4.幻想の崩壊
VRMMORPG『ファンタジック・ファンタジア・ファンライン』、通称FFFの運営会社は大手家電メーカーであり、FFFにしても時流に乗って手を出してみただけの商品であって、担当部署にもMMORPGに敏い者はほとんどいない。
また、開発元は銀行などの企業向けのシステム開発が本業であり、ゲーム開発を馬鹿にしている節があった。
システム開発自体にはそれなりの経験と歴史を持つものの、そもそも、
「ある程度出来たらリリースして、バグ報告があれば直す」
だとか、
「どんなクソみたいな入力に対してもボロが出ないように出力する」
だなんてスタイルがこの世に存在することすら知らない。
そのため、致命的なバグ等は比較的少ないものの、基本的に出足が鈍く、対応が遅い。
ゲームとしての目新しさがなく、梃入れも後手に回る。
開発元としては、ゲーム開発なんて仕事はとっととポシャッて、もっと他の“重要な仕事”に人工を割きたいと考えているため、ゲームを面白くしようという意識は薄い。
元々ゲーム好きでPGを始めた若い層も、上層部に影響されて意欲はすこぶる低い。
こんなゲームに労力を割くくらいなら、既存のもっと面白いゲームをプレイする側に回ろうと考えている。
そんなことは、別に珍しい話でもない。
VRが流行するずっと以前から、このようにして腐敗し、潰れてきたゲームは多々あった。
そこにはただ一つ、既定の事実があるだけだ。
FFFは終焉へ向けて生まれ、道を違えず、滅びへと辿りつく。
その理に従わず、それを妨げる者は並べて害悪であると。
矜持なき高慢、芯を持たぬ嘲弄。
損得すらも盤に乗せず、ただ「己が意に反する」事への憎しみにより、裁決は下された。
要はアカウントを削除されたのだ。FFFを騒がせた謎の河童こと、貧乏学生・井上は。
それはまぁ当然の帰結である。
プレイヤー間の攻撃行動を極端に倦厭する運営の元で、悪質なPK行為を繰り返したのだから。
井上は通知以来、万年床に転がって延々と逆恨みに耽っていたが、客観的に見てこの措置はまず予想できたことだし、今回運営側には何の非もない。
他プレイヤーへの過度な攻撃に対するアカウント停止、及び削除措置については、利用規約にも書いてあるのだ。
それを読んだか読んでいないかは別として、「利用規約に同意する」と言ったのは彼自身である。
謎の河童で村興し、なんて泥臭く、なおかつ面倒臭い方法は、この運営には好まれない。
そもそも井上はゲーム振興のために河童になったわけでもないし、「折角俺が盛り上げてやってたのに」などと拗ねるのは、お為ごかしも良い所だろう。
という旨のことを、大学の友人に懇々と諭された。
「しかし井上くん。しばらく学校来てないと思ってたら、そんなしょうもないことやってたの」
香川唯子は友人の鼻面へ向けた箸先を、螺旋状にくねらせる。
香川の昼食は学食で二二〇円のカレーうどんであり、それ故に箸の動きは至極慎重で、それでいて悠然としたものであった。
「しょうもないかなぁ。結構面白いと思うんだけど」
「面白いのは面白いんだけど、仏文の二単位、完全に落としたでしょ」
「仏文は後期で取る」
言って、井上はカレースプーンで箸先を遮る。
カレーライスは二五〇円であり、香川はこれをブルジョワジーの食事であるとして憎悪していた。
井上の貧乏は半ば、自身の道楽に基くものだ。
酒席を断ることはないし、旅行土産には糸目をつけず、愉快な広告を見れば「ご祝儀だ」と言って情報商材にも金を出す。
果ては、自分の家のサーバ上にも置かれない電子データの為に課金を行いさえする。
結果的に日々の食費に事欠き、学食以外は水と砂糖と小麦粉で食いつなぐ生活を送っている。
香川などはその姿を没落貴族に擬え、単に「お貴族様」と呼び称す。
対して、香川は真っ向からの苦学生であった。
四人兄弟の三番目として、格別裕福でもない香川家に生まれた彼女は、私大の理系学部(※一般に、とてもたくさんお金がかかるとされる)に進んだ兄と姉、そして私立のスポーツ名門高校へ推薦落ちの普通入学(※これもまた、とてもたくさんお金がかかるとされる)を志望した弟の間に挟まれつつも、どうにか特待生として今の大学へ進学した。
大学全体としては二流であったが、文学部人文学科に籍を置く一人の教授が、その筋ではわりと有名な方であり、香川の愛読書の著者でもあったのだ。
純然たるモラトリアムの延長、親や教師などの環境による圧迫に対する場当たり的対応、大学生活というイメージへの漠然とした憧れ、学問と直接の関係性を持たない夢を掴むための時間稼ぎ。
人文学科への志望動機には様々あるが、彼女は異常とも言える動機に基き、この学科を志望した。
彼女が大学へ入ったのは師の下で研究に励むためであったから、当然アルバイトなど出来ようはずもない。
そんな暇はないのだ。彼女は日本国内にほんの一握りしか存在しない、学問について大変忙しい文学部人文学科生、なのだから。
しかしながら二流大学の、それも文学部生なぞに支払われる奨学金の額など、高が知れている。
実家からの仕送りは米と塩、季節によりミカン、それのみである。
故に彼女には金がなかった。
「井上くん。ここには、君が仏文を落とすことを呆れるに値する、二つの理由があるよ」
香川はドラムバッグからおもむろにタッパーを取り出すと、器に残ったカレー汁を注ぎ入れる。
「というと」
井上はいつも通りの光景を横目に相槌を打つ。
「一に、出席するだけで取れる単位を落とすとか、馬鹿じゃないのと」
タッパーに蓋をし、ゴムで止め、ビニール袋に入れて口を縛る。
「あの時間って、なーんか用事が入るんだよね」
丼とトレイを受け取り、自分の皿に重ねる。
「二に、野木先生の仏文は、ちゃんと聞くと結構面白い」
掌を立てて会釈しつつ、カレー汁を仕舞った鞄を担ぐ。
「だから後期も受けるんだよ」
自分の手提げ鞄を拾い上げ、椅子を机の下に戻す。
「判ってるなら別にいいんだけどさぁ」
二人分のトレイを返却棚へ運ぶ友人の後を追い、香川は溜息をついた。
彼女が苦学生の敵とも言える道楽貧乏学生である井上と友人関係にあるのは、同学科内で井上が唯一、大学の講義をまともに聞く人間だからだ、とも言えた。
少なくとも友好関係の発端はそこだった。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまです」
二人は揃って厨房に会釈して表へ出、木陰のベンチへ並んで腰掛ける。
「香川さんもやってみたら」
「どれを? サボリ? 河童?」
「サボリは他人に薦めるものじゃないし、君の河童も見てみたいけど。VRだよ」
風が吹いて、陽光が翳る。
「お貴族様は下々の生活レベルを理解してないんじゃないの?」
「いや、機械は貸すよ。どうせ懸賞で当たった物だし」
「うちはネット回線なんて贅沢品は通ってないんだけど」
「おおう」
木の影から少し外れた地面のタイル煉瓦に、黒い斑点が生まれる。
雨だ。
三々五々としていた学生達が、一斉に校舎内へ逃げ込んでゆく。
この程度の雨でならこのベンチが濡れないことは、井上も香川も承知していた。
慌てることもなく、それぞれ鞄から折り畳み傘を取り出す。
「じゃあ、河童の方でいいよ」
井上が無駄に優雅な所作で黒い傘を広げた。
お貴族様だ、と顔を顰める香川は、そもそも貴族というのがどういうものなのか、よくわかっていない。
「クチバシつけて、池に潜るの?」
香川は無造作に、赤いチェック柄の傘を広げる。
骨が一本折れていることに井上は気付いたけれど、それについては何も言わない。
「楽しいと思うよ。俺も池まで人を誘導する役やるから」
労力の差について指摘すべきだろうか、と香川は首を傾げた。
VRの河童は、ある日を境に、二度と人前に姿を現さなくなった。
河童の件について、運営公式からの発表は一切なく、FFFは既定路線に従ってサービスを停止することとなる。
VRの河童が姿を消した数週間後、とある二流大学敷地内の池に、河童が現れるという噂が流れた。
しかし噂は単なる噂であったらしく、実際にその姿が見られたことは一度もないまま、そんな噂があったことすら忘れ去られた。




