2 フローエ夫人
王都ホーエンの高級住宅が並ぶベンカー通りにある館でのこと。――主のヴィルヘルムが椿を預かるようになってから5カ月が経とうとしていた。
だいぶ椿もこの国の言語に慣れてきたところである。
まだ長い話にはついていけないようであるが、コミュニケーションはとれるようになった。
椿はヴィルヘルムが想像した以上の働き者であった。
「お前は客なんだ。そんなことする必要はない」
ヴィルヘルムが言っても、椿は執事のヨーゼフの手伝いをしていた。
「ただでお世話になるわけにはいきません」
椿はそう頑なに言い放ち、ヴィルヘルムの館で使用人と同様の仕事を率先としていた。
「椿、かわいい!」
クラウディオなどは椿にひらひらのエプロンをプレゼントし、椿はそれを嬉しそうに愛用していた。
その姿でお茶を持ってくる姿はヴィルヘルムは頭を悩ませた。
(一応、公爵から……組織から預かっている客人なんだけど)
クラウディオのような遠慮知らずを少しは見習ってもらいたい。
「ヴィルヘルム様、お客様です」
書斎にヨーゼフが入ってきて、来客の存在を知らされた。
「誰だ………何の連絡もよこさず」
ヴィルヘルムは苛立った声で呟いた。
その呟きにヨーゼフは答えを出した。
「フローエ夫人です」
それを聞き、ヴィルヘルムは慌てた。
急ぎ書斎から飛び出し、客間へと急いだ。
「なんであの人は突然に……」
客間に入ると信じられない光景が目に入った。
何とひらひらのエプロン姿の椿に抱きついているご婦人の姿があった。
ご婦人はとても楽しそうだ。
まるで、異国の人形を手に入れた少女のように純粋さを感じられた。
その姿にヴィルヘルムは頭を抱えた。
これは一体どういう事態なのだと。
ちらりと同室しているクラウディオに目配せをする。
「えーと、客が来たから椿は早速お茶と菓子を運んできた。突然やってきた東海の美少女にフローエ夫人は大歓喜し、そのまま抱擁をして今にいたる」
経緯を説明し終えたクラウディオに、なるほどとヴィルヘルムはご婦人の方へ近づいた。
「お久しぶりです。叔母上」
婦人はくるりとヴィルヘルムの方を振り向いた。
ようやく大興奮の中落ち着いてくれたのだが、相変わらず椿を抱きしめたままだった。
「もう、ヴィル。私の為に東海人のメイドを雇うなんて」
「違います」
ヴィルヘルムははっきりと言った。
別に椿はメイドでもないし、婦人の為に用意したわけでもなかった。
「あの、こちらは……」
怯えきった椿はおそるおそるヴィルヘルムに尋ねてきた。
「俺の叔母のフローエ男爵夫人だ」
名はアンナ・フローエ。
大学の教授をしているフローエ男爵の妻であり、また彼女自身も教鞭を持つ大学の講師でもあった。
専攻は語学一般、東海文化でありとにかくの東海フリークであった。
彼女の家にはいたるところに東海の商人から手に入れた置物が大量に保管されているという。
またヴィルヘルムの後見人であり、ヴィルヘルムの仕事の世話を焼いていた。
ヴィルヘルムの上司であるベルンハルト公爵の幼馴染であり、公爵からかなりの信頼を得ていた。
「まぁ、挨拶が遅れて申し訳ありません。この家でお世話になっている椿と申します」
ようやく解放された椿はすっと姿勢をただし、フローエ夫人に頭を下げた。
どうやら彼女の国の礼儀作法らしく、それを知っているフローエ夫人は再度歓喜していた。
「かわいーーーーーーーーーーーーぃっ!!!!」
「ぃぃぃぃ!!!」
フローエ夫人は再度椿に抱きつこうとした。
それをヴィルヘルムは防いだ。
「もう、ヴィルったら意地悪ね」
フローエ夫人はつんと拗ねた声をあげた。
「まるで子供のように……」
ヴィルヘルムは東海のことになると少女のようになる叔母にあきれ果てていた。
フローエ夫人はじっと椿をみてうっとりとした瞳をしていた。
「ああ、この絹のように綺麗な髪、黒曜石の瞳……何よりもこの顔っ……素敵だわ。素晴らしいわぁ! これぞ東洋の神秘ね!!」
舐めまわすように眺められて椿は落ち着かない様子であった。
自国では滅多に外に出ることもなく、人と接触することの少なかった彼女にはかなりの刺激であっただろう。
「で、ヴィル。どこの大眞国の商人から誘拐してきたの?」
誘拐という言葉に椿はびくっとした。
ヴィルヘルムは椿の肩を撫で大丈夫だと囁いた。
それに椿は無理に作り笑いをしてこくりと頷いた。
「人聞きの悪いことを言わないでください」
ヴィルの眉間に皺が寄る。
「彼女は奴隷商人に拉致されて、我が国の港についたところを保護しました。公爵から彼女の生活の面倒をみるように言われています」
「もう! アルフレートったら。どうして彼女の生活の面倒を私に預けてくれなかったの!!」
フローエ夫人は悔しげに叫んだ。
それを見てヴィルヘルムはため息をついた。
端にいるクラウディオも苦笑いしていた。
そりゃ、こんなミーハーな中年女性と一緒にさせられないだろう。
もし、彼女の家に椿が世話になったら、毎日お人形遊びの状態になっていただろう。
フローエ夫人は椿の肩を捕らえ、興奮して言った。
「椿、うちへいらっしゃい」
目がらんらんと輝いていた。椿は気後れしてしまう。
「不自由はさせないわよ。うちにはいっぱい東海のものがあるし、あなたにとって住み心地の良い場所だと思うわ」
「えーっと……」
椿は困ったように周りをみた。
ヴィルヘルムはすぐに助けに入った。
「叔母上、彼女が困っています。それにようやく慣れた頃なのに、ころころ場所が変わっては大変でしょう」
「それもそうね」
もっともらしい理由にフローエ夫人はあっさりと頷いた。




