第62話「伝えたいのに、伝わらない」
「アゥ、アゥ! クゥゥン──!」
朝からルナが何か訴えている。耳がぴんと立って、両手をぶんぶん振っている。
意味が、さっぱり分からない。
集落の広場で、ルナは必死だった。何かを伝えようと、声を上げて、手で形を作って、体ごと使って表現しようとしている。
尻尾がブンブン揺れている。全身を使った訴えだ。
その動きが、まあ激しい。
「クゥン! アゥ、アゥッ!」
ルナが身を乗り出して腕を振った瞬間──柔らかい何かが、俺の顔にぶつかった。
──。
時が止まった。
柔らかい。温かい。あと、なんかいい匂いがする。
ルナは気づいていない。一生懸命に身振りを続けている。俺の顔面が大変なことになっているのに、まったく気づいていない。
「……っ」
全力で一歩下がった。顔が熱い。
「く、けしからん……いや、今は意思の疎通の話だ。集中しろ俺」
ルナが首をかしげる。耳がぴこりと傾いた。なぜ離れたのか分からない、という顔だ。
分からなくていい。一生分からなくていい。
……それにしても、どうしたものか。
ルナの声には確かに意味がある。表情にも、耳の動きにも。でも、肝心の「言葉」が分からない。ジェスチャーだけじゃ限界がある。
面倒だ。とんでもなく面倒だ。だが、このまま放っておくともっと面倒になる。あの必死な顔を毎朝見せられたら、こっちの体力が持たない。
「……【効率化】」
スキルを起動する。まずは、ルナの声を聞き取れるだけ聞いてみる。
「ルナ、もう一回喋ってみてくれ。なんでもいい」
通じるわけがないが、手で「もう一回」と促してみた。
「アゥ? ……クゥン、ナァゥ、キュルル……」
ルナがおずおずと声を出す。耳がぴこぴこと動いて、俺の反応をうかがっている。
頭の中で、【効率化】が動く。
音の高さ。長さ。抑揚。声の震え方。一つひとつの響きを拾い上げて、並べて、比べて──。
結果が出た。
『音の響きに紐づく感情の傾向は識別できる。高い声は喜び、低い唸りは不安、短く弾む音は興味。ただし──言葉の仕組みは、この力の守備範囲の外にある。音と意味の繋がりを解き明かすことはできない』
……まじか。
【効率化】にも限界がある。いや、考えてみれば当たり前だ。言葉というのは、使う者たちが長い時間をかけて積み上げてきた約束事だ。音の並びだけ聞いても、その約束を知らなければ意味は取れない。
スキルで効率化できるのは「仕組みがあるもの」だけだ。言葉の約束ごとそのものは、仕組みじゃなくて文化だ。
「感情は読めるけど、意味は分からん、と。……そりゃそうだよな」
思わず呟く。ルナの耳がぴくりと動いた。俺の声のトーンから「困っている」のは伝わったらしい。
「クゥン……」
心配そうに覗き込んでくる。琥珀色の瞳が、不安に揺れている。
……言葉が分からないのに、感情は分かる。耳で。反則だろ。
「ユウト! 朝から何やってんだ?」
カイが走ってきた。朝の鍛錬帰りらしく、額に汗を浮かべている。
「ルナと話そうとしてる。話せないけど」
「あー……やっぱ通じないのか。翻訳の術とか、ないのか?」
「あったら苦労しねぇよ……」
カイが腕を組んで、うんうんと頷く。
「じゃあ身振りでやるしかないな! こう、腹減った、はこうだろ!」
カイが腹を押さえて苦しそうな顔をしてみせた。
「ナァ?」
ルナが首をかしげる。耳が片方だけ傾いた。
「……通じてないぞ」
「マジか! 万国共通だと思ったんだが!」
万国共通ではない。そもそもここは異世界だ。
めんどくさ……。朝から頭を使いたくないのに。昼寝の時間が削られる。
そのとき、ルナがカイに向かって小さく歩み寄った。
「ん? なんだ、ルナちゃん?」
ルナがカイの前に立って、ぐっと顔を近づけた。
そのまま、鼻先をカイの首筋にくっつけた。
すん、すん、と匂いを嗅いでいる。
「うおっ!? な、なんだ!?」
カイが真っ赤になって飛び退いた。ルナは不思議そうに首をかしげている。耳がぴこぴこしている。
悪気は、ない。たぶん、これがルナの──あの子の種族の挨拶なのだ。匂いを嗅いで、相手を知る。鼻をくっつけて、「あなたを覚えたよ」と伝える。
「お、おい、ユウト! 今の何だ!?」
「たぶん、挨拶だろ」
「挨拶!? あんな近くで!?」
次はこっちに来た。
「ッ──」
ルナが俺の前に立ち、ぐっと背伸びをして、鼻先を近づけてくる。
近い。息がかかるほど近い。銀色の髪がさらりと揺れて、ほんのり甘い匂いがした。草原の風のような、花のような。
すん、と鼻が触れた。
柔らかい感触。温かい吐息。
──心臓が爆発するかと思った。
「……っ、はい。どうも」
棒読みの返事しか出てこなかった。ルナは満足そうに耳をぴこぴこさせて、尻尾がゆらりと揺れている。
「あらあら〜。朝から仲良しねぇ♡」
いつの間にかマーレンが後ろに立っていた。にやにやしている。
「仲良くない。挨拶だ。挨拶」
「挨拶であんなに顔赤くなるの? あんた」
「暑いだけだ!」
「まだ朝よ?」
……この世話焼きに勝てる日は来るのだろうか。寝たい。もう朝から疲れた。
昼前には住民たちも集まってきて、ルナを遠巻きに見物し始めた。
「賢者さまが耳の子と何やら親しげに……」
「異種族との架け橋を築いておられるのでは……」
「さすが怠惰の賢者さま……深いお考えがあるに違いない……」
ない。何もない。言葉が通じなくて困っているだけだ。
だが弁明する気力はもうなかった。
その日は結局、何も進まなかった。
西日が広場を赤く染めていた。風がぬるい。昼間の熱気が抜けきらない、重たい空気が肌にまとわりつく。
影が長く伸びて、ルナの銀髪だけがやけに鮮やかだった。
ルナは一日中、何かを伝えようと頑張っていた。手を動かし、声を上げ、地面に棒きれで絵を描こうとして──でも、砂に描いた線は俺たちには意味が読み取れなかった。
夕暮れの風が広場を吹き抜けた。焚き火の煙が揺れて、炙った肉と香草の匂いが漂ってくる。
夕食の席で、ルナが泣きそうな顔で何かを言っている。
耳がぺたん。尻尾が力なく垂れている。
伝えたいのに、伝わらない。──その顔を見た瞬間、腹が決まった。
めんどい。めんどいが、あの顔をもう一回見るほうがもっとめんどい。
「……やるか。言葉がダメなら、別の方法を作る」
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