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第18話「逃げるか、管理するか。俺の出した結論」

「どこ行くの、こんな夜中に」


 荷物を背負った俺の背中に、マーレンの声が刺さった。

 振り返ると、腕を組んだ赤毛の女が、月明かりの中に立っていた。右腕に巻かれた布が、うっすらと赤く滲んでいる。


「……散歩だ」


「荷物担いで?」


 言い返す言葉が出てこなかった。リュックの紐を握り直す手が、わずかに震える。


 マーレンは怒鳴りもしなかった。ただ静かに歩み寄ってきて、俺の隣にしゃがみ込んだ。傷のある腕を庇いながら、星の散らばった空を見上げる。


「あたしもね、旧大陸から逃げてきたの。領主の屋敷から、夜中に。あんたと同じ格好で、荷物を背負ってさ」


「……」


「逃げた先にも面倒は追いかけてくる。あたしが保証するわ」


 虫の声が、やたら大きく聞こえた。月が雲に隠れて、集落の輪郭がぼんやり暗くなる。


 三十二パーセント。十八パーセント。

 どのルートを選んでも、楽には死ねない。逃げるのは合理的じゃないと、スキルがとっくに答えを出していた。


 なのに足が動かなかったのは、数字のせいだけじゃない。


 ──前世でも、いつも逃げてた。


 効率よくやる方法を提案した。「もっとやれ」と言われた。辞表を出した。

 三行で終わる、俺の前世だ。


 嫌なことがあると逃げる。面倒なことから目を背ける。異世界に来ても、また同じことをやろうとしている。


 頑張った。


 ふと、その言葉が頭をよぎった。前世で一番嫌いだった言葉。頑張ったのに報われなかった。頑張った先に待っていたのは「もっとやれ」だけだった。


 でも──。


 水路を引いた。堀を掘った。罠を仕掛けた。二十五人が食える仕組みを、気づけば俺が作っていた。


 頑張った、のか。俺は。


 嫌いだったはずの言葉が、今は少しだけ違う手触りをしている。前世では、頑張った先に「もっとやれ」があった。でもここには、それを言う上司がいない。


 だったら──今度は、楽をするために頑張ればいい。


「……一番楽な方法を、考える」


 リュックを、地面に下ろした。


「逃げないの?」


「逃げない。ただし──」


 立ち上がって、振り返る。月が雲から顔を出して、水路の反射が細い光の筋になって地面を走った。


「こいつらが勝手に回る仕組みを作る。俺は寝てるだけでいいようにする」


「……あんたらしいわね」


 マーレンが、呆れたような、安心したような顔で笑った。


 ──夜明けまで、あと少し。


 俺は集落に戻ると、広場の真ん中に座り込んだ。棒きれを拾い、地面に文字を刻み始める。


 やることリスト。


 前世の嫌な癖だ。追い詰められると、やることを書き出さずにいられない。あの頃は誰かのために書かされていた計画書。でも今回は、俺が楽をするためのリストだ。


 夜が白み始めた頃、起き出してきた住民たちが、地面にしゃがみ込んでいる俺を見つけて首を傾げた。


「大賢者様、こんな朝早くから何を……?」


「集まれ。全員だ」


 カイが「聞こえただろ! 全員集合!」と怒鳴り、あっという間に二十五人が広場に揃った。便利な男だ。


 俺は立ち上がり、最初の一人──テオの前に立った。


 スキルが動き出す。


 『この者、筋力と持久力が突出している──土を耕す仕事に極めて向いている。重い作業を長く続けられる力は、この集団で最も高い』


 頭の中に、テオの適性が鮮明に浮かんだ。水路工事の時にも感じた、人の得意不得意が分かるあの感覚。あの時は気味が悪かった。でも今は、使う。


「テオ。お前は畑をやれ。開墾から種まきまで、全部お前の担当だ」


「は、はい! 任せてください!」


 次。カルルの前に立つ。


 『手先の精密さと空間を捉える力が際立つ──建物を組み上げる作業で最も力を発揮できる』


「カルル、建築はお前だ。住居を増やす。二十五人が寝られる分を頼む」


「了解です。……やっと腕が振るえますね」


 次。ドス。


 『味覚の鋭さと段取りを組む力が高い──食料の管理と調理を任せれば、無駄なく回せる』


「ドス。食料の管理と調理、お前が仕切れ」


「へへ、料理は得意なんすよ。任せてくだせぇ」


 止まらない。

 住民たちが息を呑んでいた。名指しされるたびに、当人の顔が驚きから納得に変わっていく。


 一人の前に立つたびに、その人間の長所が水のように頭に流れ込んでくる。足が速い奴は見回りに。目が利く奴は採集に。声が通る奴は連絡役に。力が余っている奴は伐採に。


 『この者、交渉と調整に長けている──集団の意見をまとめ、日々のやりくりを回す力がある』


 マーレンの番だ。


「マーレン。日々のやりくりの取りまとめ、お前がやれ」


「あたしが?」


「お前以外に適任がいない。スキルがそう言ってる」


「スキルのせいにしないの。あんたが決めたんでしょ」


 ……まあ、そうだけど。


 二十五人。全員の適性を見終えるのに、半刻もかからなかった。


 地面には、びっしりとやることリストが広がっている。食料班、建設班、巡回班、調理班。誰が何をやるか、全部書き出した。


 前世で何枚書いたか分からない、仕事の振り分け表。あの頃は上司のため、会社のため、自分以外の誰かのため。今回は違う。このリストは、俺が寝ていても集落が回るようにするためのものだ。


 カイが地面の文字を覗き込んで、目を丸くした。


「おい、ユウト……これ、全員分の役割が書いてあるのか? 一人ひとりの得意なことに合わせて?」


「ただのやることリストだ。大したもんじゃない」


「いや、大したもんだろ……! 旧大陸じゃこんなの、領主の側近が何日もかけてやる仕事だぞ!」


 住民たちがざわめく。「大賢者様、すげぇ」「俺の得意なこと、なんで分かるんだ」「やっぱり賢者様だ」


 やめてくれ、その呼び方。


 俺はただ楽をしたいだけだ。お前たちが勝手に動いてくれれば、俺は昼寝ができる。それだけの話なんだ。


 ……のはずだった。


 出来上がったリストを改めて眺めると、なかなかどうして、よくできている。全員の長所を活かした配置。無駄な重複のない作業の流れ。昨日の揉め事の種だった食料の配分も、調理班が一括で管理すれば不公平は消える。


 ただの役割の振り分けのつもりだったのに──完璧な集落の運営の土台ができてしまった。


「……やりすぎたか」


 地面に書いたやることリストの最後に、俺は自分の名前を書き足した。


 ユウト──役割:仕組みづくり(ただし昼寝つき)。


「よし。俺の仕事はここまでだ。あとはお前らが勝手にやれ」


 全住民の前で堂々とサボり宣言をする開拓者は、たぶんこの世界で俺だけだろう。

お読みいただきありがとうございました!


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