2.異形の誕生
『ファンタジック・ファンタジア・ファンライン』、通称FFF。
企画段階では、『ファンタジック・ファンタジア・オンライン(仮)』という、安易ながらも無難なネーミングであったそのゲームは、「折角ファンが二つ続いているなら、三つ続けた方が面白いだろう」という歪んだ感性に基く鶴の一声により、現在の名へと収まった。
故に、ファンラインという単語に一切の意味はない。
井上修、貧乏大学生。二流大学の文学部人文学科に所属する。
人文学科がこの世で二番目に暇な学科とされるのは、実の所、あまり正確ではない。
「人間の作ったもの全て」という研究対象は狂気的に幅広く、そのため個別に見れば独善的な「人文学」というジャンルにおいて、一人きりで自らの研究に没頭することこそが最重要であるからだ。
心に決めた研究対象を持つ者は、休むまもなく四六時中そのことばかりを考えるため、場合によっては他のどのような学科よりも忙しいと言える。
逆説的に言えば、その研究対象を持たない人間は、純粋に暇である。
井上は後者に属する学生だった。
彼はスポーツドリンクの懸賞で当てたヘルメット上の装置、VRギアを頭にかぶり、万年床に横たわっていた。
スポーツドリンクの懸賞でこんなインドア専門の玩具が当たることはインドア派の彼にとって一つの疑問だったが、引退したスポーツ選手がVR世界で第二のスポーツ人生を送ることは、ままあることなのだ。
肉体の衰えや故障に関わらず、純粋に技術と経験のみで戦えるその世界は、救済の場でもあった。
ただし、金と時間は大いに吸われることとなる。
幸い、井上にとって、時間については潤沢に容易されている。
金についてはその限りではないといえ、今回は幸運がそれを補った。
生まれて初めてプレイするVRゲームとしてこのFFFを選択したのは、VRギア本体に付属した広告による。
オープンβテストという無料プレイ期間。
何より、新しくサービスが開始したばかりのゲームということで、プレイヤー内の格差が少ない。
キャラメイクの第一歩は、名付けから。
FFFでは一文字から二十文字までのキャラネームをつけることができる。
これは現在までに出ているVRMMORPGの中で最長のものらしい。
「真超絶激烈無限大帝・五十崎源五郎衛門時貞……んー、いまいちピンとこないな」
井上はとりあえず入力した二十文字を一旦すべて削除する。
「超スーパーウルトラミラクルスペシャル太郎……ダメだね」
何も考えずに入力した二十文字を再度すべて削除する。
そもそも二十文字をフルで使う意味がない。
適当な名前を入力して、確定ボタンを押した。
続いて種族の設定。
FFF世界には、いくつかの種族が互いに交流を持ったり持たなかったりして、日々を送ったり送らなかったりしているという、ざっくりとした設定がある。
この手のゲームならとりあえず種族選択は必須だろう、ということで入れられた機能であるからして、その辺りの設定は至極曖昧なのだ。
プレイヤーが選択することのできる種族には七種類ある。
人間、森妖精、岩妖精、小人、獣人、竜人、機械人。
それぞれ腕力が伸びやすいとか、魔法が強いとか、身体が硬いとか、猫耳が生えている等といった特徴があった。
各種族の外見的特長を備えた、各種族における“中肉中背”、のっぺらぼうのマネキンの中から、井上はハーフリングを選択した。
種族的な幸運値が高いハーフリングは、キャラメイク型RPGにおける井上の普段のプレイスタイル、二流ステータス特化型に合致していたのだ。
次に、種族特徴をベースにした、外見データの設定に進む。
外見データの設定には、主に二種類の方法がある。
一つが、既製の顔パーツを組み合わせて自分の顔を作る方法。
個人情報保護意識の強い者や、美男美女に憧れる者、その他、キャラ設定等において何らかの目的を持つ者は、これを選択する。
もう一つが、VRギアの3Dスキャン機能によって、自分自身の顔をベースに生成する方法。
プレイヤーは髪型や髪色、瞳、肌の色などを設定することができる。
あくまで種族特徴がベースになるため、エルフなら耳が尖ったり、獣人なら獣耳と尻尾がついたり、竜人なら全身が鱗に覆われ毛がなかったり、ということになる。
いずれもプチ整形機能により、皺の数の増減、毛髪の増減などを行うことはできるが、あまり大きな変更を加えることはできない。
井上もまずは3Dスキャンを試してみたが、プチ整形で眉毛を三倍の長さにした時点で、一旦リセット。
パーツ選択式を試してみるも、彼の気に入るようなものは見当たらなかった。
「どうしたものかな」
どうせなら、何か物凄くくだらない悪ふざけをしたい。
井上はそう考えた。
いったんキャラメイクを中断し、VRからログアウトした井上は、自室の棚を漁り始めた。
寿司フィギュア、縦長の亀の子タワシ、画面の割れたワンダースワン、ししゃもフィギュア。その他諸々の実用性皆無な品々。
それらの底から、井上は目的のものを見つけ出し、再びVRギアを装着した。
FFFの戸枠を呼び出してくぐり、キャラ設定に移行する。
キャラネーム:河童。
種族:森妖精。
3Dスキャンによって作られた彼の外見データには、大きなクチバシが装着されていた。
プチ整形機能でクチバシの玩具と自分の肌との隙間を均し、髪をざんばらに、頭頂部を丸くはげさせる。
青白い肌と尖った耳。
「うん、気持ち悪い」
姿見に映る不気味な自分自身に、井上――否、河童は、強い満足感を覚えた。
初期ジョブに付与術師を取得した河童は、誰にも会わないようフルフェイスの頭装備で顔を隠して、補助職取得可能レベルまで己を鍛え、NPCによる転職神殿で新たな職を得る。
自分自身で装備品を作ることのできる、鍛冶師。
制作した装備やアイテムの外見を好きに設定できる、造型師。
この二つの職で覚える生産スキルは、オリジナルデザインの装備を作る上では必須のものだ。
そして初期職の付与術師。
戦闘時の能力強化は割合上昇なので、戦闘職を持たないPCのソロプレイでは死にスキルも良い所なのだが、河童にとって最も重要な水中呼吸の魔法を覚えるのだ。
FFFの仕様では、どのような訓練をしようが、無呼吸状態では一律二分で窒息死するようになっている。
河童の川流れなど、笑い事ではないのだ。
キャラメイク時点から目指していた、この姿。
自作の甲羅の鎧と水掻きのナックル、足ひれの靴を作成した河童は、河童としての完成形を見た。
奇しくも「カッパドキア」と名付けられた街の裏手の森、その奥深くにある沼の中で、ひっそりと過ごす河童。
生活に使う金はないながらも、冗談に使う金だけは惜しまない主義の河童は、課金アイテム「拠点用煎餅布団」を沼の近くの茂みに隠し、宿に戻らなくともログイン・ログアウトをできるようにする。
人とは違うプレイングする俺かっこいい、と一人自己満足に浸っていた彼の平穏は、しかし、そう長くは続かなかったのだ。