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龍律 -Dragon Code-  作者: 次縁 最良
第一部 特殊機動隊 始動編
1/9

第一話 特殊機動隊

第一話、改変しています。

 新律(しんりつ)暦、二五六年。


 新龍(しんりゅう)市の朝は、今日も平和だった。


 しかし、この平和が、この世界に残された最後の平穏だったとは、誰も知る由もない。


 世界最大の国際機関、世界共律機構《World Co-Law Organization》――通称、WCO。その本部から少し離れた場所に、直轄機関である国際特務防衛庁の巨大庁舎がそびえ立っている。


 今日も庁舎では、出動命令を知らせるアナウンスが鳴り響き、隊員たちは廊下を駆け、無線では慌ただしく指示が飛び交っていた。世界の平和を守るため、誰もが自らの任務へと向かっていく。


 その喧騒から少し離れた一角がある。

 特殊機動隊。世界最高峰の実力者だけを集めて結成されたはずの部隊。


 しかし、設立から半年。彼らには、まだ一度として出動命令は下っていなかった。


◇ ◇ ◇


 黎(レイ)が庁舎へ足を踏み入れると、行き交う職員や隊員たちが次々と声を掛けてくる。


「黎さん、おはようございます!」

「颯(ソウ)少佐、おはようございます」

「おはよう」


 黎は白い組紐の耳飾りへ軽く触れ、いつもの笑みを返した。


 十歳より前の記憶はない。

 どこで生まれ、誰に育てられ、どんな日々を過ごしてきたのか。


 この名前さえ、本当に自分のものだったのかも分からない。


 思い出そうとしても、何も浮かばない。


 分からないまま、生きている。


 ……だから時々、怖くなる。


 一番得体が知れないのは、自分自身なのかもしれない、と。


 それでも、今の黎を形作った時間は確かにある。


 育ての親、蒼爪(ソウソウ)と暮らした森での日々は穏やかだった。

 五律(ごりつ)学院で仲間たちと競い合った時間も。


 だから今は、この場所がある。

 一人の術律士(じゅつりつし)として。

 一人の隊員として。

 特殊機動隊の副隊長として。


 それでも、玖狼(クロウ)はいつも前を向いている。


 今を見て。


 その先を見ている。


 ──だから私は、あの人が任せてくれた役目を、胸を張って果たせる人になりたい。


 それだけで十分だった。

 それ以上は、望まない。


 ……望めない。


 平和でも。

 平和じゃなくても。


 あの鮮烈な紅を纏って戦う彼の隣で。

 彼が任せてくれたこの役割を全うしたい。


 この平穏が続くのなら、それでいい。


 今日も、いつもと変わらない一日になる。

 そう思っていた。


「おはよぉ、副隊長!」


 背後から聞き慣れた明るい声が飛んできた。

 振り返ると、長い赤髪を揺らしたディアナが大きく手を振っている。


「おはよう、ディアナ」

「相変わらず朝早いねぇ」

「ディアナもでしょう?」

「昔から朝日で起きちゃうんだよねぇ」


 他愛のない会話を交わしながら、二人で執務室へ向かう。

 廊下の角を曲がると、執務室の前で祇珠(ギジュ)がこちらに気付き、背筋を伸ばした。


「副隊長、おはようございます!」

「おはよう、祇珠」

「おはよぉ。……今日も、あの子が駄々こねるくらい平和でありますよぉに 」


 ディアナが両手を合わせて、祈るように言う。


 三人で顔を見合わせ、小さく笑う。

 そして執務室の扉を開けた。


◇ ◇ ◇


 卓上の律機(リッキ)端末に表示された報告データを確認していた、そのときだった。


「暇、だぁああああああ!!」


 執務室に、場違いな叫び声が響き渡る。


 ――今日も始まった。ディアナの祈りは届かなかったわね。


 視線を上げると、大柄な体が床へ豪快に倒れ込んでいた。


「もう、限界だっ!」


 その姿は、この部屋に閉じ込めておくなと全身で抗議していた。


「まーた始まったぞ」

「今日はいつもより早かったねぇ」

「ホント、懲りないわね……」

「副隊長!勤務開始から"暇だ"まで、過去最速を更新しました」

「え、よく計ってたな?!」


 執務室のあちこちから笑い混じりの声が飛ぶ。

 誰も止めようとはしない。

 もはや特殊機動隊では見慣れた日常だった。


「雷(ライ)、あなた……毎日同じことして、飽きないの?」


 床で駄々こねる雷に声をかける。


 そもそも、暇ではない。

 各種書類仕事も、備品整理も、訓練計画の見直しもある。


 それでも雷が言いたいのは、そういうことじゃない。


 玖狼と、機動隊の仲間と一緒に戦えない。

 そのもどかしさを、「暇」という一言に全部詰め込んでいる。


「飽きるとかそういう問題じゃねぇんだよ!」


 雷は勢いよく起き上がった。


「半年だ、半年!機動隊が設立して、オレは隊長と一緒に働けると思ったのに……」

「……平和なら、それでいいじゃない」


 そう口にしたものの、黎は自分でもその声に迷いが混じっているのを感じる。


「だからって、お荷物扱いされてもいいって話じゃないだろ!」


 その一言で、部屋の空気が少しだけ重くなる。


 半年間、一度も出動できていない。

 特殊機動隊は、本当に必要な組織なのか。

 そんな視線があることくらい、みなが分かっていた。


 黎も返事に詰まり、小さく目を伏せた。


「……それは、私だって」


 胸の奥が、少しだけ痛んだ。


 視線は自然と隊長席へ向いた。

 玖狼は相変わらず卓上の律機端末を操作している。


 焦りも。

 苛立ちもない。

 ただ静かに、今やるべき仕事を続けていた。


「隊長!隊長は悔しくないんすか!」


 玖狼は、ゆっくりと顔を上げる。その深紅の瞳には、焦りも苛立ちも浮かんでいない。

 彼の足元では、相棒の漆黒の狼――紅牙(コウガ)が伏せている。

 雷の騒ぎなど慣れたものだと言わんばかりに、尻尾だけをゆるく揺らした。


「悔しいことは何もない」


 即答だった。


「平和なら、それは喜ぶべきことだ」

「でも!」

「人を守る仕事は、戦うことだけじゃない」


 黒縁眼鏡の奥の視線が静かに雷へ向けられる。


「……」


「俺たちは、来るべき時のために備える。そのために牙を研いでおけ。それが俺たちの仕事だ」


 そう告げると、玖狼は再び律機端末へ視線を落とした。

 きっと彼は、来るべき時を信じている。


 ――だから、迷わないんだろうな。


 玖狼の言葉はわかる。同時に、雷の気持ちも分かってしまう。


 パシッ――


 と部屋に乾いた音が響いた。雷の両頬が薄赤く染まっている。


「……じっとしてても仕方ねぇ。オレ、ちょっと体動かしてくるわ」

「えっ、ちょっと?書類仕事まだ終わってないけど!」


 呼び止める声にも振り返らず、ひらりと手を振る。


「……あ~、帰ったらやる」


 そう言い残し、部屋を後にした。


「副隊長!俺もこの作業飽きました~」

「あなたは備品を壊した始末書を先に書きなさい」


 雷が出ていったあとも、執務室ではいつもと変わらないやり取りが続く。


 「ん?」


 執務室の扉から手元の端末に目を移すと、一件の通知が来ていた。

 差出人は、特務支援部のカイ。


 調整完了。

 受領願う。


 それだけが表示されていた。

 二日前に調整を頼んでいた愛用の拳銃の件だ。 もう仕上げてくれたらしい。


「玖狼、装備の確認と試射に行ってくるね」

「ああ、分かった」

「あー!副隊長だけ訓練ずるいっす!」

「祥柳(ショウリュウ)、あなた全然仕事終わってないでしょ……」


 ちらりと、玖狼を見やる。


「はぁ……本日分の仕事を終わらせた者は、訓練場へ行くことを許可する」


 隊長からの許可で、一瞬前まで気怠そうだった空気が一変した。


「じゃあ、行ってきます」

「ああ、行っておいで」


◇ ◇ ◇


「誰が管理していた」


 感情の起伏を感じさせない低い声が、格納庫の中から響く。

 装備を受け取るために格納庫へ来たら、白衣姿の男が特務支援部の整備員たちへ問いかけていた。


「全然使われてないですし、カイさんこそ、そういう無駄なものに時間をかけるの、嫌うじゃないですか……」

「今持ってる装備開発の仕事だけでも忙しいのに……」


 男の視線の先には、黒鈍色の機体が静かに佇んでいる。その装甲には、うっすらと埃が積もっていた。


「必要なときが来る。それまで毎日手入れしておくよう言ったはずだが」

「ですが!」

「今すぐ、いつでも起動できるようにしておいてくれ」

「……はい」

 整備員たちは肩をすくめ、気まずそうに顔を見合わせる。


「カイさん、お疲れ様です。銃の調整ができたって受け取りに来たんですけど……後の方がいいですか?」


 声をかけると、白衣姿の男がゆっくりと振り返った。


 病的なほど白い肌。

 目の下には濃い隈が浮かび、薄灰色の瞳だけが静かにこちらを映している。


 特務庁で使用される装備や移動機体の開発を任されている、特務支援部のカイ・リンショウだ。


「……来たか」


 そう言って、傍らの無骨な鞄を開く。

 中には、調整を終えた自分の拳銃が収められていた。


「ありがとうございます!」


 手に取ると、馴染みのある重量が掌へ伝わる。


「今回は術式演算部を全面的に再設計した」

「また、色々いじったんですか?」

「ああ、君の術律(じゅつりつ)との同期率は九十八・八七%まで向上した」


 数字を聞いても、その差を体感できるほど繊細ではない。


「十分速かったし、問題ないと思いましたが……」

「術律は術者だけで完成するものではない。術者が五律語(ごりつご)で編律(へんりつ)した術式を、律機側がどれだけ高速かつ正確に律算(りっさん)できるかで最終的な性能は変わる」


 ――始まっちゃった。


「従来の演算器では術式展開時に約〇・一七秒の遅延が発生していた。しかし今回、新型律算基板へ換装したことで演算効率が――」


「カイ様」

 澄んだ声がカイの暴走に歯止めをかける。

 いつの間にか、金色の髪をゆるくまとめた女性が入口で立っていた。


「また黎を捕まえて講義を始めていらっしゃるのですか?」


 ショウキョウ・キリム。

 情報管理部で暗号解析や情報分析を担う才媛であり――カイを止められる数少ない人。


 カイは一瞬だけ口を閉じる。

「……説明していただけだ」

「その続きを始めると、夕食まで講義漬けになってしまいますわ」

「…………」

 否定しない。


 黎は思わず苦笑した。

「助かった、ショウキョウ」

「ふふ。黎は、まず試した方がお分かりになるでしょう?」

「うん、その方が早そうだし、試してくるね」

「違和感があれば遠慮なく言ってくれ」

「はい!では、失礼します、カイさん。ショウキョウも、またね」

 二人に手を振り、格納庫を後にした。


◇ ◇ ◇


 訓練場へ着くと、腰のホルスターから拳銃を抜いた。

 安全装置を確認し、軽く構える。

 握り心地は変わらない。


 けれど。


 引き金へ指を添えた瞬間、ほんの僅かに手へ馴染む感覚が増していた。


「カイさん、やっぱりすごいな」

 数字を聞いても、その差は体感できないと思っていた。

 ほんの僅かな違いなのに、まるで身体の一部であるかのように操作できる。



 拳銃をホルスターへ戻し、訓練エリアに備え付けられている端末へ手を伸ばす。


「異獣(いじゅう)モード、遠距離精度判定タイプにしてみようかな」


『――模擬訓練・異獣モード

 遠距離精度判定タイプ起動。

 訓練用模擬個体を展開します。

 討伐対象、五十』


 次の瞬間。


 訓練場へ光が走る。


 狼、熊、猿、鳥。

 光の中から、乙級までの異獣が次々と姿を現す。


 異獣。世界を満たす律子(りっし)が異常な濃度となり、生物へ影響を及ぼした存在だ。


「keyn(金よ、) brdx bin(光の如く走れ)da」

 白い律子が拳銃へと集まり、銃身を淡く包み込む。


 術律。五律語によって律子へ干渉し、世界の法則を書き換える術式言語。


 パンッ。


 一体が光へ崩れる。


 パンッ。


 着弾と同時に異獣は光の粒となって消えていく。


 無駄がない。

 狙い直すこともない。


 照準を合わせるより早く、身体が次の標的を捉える。

 当たり前のように、指が動く。


 いつの間にか、周囲に人だかりができていた。


「また副隊長やってるぞ」

「見に行こうぜ」


 機動隊員だけじゃない。

 他部署の隊員や職員まで足を止めて見守っている。

 その輪の後ろで、黒髪の小柄な女性が息を呑んだ。


「……黎さん、綺麗」

 その呟きは、歓声に紛れて誰にも届かない。


 黎の意識は、目の前の五十体だけへ向いていた。


 最後の一発が放たれる。


 乾いた銃声。


 異獣は光となって崩れた。


『――模擬訓練・異獣モード

 遠距離精度判定タイプ終了。


 討伐対象:五十

 討伐時間:五十三秒

 命中精度:九九・九七%

 評価:最良』


「また最高記録更新だ!」

「流石、副隊長!」

「すげぇ……」

 歓声が上がる。


 その中を掻き分けるように雷がやって来た。


「また自己最高記録更新かよ」

「……少しだけ、ズレちゃった」

「じゅーぶんすげーってのに……嫌味か?」

「玖狼なら、百%いくでしょ?」

「そうだけど、あれは次元が違ぇだろ」


「あ、あの……!」

 振り向くと、凛(リン)がタオルを両手で差し出していた。


「よかったら……その、それと……すごかったです」

「ありがとう」

 受け取ると、凛はほっとしたように微笑む。


「凛さん!オレもタオルください!」

「は、はい!」

 慌ててもう一枚取り出す凛を見て、雷は満足そうに笑った。


 ――本人には伝わっていないけど、雷は本当にまっすぐだな。


 ビィイイイイイイイイイッ!!


 耳をつんざくような警報に、思わず顔を上げる。


「凛さん!」

 雷は反射的に一歩踏み出し、凛を背に庇った。


 訓練用の警報とは明らかに違う。

 聞き慣れない、腹の底まで震わせるような重い音が訓練場を満たしていた。


「何事?」

「今までにこんなことって……」


 そこにいた誰もが息を呑み、動きを止める。

 凛の抱えていた籠が傾き、畳まれたタオルが一枚、はらりと床へ落ちた。


『――緊急警報発令』


 無機質な音声が庁舎全体へ響き渡る。

 活気があった空間から、音が消える。


『律機新興国(りっきしんこうこく)北方国境付近にて、特甲級異獣の出現を確認。先行した律子災害対策部の第一戦闘部隊、第二戦闘部隊ともに甚大な被害が発生。至急、応援部隊を出動させてください』


 張り詰めた空気だけが、訓練場を支配していた。


 律子災害対策部は、律子濃度異常や異獣災害への対応に精通している専門部署だ。その精鋭である第一・第二戦闘部隊を揃って壊滅寸前まで追い込む――それが、特甲級。

 都市一つを壊滅させかねない異獣が確認されたのは、実に二十年以上ぶりだった。


「……なあ、黎」

「うん」


 二人の視線が交わる。


「これって、もしかして」

「私たちの出番かもね」


 雷は無意識に拳を握り締めた。

 その表情を見れば、胸の内は言葉にしなくても伝わってきた。


 訓練場の扉が静かに開く。

 現れたのは漆黒の狼を伴った玖狼だった。


「総員、集合」


 その一言で、訓練場に散っていた隊員たちが一斉に隊長の前へ集まる。

 誰一人、無駄な動きはない。


 特殊機動隊の隊長はそこにいた隊員全員を見渡した。


「特殊機動隊――出動する」

毎週土曜日12時更新予定です。

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