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第8話「人が増えたら水汲みが面倒になった。よし、川を引こう」

 水という物質は、信じられないほど重い。

 一リットルで一キログラム。一日生きるだけで人は数リットルを消費する。

 それが六人分。さらに料理用、体を拭く用。──もう限界だ。


 拠点から川までの往復は、片道で軽く十五分はかかる。

 桶を担いで斜面を登り、帰りは水の重さに足を取られながらよろよろ歩く。これを一日に何度も繰り返す。


 人は歩くために生まれたんじゃない。寝転がるために生まれたのだ。

 少なくとも俺はそう信じている。


「ユウト、水もう一杯お願いできる? スープに足りなくて」


 マーレンがかまどの前から申し訳なさそうに声をかけてくる。

 彼女の料理は確かに美味い。美味いが、それと引き換えに俺の足腰が悲鳴を上げている。


「……ああ、分かった」


 桶を持って立ち上がった瞬間、太ももが嫌な音を立てた。

 前世でもこんなに動いたことはない。ブラック企業の残業より水汲みの方がよっぽど過酷だ。


 川辺にたどり着き、桶を沈める。

 ふと、上流へ目をやった。


 川は森の奥の高台から流れ下ってきている。拠点より遥かに高い場所からだ。

 つまり──高低差がある。


「……待てよ」


 頭の中で何かが繋がった。

 高いところから低いところへ。水は勝手に流れる。なら、その道筋を作ってやればいいだけじゃないか。


 スキルが即座に応えた。


 『上流三百メートルの地点──標高差およそ十二メートル。ここから拠点まで、一メートルあたりの落差を一定に保てば重力のみで水が流れる。中空の茎を持つ植物が周辺に群生している。水路の素材として最適』


 視界の端に、淡い青色の線が浮かんだ。

 上流から拠点まで、なだらかに蛇行しながら下ってくる一本の設計線。傾斜角、筒の内径、流速の関係──全部見える。


 俺は桶を放り出した。


「よし。川を引こう」


 拠点に戻ると、全員を集めた。


「明日から水汲みを廃止する」


 開口一番そう宣言すると、五人がぽかんとした。


「廃止って……じゃあ水はどうするんですか?」

 テオが困惑した声を上げる。体格のいい青年で、力仕事を率先して引き受けてくれる男だ。


「川の方から来てもらう」


「……は?」


 俺は地面に棒で線を引いた。上流の高台から拠点までの概略図だ。


「上流は拠点より十二メートルも高い。あそこから竹みたいな中空の茎を繋いで水路にする。傾斜をつければ、重力だけで勝手に水が届く仕掛けだ」


 マーレンが腕を組んで首を傾げた。


「言いたいことは分かるけど……三百メートル分も繋ぐの? それ、水汲みより大変じゃない?」


「一日半の作業で、今後一生水を運ばなくていい。どっちが楽だと思う?」


 マーレンは一瞬黙り、それからニヤリと笑った。


「……あんた、楽するためなら本気で動くのね」


「当たり前だ。怠けるためならいくらでも働く」


 自分で言っていて矛盾しているのは分かっている。だが、これは投資だ。未来の怠惰のための、避けられない初期費用。


 さっそく分業だ。

 まずテオに向き合った時、スキルが不意に何かを告げた。


 『この者──力仕事への適性が高い。持久力に優れ、単純な重労働の継続力が突出している』


 ……なんだ、今のは。

 人の「適性」? こいつ、いつからそんなことまで読み取るようになった。


 戸惑いを飲み込み、テオに伐採を任せる。


「テオ、お前は茎の伐採を頼む。太さは腕二本分くらいのやつ。できるだけ真っ直ぐなものを選んでくれ」


「任せてください! 力仕事なら得意っす!」


 テオは嬉しそうに石斧を担いで森に消えた。

 次はカルルだ。手先が器用な細身の青年で、道具の修理を黙々とこなすような男。


 スキルがまた囁く。


 『この者──手先の器用さが際立つ。精密な加工作業において高い成果が見込まれる』


 やっぱりだ。勝手に人を品定めしている。

 気味が悪いと言えば嘘になる。だが、便利なのは確かだ。


「カルル、お前は接合部を任せたい。節を削って、筒同士が隙間なく嵌まるように加工してくれ」


「接合部ですか。細かい作業は嫌いじゃないですよ」


 カルルは小刀を取り出し、試しに端材の節を削り始めた。滑らかな断面が一発で現れる。やはりスキルの見立ては正しい。


 残りの二人には運搬を、マーレンには作業中の飯の支度を頼んだ。

 そして俺は──設計と監督だ。


 本当は昼寝をしていたい。心の底から、魂の奥底から。

 だが、傾斜の微調整だけは俺のスキルでなければできない。……しゃーない。


 作業が始まった。

 テオが次々と茎を切り倒し、二人が拠点まで運ぶ。カルルが接合部を削り、俺がスキルの示す通りに支柱の高さを決めていく。


 『この区間──支柱の高さを三寸下げること。流速が落ちる。次の曲がり角、内側を二寸広げれば水の滞りを防げる』


 スキルの指示は的確で、容赦がなかった。

 それに従って組み上げていく水路は、森の木々の間を縫う美しい曲線を描いている。


 昼過ぎ、マーレンが握り飯を持って現場にやってきた。


「すごいじゃない。本当に形になってきてる」


「まだ半分だ。上流との接続が残ってる」


「あんた、やる時はやるのね」


「やりたくないからやってるんだ。この水路が完成すれば、明日から俺は寝て暮らす」


 マーレンは呆れたように肩をすくめた。


 翌日の昼前。

 上流の取水口から拠点まで、全長およそ三百メートルの水路がつながった。


「よし……流すぞ」


 俺は取水口を塞いでいた石を外した。


 最初は何も起きなかった。

 全員が固唾を飲んで、水路の末端を見つめている。


 ──ゴポ、と小さな音がした。


 続いて、コポコポコポ、と軽やかな水音が筒の中を駆け始めた。

 上流から、少しずつ、確実に。水が中空の茎を伝って下ってくる。


 そして──。


 拠点の端に据えた受け口から、透明な水が溢れ出した。

 陽の光を弾いてキラキラと輝く水しぶきが、手の甲に跳ねる。冷たい。

 筒の中を水が走る軽やかな音が、途切れることなく続いている。


「出た! 水だ! 水が来てるぞ!」

「うそ……川まで行かなくても水が使える……?」


 テオが歓声を上げ、カルルは自分が加工した接合部を何度も確認して、感慨深げに頷いている。


 マーレンが水受けの木桶を覗き込み、信じられないといった顔で呟いた。


「……ねえ。これ、旧大陸の町にもないわよ。こんな精巧な水路なんて」


「やりすぎたか?」


「完全にやりすぎよ」


 マーレンが半笑いで俺を見る。

 テオはテオで「これ町の設備じゃないのか……?」と若干引いている。


 いや、町の設備って。ただの中空の茎を繋いだだけだぞ。

 ……まあ、傾斜の計算は完璧にやったから、水の勢いも流量も申し分ないのは確かだけど。


 俺は木桶に溜まった水を手ですくい、顔を洗った。

 冷たくて気持ちいい。もう二度と、あのクソ重い桶を担いで坂を登らなくていい。


 最高だ。これでまた一歩、理想の怠惰に近づいた。


 水路から、絶え間なく水が流れている。

 もう二度と、あの地獄の水汲みはしなくていい。

 ──だが、気になることが一つ。


 建設中、スキルがテオやカルルの「適性」を勝手に判定し始めた。

 あいつを力仕事に、こいつを細かい作業に。それが、ぴたりとハマった。


「……お前、いつから人のことまで分かるようになったんだ」


 スキルは答えない。ただ、視界の端で淡く光っているだけだ。

お読みいただきありがとうございました!


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