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いとも容易くこの日の夜のことを思い出せたことに、自分自身でも驚く。 なにしろ十数年、この夜の出来事は私の中で封印していたのだから、弾力がなくなっていて当然――と思われたが、それは鮮やかに濃厚に際立って私の脳裡に甦った。ただ、封印という強固な語句を使用したが、封印は完璧でなかった。外出して女性の黒いワンピース姿を見れば、三島さんが目の前に出現し、私はひとり動揺していたし、まれに見る「三島」という名字に遭遇すれば、これまたひとりでどぎまぎしていた。そういうこともあったので、断続的にそしてそれは瞬間的ということはあれ、当夜のことは繰り返し思い返していたのかもしれない。だからこそ、ここまで鮮明に思い出せたのかもしれない。
さて、気勢があるまま続ければ、三島さんと出会った次の日の朝、どんな友達と飲んだのと妻から軽い調査は受けたが、適当に答えた。妻もそれ以上追及はしてこず、普段の彼女だった。まさか風采の上がらない自分の亭主が、女性と一室に、たとえ数分だけにしても滞在していたなんて夢にも思わなかっただろう。しかも私は三島さんから執拗な接吻を受けていたのだ。
それからはロータリーのコンビニには行っていない。寄り付かなくもなった。私のコンビニ飲みは特定の曜日ではなくラーメン屋が休日の前の日とランダムになっていたので三島さんと出会った金曜日以外は行ってもよかったのだが、もうあそこでは飲めなかった。しかし急にコンビニ飲みを止めるのも、なにか勘ぐられるのではと、私は仕事が休みの前の夜は、外出した。新たに飲むコンビニを探さなければならないと使命にも似た思いで店を探すが、なかなか求めるコンビニはみつからない。探すうちに別に無理矢理飲んで帰らなくてもと考えが変わり、それに飲酒に対して恐怖にも似た感情が芽生えていていたので(酒は、人を惑わす)、その日は、マンションの周辺を徘徊しただけで家に戻った。二週間ぐらいはあてもなく仕事が休みの前の夜はそのように外出していたが、やがて季節は秋になり、外で飲むのは寒いという口実ができて名ばかりのコンビニ飲みは当分しなくてよくなった。
その後の私は、ラーメン屋のアルバイトを精力的に頑張った。没頭といってもいい。保育園の運動会や発表会などは無理を言い店を休ませてもらったこともあったが、それ以外の日は、週六日出勤していた。その姿勢が反映されたのか、仕事を始めて一年になると包丁を持たせてもらいネギを切ったり、ラーメンのトッピングを任されたりした。だがそんな私の働きぶりに翳りが出始めた。働きだして三年たった頃だと思うが、店に出勤していて仕事に専念できない時間が多くを占めるようになった。私は当時、始めた日記を一日も欠かさず付けていたのだが、ある日ラーメン屋に来たお客のことが印象深く、日記をつけたあとで、その人の生活を想像し書き始めた。それが、私が完成させた小説の一番初めとなるのだが、完成させるまで仕事中でもその話を考えることがあり、出来あがった料理を注文したお客とは違う人に出したり、お客が食べ終わった食器を厨房に持って行こうとしたところ、ふとした拍子にそれを床にぶちまけたりと、明らかに手際が悪くなった。仕事も覚え、余裕で何事もこなせるようになって、多少集中しなくとも仕事はできるという慢心が、ミスを生み出していたことは明白だ。睡眠時間も問題だったと思う。小説の展開を寝床でも考えるようになり、それは脳を休めることにはならず、中々寝付けないという日が続いた。自分を戒め、仕事に集中しようと心掛けるが、ミスはしないものの、ヒヤっとすることが多くなった。私は囚われた。物語を書くという行為に。仕事中に考え付いたよさそうな文章は家に帰って思い返しても、もう私の脳裡にはあらわれない。そのことを恐れるようになった。仕事中に思いついた良い文章はもしかしたらそんなにも良いものではなかったかもしれない。しかし忘れてしまったそれは、私にとってとても重要な文章だったという未練が大きく、身もだえる心境になる。私は仕事を辞めることを妻に告げた。妻は折角三年頑張った仕事をそういう理由で辞めなくてもと反対したが、私の考えを聞くと納得してくれた。考えとは、仕事に対する姿勢のことであり、中途半端な姿勢で仕事に臨むと、他人――ラーメン屋で言えば店長にもっとも迷惑をかける。店長にすれば、私のミスでお客はもう来てくれないかもしれず、それは売り上げに直に響く。新婚だった店長は、私がラーメン屋で働きだして一年後待望の赤ちゃんをもうけた。彼にも家庭があり、ラーメン一杯の売り上げが子供のミルク代になるし、オムツ一枚の価値になる。私にこのようなことを気付かせてくれたこのラーメン屋での体験は本当に意味のあるものだった。それを鑑みれば、私はそれまでの仕事に対して舐めたことばかりしていた。すぐに仕事を辞めるということはその骨頂であり、面接官が面接に費やした時間には当然人件費が発生しており、それは面接に合格した私だけでなく面接に落ちた人にもかかっている。私がすぐに仕事を辞めるということは面接した時間が全部台無し、無駄になるということで、しかも会社は次の人員を求め、また面接を行わなければならない。私はそういう愚行を繰り返してきたのだ。これは、わかっている人にはわかっているという常識なことで、わからない人は、だれかが教えてくれたとしても実感できないことなんだろう。私は、それを言葉という表面的なものでなく経験によって心という、より深い部分で理解出来た。妻にした私の考えの説明のなかには、私の将来のことも含まれており、このままラーメン屋で働いても、多分アルバイトのまま進展はなく、というか店長はアルバイトのまま仕事をしてくれる人を希望していたのであろうし、実際そうだったと思う。妻は私も看護師として働いているから、広ちゃんはアルバイトのままでいいと言ってくれたが、私はもう自分の進む道を定めていた。私は、作家になると決心していた。自分で考えたことを文章にして、収入を得る。自分の責任で糧をつかむ。今から考えると荒唐無稽も甚だしいことなのだが、その時は真剣にそのことを想った。もう文章に関することが好きになっていた。暇があれば図書館にも足を運び、この時期、それまで生きてきた中でもっとも本を読み、そのおもしろさに取りつかれ、自分でもこのような話が書けたらなと淡い希望を持つようになった。日記を書きだして、多少文章力も上がったと自負しているところもあったが、やはり一つの作品を創作し完成させるための国語力はまだまだ足りないと痛感していた。それでもやりたいと思った。ある日のラーメン屋の閉店後、私はその日、仕事は休みだったのだが、店に赴き、店長に相談というか、もう自分の中で決めたことを吐露した。
「ここで働きながら小説書けないの?」
店長は私の話を聞き終わるとこう言ってくれた。
ラーメン屋の仕事は、日にもよるが、ほぼ忙しく、ぼうっとしている時間はあまりない。時間があったとしても次にやることを考え、準備しておかなければ瞬時の対応ができない。私はその少ない時間でも、小説の話の一場面を考えていることもあった。これでは駄目だと思った。それにこの時の私も四十歳に手が届きそうな年齢になりつつあり、冒険なんてできない年齢ではあったが、初めてといっていいぐらい自分の奥から湧き出てくる願望を成就させるための一歩を踏み出そうとしていた。私の気持ちを全て聞いて店長も理解してくれ、私はラーメン屋を辞めるに至ったのだ。
このラーメン屋には本当にお世話になった。念願の就労証明書をこのお店で働き得ることができ、そのおかげで、結人の通う保育園にも気持ちよく足を運ぶことができるようになった。その結人も私がこのお店で働く間に保育園を卒園し小学校に入学した。保育園の卒園式の時は、壇上に並ぶ園児の中で息子の姿を捉えた瞬間、六年間のことが様々と思い返され、涙がとまらなくなった。働かないと結人を保育園に預けられない。でも社会に出るのが怖いので働けない。働かないと就労証明書が市に提出できない。八方ふさがりに陥り、焦燥感に駆られ保育園にも行きづらくなり、挙句、職員に敵意すら抱いていた自分。なぜあそこまで殺伐としていたのか、そうならざるを得なかったといえばそれはそうなのだが、そんな感情でも自分は結人を保育園に送り届け、そして結人もあどけない表情で私についてきてくれた。結人と保育園から自宅まで何百回と往復した道のりには、私たちにとってかけがえのない想い出が詰まっている。会話もよくした。息子が急に走り出し、自転車とぶつかりそうになった場所も覚えている。保育園生活が終わり振り返れば、決して焦燥感だけで保育園を往復していたのではないということだった。道中の結人の笑顔に助けられた部分は計り知れない。ともかく、もちろん妻の協力もあってのことだが、息子が大した事故、病気もなく無事に卒園できたという想いが大量の涙に繋がったんだろう。私は感謝した。保育園で結人のお世話をしてくれた職員のみなさん、そして、三年という期間、私に労働の場を提供してくれたラーメン屋。感謝しかない。
店長は慰労会を開いてくれた。その席で私は店長に、なぜ自分を雇ってくれたのかと、長年疑問に感じていたことを尋ねた。
「一言でいえば、雰囲気が良かったからです」
と店長は言った。
私は妻の発言を思い出していた。
落ちたと思ったラーメン店での採用が決まった時、訝しがる私が妻になぜ採用になったんだろうかと聞いた時の彼女の、
「雰囲気じゃない」
という一言を。
俺、本当に雰囲気いいんだ、とほくそ笑んだことを今でもよく憶えている。
しかしラーメン屋を辞めたからといって、私は小説を書くことに没頭した訳でなく、やはり生活費は稼がなくてはいけないと考えていたので、時間給の高い深夜帯に物流会社で荷物の仕分けをして生活の足しにした。ベルトコンベアで流れてくる荷物を、自分を囲む鉄柵でできた台車に荷崩れを起こさないように上手に積み込む仕事で、次から次へとやってくる荷物に追われ、小説のことなど考える暇などなかった。働く時間は四時間で、二時間に一回トイレ休憩があるだけで、あとは、体を動かしていた。妻と結人が寝ている時間に帰宅して、それから小説を書いた。小説で身を立てる、と決心したが、期限は決めていた。二年、二年何事の賞も取れなかったら、もしくは、賞が取れる見込みもないようなら、諦めようと考えていた。
作家志望への経緯は、その都度隅市さんにも手紙で伝えてあった。隅市さんとの手紙のやり取りは極端に減っていた。隅市さんの仕事量と私のそれとを同等に並べるのはおこがましいが、お互い忙しい身となり、当初、年に十通前後は確実に書簡は往復されていたのが、時が経ち、気がつけば、年一、二通となっていた。だが、このラーメン屋を辞めるという時期、私は彼に立て続けに手紙を送っていた。彼の意見がききたかった。早くききたくて、思わず携帯のメール機能を使おうかと葛藤したが、やめた。それは、今まで手紙だけで通信してきた我々の伝統に傷をつけるような気がして実行しなかった。小説家を目指すと強い意思を持って、始動し、取り組み始めたが、彼がどういう意見を持っているか、また、それによって私の決定がずれることはないと確信していたが、兎にも角にも、私の師ともいえる隅市さんには、私の考えを知ってもらい、薫陶を受けたかった。彼から送られてくる手紙は、どれも長文で、丹念にアドバイスしてくれた。意外なことに中には厳しい忠告もあった。意外と記したが、あとで今まで送られてきた手紙を読み返せば、彼は、時に厳しい意見も文面に表してくれていて、彼がただの優男でないことは瞭然としている。つまり本当の意味で思いやりがある人物なのだ。優しい言葉だけで繕わない。手紙だけではない。私は現実に彼の人を思いやる気持ちを見ている。夫婦喧嘩が原因で荒れる津木くんを力強く諭したときだ。なかなかできることではない。津木くんを叱咤したあの時の隅市さんには感動したものだった。と同時に畏怖の念も抱いた。声の質、表情、どれにも慄いた。
(言おうか……)
私は暮れなずむ台所で沈思する。
妻の郷里は、陽が長い。ここへ引っ越す直前、私は、自宅マンションの眼前に広がる丘陵へのぼった。いつも秋になるとのぼっていた丘陵。妻の希望としては、引っ越しはこの年の春にしたいということであったが、私が妻に無理を言い、秋まで先伸ばししてもらった。それから年に一回、日付は特に定めていないが、日和のいい秋の時期に丘陵にのぼることが行事となった。私の直感がいいのか、毎年、坂をのぼれば最高の日射しが暖かく包んでくれて、それから何日か経つと、不思議と木枯らしが吹き、いよいよ冬本番となっていた。
引っ越ししてもまたここへ来るだろうか? 坂道で暖かい光を受けることは、私の年中行事となっていた。正月が来て、神社や寺院に参拝するのと似ていたのかもしれない。実際、太陽の恩恵を受けたあと、それも偶然発見した場所――神社にも欠かさず参拝もしていた。来年も、訪れるだろうか? まだわからない。ともかく、街の住人として、坂道から見下ろす風景を見るのは最後だった。街も相当変化した。結人の通っていた保育園は敷地拡大のため別の場所に移転してしまって、坂道から眺める視界にはもうない。そういうことも隅市さんには手紙で知らせた。
なんでも私の身の回りのことはこと細かく知らせてきた。でも三島さんのことだけは、秘めたままだ。
初めてといっていいぐらい、ここまで詳細に連続して三十代半ばの体験を振り返り、自分の体たらく、甘い考えで生きていたのだなと考えさせられ、バツが悪い思いはするのだが、一方で、この回想作業で思いもしなかった気持ちも出てきた。それが、三島さんのことを隅市さんに吐露しようかという心情だ。考えれば、三島さんとのことだけ知らせていない。気持ち悪くなってきた。ぽっかりとパズルの一ピースだけ埋め込まれていない空間があるようで、どうにかしたいという衝動にかられる。
(言おうか)
十日後、私は隅市さんに逢うため妻を同道して秋田に向かうであろう。その場で三島さんとのことを言おうか。やはり無理か、妻がいる。
私の横には食事もなにもかもいつも妻がいることになる。隅市さんと二人っきりになるということは、不可能だろう。いや、往年を懐かしむため、二次会と称して、二人だけ、場所を移すということもできる。
のどが渇いた。
冷蔵庫からお茶を取り出し、コップに注ぎこむ。
成り行きでいい。その時話したいと思えば話すし、そうでなければ話さない。
急に緊張してきた。三島さんのことを話すのどうのではなく、隅市さんに逢うということ自体に緊張を感じてきた。言葉を交わすのは、十七年ぶり。
一言目は、なににするか。
いやこんなこと、考えるもんじゃない。その時の私に任せればいいことだ。
もう少ししたら妻が帰ってくる。夕ご飯の用意でもしようか。部屋の掃除はもう無理。
風呂掃除はしないと。夕ご飯の献立は考えている。豚肉と舞茸の炊き込みご飯、さんまの塩焼き、豆腐と春菊のお吸い物。
ただ時間がかかりそうだ。先に風呂掃除をしてから、夕ご飯の準備をしよう。妻にはお風呂に先に入ってもらう。
そうしよう。
私は、手紙を封筒に入れて、テーブルの上に置き、お風呂場に向かった。
今日の夕ご飯の話題は、決まっている。
了
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