15.万里奈の選択、マルティンの決断④ 死に至る言葉
滑らかな歯列を割り、逃げる舌を追いかける。
溢れ出る甘い唾液を、彼女の切ない吐息ごと深く飲み込んだ。
抵抗らしい抵抗のないことに気を良くしたマルティンは、そのまま万里奈の首筋へと顔を沈める。折れそうなほどに細い鎖骨へと舌を這わせ、いたずらに小さく歯を立てた。
その隙に、手は無意識のうちにシャツの裾から忍び込む。
しっとりと吸い付くような冷たい肌を堪能しながら、ゆっくりと上へ、上へと辿っていく。
やがて、形の良い柔らかな膨らみに指が沈み込んだ瞬間、彼女の喉から、わずかに上擦った吐息が漏れた。
「……ッ、話が、違う」
下着の縁にかけた指が、ぴたりと止まる。
「……駄目?」
顔を上げ、鼻先が触れそうな距離で万里奈を見つめる。
その目の熱に、万里奈の頬が一気に赤く染まった。
ゆるゆると、下着の縁を弄ぶ指先が布をかすかに揺らすたび、万里奈の肩が小さく震える。
その反応が、マルティンに抗いがたい昂ぶりを呼び起こす。
万里奈が濡れた唇を引き攣らせ、
「これが、見返り?……なら断れないじゃない」
と、吐き捨てるように笑った。
その笑顔に、マルティンの胸の奥が急速に冷えていく。
長い息を吐き、シャツの中から手をゆっくりと引き抜いた。
「やめた」
万里奈が虚をつかれ目をしばたたかせる。
「キス一回の約束だったしな。これ以上貰ったら、お釣りがでる」
降参するように両手をひらひらと振る。
万里奈は何か言いかけて、眉間にしわを作る。
「安心しろよ。——チェイスは僕が殺す」
そう言ってやると、万里奈の強張りが解け、ほっと肩を落とした。
その時だった。
床下から微細な振動が伝わり、二人の身体をかすかに揺らした。
マルティンは反射的に視線を床へ落とす。
万里奈も同じ動きをし、顔を固くする。
ぶ厚いコンクリートのシェルターは、音も声も通さずに内に籠る。
しかし、今のは——
「……見てくる」
マルティンは、ずり落ちていたタオルを万里奈の肩に巻き直し、ソファから立ち上がる。
コーヒーテーブルに置きっぱなしの着替えへ視線を流し、「着替えとけよ」とだけ言い残してリビングを出た。
廊下を進み、地下室へ続くドアノブに手をかけたところで、動きが止まった。
彷徨う視線が、玄関ホールの片隅にあるガンラックでぴたりと留まる。
心臓がひとつ、嫌な音を立てた。
——これから、やるのか。
急に、現実が押し寄せてきた。
鈍い足取りでガンラックへ向かうと、メタルパンチングの細かな穴越しに、レミントンM700の影が浮かび上がった。
見慣れたそれは、猟銃として見れば美しいとさえ思える一挺だった。
だがこれから向ける相手は鹿でも熊でもない。
人間だ。
油をさしていない機械のようにぎこちなく動く腕が、ラックのレバーを掴んだ。
「……もう、やるの?」
追って来た万里奈の声に、止まっていた呼吸がようやく戻る。
マルティンは振り向かずに黙って扉を開けた。
銃を取り出し、スリングを肩に通すと、封の切られた紙箱から七・六二ミリ弾を一発だけ摘み上げる。
掌で転がる真鍮色の冷たさをしばらく見つめ、強く握りしめた。
「きみは来るな。見張ってなくても、ちゃんとやってやるさ」
振り返ると、万里奈は青ざめた顔ですがるように壁に手をつく。
自分も同じ顔色をしていないことを、マルティンは無意識に祈った。
「リビングに戻って、大人しく待ってな」
「でも、」
「信じて」
万里奈の肩を押し、耳元で短く囁く。
体温を確かめるように、もう一度だけ唇に触れた。
万里奈が短く息を呑む。
絡んだ視線を振り切り、マルティンは地下室への階段を駆け下りた。
唇のぬくもりが消えないうちに、終えてしまいたかった。
重苦しい存在感を放つ鉄扉を睨みつけ、肩に担いでいたライフルをゆっくりと下ろす。
ボルトを引き上げ、薬室に一発の銃弾を送り込む。
真鍮の薬莢が鋼に触れてかすかに鳴った瞬間、脳の裏側に冷気が走った。
閂を引き、冷たい鉄の塊に手をあてて一気に押し開いた。
ごう、と鈍い音を立て、扉が動く。
だが途中で、何かに噛み合ったように動きが止まった。
「おい、チェイス。何、したんだッ、どかせっ」
体当たりを数度。
ガツ、ガツ、と扉の向こう側で固い物を叩く音が響き、それ以上は開かない。
舌打ちし、ライフルを片手に持ち替える。
わずかに開いた隙間へ、身をねじ込むようにしてくぐり抜けた。
シェルター内に踏み込んだ足先が、何か硬いものを蹴った。
乾いた音を立てて転がったのは、非常食の缶だ。
その先にも、同じ缶がいくつも散乱している。
メタルラックが横倒しになり、狭い部屋を塞ぐように斜めに扉へ凭れかかっていた。
棚板が歪み、ストックされていた水やパック食が床一面に散らばっている。
「おい、なに散らかして——」
視界を遮るラックの奥。
天井の配管から、なにか垂れるものがあった。
チェイスを拘束した、ワイヤーロープだ。
きい、きい、と擦れるような音を残しながら、わずかに揺れている。
その先端には、奇妙な角度で吊られたものがぶら下がっていた。
「チェイ、ス」
返事はない。あるはずがなかった。
血の巡りが失せた青。
うっすらと唇に滲む紫。
だらりと垂れる舌は、まだ湿り気を残した生々しい赤。
それはもう、生者の色では無かった。
ワイヤーは首を締め上げたまま、さらに縛られた片足へと続いていた。
その足は、無理やり引き上げられて天井へ向かって伸びている。
ライフルが手の中を滑り落ち、ごとりと床を打った。
彼女がまた、罪をひとつ積み上げた。
チェイス。
こいつを死に至らしめたのは——
——あの時リック、最後になにか言ってたの。
——チェイス。あなたの名前だった。
万里奈。君の言葉だ。




