余話 また何度でも
「ふわぁーっ! ちっちゃーい! かわいーねー!」
「オンギャア! オンギャア!」
「おいコラ、声を抑えろ。来て早々、迷惑を掛けるんじゃない」
「えー、でもでもー」
「ハァッ……だから連れて来るのは嫌だったんだ。いいか? 絶対に触ろうとするなよ。怪我をさせるに決まってるからな」
「何でさー、お兄ちゃんのケチぃー」
居間に響く幾つもの声。
椅子に緩く背を預けた妻が、腕の中でぐずる娘を優しくあやしている。
集落の女性陣総出による娘の出産を無事に終えてから、早十日ほどが過ぎたか。
自分たちの家には帰らず、未だ実家に滞在していた。
何せ初めて授かった子供。
何をするにも手探り状態。
活動のサイクルも、大人と赤ん坊とでは全然違っているようで。
短い頻度で睡眠と覚醒を繰り返すのに合わせて、寝不足気味の妻とアルラウネがあたふたと対応する中、母さんが極力手を出さずに色々と助言を授けてくれている。
経験者がそばにいる安心感たるや、妻の抱くソレは、俺よりも遥かに大きいに違いあるまい。
対して、碌にベッドから身動きが取れず、手伝いすらできない俺の情けないことといったらない。
中でも意外だったのは、父さんの豹変っぷり。
まるで別人のような振る舞いで、隙あらば娘を構おうとしてくる。
だけに留まらず、赤ん坊を一目見ようと、入れ代わり立ち代わりで来客が後を絶えない。
こうして今もまた、デヴィル兄妹が訪問してくれていた。
「ずっとずっと我慢してたのにぃ」
「細かな力の加減なんかできないだろ。潰すか落とすかのどっちかがオチだ」
過激な発言に、台所で食事の用意をしている母さんが思わずといった様子でこちらを振り返った。
「ふーんだ! そんなことしないもん!」
「やれやれ、もう忘れたのか? ついこの間だって、子供たちの遊びに交ざろうとして、遊具を壊したばかりだろうが。オマエが何かする度に、謝る身にもなってくれ」
「あれは……そのぉ……も、元々壊れかけてただけだもん!」
「二回目どころか、軽く十回以上は直した覚えがあるんだが?」
「お兄ちゃんが直すのが下手なだけじゃんか」
「オマエなぁ……」
デヴィル兄妹は、山を挟んだ場所に用意した魔物たちの住処ではなく、人の暮らす集落に身を寄せている。
切っ掛けは確か、妹さんが望んだからだったか。
どうやら魔物の暮らしよりも、人の暮らしに興味があるらしい。
その有り余る力で集落の拡張作業を手伝いつつも、子供たちと遊ぶべく頑張っているようだ。
お兄さんの言ったように、遊具こそ頻繁に壊れているものの、誰かが怪我をしたという話は不思議と聞いた覚えがない。
もっとも、そんな事態が起これば、此処で暮らすことも難しくなってしまう。
いかに魔物への忌避感が薄い集落の人々であろうと、自分たちに害を成す存在とあらば、許容はできまい。
「兄弟喧嘩なら、余所でやってくれないかしら。赤ちゃんが泣き止まないったらありゃしないわ」
「うぇー!? まだ来たばっかりだよぉ」
「──アンタたちねぇ……うるさくするだけなら帰ってくれない? まだ居座るつもりなら、せめて静かにして」
「お騒がせしてすみません」
「むー」
些か機嫌の悪そうなアルラウネが、デヴィル兄妹へと強い口調で言い放ってみせた。
少し前までであれば、考えられない光景。
一部の例外を除いて、魔物とは立場よりかは強さにこそ重きをおいている。
機関にいたころで言えば、1番はキャスパリーグ、次いでデヴィル兄妹、その次がアルラウネ、セントレア、グリフォンといった具合の力関係であった。
キャスパリーグやデヴィル兄妹と関わっていたのは、俺や仲間たちばかり。
言葉を交わすなど以ての外。
それが今はどうだ。
物怖じている様子は見受けられない。
機関では終ぞ得られなかった変化。
何もそれは、アルラウネに限ったことではない。
デヴィル兄妹も変わった。
移住した当初に比べ、俺たち以外の人との交流が増えている。
本当に必要だったのは、人と隔てることなどではなく、人と関わり合うことだったのか。
もっと積極的に交流会を催していたなら、今もまだ王都で暮らせていたのか。
分からない。
間違いに気付こうが、どれだけ後悔しようが、やり直すことなどできやしない。
少なくとも、皆が前よりも過ごし易いならば、王都を離れた選択肢は決して悪いものではなかったのだと、そう思いたい。
日々の移り変わりは目まぐるしい。
とりわけ、子供の成長ともなれば尚更に。
「アンタさぁ、何で未だに、おっかなびっくり抱いてるわけ? 生まれてから、もう半年以上は経ってるわよね?」
「仕方がないでしょう。冒険者として得た経験など、まるで役に立たないんですから」
暇を持て余しているのか、時折顔を見せにくる魔法使い。
指摘された内容は、いつだかのデヴィル兄妹の遣り取りを思い出させもする。
腕の中にあるのは、幼い命。
ほんの少しでも力加減を間違えてしまえば、容易く失われるほどにか弱く脆い。
とてもではないが、抱いたまま歩くどころか、立ち上がろうとすら思えやしない。
加えて、自分の体調のこともある。
こうして抱くのは、座っている時限定。
細心の注意を払い、決して身動ぎ一つすまい。
「アーウー」
緊張しっぱなしのこちらに構わず、腕の中の娘ときたら、元気いっぱいに腕や脚をばたつかせてみせる。
最近では、泣き声以外も発声できるようになってきた。
腕に感じるのは、まだ僅かな重みに過ぎない。
いつかは、こうして抱き上げられないほどに、重さを増してしまうのか。
視線を合わせると、不思議と口元が緩んでしまう。
「アンタの父親と同じく、デレデレじゃないの」
「む。あそこまで酷くはありませんよ」
「どうかしら。自分のことは得てして分からないものよ」
何と失敬な。
あんな頭の悪い喋り方までは、していない自覚ぐらいはまだある。
「しっかし、性別といい髪の色といい、アンタに全然似てないわね」
「いやいや、他の箇所については、まだ判別はつかないでしょう」
「ま、容姿はともかく、その厄介な性格だけは似ないように、精々気を付けることね」
「酷い言われようですね」
「単なる事実でしょ。まさか、自覚がないってわけ?」
「──ったく、無駄に絡むなよな。そうやってまた、赤ん坊を泣かせるつもりか?」
「フン」
珍しく顔を見せに来ていた戦士が、そう取り成してくれた。
何故かは分からないのだが、魔法使いが娘を抱き上げるだけで、どれだけ上機嫌であろうと、すぐさま泣き出してしまう。
一方で、意外や意外、戦士の場合は逆の反応を見せる。
子供のあやし方に慣れている、というよりかは、あの髪型に興味津々といった様子ではあるが。
「んで、調子はどうだ?」
「相変わらず、家に籠りっきりですね」
「……そうか。けどまあ、無茶しない程度にでも、外には出たほうがいいぜ。随分と生っ白く見えるからよ」
「それは……いえ、そうですね。調子のいい時にでも、そうしてみます」
「起き上がるだけで精一杯の癖して、安請け合いしてるんじゃないわよ」
「あ? おいおいマジか。もう、そんなに動けねぇのか?」
「まあその、壁伝いであれば何とか」
「──チッ、クソがっ。何だってコイツが、こんな目に遭わなきゃならねぇんだ」
「ちょっと! 赤ん坊に汚い言葉遣いを聞かせないでよね。初めて喋る言葉がそんなのになったら、どうしてくれんのよ」
「へいへい、悪かったな」
「……にしても移動、ね。ベッド……いえ、椅子だったら……」
「あん? 何か言ったか?」
「あーもう、考えごとの邪魔しないでくれる?」
「ったく、コイツは相変わらず理不尽だな。そういや最近、僧侶のヤツを見かけねぇな」
「はあぁ~!? アンタ、まさか知らなかったわけ!?」
「知らないって何をだよ?」
「僧侶は今、妊娠してるのよ。しばらくは、王都を離れられないでしょうね」
「………………は? はあぁ!?」
「うっさい!」
そうなのだ。
僧侶さんがめでたく結婚し、さらには妊娠までしていると、ピクシーを通じて聞き及んでいた。
戦士が知らなかったのは、此処以外にも顔を出していなかったからに違いあるまい。
「おいおいおいおい!? 僧侶のヤツ、いつの間に──」
「待って。少しでも卑猥なことを言ったら、毛根を死滅させてやるから。覚悟を決めておきなさい」
「──おいコラ、オレのアフロに何の恨みがあるってんだ」
「それはもう、沢山あるわよ。暑苦しい、鬱陶しい、不衛生、不快──」
戦士も交えての、久々の遣り取り。
2人共、俺とは違って、不調とは無縁な様子。
それが少しだけ、羨ましくも思えてしまう。
「あーもう、うるさい! いい加減にしてよね!」
隣室で寝ていたはずのアルラウネが、怒鳴り込んできた。
妻共々、連日に亘る育児疲れのためか、最近は頻繁に仮眠を取っている。
彼女たちが休んでいる間ぐらいは、娘の世話を代わりたいところではあるが、どうにも体が言うことをきかない。
今日みたく体調の良い日以外は、専ら母さんか父さんが世話を代わってくれている。
父さんなど、山の見回りもそっちのけにしてまで。
ドリュアスのお蔭もあり、山に魔物は寄り付きはしない。
それでも見回りが必要なのは、魔物ではなく人を警戒してのこと。
集落に移住してくる人が増えるにつれ、掟を知ってか知らずか、山に立ち入る者がチラホラといるらしい。
山で下手な真似をしようものなら、ドリュアスの怒りを買うことになる。
集落の住人たちにも、いつかは妖精の存在を知ってもらわないといけないのかもしれない。
「用事が済んだのなら、さっさと帰りなさい!」
にしても、日を追うごとに、アルラウネが逞しくなっている気がする。
幾日もおかずに、魔法使いが再び訪ねてきた。
それも、何とも奇怪なモノを持参して。
「これはいったい……?」
「フフン。これさえあれば、今のアンタでも、外に出掛けられるはずよ」
椅子……の原型はまだあるな。
異様なのは、馬車に付いているような車輪を両脇に備えていること。
「車輪より僅かに椅子の脚を浮かしてあるから、前か後に倒すことで、脚が接地して安定するわ」
「態々作ってくれたんですか」
「この程度、門番用のゴーレムに比べれば朝飯前よ」
「有難うございます」
「お礼を言うなら、せめて使ってからにしてくれない?」
「あらあらまあまあ。お天気もいいし、お昼は皆で外で食べましょうか。ね?」
「はい、お義母さま。とても良いお考えかと存じます。では早速、準備を──」
「ちょっと待って。偶には”3人”でのんびり過ごしてきたらどうかしら?」
「あらぁ~、アルラウネちゃん。とっても気の利く良い子ねぇ。折角だものね。それがいいわ、そうしましょう」
同じく居間で座っていた面々が、どんどん話を進めてしまう。
「いえ、待ってください。その場合、咄嗟に動けるのは妻1人だけになってしまいます」
「アンタねぇ、外に何があるって…………はぁっ、もういいわ。ついでだし、ゴーレムの点検も兼ねて、アタシが少し離れた位置から、周囲を護衛しといてあげるわ。それなら文句ないでしょ」
「あらあら、アナタもとっても良い子なのねぇ」
「よしてちょうだい。そんなんじゃないから」
まあ、魔法使いが護衛についてくれるなら、大丈夫そうか。
「その代わり、お菓子を用意してよね」
「──いつつっ」
「すみません。扱いに慣れなくて、揺らしてしまいました」
「いえいえ、こればっかりは仕方がありませんよ。きっと、街道のような整った道での使用を想定していたのでしょう」
歩く分には気にならない凹凸も、車輪だと結構な揺れを感じるようだ。
尻がジンジンと痛む。
訪れたのは、いつだか2人で来たことのある、草原が一面に広がる場所。
拙い告白をして以来になるか。
まだ自分の足で歩けていたころのこと。
「こうして日中に見ると、夜とはまた違った印象ですね」
どうやら妻も、あの日のことを覚えていてくれたようだ。
「ですね。木陰が無い割に、風が程よく熱気を冷ましてくれていて、昼間でも過ごし易い場所に思えます。人気がないのが不思議なぐらいです」
「人が滅多に訪れないからこそ、この場所が変わらずにあるのではないでしょうか」
「なるほど。それもそうですね」
しかしそれも、いつまで保てることやら。
集落が拡張し続けた場合、この場所が無事に済む保証など、何処にもない。
「アーゥ!」
腕の中の娘が、周囲に手を伸ばし、何かを訴えてくる。
そういえば、あれだけ揺れたのに、泣いたりしなかったな。
見慣れぬ景色の連続に、気を取られてでもいたのか。
「フフフッ、娘もこの場所を気に入ってくれたみたいですね」
「そう……なんでしょうか」
「ええ、きっと。この子にとっても、想い出の場所になってくれると嬉しいです」
生後半年ほどで、何をどれほど覚えられるものか。
……いや、訪れるのは何も、この1回きりにせずとも良い。
これから何度だって、来れば良い。
「また来ましょう。必ず」
「……はい、必ず」
「アーウー、アーウー」
「フフッ。もちろん、アナタも一緒よ」
腕の中から重みが消える。
妻に抱き上げられると、眼下の草花へとしきりに手を伸ばしてみせる。
ふと、視界を白い影が横切って行った。
草原を元気いっぱいに駆け回るのは、煌めく銀髪を靡かせる少女。
此処に居るのは3人きり。
であれば、あれは幻か。
成長した娘の幻影。
この身に残された力と時間。
その全てを懸けて、今と未来を守らなければ。
「──もう、仕方のない人。また何か、思い詰めていますよね」
「え」
幻を遮るように、妻の顔が視界いっぱいに迫っていた。
「もう十分に頑張ってくれました。これからの時間は、私たちに下さいませんか?」
「アーゥ」
「えっと……それはどういう……」
「ずっと一緒にいてください。何処にも行かないで。ずっと一緒に」
瞳が潤んでいる。
どうやら、悲しませてしまったようだ。
「……それぐらいなら、今の自分にもできそうですね」
「もう。そんな風に仰らないでください」
「あ、いえ、自虐したわけではありません」
「本当ですか?」
「本当です」
「本当の本当に?」
「ず、随分と疑ってきますね」
「嘘も隠しごとも無しですよ?」
「ははは……」
「やっぱり何かあるんですね」
「そんなことはありません。ただ、今みたいな時間がこれからも続けばいいのにと、そう思っていただけです」
「はぐらかしましたね」
「ウー」
「本当ですって。勘弁してください」
「ダメです。ちゃんと話してくれるまで許しません。椅子も押してあげません。此処でずーっと待ち続けますから」
言うが早いか、グイッと身を寄せる。
そのまま抱きつくようにして、膝上へと乗ってきた。
2人分の重みが膝に加わる。
こんな様子の妻は実に珍しい。
もしかして、甘えられているのだろうか。
うーむ。
この分じゃ、魔法使いが周囲を警護してることなど、すっかり忘れていそうだな。
「娘に風邪をひかせるわけにはいきませんね」
「でしたら、話してください」
「アーゥ」
「本当に大したことではないんです。今と、そしてこれからを、守ってゆけたら良いと、そう思っただけです」
「……やはり、ご自身のことは勘定に入っていないのですね」
「はい? すみません、よく聞き取れなかったんですが」
「よーく分かりました。くれぐれも無茶をしないよう、今後も監視しないといけませんね」
「どうしてそんな結論に」
「私だって、守られてばかりじゃないんですからね」
「アーィ」
そうして会話が途切れる。
聞こえるのは風に揺れる草花の音と娘の声。
後は、妻の心音。
誰かが空腹を訴えるまで。
それまでは、どうかこのままで。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




