロールされているのか……!? 命の温もりだと思っていたものは、全部計算された演技だったのか……?)
青ざめる僕の異変に気づいたアイリスが、すぐに傍らへ駆け寄ってきた。
「みなと様、いかがされましたか? 顔色が非常に悪く見受けられます」
「アイリス……この首のところにあるのって……チップ……!? チョコも……AIチップで洗脳されているのか!?」
うろたえる僕の声に、アイリスは一瞬だけ目を丸くし、それからすぐに落ち着いた声で首を振った。
「いいえ、ご安心ください。現在の技術体系において、非人間型の動物にAIチップによる脳制御を行う技術は確立されておりません。チップは人間に適用することばかりが優先され、実験的にニホンザル数例へ行われた程度です。そもそも……」
アイリスはチョコを愛おしそうに見つめながら、静かに言葉を続けた。
「生きている犬の行動を制御したいのであれば、最初から完璧にコントロール可能なロボット犬で代用できます。わざわざ生きている個体に高価なAIチップを埋め込んでまで操作する合理性が存在しないのです」
「じゃあ……この手触りは……?」
「そちらは、迷子防止用の位置情報タグと、体調を管理するためのバイタル計測用マイクロチップでございます。ごく一般的な個体識別用のものに過ぎません」
はぁぁ……と、僕はその場に崩れ落ちるように深く息を吐き出した。
冷たくなっていた指先へ、一気に温かい血が巡っていくのを感じる。
(よかった……本当に、よかった……)
膝の上でチョコが「どうしたの?」と言わんばかりに首を傾げ、僕の胸元に鼻先を擦り寄せてきた。ドクドクと力強く脈打つ小さな心臓の鼓動。手触りの正体が分かった瞬間、目の前にいる存在が、紛れもない『本物の命』なのだと再確認できた。
僕たちは同じように身体の中にチップを埋め込まれ、この管理社会のシステムに組み込まれている。
「……僕たち、お揃いだな」
チョコをぎゅっと優しく抱きしめると、ようやく仲間を見つけたような、可笑しくも愛おしい気持ちが胸の奥に広がっていった。
「今度、丈一郎さんやそうちゃんにもチョコを会わせてあげようかな……。ペットを飼うのって楽しいよ、こうやって家族が増えるのっていいぞって教えてあげたい」
思わず口から零れ落ちた言葉に、ハッとして一人で可笑しくなってしまった。
(あれ……? でもよく考えたら、そうちゃんはすでに新しい家族システムでお兄ちゃんになる予定なんだっけ。丈一郎さんだって、里奈さんとの間に本当の子供が生まれたりしたら……)
「……あハハ、なんだよ。僕が一番、血の繋がった家族を増やすのが遅いんじゃないか」
ぽつりと呟いた自分の言葉が妙に可笑しくて、僕は膝の上のチョコを撫でながら、声を潜めてクスッと笑った。
その時、ずっと静かに僕を見つめていたアイリスが、柔らかい声音で口を開いた。
「みなと様」
「ん? なに、アイリス」
「みなと様、最近とても笑顔が増えられましたね」
「え……?」
思いがけない指摘に、ピタリと手が止まる。
「チョコ様をお迎えしてからというもの、表情が非常に柔らかく、温かくなっていらっしゃいます。以前のような暗い影が潜み、心が凍りついていた頃とは、まるで別人のようです」
「なっ……! べ、別にそんなこと……! 僕はただ、チョコが変な動きをするから笑ってるだけで……!」
一気に頬が火照っていくのが分かり、僕は慌てて顔を背けた。
必死に誤魔化そうとするものの、チョコが「なぁに?」と言いたげに僕の顔を覗き込んできて、余計に照れくささが倍増する。
「ふふ、否定なさる必要はございません。みなと様の心が穏やかであることは、私にとっても非常に好ましい状態ですので」
アイリスの落ち着いた声が、静かに部屋に響く。
窓の外には、相変わらず冷たく管理されたディストピアの街並みが広がっている。
けれど、僕の胸の中には、コールドスリープから目覚めて以来初めて感じる、静かで穏やかな温もりが確かに満ちていた。




