第41話「賢者さまと呼ぶな」
集落が完璧に自律稼働し始めて、数日。
俺はようやく手に入れた至高の昼寝タイムを満喫して──いるはずだった。
「賢者さま! 柵の杭が一本ぐらついてるんですけど!」
ハンモックから薄目を開けると、住民のおっさんが申し訳なさそうに、でも確実に俺の安眠を破壊しながら立っていた。
木漏れ日が眩しい。風は心地いい。ハンモックの揺れも完璧だった。条件は整っていたのに、たった一声で全部台無しだ。
……賢者さま?
「誰だそれ」
「えっと……ユウトさんのことです。みんなそう呼んでまして」
いつの間にそんな呼び名が。俺は賢者じゃない。ただの引退者だ。
だが柵の不具合を放置すると、夜中にまた何かが入り込む。銀色のふわふわに柵の隙間を突破された前科がある以上、無視はできない。放置した結果、深夜に叩き起こされる方がよっぽど面倒だ。
仕方なく意識を【効率化】に向けた。答えは一瞬で出た。
『南から三本目。根元の土が雨で流されている。突き固めて、隣の杭との間に横木を一本渡せば十分に安定する』
「南の三本目だ。根元を固めて横に木を一本渡せ。以上」
「す、すごい……見てもいないのに! さすが賢者さま!」
「だからその呼び方やめろ」
おっさんが感激しながら走り去った。平穏が戻る──と思ったら、入れ替わりで次が来た。
「賢者さま、井戸の位置なんですが」
五秒で解決。
「賢者さま、畑の区画割りで揉めてまして」
三秒。
「賢者さま、木材の──」
もう数えるのをやめた。ハンモックに横になったまま、目を閉じたまま、相談だけが次々と降ってくる。一件あたりの所要時間は短い。けれど途切れない。昼寝の隙間がない。
四つ目──いや五つ目だったか──の相談を片付けた瞬間、広場の端で派手な音がした。
木箱が積み上がった棚が崩れる音、続けて若い女の声。
「で、できますよ! 私にも──あっ」
土木班の作業場で、小柄な女が木箱の山に半分埋もれていた。褐色の肌に短く切り揃えた黒髪。見たことのない顔だ。新入りか。
その傍らで、ドスが腕を組んで見下ろしている。
「エルマ。何度目だ」
「……三度目です」
エルマと呼ばれた女は、俺が住民の相談を瞬殺するのを見ていたらしい。張り合おうとして、自分も手早く荷物を運ぼうとした結果がこれだ。
木箱の隙間から覗く顔は、唇をきゅっと噛んで、視線だけはまっすぐドスを見上げている。
「焦んな」
ドスが片手で木箱を持ち上げ、エルマの襟首を掴んで引きずり出した。がさつな動きだが、手加減は心得ている。木箱を下ろすとき、中身が崩れないように指先で角度を微調整していた。
「まず見て覚えろ。手を出すのはその後だ。あいつと張り合っても意味がねえ。俺たちは手を動かす側の人間だろ」
ドスの太い指がエルマの頭をぽんと叩いた。怒鳴るのではなく諭す声だった。
「十回やりゃ体が覚える。理屈じゃなく、手順でな」
「……はい。もう一回やらせてください」
エルマが砂埃を払いながら立ち上がり、目は逸らさずに頷いた。ドスが苦笑して、木材の正しい持ち方を手本として見せ始める。
ドスの後ろ姿を少し眺めてから、俺は目を閉じた。ああいう面倒見の良さは、生まれつきのものだろう。
ベンチに座って二度目の昼寝を試みたところで、カイが隣に腰を下ろした。重みでベンチが軋む。
「なあ、ユウト。知ってるか、お前『賢者さま』って呼ばれてるぞ」
「さっきから何回も聞いた。やめさせろ」
「無理だ。三秒で全部解決する奴を普通の名前で呼ぶわけがない」
「……前世でもこうだった」
口が滑った。カイが首を傾げる前に、俺は言い直した。
「いや、何でもない。とにかく賢者はやめろ。目立ちたくないんだ」
頑張ったら仕事が増えた。効率よくこなしたら、もっと増えた。
──このままだと、また同じだ。
指先が無意識にベンチの木目をなぞっていた。カイが何か言いかけた時、広場の南側から全力疾走の足音が近づいてきた。
「大変です! 南の草原に巨大な足跡が!」
レオンだった。斥候として見回りに出ていたらしい。息を切らしながら、身振り手振りで足跡の大きさを示している。両手を目一杯広げて、次に足踏みまでしてみせる。
住民がざわつく。南の草原──何がいるか分からない。
「魔獣か?」
「えっと……確認は、その、まだなんですけど、念のために急いで報告を──」
「確認してないのか」
俺はため息をついて、軽く意識を集中した。
『南方に大型の獣の気配なし。足跡の深さと歩幅から推定される体重は、成体の鹿一頭分に相当する』
「レオン、それは鹿だ。大きめの鹿が通っただけだ」
「……鹿、ですか」
レオンの広げた両手が、しおしおと下がっていく。大げさに騒いだ手前、居たたまれない顔をしている。
「す、すみません……でも念のためにと思って……」
「念のためなら、まず自分の目で確かめてから報告しろ。走ってきた体力が無駄になる」
住民のざわめきが収まった途端、別のざわめきが広がる。
「賢者さま、見もしないで分かるなんて……」
だからその呼び方をやめてくれ。
カイが口元を隠して笑っている。
「なあユウト。お前さ、引退したって言ってるけど──お前が一番働いてるぞ、この集落で」
「…………」
視線を落とした。ベンチの木目が、夕日で赤く染まっている。
***
夕暮れ。食堂のテーブルに着くと、出てきたのはいつもの皿だ。
塩を振って焼いただけの肉。蒸した芋。湯気が上がっているだけ、まだ温かい。それが唯一の救いだった。
マーレンの料理がまずいわけではない。ただ調味料が塩しかない以上、味は毎日同じだ。噛んだ瞬間の味も、飲み込んだ後の味も、昨日と寸分違わない。
「……またこれか」
「文句あるなら自分で作りな!」
マーレンの返しは容赦がない。木のお玉を握ったまま、腰に手を当ててこちらを睨んでくる。怒っているのかと思いきや、口の端がほんの少し上がっている。この人は怒りとからかいの境目が分からない。
夜。自室に向かう途中、食料庫の裏手で何かが動いた。
暗がりの中に、銀色の光が一瞬だけ見えた。あの毛玉──数日前に魚を食い逃げしたふわふわだ。まだ集落の隅に居着いているらしい。
食料庫の中を覗いたが、今日は何も盗まれていない。扉の掛け金は閉まったままで、爪痕もない。
「……またあの毛玉か。まあ、被害がないなら別にいい」
追いかける気力は、とっくに底を尽きている。放っておこう。
ベッドに倒れ込み、目を閉じる。
マーレンの「文句あるなら自分で作りな!」が、頭の中でリフレインしている。
……料理に【効率化】を使ったら、どうなるんだろう。
いや、絶対めんどいことになる。なるに決まってる。
……でも、この味には飽きた。
お読みいただきありがとうございました!
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