不穏な臭い
朝。それは新しい1日の始まり。朝日と共に訪れる清々しい目覚めに、僕の中には今日という日を楽しく過ごすための活力が充ち満ちている。決してちょっと疲れたりしていることはない。洗濯? HAHAHA、ナンノコトデスカ?
「おはようございます師匠!」
朝。気持ちのいい快晴の下、今日もリリンが訪ねてくる。いつも通りの、全くもってこれっぽっちも変わったことの無いいつもの一幕だ。
「あれ、師匠の服、何だか湿ってませんか?」
「ふぁっ!? あ、いや、あれだ。ちょっと朝食を作る際に材料をこぼしてしまってね。それで急遽軽めの洗濯をしたから、そのせいかな?」
「あ、そうなんですか。確かにちょっと変な臭いがしますもんね。夏場の暑い時期ですし、生臭い物なら早めに洗わないとカビちゃいますから」
「すわっ!? そ、そうだともそうだとも! 清潔は大事だよね、うん」
ぷるるーん……
うぅ、頭の上から「若い時は仕方ねぇよ」みたいな震えが来るのが猛烈に心に響く。わかってる。わかってるから言わないでくれ。武士の情けとか、そういう感じのスルーする方向でお願いします先生……
そんなわけで、今日もまたリリンと一緒に野菜の収穫から1日が始まる。今日はリタさんのところに野菜を届ける日なので、フラウさんと天の神様にお裾分けする分も含めて、少し多めの収穫だ。
「じゃ、行ってくるから、留守番たのんだぞ」
「はい! 行ってらっしゃい師匠!」
リリンと留守番のタモツ君たちに見送られ、僕とえっちゃん、それにマモル君とそのチームを引き連れ、出発進行。
「最近はリリンが留守番してくれるから、えっちゃん達みんなと出かけられて良いよね。とはいえあんまり甘えるのも悪いし、今度はリリンも配達に誘ってみようかなぁ。どう思うえっちゃん?」
ぷるるーん!
頭の上から「その時は任せとけ!」と頼もしい震えが返ってきたので、今後はリリンと配達することも検討しようと思う。でーやんと薬草とか医術に関して話しているのは楽しいらしいけど、ずっとお留守番はやっぱり寂しいだろうしね。勿論、本人の意思が一番大事だからきちんと確認はするけど。
というか、薬草はまだしも医療知識があるって、でーやんは何者なんだろうか? 実験的な理由で薬草を食べさせただけの子のはずなんだけど……体験に知識が引っ張られるとか?
「ねえねえ、えっちゃん。スライムって……」
そんな雑談を続けていると、あっという間にメゾン・ド・フラーボウまで辿り着く。ちなみに質問の答えは「そんな難しいことは俺にもわからない」だった。人間だって自分の体のこととか解らないことだらけだし、結局それはそういうものだと言うことにしておいた。さあ、気持ちを切り替えて宅配を頑張ろう!
「ただいま……」
「お帰りなさい師匠! って、どうしたんですか? 何か元気が無さそうですけど……」
「ああ、いや、大したことじゃないから、大丈夫。ちょっと疲れが出ただけだよ」
配達を終えて家に帰り、心配そうな顔で出迎えてくれたリリンに、僕は乾いた笑みを浮かべて答える。
リタさんの所に野菜を届けたら、普段無表情のリタさんの唇の端が一瞬だけクイッとあがった。あくまで一瞬だけだったので、きっと見間違いだろう。
フラウさんのところにお裾分けを持っていったら、頬に手を当て生温かい視線を向けられた。きっと僕の気のせいだろう。
えー、マジでか? そんな解るものなの? 僕自身は全然わからないし、例えばすれ違う他人がそういうことをしたかどうかなんてわかりようもないんだけど、女の人はわかるものなんだろうか? いや、でも、こういうのは生物学的には本能に基づいた行動であって、別に変なことなわけじゃないし、むしろする方が自然なわけで……
「……やめよう。考えても無駄だしな……さ、昼食の支度をしよう。今日は何かこう……ニンニクとかの臭いがあってスタミナが付きそうなものを作ろうか」
「え? あ、はい。いいですけど……?」
結局その日の昼はペペロンチーノっぽいものを作って食べた。連続でパスタ系だったけど、これは必要な措置だったのだから仕方ない。
その後はジェイクさんがやってきていつもの剣の素振りを始めたけど、特に何も言われなかった。対策が効いたのか男だとわからないのか、もしくは男故に黙っていてくれたのかは未来永劫解らないし、聞くつもりも無い。
「はぁ……はぁ……そう言えば、ジェイク先生……」
「ん? 何だ?」
素振りを始めて暫く後。荒い息を落ち着けるために一端動きを止めていたリリンがジェイクさんに話しかける。
「最近……はぁ、森の方で魔物の動きが活発化してるって……ふぅ、聞いたんですけど、本当なんですか……?」
「……そんな事誰に聞いたんだ?」
「はぁ、はぁ……その、お父さんが話してるのを聞いて……」
「親父さん? リリンは……ああそうか。なら誤魔化しても仕方ないな。事実だ。といっても、今森から出てきてるのは活性化した魔物じゃなく、そいつに追いやられたゴブリンやら狼やらだがな」
「そうなんですか? それじゃあ……」
「ああ、近いうちに大きな氾濫が起こるかも知れん」
真剣な顔で言うジェイクさんに、リリンの顔色も悪くなる。
「あの、ちょっといいですか? 氾濫ってことは、魔物がこう、森の中から溢れて出てくるみたいな感じなんですよね? それってどのくらいヤバイんですか?」
この世界の知識は持ってないけど、「氾濫」という言葉から連想されるテンプレ的な回答は、これで間違ってないと思う。実際僕の質問にジェイクさんは頷いて答えつつ、顎に手を当て軽く思案する。
「そうだな……俺の予想だと、今回活性化したのはおそらくオークだと思うんだが、チーフくらいならともかくジェネラルが生まれてたらヤバイな。万が一だが、キングが誕生してる場合は最悪町の放棄すらある」
「え、そんなにですか!?」
予想よりも数段危険度の高い答えに、僕は思わず声をあげてしまう。
「ああ。オークの場合、進化によって個体の強さがあがることより、それぞれが率いる部下の増加量の方が問題になる。チーフなら数十だがジェネラルなら数百。キングに至っては数千から、時には万を超えることすらある。そうなったら軍に出張って貰わなきゃどうしようもない。1対1なら俺一人で100体のオークだって狩れるが、1対100になれば大量の取りこぼしが出る。敵の数が多くなれば攻めるのはまだしも守るのは格段に難しくなるからな」
「そう、ですか…………」
ジェイクさんの言葉に僕の胸には不安が広がり、同時に僅かばかりの後悔も生まれる。「今はまだ強くならなくてもいい」とジェイクさんに言ったけど、こんな時僕が強ければ……範囲制圧に特化した『威圧感』を十全に使えるなら、大量の敵だってどうにでもなるのに……
「おいおい、そんなしけた面するんじゃねぇよ。最悪の場合って言ったろ? 森の規模から言っても、おそらくはチーフだ。ジェネラルが生まれてればとっくに攻めてきてるだろうし、キングは絶対あり得ない。森中のオークをかき集めたって4桁になるわけないからな。だからあんまり心配すんな。近々ギルドで討伐隊を組んで攻め込む計画もあるしな」
「そうなんですか? あ、それってひょっとして僕も……?」
「馬鹿抜かせ」
不安な気持ちを押し止めきれなくて思わず声に出してしまった僕に、ジェイクさんが笑ってデコピンを入れてくる。
「オークは通常個体でも新人から一歩抜け出た奴らが3人で組んで戦うような相手だ。お前さんが一人でどうにか出来る相手じゃないし、その変な気配も格上の相手には通じないだろ? ならお前さんが戦う事は無い。戦う力の無い奴を戦力として計上するなんざ、それこそ馬鹿のすることだ」
それは言外に「足手まといだ」と言われているに等しいけど、自分の実力がそういうものであることは理解している。だから、これが僕がここで張るべき意地だ。
「わかりました。じゃ、僕はここで畑とスライム達を守りますね」
「ボ、ボクも! ボクも師匠と一緒に守ります!」
「ああ、それで十分だ。頑張れよ若者!」
僕とリリンの精一杯の決意に、ジェイクさんは破顔して同意してくれた。





