圏外の景色と、選択ミスの代償
「あのー……新人歓迎旅行の温泉の滝って、まだ見えないんですか?」
助手席に座る部長——『マップル先輩』こと八標薫先輩に向かって、僕こと街道弥次は恐る恐る声をかけた。マップル先輩というのは、僕が心の中だけで呼んでいる裏の愛称だ。
後部座席の左側に座る僕に向かって、先輩は助手席のシートの隙間からくるりと顔を出し、花が咲くような満面の笑みを向けた。
「あと、もーちょっとだよ」
「……同じ言葉を、ちょうど三十分前にも聞いた気がするんですが」
今年の春、この『旅行同好会』に入部してからというもの、部室で先輩たちの旅行トークを聞いていて薄々勘づいてはいた。この人は根本的に、距離と時間に関する感覚がバグっている。
「あと、本当にもうちょっとだってば」
のほほんとした声に僕はため息をつき、手元のスマホで現在地と残りの距離を検索しようとした。——が、画面の右上に表示されているのは無情な『圏外』の二文字。
そんな僕の不毛なあがきを、マップル先輩は楽しそうにニマニマと眺めている。
「弥次くん、東北の山奥はキャリアによっては電波が通じないことも結構あるからねー。まあ、そう焦らずに周りの景色でも楽しんでなよ〜」
そう語る先輩だが、車窓の外に広がるのは、正直言って『何もない』風景だ。真っ青な空、果てしない森、どこまでも続く田畑。そして忘れた頃にポツン、ポツンと現れる民家。
生まれてから高校を卒業するまで——いや、福島で大学生になってからもずっと自然に囲まれて生きてきた僕にとっては、すでに一生分見飽きてしまった光景だった。
けれど、マップル先輩にとっては違うらしい。この代わり映えもしない田舎の風景が、まるでとんでもない宝物であるかのように、機嫌よく鼻歌まで口ずさんでいる。
僕と同じ後部座席に座っている同期の道草喜多乃を見ると、彼女は僕たちのやり取りなど「我関せず」といった様子で、ノイズキャンセリングイヤホンを耳に着けて目を閉じ、静かに音楽に没入していた。……正解だと思う。
自分から進んで新しい話題を作る気力もなく、僕は再び車窓の退屈な風景へと視線を戻した。
(……なんで俺、こんなところで車に揺られてるんだろうな)
ふと、深々とした虚無感が胸を襲う。本来なら今頃、僕はアパートの部屋で最高のキャンパスライフ——もとい、ゲーマー生活を謳歌しているはずだったのだ。
それなのに。
(……すべては、あの日の『いっときの過ち』のせいだ)
今年の春。新歓の空気に焦っていたあの日に犯したたった一つの愚かな選択が、今日の、いや今後の僕のゲームライフを容赦なく削り取っていくことになろうとは、当時の僕は知る由もなかったのだ——。




