表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼女が吐く息すべて、彼が見つめるものすべて  作者: ひめじろ
第二章 「マルティン」
25/32

8.情動

 アルケータの中心街から少し離れた路地の奥。

 民家に挟まれ、肩身が狭そうにひっそりと営業するコーヒーショップ。

 彼女は大学の講義の空き時間、決まってその店の窓際の席に座る。


 いつもは外から見つめているだけだったが、今日は違う。

 ストーリーの進行を決める、大事な打ち合わせだ。


 カラン、とドアベルが鳴る。

 マルティンはボックス席に座る万里奈を横目で見ながら、カウンターへ真っすぐ向かった。アメリカ―ノとブラウニーを注文し、壁に凭れて商品を待つ間も、彼女から目線を剥がさなかった。


 テキストに視線を落とした万里奈の顔には、長い睫毛が影を作っている。

 指先で唇をいじる様がたまらなくセクシーだ。

 マルティンにナイフを突き付け逃げ帰ったあの夜から、二日ぶりの万里奈。その姿は、どこか少し疲れた色を滲ませている。


 盗難車は無事に処理できたのだろうか?

 エイミーはちゃんと抑えられているのだろうか?

 心配ごとはつきない。


 トレイに乗せられた商品を受け取ると、迷いなく万里奈の元へ向かう。

 テーブルにトレイを置き、ソファに身を滑らせ、隣に座る。

 これで、逃げ場はない。


 弾かれたように顔を上げた万里奈が、固まった。


「顔色が悪いな。ちゃんと寝てるのか?」

「な……、なんで」

 

 幽霊でも見たみたいに、顔から色の失せた万里奈が、無意識に腕を背中に回す。

 すかさずその腕を掴みあげ、ついでにもう片方の手もとると、テーブルに縫い付けた。


「物騒だな。今日も持ってるのか? こんなとこで刃物なんて出すなよ」


 テーブルの上で指を絡め、耳元で声を潜める。傍からみたら恋人同士がむつみ合っているようにしか見えないだろう。


「……マルティン、何しにきたの。関わらないでって言ったじゃない」

「つれないこと言うなよ。君の携帯、何度電話しても連絡つかないから、わざわざ会いにきたってのに」


 彼女の息遣いさえ感じる距離に、くらりとしながら努めて冷静に言う。


「言ったでしょ。スマホは失くしたから、番号が変わったのよ。シムもないからプリペイドしか契約出来なかったの。……それに、あなたと話すことなんて何もない」

「僕が連続殺人鬼だから?」

 

 万里奈がひゅ、と息を吸う。


「……そうよ。言っとくけど、ジャオ・リンの携帯は、私書箱に預けてあるから取り返せないよ。あなたがシリアルキラーだってことは、告発動画にして予約投稿してある。だから、もし私になにかあったら、全世界に公開されるよ。……手は、出させない」


 マルティンは口元が緩むのを押さえきれなかった。

 自分はシリアルキラーどころか、彼女の痕跡をせっせと消して回るただの掃除夫だ。

 そうとも知らずに、毛を逆立てて威嚇する子猫みたいな万里奈に、ただただ愛しさが募る。


 ——いいよ、万里奈。君のシナリオのまま進めよう。


「なるほどな。じゃあ僕らは、お互いの秘密を握り合っている運命共同体って訳だ。どちらかがヘマをして警察に捕まれば、まずいことになる。そうだろ?」

「……なにが言いたいの?」

「君の犯行は杜撰ずさんだって言いたいのさ」


 握った万里奈の手が一段と冷たくなる。


「リック・スレイター。彼は僕が埋葬しなおしておいた。君は墓掘りがあまり得意じゃないみたいだからな」

「うそ、でしょ……。見たの? あそこに、行ったのね? そんな……」

「あれじゃバレバレだ。ここを掘ってくれって言ってるようなもんだ」


 万里奈が絶句する。

 可哀そうなほど冷たくなった手を、温めるように両手で包み直した。


「それと、君が知らない爆弾がもう一つ」

「なに、」

「リックの相棒のチェイスさ。彼は君がどこの誰かを知っている。リックが君を攫おうとしたこともね。もし彼にリックの死が知られたら、どうなると思う?」


 万里奈が唇を震わせる。答えない彼女の代わりに続けた。


「チェイスは君を探すだろうな。でも、奴もいまや指名手配犯だ。さきに警察に捕まったらどうだろう。取り調べで、奴の口から君の名前が出たら? ……そうなれば、君は晴れて、リックの失踪の鍵を握る重要参考人だ」


 額を合わせ、彼女の黒い瞳を間近に覗き込む。 


「その時君は、最後まで隠し通せるのか?」


 万里奈が下唇を噛む。動揺を悟られまいとする彼女の癖。

 桜色の唇から白い歯が垣間見え、マルティンは喉を鳴らした。

 

 まずいな——。

 キスしたい。

 でも。きっとまた、ビンタされる。


 少しでも首の角度を変えれば、その唇に吸い付ける距離。

 こちらの気も知らず、万里奈は思案を巡らせて眉根を寄せ、唇をぺろりと舐めた。

 マルティンの自制心が、ぐらぐらと揺さぶられる。


 ふいに、目の前の瞳がマルティンを捉えた。


「マルティン」

「……なに?」


 二人の吐息が混じり合う。


「確かに私は迂闊うかつだったかもしれない。でも、あなたはここにお説教に来たわけじゃないでしょ? ……なにか、手があるの?」


 ご明察。でも、ただで渡すのは惜しくなってきた。

 マルティンは熱い息を隠そうともせず、鼻先で彼女の鼻をつつく。


「そうだって言ったら? ……万里奈、君は見返りになにをくれる?」


 万里奈が唾を飲み込んだ。


「なにが、欲しいの」


 マルティンは熱の孕む瞳で万里奈の唇を見つめた。

 噛みしめられていた唇は解かれ、血が巡りぽってりと赤く色づいている。

 

 握っていた彼女の手を解放し、細い輪郭に手を添える。

 ぴく、と万里奈の体が強張る。


 緊張に、息を吸い込む彼女の唇が、わずかに開く。

 その奥に見える濡れた舌先が、マルティンを誘っている。


 ——もう、限界だ。


 情動のままに、マルティンは目の前の唇に吸い寄せられた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ