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Day.1 冷たく澄んだ瞳の奥

………しんや。


「………。」


………起きないと。


「う…ん。」


声が聞こえた。

…いや、そんな気がしただけだ。

ぼやけた意識の中を漂いながら、そう思う。

既に過去になってしまった人の声は、夢の中でのみ聞けるのだ。

だから目が覚めたら、そこにはいつもの天井があるだけ、他に何もない。

儚く消え入るようなその声は、僅かに残ったまどろみへと解けていく。

まったく、嫌な朝だ。

カーテンの向こうから入る朝日に目を細めながら、俺、桐生真也(きりゅうしんや)は目を覚ます。

薄暗い、何もない部屋。

見えるのは、剥き出しのコンクリートの壁に、飾り気のない家具類。

まるで生活観の欠如した1K。

およそ高校生が住んでいるとは思えない部屋に、俺は住んでいる。

誰もいない部屋を抜けて、風呂場に向かう。

何故か妙に広く造られた風呂場で、悪夢によって掻いた汗を洗い流す。

毎日のように見る、あの日の夢。

最後には毎回、迫り来るトラックと、必死そうなあいつの顔。

…戒めなのだろう、この夢は。

俺が呑気にも忘れてしまわないように、自らの過ちを胸に刻み付けるために。

シャワーを浴びながら、今日も口から零れ落ちる。


「ごめん…姉さん、俺はまだ…あの時の俺のままだ。」


シャワーを止める。

風呂場の鏡に映るのは、鬱陶しく伸ばしたグレーの髪と、その向こうに覗く顔。

そこにある二つの瞳。

暗い闇夜のような黒、それは冷たい光を放つように、無気力なままこちらを見ている。

姉さんと同じなのに、何かが決定的に違う顔。

それなのに、いやが上にも姉さんを思い出させる。

どうして俺なんかが。

姉さんの方が、何百倍も人を幸せにできたのに。

陰鬱なまま風呂を出て、身支度を整えていく。

今日も変わらずに学校で、そこには変わらずに日常がある。

なら、早々に終わらせて帰ろう。

制服に袖を通して、髪の毛を結ぶ。

眼を隠すようにして伸ばした前髪はなくなり、他人を威圧するような眼が姿を見せる。

そして左腕に、シルバーのチェーンブレスレットを着ける。

それは、とても軽い音がした。

軽い鞄を掴み、家を出た。

さぁ、今日も変わらない退屈を味わいに行こう。


―――優しい言葉も差し伸べられた手も、それは破滅を招く猛毒なんだ。




「おはよう弟、今日も鬱陶しい前髪してるな。」


部屋を出て早々、面倒な人に捕まった。


「何の用だよ莉乃姉ぇ、今日は校門前で服装チェックじゃなかったのか?」

「勿論そうだが?」

「ならとっとと行けよ、後輩も待ってんだろ?」

「だがな真也、まだそれほど急ぐ時間でもないだろう。」


確かにまだ朝の6時、学校へ向かうにはあまりに早い時間だ。


「そもそもあたしは愛すべき弟の様子を見に来ているだけだぞ?つまらない台詞であたしを遠ざけてないで、さぁ、あたしと共に学校へ行くぞ。」

「早起きし過ぎてまだ眠いんじゃないか?笑えない冗談はやめてくれ、暇なら他の後輩を当たれよ。」

「いいや、あたしはお前と学校に行きたい気分なんだよ。」


そう言って差し伸ばされる手。

……ウザい、俺に構うなよ。

無視して背を向ける。

俺がこの時間に起きてるのは、何も姉さんの暇潰しに付き合うためじゃない。

後ろで、笑いを含んだ溜息を吐く音が聞こえた。


「仕方ないな。では真也、遅刻はするんじゃないぞ?」


あぁ、判ってるよ。

姉さんと別れ、一人、人通りの少ない道を歩いていく。

いつもと変わらない、アスファルトの遊歩道。

所々が隆起していたり、昨日と同じゴミが落ちていたり。

実際には変わっていても気づくことができない、些細な変化。

少しずつ変わっていく毎日。

俺は、変わってしまった毎日を思い出し、舌打ちする。

変わりゆく日々を願い、それを楽しんでいた。

あの頃の俺には戻れない、そう思わせる今の日常。

姉さんは、今の俺をどう思うだろうか。

いつの間にか着いていた目的地。

並木通り。

この町一番の大通り、その十字路。

この時間にも拘らず、既に沢山の車が行き来している。

そこには、タイヤの焼け焦げる臭いもなければ、人々の悲鳴もない。

いつもと変わらない、平和な日常があるだけだ。

ただ、眺める。

静かに、穏やかに、眺める。

暫くして俺は、傍にある花屋へと足を運んだ。

まだ開店していない店の前では、一人の老人が箒を持って掃き掃除をしている。

彼は俺の姿を認めると、とても穏やかな笑顔で話しかけてきた。


「おはよう真也くん、今朝も早いね。」

「おはようございます忠勝さん、今日もお願いします。」

「あぁ、待っていなさい、すぐに持ってこよう。」


箒を置いて、忠勝さんは店へと消える。

そしてすぐに、一輪の百合を持ってきた。

姉さんが、よく俺の部屋に飾っていた花。

俺は財布から代金を取り出し、彼に手渡す。

お金を受け取りながら、彼は視線を俺から外した。

その視線の向こう。

信号の根元、空き瓶に活けられた百合の花。

それは行き交う車の起こす風で、弱々しく揺れている。寂しく、切ない風景。

俺はその瓶を取ると、鞄からミネラルウォーターを取り出し、新しい花と取り換える。

僅かでも、花が萎れてしまわないように。

…もう少しで三年か。

時間にしてみればそれは長く、俺の中でそれは短い。

あっという間に過ぎ去っていった日々を、花を取り換える度に感じる。

そろそろ、あっちにも行かなきゃな。

暫くの間、静かに手を合わせる。

忠勝さんも、そんな俺の後ろで手を合わせてくれていた。

三年前から、ずっとそうしてくれている。

………さあ、行こう。

また明日も来るよ、それじゃあな。

振り返って、忠勝さんに礼を言う。

祈ってくれてありがとうと。

元来た道へ歩き出す。

時計を見ると、まだ6時半過ぎ。

学校は家を挟んで反対側だが、それでも少し早く着いてしまう。

…まぁ、予習でもして時間を潰せばいい。

元来た道を歩き出す。

少しずつ人通りも増えてきた。

早朝の静けさが、朝の喧騒に呑み込まれていく。

疲れた顔をして会社に向かうサラリーマン。

欠伸をしながら歩く学生。

世界が少しずつ目を覚ます、そう思わせる光景だ。

今日もまた動き出した日常。

……チッ。

心の中で、真っ黒な感情が湧き上がってくる。

嫌になって、俺は学校への歩を速めた。



7時半。

まだ静けさが残る住宅街を歩く。

もうすぐ校門だが、さてどうするか。

流石にこの時間だと登校している生徒も少ない、こっそり人混みに紛れて校門を抜けるのは難しい。

今頃は莉乃姉が何人かの役員と一緒に服装チェックの真っ最中だろうから、いつものとこに行くしかない。

俺は間違いなく捕まるだろうからな、今の莉乃姉には。

プライベートと学校での立場を完璧に分けるから、今は仕事の鬼になっているはず。

こんなグレーの長髪に着崩した制服じゃ絶対説教を食らう、めんどくさい。

とりあえず移動しよう。

俺は校門からは見えない道を進み、学校の側面に向かう。

そこは人通りも少なく、この時間なら生徒も滅多に通らない。

そしてそこには、秘密の抜け道がある。

外フェンスにある、非常用かなにかの扉。

それに付けられている南京錠が、実は古くなっていて外れるのだ。

莉乃姉が服装チェックをしている朝だけの裏口登校ってやつだ。

ちょっとした土手を登り、いつものようにフェンスの隙間から指を伸ばし、南京錠を引っ張る。

ガキンッ、という音がして、古びた南京錠が外れた。

静かに中へと入り、鍵を元に戻す。

潜入成功だ。

目の前の体育館を横切り、校舎裏の校庭に出る。

体育館横の剣道場からは、竹刀をぶつけ合う乾いた高い音が響いてきた。

朝練とは、熱心なことだ。

その剣道場の向こう、弓道場の方からも、矢が的に中るスコンッという音が聞こえてくる。

そういえば無駄にこの高校は施設が充実しているな。

流石は文武両道を志す高校だけはある、確か県大会でもかなり強い方だったなウチは。

青春っぽい音を聞きながら昇降口へと歩きだした俺は、ふと手洗い場の辺りに目を向けた。

そこにはちょうど剣道場から出てきた少女が一人、袴姿で水を飲んでいる。

無視することもできたのに、俺は何故かその姿から目が離せなかった。

特に変わったところはないはずなのに。

確かに彼女はクラスメイトだが、それほど親しい間柄でもない。

何だろう、この感じは。


………行こう、気付かれる前に。


逃げるようにその場を後にする。

別にやましい感情を抱いたわけでもないのに、妙な後ろめたさがあった。

他人に興味を持ってはいけないのに。

でも、あれはまるで…。

…やめよう、考えるのは。

足早に教室へ歩く。

引き戸を開けると、教室は案の定無人だった。

まだ誰もいない教室に入り、窓際最後尾の席に鞄を置いてすぐに出る。

HRまで時間を潰す、日課になった行動。

人気のない廊下を進み、階段を上がって三年のフロアを過ぎる。

そこには冷たい鉄扉。

重い扉を開けて、屋上に出た。

一陣の風が吹き、俺の髪を揺らす。

当然だがここも無人だ。

高いフェンスと、その手前に設置されたベンチ。

晴れた日の昼食時などは席の奪い合いになるという人気スポットだ。

逆を言えば、時間さえずらせば人はいないということ。

無心になるには適した環境だろう。

一番奥のベンチに寝転がる。

仰向けになれば、広い空を一望できる。

人々の喧騒から少しだけ離れた場所。

目を閉じる。

風が肌を撫でていく心地よさ。

心を閉じていく。

段々と音も感じなくなる。

風も、光も、少しずつ薄れていく。

自分という身体さえも、あやふやになる。

世界の中にあって、しかし分かたれている境界線が、混ざり合って解け合う。

少し特殊な現実逃避だ。

こうしている間は、少なくとも、罪を忘れられる。

俺の弱い心は、ほんの一時ですら、罰から逃れようとしてしまう。


「………ごめんなさい。」


何処からともなく湧いた言葉、謝罪。

これが、今の俺が感じているものなんだろう。

一生背負っていくんだ、この言葉を。

それから暫く、無心となる。

世界と、一つになる。

ここでは何もかもを感じることができる、そして、何も感じない。

ぼやけた世界。

今の俺には、これさえも心地いいのだ。

だが、もう終わりにしよう。

安息の時間はここまでだ。

さぁ、償いを再開しよう。

段々と、身体の感覚を取り戻していく。

自分がここに生きてしまっているという、罪の意識と共に。

目を開く。

暗闇に慣れた目に、眩しい朝日が入り込む。時計を見ると、予鈴の5分前だ。

身体を起こして、立ち上がる。

一限目は確か現国だったか。

当てられたりはしないだろうが、一応真面目に受けるとしよう。

大体、教師は俺に話しかけたりしないのだし、心配することもないか。

扉を開けて、校舎内に戻る。

階段を下りると、既に沢山の生徒が廊下を歩いていた。

屋上から降りてきた俺を訝しげに見る上級生。

朝から屋上に登るなんて物好き、珍しいからな。

三階に降りて、教室に向かう。

すれ違う同級生たちは、俺の姿を見ると目を逸らす。

不良。

俺に貼り付けられているレッテル。

慣れてきたこの呼ばれ方も、今では相応しく思える。

実際いいことはしていないのだし、間違ってはいないんだ。

開けっ放しの入り口から教室に入ると、クラス中から視線を浴びる。

それも大抵がちらちらと、隠れるように向けられるものだ。

無視して自分の席に座ると、教室に騒がしさが戻ってきた。

誰もが俺をいないように扱う。

そうなるように振る舞ってきた、だから当然のこと。

話し掛けられないように他者を威圧するような態度と外見、そして素行。

でも退学にはならないように、勉強だけは真面目にしている。

お陰で毎回学年トップクラス、クラス順位も常に一番上だ。

一応授業にもきちんと出てるし、退学ってことにはならない。

とりあえず今思うのは……早く終わってくれ。



予鈴が鳴り、学校中が俄かにざわめきだす。

昼休みの始まりだ。

クラスの奴らも学食や購買に走り出したり、弁当を広げていたりする。

さて、俺も学食に行くか。

席を立って教室を出ようとする。


「あのー、桐生くん。」


誰かに呼び止められた。

何の用だ、まったく。

振り返る。

そこには一人の女子生徒が立っていて、何故か妙に友好的な笑みを浮かべていた。

栗色のショートヘアに薄らとウェーブがかかっていて、同じ色の瞳は大きい。

あどけない顔の中に、少し凛々しさも感じられた。

小さいとも言えないが高くもない身長に、細くて長い手足が伸びている。

………こいつは確か今朝の袴女か。

名前は…、


「お前は……誰だったか?」

「ありゃ、覚えてもらえてないですか。去年も同じクラスだったのに。」


去年も?

………まるで記憶にないな。

まぁ去年は殆ど学校にいなかったからな、知るわけがない。

大体去年俺が同じクラスにいたことを覚えている奴なんている方が驚きだ、誰とも話した記憶もないのに。


「はぁ…それで、なんか用か?」

「緋結華。」

「…は?」

御奈坂緋結華(みなさかひゆか)、私の名前ですよ。」

「………そうかよ。」

「はい、そうなのですよ。」

「んじゃ御奈坂緋結華、俺は暇じゃねぇから行く。」

「あ、はい、ごめんなさい。」


教室を出る。

ったく、何だったんだあの女。

何でいきなり自己紹介をしなきゃならねぇんだ、今更だろ。

…はぁ、学食やめて余所で食うかな。

なんか気を削がれて、方向を変える。

チッ、今日は他人にペースを乱されすぎだ。

下駄箱で靴に履き替えて、今朝通った扉へと向かう。

そうだな、とりあえずあそこに行くか。

目指すべき飯屋は決まった。

住宅街の真っただ中にあるうどん屋。

一軒家の一階を改装して造られたそこは、地元じゃ意外に人気の手打ちうどんを出している。

人の良い老夫婦が営んでいて、実は忠勝さんと知り合いってんだから世の中狭い。

以前忠勝さんに食事はどうしているのかと心配された時に紹介されて、それ以来は常連になっている。

学校からも近いからこうして昼休みに抜け出しては食べに来ているんだ。

扉を抜けて、鍵を締め直す。

店はここから5分くらい、今からでも十分にゆっくり食べれるな。

人気のない住宅街を歩いていく。

そういえば、特に意図してないのに俺が通る道は妙に人気が無いな。

………考えないようにしよう。

徒歩5分だけあってすぐについた。

昔ながらの引き戸に手をかける。

カラカラカラと音を立てて、ガラス張りの扉が開いた。


「いらっしゃいませ……おぉ、真也くんじゃないか。」

「こんにちは友春さん、結衣さんも。」

「あらまぁ真也くん、今日も来てくれたの?」

「お二人が打つうどんは美味しいですから。」

「褒めても大盛りにしかならんぞー!あっはっは!」

「でも大丈夫なの?今日は学校は?」

「ちゃんと行ってますって、今は昼休みなんです。」

「あらそうなの、それなら大丈夫ね。」

「高校生は多少やんちゃな方が良いんだよ母さん!」


アットホームな雰囲気に、ついつい頬が緩む。

この二人は、俺の格好や態度を見ても笑顔を絶やさなかった。

忠勝さんに紹介されて来た時も、友春さんは笑顔で迎えてくれたのだ。

数少ない俺の知人ってところだろうか。

席に着いた俺を見ると、二人はいそいそと美味しいうどんを用意してくれた。

手早くできて美味しいかけうどん350円、良心的なお値段。

注文しなくても作ってくれたのは、昼休みがそれほど長くないと知っているからだ。

何しろこの二人、古き時代、出来立ての並木高校卒業生。

しかもこれだけ近所に住んでいると、現役の高校生がどんな状況なのかも結構聞くらしい。

俺は特別に大盛りで食べられるからなおよし、忠勝さんには加えて感謝しなければいけない。

腰の強いうどんを啜りながら、壁掛け時計を見る。

昼休みもそれほど残ってない、帰りの時間も考えたらあと5分くらいしかいられないな。

できればゆっくりと食べたいところだが、ウチの高校は何故か妙に昼休みが短い。

当然学校の終了時間も他に比べて早いから文句はないんだが、昼飯を食べに出るには適さない。

まぁ、そもそも途中で学校を抜けだすのはまずいんだが。

因みに二人も俺が抜け出して食べに来ていることくらいは知っている。

急いで食べ終わると、財布から代金を出して席を立つ。


「それじゃご馳走様でした、すみませんいつも慌ただしくて。」

「いいのよ。わざわざ食べに来てくれるだけでも十分嬉しいんだから。」

「たまには忠勝の奴も食べに来いって言っといてくれよ真也くん!」

「あぁ、判りました、伝えときますね。」


それじゃと、頭を下げて店を出た。

また静かな住宅街を歩いていく、多少ギリギリだが予鈴には間に合うだろう。

学校のフェンスに着くと、朝と同じように鍵を外して中に入る。


「しーんーやー?」

「………チッ、待ち伏せかよ。」


体育館の影からこちらへと歩いてくるのは、まごうことなき生徒会長、小湊莉乃(こみなとりの)

ロングの黒髪を後頭部で結んでいて、それが風に流れて揺れている。

凛とした綺麗な顔と、堂々とした雰囲気。

まぁ、今は怒りで若干その雰囲気も崩れているが。

身長は女性にしては高く、体型はそこらのモデルより凄いときてる。

武道によってすっと伸びた姿勢と、均整のとれた手足。

はっきり言ってこれ以上の美人を、俺は知らない。

中身の方は…姉御肌なんだが。


「校則第三章第五節、途中下校は早退または特別な場合を除きこれを禁ず。」

「章とか節とか、まるで聖書だな。ウチは十字教の高校だったのか?」

「さぁね。それよりも、生徒手帳にもしっかりと記載されたこの校則、よもや知らないとは言わせないぞ真也。」

「生徒手帳なんて受け取ったところで誰も読まないと思うが?読むとしたら真面目な優等生か、莉乃姉みたいな生徒会長兼風紀委員まで手を出すような正義の化身くらいなもんだ。」

「黙れ真也、こそこそ裏口使う時点で抜け出し禁止って知ってると言っているようなものだぞ!」

「俺はここを通る方が目的地に近いから使っているだけだよ、まさか抜け出し禁止だったなんて知らなかったよ。」

「うるさい、つまらない言い訳をあたしにすんな!」

「どうしたんだ莉乃姉、いつもと比べて随分と性急じゃないか?何にイラついてるか知らないが、俺にぶつけるのは理不尽だろう?」

「しらばっくれるな!毎回あたしが服装チェックする度にここ使ってただろ!」

「さて、何のことやら。」

「………。」


あ、やりすぎたか。

地面を向いてわなわなと震える莉乃姉。

こりゃくるな。


「ぬああああ!あほ真也!ぶっ飛ばす!」


風を切る音と共に、高速のハイキックが鼻先を掠めていく。

俺は続けざまに来る回し蹴りを軽く躱しながら叫ぶ。


「あっぶねぇな!生徒会長が暴力とかいいのかよ!」

「ばれなきゃいいのだよ!あとはお前を黙らせれば問題はないのさ!」

「そりゃ随分と素晴らしい理論だな、俺が反撃できれば文句なしなんだが。」

「反撃したら即座に罰則追加だ!諦めて倒れなさい!」

「ったく、信じられねぇ生徒会長様だ。」


次々と繰り出される蹴りを躱していく。

てかこの姉さんは自分がスカート穿いてること忘れてるのか?

遠心力で綺麗に広がるスカートを見ないようにしながら、ふと時計を確認。

…あと5分耐えきれば逃げ切れるな。

だが莉乃姉も意外に鋭い蹴りを放つ、この細足でよくもまぁ。


「な、何してるんですかぁ!?」


突然響く声。

思わず反応してしまった俺は、物の見事に莉乃姉の回し蹴りを腹に食らった。


「ぐはっ!」

「お、当たったぞ?」

「け、喧嘩は駄目ですよ!?」


声の主が駆け寄ってきて、腹を押さえた俺をその背に隠す。


「何があったんですか!?」

「む、君は確か…。」

「御奈坂緋結華です。桐生くんは何かしたんですか?」

「勝手に校外へ抜け出していたからな、故に鉄拳制裁を…。」

「生徒会長がそんなことしたらまずいですよ!」


…ごもっとも。


「む、確かにそうだが。」

「お互いに悪いことしたんですし、おあいこですよね?」

「………どうしよう真也、言い返せない。」

「まぁ正論だからな。それと、蹴っておいて俺に言うな。」

「仕方ないな…真也、今回は見逃すが次は容赦なく罰則室に連れてくぞ!」


そんな部屋があんのかよ生徒会。

強気な発言の割にはばつが悪そうにしながら、莉乃姉は校舎へと歩いていった。

俺は痛みから復活すると、目の前で心配そうにしている御奈坂を見る。


「桐生くん大丈夫?」

「あぁ。」

「なら良かったですよー。」

「ったく、助けろと言った覚えはないんだがな。」

「ごめんなさい、余計なお世話でしたか?」

「そうだな、余計なお世話だ。」

「すみません…。」


見るからに落ち込む御奈坂。

………チッ、俺も嫌な奴だな。


「…まぁ、迷惑ではなかった。」

「ホントですか!?」

「あ、あぁ。」

「良かったぁー、怒らせてたりしてたらどうしようかと。」


打って変わって嬉しそうにする御奈坂。

まったく、忙しい奴だなこいつは。

人のことで一喜一憂して、悪くもないのに謝って。

いつも損な役回りをしてそうだ、間違いなく厄介事にも首を突っ込んでるだろう。


「もう…俺に関わるなよ。」

「でも…困った時は助け合うのが当たり前ですよ。」

「意味が判らねぇ、人の話聞いてたか?」

「はい、だから私が好きでやってるだけですよ。」

「チッ…お人好し。」

「え、何か言いましたか?」

「何でもねぇよ。もういい早く行くぞ、昼休みももう終わりだ。」

「あ、そうですね、急ぎましょう!」


駆け足で校舎に向かう御奈坂の後ろを、俺は急ぐでもなく歩いていく。

…まったく、今日はなんかおかしいな。



「それではこれで以上とする。」


教師が教室を出ていくと、待ち望んだ放課後になる。

教室は昼休みのような騒がしさで溢れた。

部活、バイト、遊び、帰宅。

皆が笑顔で、或いは嫌そうに教室を後にする。

俺も鞄を掴むと、足早に教室を出ていく。

放課後は特に予定もない。

ならいつものとこで時間を潰そう、今日は人の中にいない方が良さそうだ。

下駄箱で靴を履き替え、中庭を抜けて学校を出た。

さて、駅に行くか。

丘の上の展望台。

木野塚町の中ほどにある小さな公園だ。

そして………、


真耶姉の墓の近くにある。


まぁ今日は供える花もないから墓参りはしない、次の日曜にでもまた行こう。

墓所の近くという訳あって、あそこはあまり人も寄り付かない。

お陰で考え事をしたり人混みから離れたい時には最適だ、邪魔が入ったりしないからな。

他人と余計な関係を作らなくて済むし、一石二鳥とはこのことだろう。

10分ほど歩いて駅に着くと、切符を買って改札を通る。

俺はホームのなるだけ端の方まで歩いていき、電車を待つ。

自分でも嫌になるくらい他人を寄せ付けない鋭い目つき、そして目立つ格好。

別に他人に迷惑を掛けたい訳ではない、実際俺はそこらの不良みたく迷惑行為は絶対しない。

単に他人と関わりたくないんだ。

不良の格好をしていれば人はなるだけ寄り付かなくなる、だが不良は寄せ付ける。

まぁ、奴らみたいなのに関わっても特に気にならない、ぶちのめすだけの相手、石ころと変わらない。

だが余計に他人とは関われなくなっていく。

普通に考えれば悪循環だが、俺からすれば都合が良い。

俺は独りでいいから。

電車に乗って、隣の駅で降りる。

改札を出た。


「おいそこのロン毛とまれ!」

「あ?」


やれやれいきなりか。

俺の前には金髪サングラスや、短髪オールバックの少年たちが、取り囲むように立ち塞がる。

無駄に他者を威圧する態度、妙に肩を揺らす歩き方、まるで品のない顔。

まさしく不良、判りやすい。


「テメェこの前は随分と舐めた真似してくれたなコラ!」

「何のことやらさっぱりだな、暇だからって言いがかりはやめてほしいもんだ。」

「あぁ?ざけんなよテメェ!こいつらをボコッたらしいじゃねえか!」

「覚えてねぇよ、お前ら揃って同じような面に見えるからな。」

「舐めんなよコラ!こっち来いテメェ!」


両腕を掴まれて連れて行かれる。

はぁ、こりゃ暇潰しの時間は終わりだな。

こういう奴らは少し街を歩けば蛾みたいに出てくる、蛍光灯か俺は。

周りの奴らは既に勝った気でいるのか、ニヤニヤした笑みだ。

そのまま人気のない路地を抜けて、寂れた公園に出る。

あ、ここは覚えてるな、確か二人くらい潰したんだったか。

いちいち顔まで覚えてたらきりがないから忘れてた、確か前も突然絡まれてここに連れてこられたんだ。

公園の中心で背中を押され、距離をおいて囲まれる。

1…2…10人くらいか、めんどくさいな。

流石に、無傷とはいかなさそうだ。


「おら、こいつらに頭下げろよ。テメェのせいで鼻が折れたんだよ!」

「へぇ、そいつは大変だったな。カルシウム、足りてないんじゃないか?」

「なんだとテメェ!」

「騒ぐなよ、五月蠅いだけだぞ?」

「殺すぞコラ!」

「お前ら如きに殺されちまったら笑い話だなぁ。」

「強がってんじゃねぇぞコラ!」


一人が挑発に乗って殴りかかってきた。

………判りやすい軌道だな。

顔を狙った大振りの拳を躱して、カウンターで腹に一発叩き込む。

内臓まで響く一撃に、少年の肺から酸素が無理矢理押し出される。

辛そうな呻き声を上げて倒れた少年に爪先で蹴りを入れると、そのまま動かなくなった。

地面に転がったゴミを一瞥し、前を向く。

仲間がやられた途端、猛烈な敵意が全方位から叩きつけられる。

完全にスイッチが入った。

もう後には引けない。

1対10。

数で負けてるのに迎え撃つのは即ち死を意味する。

なら先手必勝だ。

今更これだけの人数で取り囲んでおいてどちらが正当だとかいう問答はないだろう。

相手がこちらに仕掛けてくる前に踏み出す。

取り囲まれたままでは袋叩きにあう、ならこの人の壁を蹴り破るしかない。

正面から一人を蹴り飛ばし、左右で一瞬動きが止まった二人の顎に、位置も確認せず裏拳を叩き込む。

体勢は崩れない。

地道な努力の賜物か、単に喧嘩の動きに慣れてしまっただけか。

蹴り飛ばした奴には追撃として顔を踏みつけ、素早く振り返る。

幾つもの拳がそこにあった。

後ろに跳びながら両腕でガード。

チッ…痛いな、クソッ。

威力を殺しても普通に痛い、現実はゲームのようにノーダメージでは防げない。

胴体や顔に当たらないようにするのがガードなんだ、腕は当然犠牲になる。

自然と表情が歪む。

カウンターで一人潰しても、まだ圧倒的に不利だ。

しかも相手は複数で固まって移動し、少しずつタイミングをずらして拳を放ってくる。

それは洗練されたコンビネーションではなくとも、袋叩きにするには十分な威力だ。

最近そこかしこで絡まれちゃぁ喧嘩してたしなぁ、流石に対策は練られてるよな。

俺の体術は一度の攻撃で確実に一人を倒すもの。

だから必然的にゴリ押しされたらキツイ。

俺はタフさに自信があるわけじゃないし、どちらかといえば痩躯だ、打たれたら意外に早く消耗する。

多数の敵を相手にする時も、素早く倒すのが基本戦法だ。

速度を封じられた今の状況。


……流石に今日は最悪も考えないとな。


拳を躱し、防ぎ、僅かな隙に攻撃する。

腕は言うまでもなく、顔や胴体にも結構なダメージが溜まってきた。

あと五人。

攻撃の隙も増えてきた、あと少し。

四人……三人……二人。

最後の一人が、叫びながら突っ込んでくる。

もう俺の身体も満足に動かない。

けど、これで終わりだ。


「うらぁぁぁぁぁ!」

「………これでラストォォォォォ!」


最後の一撃を、相手の鼻っ柱に渾身の力で打ち込んだ。

金髪少年は吹き飛び、公園に静寂が訪れる。

周りには気絶か、戦意喪失して倒れた少年たち。

血の味がする。

額からも一筋の血が流れ、左腕に至っては痛みで上がりもしない。

まさに満身創痍だ、みっともないな。

唾と一緒に血を吐き捨てる。

公園の水道で顔を洗い、口をゆすぐ。

土埃にまみれた鞄を拾い上げると、俺はその場を後にした。

随分と時間が経っていたらしい、時計を見れば既に夕食時だ。

疲労で重い足を叱咤しながら、近くのコンビニで夕飯を適当に買っていく。

店員が一瞬引いたのが見えたが、気にしていたら買い物なんてできない。

結局目的の場所には行けず、わざわざ喧嘩のために電車に乗ったような感じだ。

やれやれ、本当に今日はついてない。

隣駅で降りると、そのまま家に歩き出す。

疲れと痛みで一歩進むのも億劫だ。

ボーッとしていたのだろう。

気が付いて辺りを見回すと知らない場所にいた。

チッ、何処だここは。

一軒家が立ち並ぶ住宅街、どうやら随分と脇道に逸れてしまったようだ。

しかも方向感覚があやふやだ、今どの方角を向いてるのかも判らない。

よりによって家と逆の方向に歩き出したらものすごくかったりぃことになる。

……さて、どうすっかな。


「………もしかして桐生くん?」

「あ?」


後ろから声を掛けられて振り返ると、そこには何故か御奈坂緋結華の姿が。

制服姿ってことは一度も家に帰ってないのか?

そういうことには初心な奴かと思ってたけど、案外遊んでんのかね。


「何か用か?」

「友達を学校以外で見かけたら思わず声掛けません?」


…掛けねぇよ、大体友達じゃないだろ。


「…何で俺だと判った?」

「いやいや、そのグレーのポニーテールは多分この辺りでは桐生くんくらいしかいないですよ。」

「暗くてグレーかどうかなんて判んねぇだろ。」

「だって桐生くん街灯の真下にいるじゃないですか?」


上を見上げる。

そこには蛾や羽虫を纏った街灯が輝いていた。

………チッ、こんなことにも気付かないくらいに限界ってことかよ。

思わず街灯に寄りかかる。

座り込んだ途端、どっと疲れが押し寄せてきた。

するといきなり御奈坂がハンカチを取り出し、俺の額に当てる。


「…何してんだお前。」

「だって血が出てます、それによく見たら顔も腫れてますよ。……喧嘩ですか?」

「それがなんだ、お前には関係ないだろ。」

「すぐ近くに家があるのでちゃんと手当しましょう。」

「何なんだよお前、頼んでもねぇのに勝手なこと言うな!」

「ダメです!傷口からばい菌が入ったら大変です!さぁ行きますよ!」


驚いて声が出なかった。

こいつ、何処までお人好しなんだよ。

呆れた。

ついでに諦めた。

多分こいつは無理矢理にでも俺を連れていく、そんな気がする。

意味が判らねぇ、どういう思考回路してやがるんだ?

俺の手当てをしたって何の得にもならねぇし、わざわざ手間を増やすだけだってのに。

引っ張り上げられ、俺の腕が御奈坂の肩に回される。

顔を上げれば、間近には御奈坂の横顔があった。

その表情は必死で、まるで御奈坂自身が怪我をしているみたいに辛そうに見える。


―――重なる。


かつて見た光景に、それはよく似ていた。

いつだったか、それは思い出せないけれど。

靄がかかったように、記憶が不鮮明だ。

もう、何も考えられない。

くそったれ。

また俺は、他人に甘えるつもりか。

俺に関わるなよ。

それはきっと、間違っているんだから。


―――姉さんと。


少しずつ瞼が落ちてくる。

御奈坂に身体を預けながら、俺の意識は深く沈んでいった。



………。


「真也は強いね。」

「そんなことないさ。今だってこうして姉さんの肩を借りてる、まったくひどい体たらくだ。」

「こんな時くらいしか頼られないからね、頑張るッスよ~!」


違う、いつも頼ってるさ。

ただ、表に出すのが苦手なだけだ。

俺より小さな体で一生懸命に俺を支える姉さん。

俺が俺であるのは、姉さんがいるからなんだよって。

……俺はいつになったら言えるのだろう。


「ありがとな姉さん。」

「いやいや真也、お礼を言うのは私の方だから。」

「俺は当たり前のことをしただけだって。」

「それが強いってことだよ!」


何故だか嬉しそうに言う。

まるで自分のことみたいに、幸せそうな笑みまで浮かべて。

段々と視界が白く染まっていく。

あぁ、もう少しで夢が終わるのか。

もう少し、見ていたかったな。


「真也。」

「ん?」

「真也は強くありなさい、大切な人を守れるようにね!」


ごめんな、姉さん。

その約束、守れなかったよ。

白い世界。

醒めていく。

………。




目を開けた。

暗い部屋の中にいる。

はっきりしない意識では、ここが何処なのか判らない。

身体を起こすと鈍い痛みが走った。

痛んだ腕を見ると、湿布や包帯で治療してある。

…あぁ、ここは御奈坂の家か。

ホントに連れてこられたんだな俺。

痛みを我慢してベッドから出る。

女の部屋にしては飾り気のない部屋。

それと、壁に立て掛けられた竹刀。

剣道部だったなあいつ。

隣の棚の上には幾つかトロフィーも飾ってある。

そんなに強いのか。

あまり女子の部屋を物色するのも趣味が悪い。

扉を開けて部屋を出る。

人の話し声が下から聞こえてきた、ってことは二階なのかここは。

曲がり角の向こうにあった階段を降りて、リビングに向かう。

そこには、見たこともない光景があった。

御奈坂とその両親が、楽しそうに食事を摂っている。

穏やかにお喋りをしながら食べているそれは、まさに家族団欒といえる光景。

実家ではそんなことをした覚えがない。

共働きの両親はいつも遅くまで帰ってこないから、家ではいつも姉さんと一緒に食事を摂っていた。

姉さんは俺と違って家事も料理もできたから、俺はせいぜい洗い物くらいしかできていなかったな。


「あ、桐生くん起きたんですね。」

「あ、あぁ。」


御奈坂の両親もこちらに振り向くと、人のいい笑顔で話しかけてきた。


「ほぉ、君が噂の桐生くんか。随分と綺麗な顔をしているな緋結華。」

「そうでしょ?クラスでも有名なんだよ!」

「そうか…どうか娘をよろしくお願いします。」

「は!?いや、あの……。」

「お父さん!桐生くんが困るでしょ!」

「うふふ、ごめんなさいね桐生くん。騒がしいでしょう?」

「いえ…大丈夫です。」


居心地が悪い。

俺が立つ場所じゃないんだここは。

暖かい、ぬるま湯みたいな、そんな世界。

俺はもっと冷たい、渇いた場所にいるべきだ。

幸せな家庭。

場違いにもほどがある。

早く出よう。

そしてまたあの無機質な部屋で、冷たい夕食を食べればいい。

そういえば俺の荷物は何処にいったんだ?

まさか御奈坂の部屋にあったとか。

だとすると面倒だが取りに行かなければならない、鞄は置いていけないから。

まぁでも、聞いた方が早いか。


「あの、俺の荷物は何処に?」

「あ、ごめんなさい。桐生くんの荷物はそこのソファーに置いてあるよ。」


御奈坂に指された方を見ると、革張りのソファーの上に俺の鞄と、帰りに買った夕飯が入ったコンビニ袋が置いてあった。

俺はそれらを掴むと、御奈坂たちに向かって頭を下げる。


「すみませんでした、色々とご迷惑をお掛けしてしまって。」

「いやいや、気にすることはないぞ。」

「そうだよ。それに私が勝手にしたことだし。」

「もし良かったら夕食も食べていきなさいな、味は保証しますよ?」

「お母さんのご飯は凄く美味しいよ!桐生くんも食べてみてよ!」

「いや、流石にこれ以上は。」


ここにいたら当てられる、この違和感ばかりの空気に。

だが何なんだ、俺に関わる必要があるのか?

ただでさえ迷惑を掛けられているというのに、何故この人たちは俺をそこに加えようとする。

調子が狂う。

予想外の言葉が飛び交う。

理解が及ばない。


「それでは帰ります、今日はありがとうございました。」

「そうか、気を付けて帰りなさい。」

「緋結華、玄関まで送って差し上げなさいな。」

「うん、こっちだよ桐生くん。」


御奈坂が席を立ち、玄関まで案内してくれる。

綺麗に並べられた靴の中から自分のを探して履くと、振り返って改めて御奈坂に礼を言う。


「すまなかった、迷惑を掛けた。」

「全然大丈夫ですよ、寧ろもう大丈夫ですか?まだ痛むようならゆっくりしていって良いんですよ?」

「いや大丈夫だ、いつものことで慣れている。」

「………。」

「何だ?何か言いたそうな顔だな。」

「喧嘩は…ダメですよ。」

「は?」

「喧嘩は…ダメです。怪我するし、誰も幸せにならないし。」

「はっ…そうかもな。」


背を向けた。

もう話すことはない。

やはり違うんだ、感じている意味が。

扉を開けて、一歩踏み出す。

それによって、世界が隔たれる。

温かな家庭と、冷たく渇いた夜に。

御奈坂は何も言わない。

きっと、その顔は悲しみに歪んでいるだろう。

何となく、少ししかこいつとは話していないが、判る。

だからこそ見たくなかった。

それは本当に姉さんのようで、嫌でも思い出してしまう。

既に失われたその気持ちに、心が揺れてしまうから。


「今度こそもう…俺には関わるな。じゃあな。」

「桐生く…、」


御奈坂が言い終わる前に扉を閉めた。

春先の優しい風が、頬を撫でていく。

さて、帰ろう。

温かな時間は終わりだ、これは小さな間違いだった。

それはまるで道に迷い、迷い込んだ先に、お菓子の家で楽しそうにはしゃぐ子供たちがいたかのような。

だが、それに触れることができないんだ。

なら、引き返すしかない。

………。

あ、結局ここは何処だろう。




「やぁ真也、随分と遅かったな!」


御奈坂の家を出て一時間くらい、漸く位置を把握して家に着いた。

時間は既に日を跨ぐような頃、いつもならとうに寝ている。

疲れ果てた身体で鍵を開けようとして、何故か鍵が開いていることに気付き中に入った。

人様の家にナチュラルな不法侵入を果たしていたのは、私服姿の莉乃姉。

巨大な圧力鍋がドンとテーブルに鎮座していて、その隣で床に寝そべり漫画を読んでいた。

はぁ、まだ寝れそうにないな。


「おい莉乃姉、どうやってここに入った、どうしてここにいる?」

「待て真也、今いいとこなんだ。」


楽しそうに漫画をめくる莉乃姉。

ったく、プライベートじゃ一層自由な人だな。

諦めて鞄を置き、ビニール袋を冷蔵庫に放り込む。

代わりにミネラルウォーターを取り出し、ソファーに座って一口飲むと、莉乃姉を待つ。

暫くすると読み終わったのか漫画を閉じ、積み上げられた次の一冊を手に取った。


「おい、今何巻目だ?」

「んー、十四巻目。」

「全部で何巻ある?」

「三十四巻だが?」

「ざけんなよ待てるか!お前それ全部読むまで待たせるつもりか!」

「そうだ!しばし待たれよ!」

「冗談じゃねぇアホか!」

「仕方ないな、せっかちなやつめ。」


漫画を置いてこちらに向き直ると、咳払いをして口を開いた。


「あたしは小湊莉乃、十七歳です!趣味は真也の世話をすることです!」

「聞いてねぇし、合コンじゃねぇし、世話焼かせんなし。」

「やれやれ、ノリが悪いぞ真也。そんなだから周りから怖がられるんだ。」

「余計なお世話だ。最初の質問に答える気がないなら帰れ。」

「ふむ。まず入った方法だが、前から何度も入っているのに今更すぎないか?」

「まぁ確かにそうだが…。」

「まぁいいか。答えは簡単、合鍵を勝手に作ったからだ!」

「さて、警察に電話するか。」

「待て待て、それは性急すぎるぞ真也。まだ来た理由を言ってないじゃないか。」

「合鍵の件に関しては理由なんて関係ないとは思うが、どうせ理由はこれだろ?」


俺は目の前のテーブルに鎮座する圧力鍋を指す。


「まぁそうだが。」

「余計なお世話だと何度も言ってるよな?」

「こうでもしなければ栄養が偏るだろう、面倒だからって食べないとかな。料理とか家事がてんでダメだからなお前は。」

「お節介だな、俺のことは放っておけよ。不法侵入にいたってはもう犯罪だぞ?」

「……ま、言われても聞かないのがあたしなのだ。」

「チッ、めんどくせぇ。」

「どうした、妙に不機嫌じゃないか。」

「あんたのせいだよ、鬱陶しいな。もう寝るから出てけ。」

「そうか、では。」


漫画を片付けて服を正す。

へぇ、今日はやけに素直だな莉乃姉、解放されるのは助かるが。

と思えば、莉乃姉は俺のベッドに入り込み、招き入れるように布団を持ち上げた。


「おいで、あたしが添い寝してやろう。」

「イカれてんのか?」

「何てこと言うんだ!学校でも大人気の小湊先輩の添い寝だぞ、嬉しくないはずがない!…そうか、恥ずかしいのだな?ふふん、中々に可愛らしいとこがあるじゃないか真也。」

「はっ、こんな女が大人気だと?学校の男子連中は眼球取り換えた方がいいんじゃないか?」

「そんな辛辣真也にも好きな娘くらいいるだろう?ほれ、お姉さんに話してごらん。」

「修学旅行中か?ウゼェぞ、んな奴はいねぇよ。いいからとっとと失せろ。」

「やれやれ、なら真也もご機嫌斜めだし帰るとするか。」


心底仕方なさそうにベッドから抜け出すと、鞄を肩にかけて玄関に歩いていく。

扉を開けたところで、莉乃姉がこちらに振り返った。


「それじゃ、また明日な真也。」

「うるせぇ、来るな。」

「はっはっは、朝が必ず来るように、あたしも必ず来るのだよ。」

「チッ、暇人め。」

「では気を付けて帰るよ、それじゃあな。」


何故かきざったらしく颯爽と帰っていく。

はぁ、無駄に疲れたぞ。

部屋に戻る。

制服を脱ぎジャージに着替えると、そのまま電気を消してベッドに倒れた。

うつ伏せになると、疲れがどっと押し寄せてきて、急激な眠気に襲われる。

ふとテーブルに目を向けてみると、そのには莉乃姉が置いていった圧力鍋。

……またシチューかな、まったくお節介め。

背を向けて目を閉じる。

深い海の底に沈んでいくような感覚の中、小さく呟く。


―――何故、俺はここにいるんだろう。


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