プロローグ 十歳の少女の記憶
バルス。
その一言で、こんな建物崩れちゃえばいい。
中にいる、あいつごと。
ラピュタのお城みたいにツタが這ったコンクリートの廃墟。
入口の柱に背中をぴったりつける。
そっと中の様子をうかがうと、どんより薄暗くて土とカビの匂いが鼻を突く。
外から入り込んだ太陽の光が、真っ黒な地面の所々に、あかるい窓を作っていた。
その明かりの届かない、ずっと奥。
いた――。
何も考えてないみたいに、ぼーっと突っ立っている背中が見える。
うすいテロテロしたTシャツが、だらしないお肉にぴったり張り付いて、ふくらんだりしぼんだりを繰り返してる。
わたしは地面に置いたすみれ色のランドセルから、リコーダーのケースに入れた細長い包丁を取り出した。少しくらいならバレないと思って、うちから借りてきたものだ。
お母さんはお仕事が忙しくて、最近はデパ地下のお惣菜ばかりで包丁を使わない。包丁立ての中で一番とんがってて、持った瞬間に「これだ」って思ったのが、このお刺身包丁だった。
ぎゅっと握った包丁の持ち手が、汗で滑る。
スカートに手をこすりつけて、もう一度強く握り直す。
包丁には、色のない虹みたいな模様が光ってて、ぐにゃぐにゃに歪んだわたしの頭の中、そのまんまだ。
人の体に包丁を刺すのに力がいるってことくらい、馬鹿じゃないから分かってる。
そんな私が考えた方法。
それは陸上クラブで上級生のお姉さんに教わった、クラウンチングスタートだ。
前にめいっぱい体重をかけて、「よーい、ドン」の掛け声で体が前に踊り出す。勝手にはじめの一歩が大きくなって、あとからあとから足がついてくる。
あの勢いなら、ぶ厚いお肉も、きっとデパ地下のステーキみたいに突き刺せる。
そう思ったら勇気が湧いてきて、柱の影からおそるおそる中に足を伸ばした。
体がまるごと心臓になったみたいに跳ねるから、その音が聞こえるんじゃないかって冷や冷やした。
近づいていく目の前の背中は、ぽりぽりとお腹のわきっちょをかいている。
ほっと息を吐いて、ゆっくり地面に体を近づける。
指先で三角形を作って地面を支える。
包丁を握ったこぶしにも体重をかけた。
おしりを頭よりも高くあげる。
こんな時なのに、「パンツが見えちゃう」なんて考えて、喉がひくっと引き攣った。
息を止める。
頭のなかで、お姉さんの声がわたしに合図を送った。
よーい、
ドン!




