第42話「料理は科学だ、面倒だけど」
「……またこの味か」
塩を振って焼いただけの肉を口に入れた瞬間、俺の中で何かが切れた。
いや、正確には昨日の夜から切れかけていた。マーレンの「文句あるなら自分で作りな!」が、ずっと頭の中を回っている。あの一言が、俺の味覚に火をつけたらしい。
朝食の席を見回す。住民たちは特に不満もなさそうに、いつもの肉と根菜を頬張っている。
……慣れって怖い。塩と焼くだけの味に、もう誰も疑問を持っていない。
「あんた、また箸が止まってるよ」
マーレンが腕を組んで、こちらを見下ろしていた。この人は目ざとい。
「止まってない。噛みしめてるんだ」
「嘘おっしゃい」
ぐうの音も出ない。
「……なあマーレン。調味料って、塩以外にないのか」
「ないよ。文句あるなら──」
「自分で作れ、だろ。分かってる」
溜息をつきながら立ち上がった。本当は今日こそ昼寝の予定だったのに。この集落に来てから、一度もまともに昼寝を達成できていない気がする。
キッチンに入ると、マーレンが後ろからついてきた。
「へえ、本当にやるんだ」
「やるとは言ってない。ちょっと試すだけだ」
石を積んだ窯と、木の調理台。簡素だが手入れが行き届いている。マーレンが毎日磨いているのだろう。木肌が滑らかに光っていた。
調理台の上には、今朝の残りの肉。鹿に似た魔獣の腿肉だ。素材自体は悪くないはずなのに、焼き上がりはいつも表面が炭で中が生焼けという豪快な仕上がりになる。
俺は肉の塊に手を置いた。
──料理にも使えるのか、お前。
【効率化】に意識を向けた瞬間、頭の中にすっと声が流れ込んだ。
『この肉は繊維が粗い──斜め四十五度で切り分けると噛み切りやすさが倍以上になる。中心の温度を六十二度に保ったまま七分ほど火を通せば、肉汁がほとんど逃げない』
……なんだこれ。
肉の切り方も、火の通し方も、まるで昔から知っていたかのように浮かんでくる。いや、俺はこんなこと知らない。前世でも料理なんてカップの麺を湯で戻すのがせいぜいだった。
知識じゃない。スキルの直感だ。理屈は分からないが、最適な答えだけが見える。
「六十二度で七分……」
「何ぶつぶつ言ってんの?」
マーレンが怪訝そうに覗き込んでくる。
「この肉、斜めに切ってくれ。繊維に対して四十五度くらいで」
「はあ? 肉の切り方なんて気にしたことないけど」
文句を言いつつも、マーレンの包丁さばきは的確だった。力任せに見えて手先が器用なのだ。言われた通りに切った断面は、確かに繊維の見え方がさっきとは違う。
次は火加減だ。
窯の火を落として、鉄板の端に肉を載せる。直火の真上ではなく、少し離した位置。じわり、と低い温度で熱が通っていく。
……面倒くさい。強火でばっと焼けば早いのに。
でも【効率化】がこの温度、この時間が一番いいと告げている。俺のスキルは「楽」の味方のはずなのに、料理に関しては妙に手間をかけさせる。効率とは何なのか。
「ちょっと、火が弱くない? それじゃ焼けないよ」
「いいんだ。じっくりやる」
「あんたの口から『じっくり』なんて言葉が出るとは思わなかった」
マーレンが大げさに目を丸くしている。うるさい。好きでやってるんじゃない。
七分。ただ待つだけの七分が、恐ろしく長い。
窓の外をぼんやり眺めていると、広場の向こうでエルマが土木班の連中と一緒に汗を流しているのが見えた。丸太を運ぶ男たちに混じって、細い腕で必死に木材を支えている。昨日の「できますよ!」からの盛大なやらかしを思い出して、少しだけ笑ってしまった。
──いや、感心している場合じゃない。俺は楽をしたいだけだ。楽をするために、この七分だけ我慢している。それだけのことだ。
「そろそろいいんじゃない?」
マーレンの声で我に返る。
鉄板の肉を見る。表面はうっすら焼き色がついているだけで、見た目はむしろ頼りない。だが、【効率化】が静かに告げている。
『最適──肉汁の保持率はほぼ完璧。このまま少し休ませれば、さらに馴染む』
九割以上、か。いつもの炭と生焼けのまだら模様とは別物のはずだ。
「切ってみてくれ」
マーレンが包丁を入れた瞬間、断面から薄桃色の肉汁がじわりと滲んだ。
「……なにこれ」
マーレンの手が止まった。いつもの豪快さが消えている。
「同じ肉だ。焼き方を変えただけ」
「焼き方だけで、こんなに色が違うの……?」
確かに見た目からして別物だった。灰色がかった固い塊ではなく、しっとりとした薄紅色。塩だけの味付けなのに、断面から立ち上る湯気の匂いが明らかに違う。脂の甘い香りが鼻をくすぐる。
「ほら」
マーレンが唐突に布を押しつけてきた。
「は?」
「エプロン。あんた不器用なんだから素直に着な。服に脂跳ねてるよ」
「いや、いらな──」
「いいから着なさい!」
有無を言わさず背中に回られ、紐を結ばれた。手つきが慣れすぎている。抵抗する暇もない。
……エプロン姿の俺。絶対に見られたくない。
と思った矢先、窓から住民の一人が顔を覗かせた。
「け、賢者さまが料理を!?」
「その呼び方やめろ!」
横でマーレンが腹を抱えて笑っている。
「あっはは! 似合ってるよ、料理長さま」
「余計な称号を増やすな」
この人には勝てない。からかいの温度がちょうどいいのが、逆に腹立たしい。恋愛どうこうではなく、純粋に姉御として楽しんでいるのが伝わるから余計にたちが悪い。
騒ぎを聞きつけたのか、カイが食堂に顔を出した。
「なんだ、何の騒ぎだ──って、なんかすごいいい匂いがするな」
「ちょうどいい。カイ、食え」
試し焼きの肉を皿に載せて差し出す。塩だけ。焼き方だけ変えた、それだけの肉だ。
カイが一切れ口に入れた。
噛んだ。
──動きが、止まった。
「…………」
「どうした」
「……うまい」
低い声だった。それから、カイの目がみるみる見開かれた。
「うまいぞこれ! なんだこれ! 同じ肉だろ!? なんでこんなに──柔らかくて、味が濃くて、噛むたびに旨味が……!」
カイが二切れ目に手を伸ばす。三切れ目。勢いが止まらない。
「おい、食いすぎだ」
「もう一切れだけ!」
マーレンも一切れつまんで、静かに噛みしめた。
「……悔しいけど、うまい。あたしが毎日焼いてたのと、全然違う」
「お前の腕が悪いわけじゃない。火加減と切り方の問題だ」
「フォローしてるつもり? 全然なってないよ」
そう言いながらも、マーレンの口元はどこか嬉しそうだった。料理の担い手として、味が良くなること自体は歓迎なのだろう。
「やり方さえ伝えれば、マーレンの方がうまく焼ける。俺は火加減の目安だけ出す」
マーレンが一瞬きょとんとして、それから、にやりと笑った。
「あんたの頭とあたしの腕ね。悪くないじゃない」
悪くない、どころか完璧な役割分担だ。俺は口だけ出して、あとは寝る。これ以上ない仕組みじゃないか。
焼き方だけでこの差なら、食材そのものを変えたらどうなる?
……まあ、探すのは明日でいいか。今日はもう眠い。
そう思いながらベッドに潜り込んだ俺の鼻に、夜風に乗った甘い草の匂いが届いた。畑の周りに、見慣れない草が生えている──気がした。
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