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第一話 最悪な終わりと、意味のわからない始まり

雨の日は昔から好きではなかった。アスファルトに叩きつけられた雨粒は街の汚れを洗い流しているように見えて、実際には何一つ変えない。ただそこにあるものを少し濡らして、またいつもの景色に戻るだけだ。今日の東京もそんな夜だった。高層ビルに囲まれた道路を黒塗りの車が静かに走り、窓の外ではネオンの光がぼんやりと滲んでいる。私は後部座席に深く腰掛けながら腕時計を確認し、小さく息を吐いた。


二十六歳という年齢でここまで来る人間はそういないだろう。ましてや女ならなおさらだ。桐生雪華――それが私の名前だった。表向きには不動産や投資会社を経営する若い女性実業家として知られているが、そんな肩書きに意味はない。本当の私は、日本でも指折りの巨大組織《黒龍会》を率いる組長だった。普通ならあり得ない話だ。極道の世界で若い女が頂点に立つなど前例はないし、そもそも許されることでもない。それでも私はここまで上り詰めた。力だけではない。頭を使い、必要なところでは譲歩し、争いを最小限に抑えながら組織を大きくしてきた。世間はヤクザと聞けば暴力しか思い浮かべないだろうが、実際に長く生き残る連中は違う。拳よりも交渉が重要で、銃よりも信頼の方がよほど価値がある。


「姐さん、あと十分ほどで到着です」


運転席から若い部下の声が聞こえた。私は軽く頷きながら窓の外へ視線を向ける。今日の予定は政府関係者との会談だった。ここ数ヶ月、行政側がこちらへの締め付けを強めていて、いくつかの利権を巡って対立が起きている。本来なら幹部に任せてもよかったが、余計に事態を悪化させる未来しか見えなかった。だから私が直接出向くことにした。話せば済むことだ。こちらだって無駄な争いを望んでいないし、相手もそれは理解している……そう思っていた。


その瞬間だった。


突然、車体が激しく揺れて急停止する。前方を見ると道路を塞ぐように黒い車が三台並んでいた。妙だった。嫌な予感が背筋を這い上がる。


「……何だ?」


そう口にした次の瞬間、乾いた破裂音が夜を切り裂いた。


運転席に座っていた男の頭部が弾ける。血がフロントガラスに飛び散り、赤黒い液体が雨に混ざってゆっくり流れていく。私は一瞬理解が追いつかなかった。狙撃――そう認識した頃にはすでに二発目が飛んできていた。窓ガラスが粉々に砕け散り、後ろにいた部下が私を庇うように身体を乗り出す。


「姐さん!!伏せ――」


言葉は最後まで続かなかった。彼の胸に穴が空き、そのまま私の膝の上へ崩れ落ちる。温かい血が服に染み込み、鉄臭い匂いが一気に車内へ広がった。


まずい。


反射的に身体を低くする。だが遅かった。腹部に鈍い衝撃が走り、次の瞬間、焼けるような痛みが神経を突き抜けた。息が止まる。視線を落とすと腹から大量の血が流れ出していた。


「……は……?」


何が起きている。


また一発。


今度は胸だった。


肺に空気が入らない。喉がひゅうひゅうと情けない音を立てる。身体から力が抜けていき、指先が急速に冷たくなっていくのがわかった。


……ふざけるな。


私は何をした。


誰かを裏切ったか。


意味もなく人を殺したか。


違う。


全部きちんと処理してきた。組織をまとめ、警察とも行政とも無駄な衝突を避け、いつだって最悪の結末を回避してきた。暴力に頼らず、利益を分け合い、全員が納得できる場所を探してきた。なのに、どうしてこんな終わり方になる。


車の外から複数の足音が聞こえる。


かすれた意識の中で男たちの声が耳に届いた。


「対象確認、死亡まであと数秒だ」


「証拠は全部回収しろ」


……なるほど。


最初から会談なんて存在しなかった。


最初から消すつもりだったんだ。


視界が暗くなっていく。心臓の鼓動がどんどん遅くなる。身体の感覚が消えていく。


私は奥歯を強く噛み締めた。


こんな終わり方、認めるか。


私はまだ何も終わっていない。


私は――まだ……。


意識が沈んだ。


音が消えた。


世界が黒に塗り潰された。


どれほど時間が経ったのかわからない。


ふと、妙な感覚で意識が浮かび上がった。柔らかい感触。どこか暖かい空気。鼻先をくすぐる花の香り。私はゆっくりと瞼を開いた。


知らない天井だった。


白く磨かれた装飾。豪華なシャンデリア。壁には金色の縁取りがされた絵画が並んでいる。私はぼんやりとその景色を眺めながら上半身を起こそうとした。


……違和感があった。


身体が妙に軽い。


いや、それだけじゃない。


視界が低い。


何かがおかしい。


私は自分の手を見た。


小さい。


指が短い。


腕が細い。


子供の手だった。


「……あ?」


思わず声が漏れたが、その声もおかしかった。高い。幼い。明らかに自分の声じゃない。


私は慌ててベッドから降りる。だが足が思うように動かず、その場で少しよろけた。数歩先に鏡があるのを見つけ、そこへ歩み寄る。


そして、そこに映った姿を見た瞬間、思考が完全に止まった。


金色の髪。


青い瞳。


整った顔立ち。


どう見ても五歳程度の子供。


しかも男だった。


私は鏡に触れながら小さく呟く。


「……なんだよ、これ」


理解できない。


さっきまで私は東京にいた。


銃で撃たれた。


確実に死んだ。


なのに今こうして生きている。


しかも知らない場所で、知らない顔になっている。


部屋を改めて見渡した。大きなベッド、高価そうな家具、細かな装飾が施された壁、天井の高さからして明らかに一般家庭ではない。


……冗談だろ。


ここまで考えた時、扉が静かに開いた。


中へ入ってきたのは若い女性だった。服装は日本では見たことがない。中世ヨーロッパの使用人のようなメイド服だった。彼女は私を見ると優しく微笑み、当然のように口を開く。


「おはようございます、アルベルト様。本日は旦那様が朝食をご一緒したいとのことです」


アルベルト。


その名前に聞き覚えはない。


旦那様……つまり父親か。


いや待て。


その前に確認しなければならないことがある。


私はもう一度鏡の中の少年を見つめた。


金髪の少年。


高級そうな寝巻き。


広すぎる部屋。


知らない言語のはずなのに何故か理解できる会話。


頭の中で一つの結論が浮かぶ。


私は静かに笑った。


「……はは」


乾いた笑いだった。


「……死んだと思ったら、今度はガキかよ」


まさかこんなことがあるとは思わなかった。生まれ変わり?転生?そんな馬鹿げた話、昔なら鼻で笑っていたはずだ。


だが現実は目の前にある。


私は死んだ。


そして今ここにいる。


なら答えは一つしかない。


私は新しい人生を始めたんだ。


前の世界は腐っていた。最後まで私を裏切った。


なら今度こそ好きに生きる。


誰にも邪魔されず、自分のやり方で。


そう決めたその瞬間、胸の奥で何かが妙にざわついた。


まるで、この世界そのものが私の存在に気づいたかのように。


私は知らなかった。


この意味不明な転生が、やがて世界そのものを巻き込む異常の始まりだということを。


そしていつか、自分が神すら利用しながら、この世界で最も危険な存在になっていくことを――まだ知らなかった。

ここまで第一話を読んでくださって、本当にありがとうございます。


かなり突然な始まりになりましたが、主人公は普通の転生者ではありません。前世では日本で最も危険な極道組織を率いていた女性であり、転生後はなぜか異世界の貴族の“男の子”として新しい人生を始めることになります。


ですが、この物語は単純な異世界転生では終わりません。


この世界には魔王が存在せず、その代わりに世界を支配する八体の悪魔が存在し、人間たちはそれぞれの思惑を抱えながら二十四の領域で生きています。そして主人公自身も、これから少しずつこの世界に隠された異常へと巻き込まれていきます。


ちなみに主人公はかなり性格が悪……いえ、少しだけ口と手が先に出るタイプなので、たぶん聖職者には向いていません。


なのに、なぜか将来は教皇を目指すことになります。


いったいどうしてそうなるのか。


次回から少しずつ、この奇妙な世界と主人公の新しい生活を書いていけたらと思います。


もし少しでも面白いと思っていただけたなら、応援していただけるととても嬉しいです。


それでは、また次の話でお会いしましょう。

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