3.平穏の終焉
始まりは一人のプレイヤーだった。
水浴を楽しみつつ、「河童らしい動き」シリーズその三、「河童らしい水面からの登場」を練習していた河童の所へ、その男はふらりと現れた。
初心者向けのフィールドであるカッパドキア裏手の森には、そうあまり大した拾得品もなく、経験値やドロップアイテムの面で旨みのあるモンスターもいない。
「一応」、「一通り」、「とりあえず」といった言葉を信条とするFFF開発陣にとって、このカッパドキア裏手の森は「とりあえずゲームを始めたばかりでも潜れる森林フィールドが必要だろう」という意図のみによって作られた場であり、イベントもボスモンスターもレアアイテムも存在しない。
そんな森に訪れるのはその事実も知らない本当の初心者か、VRで森林浴を楽しみたいという、歪んだ自然愛好者くらいのものである。
そのプレイヤーがどちらであったのかは、河童にはわからない。
「おっ、河童じゃん」
VRMMORPG『ファンタジック・ファンタジア・ファンライン』、通称FFFで選べるPC種族に河童などというものは存在しない。
クチバシをつけ、頭に皿を載せたこの外見は、FFFプレイヤーである所の河童がノリと悪ふざけで作り出したものだ。
他人から見ても自分の姿が河童に見えることは、河童にとって素直に嬉しい。
「カッパドキアに河童とか。ダジャレかよ」
そんなつもりはなかった、と弁明するのもキャラに合わない。
河童はファンサービスの意味も込め、
「クワァッ! クワァァッ!」
とだけ鳴いて、沼の底に潜り、相手が去るのを待ってから沼を出て、ゲームをログアウトした。
それからというもの、河童の住む沼はちょっとした観光名所にでもなったらしい。
初めは数日に一度、数人組みのパーティが探索に訪れる程度だった。
何度か顔を見せる内に、徐々に来客の間隔は短くなり、日に複数のパーティが現れることも増えてきた。
そんなある日。
河童が沼のほとりの日の当たる場所で、甲羅干しをしていた時のことだ。
「ヒャッハー! 河童狩りだあああああ!!」
「河童は皆殺しだあああ!!」
「ギャハハハハ!! 河童は殺せえ!!」
釘バット(《トライデント》相当品)で武装した騎士、鉄パイプ(《アイアンメイス》相当品)を振りかざす僧侶と、火炎放射器(《火竜の杖》相当品)を構えた魔術師のパーティが、強襲してきたのである。
桃色のモヒカン、素肌に黒い革装備で揃えた彼らの姿に、河童は「恐怖」状態に陥った。
FFFの仕様上、精神的に恐怖を覚えたPCは、「恐怖」のバッドステートに罹患する。
運良く硬直まではしなかったものの、身体の動きが鈍くなる。
怖ぇよ。
河童は必死でその言葉を飲み込み、
「クワァ……」
と鳴いた。
沼へ向かって後ずさりする河童を、火炎放射器の炎が包む。
(ひゃあああああ死ぬ死ぬ死ぬ!!)
河童は襲い来る熱に備えて目を閉じ、水掻きのついた手で顔を覆う……が、恐れていた熱さや痛みは、まるでやってこなかった。
(……うん、死ぬわけなかったね)
そうだ、死ぬわけがなかったのだ。
FFFはそういうゲームなのだから。
河童の中身は単なる大学生である。
初めてのVRゲームで、引きこもりプレイを続けていた河童には、およそ命の危機を覚えるほどの戦闘経験などない。
故に、相当びびった。
しかし、モンスターからの攻撃で受ける痛みも、初期設定だと「何かぶつかったなぁ」程度に軽減されるのが、現代におけるこの手のゲームのスタンダードだ。
ましてや、FFFはシステム上、PC間での攻撃行動が絶対に不可能になるように作られている。
直接攻撃ではダメージを与えられないし、毒ガスや地雷のようなトラップアイテムもPC相手には発動しない。
油をかけて火を放っても、それが24時間以内に「PCのかけた油」であるか、「PCの放った火」であればダメージが通らない。
崖や火口から突き落とそうにも、「PCないしPCが接触している物体が別のPCを、落下後にダメージを受ける段差方向に移動させる行動を取った場合、段差の手前に透明の壁が作られ、落下を疎外する」という、どう見てもやりすぎな対策が取られている。
野生のモンスターを意図的に別PCの元へ誘導して襲わせる“MPK”を試みようにも、「一度戦闘状態に入ったモンスターは、戦闘中のPCパーティを全滅させるか、別パーティからの攻撃を受けるまで、戦闘中の相手のみを襲い続ける」というルーチンが組まれている。
モンスターと交戦中の別PCを囲んで拘束してサンドバッグ状態にするとか、バリケードを作ってモンスターと一緒に閉じ込めるとか、とにかくPCがPCを害する方法は端から禁じられている。
当然それらを逆手に取った緊急回避や、ボスへのハメ技なども考案されたが、それでもなおFFFは徹底して|プレイヤー間の攻撃行動《PK》を廃しようとし、それらを考案及び実践したPCを容赦なくアカウント削除した。
これらは全て、運営企業の一部株主による「ゲームによる暴力的思考の助長」を懸念する声を意識してのことなのだが、他のジャンルのゲームを思いつくほどの、意欲も、発想力も、運営企業は持ち合わせていなかったのだ。
益体もないことを考える間に、河童の恐怖はすっかり抜けていた。
釘バットや鉄パイプで殴られる瞬間等はとっさに身構えてしまうものの、実際に殴られても、軽く体勢を崩すだけで痛みもない。
「ヒャッハーッ! 河童だあああ!!」
「河童だ河童だああ!!」
少ない語彙と共に振り下ろされる凶悪な武器。
痛みはなくとも、河童は段々と苛立ってくる。
何故自分が一方的に殴られ続けなければならないのか。
「クワァ……」
気付けば、河童はモヒカン騎士の腕を掴んでいた。
「なっ、うおっ!」
そのまま沼へ飛び込み、水中へ引きずり込む。
それでどうこうしようという積算はなかった。
いつもの流れで自分に水中呼吸魔法をかけた所で、ふと思いつく。
(このまま水中に潜ったら、こいつ窒息死するのかな)
泡を吐き出しながら必死でもがくモヒカン騎士を眺めつつ考える。
徹底してPKを忌避するFFFだ。
何かしらの対策は取っているのだろうけれど、しかし、ここまではすんなりと進んでしまった。
「混乱」により思考にモヤがかかり、「恐怖」で動きの鈍くなった獲物は、手足の水掻きで速度を増した河童の泳ぎに導かれ、泥沼の底へと沈んでゆく。
水に沈んで二分が経った時、モヒカン騎士は光となって消えた。
(うん)
立ち上る光を見上げ、頷く。
(今のは……)
河童はクチバシを歪め、不気味な笑みを浮かべた。
(河童っぽいね……!)
そうして河童は人を襲う妖怪となった。