第138話「師匠の教えと、目の前の現実」
ヴェルナーが一人で融合建築の前に立っている。
手袋を外し、素手で壁に触れていた。
……あの堅物が、壁に触るのか。
指先が石と木の境目をなぞっている。継ぎ目のない表面を、確かめるように。何度も、何度も。
朝一番でガロンが案内役を買って出た。自分の作品を見せたいのだろう。職人というのは、そういう生き物だ。
俺はついていくだけだ。ガロンに呼ばれたから来ただけで、案内係をやるつもりはない。めんどい。昼寝の時間を削られたのが、一番腹立たしい。
「ここがワシらの仕事場だ」
ガロンが胸を張った。
融合建築——ドワーフの石工技術とエルフの木工技術、そして人族の設計を組み合わせた建物。壁は石と木が一体化していて、継ぎ目が見えない。
ヴェルナーの指が、壁の表面をなぞった。
「石と木が……一体化している。こんな建築は、旧大陸にはない」
「当たり前だ。ドワーフの石とエルフの木と人間の設計。三つ揃わなきゃ作れん」
ガロンが鼻を鳴らした。得意げだ。
「旧大陸では、種族ごとの技術は門外不出が常識です。混ぜること自体が……」
ヴェルナーが言いかけて、止まった。
「異端、だろ?」
俺が代わりに言った。
「旧大陸の常識では、種族の技術を混ぜるなんて考えもしない。でも、ここでは普通にやってる」
「……なぜです」
「面倒だったからだ。石だけで建てるより、木を組み合わせた方が楽だった。それだけだ」
ヴェルナーが俺を見た。信じていない目だ。まあ、信じなくていい。事実だから。
***
建物の中に入った。
天井が高い。石の柱にエルフの蔓が絡みついて、自然の模様を作っている。窓枠はドワーフの金属で補強されていて、頑丈なのに優美だ。
足元の床は石と木の組み合わせで、石の冷たさを木が吸収して裸足でもちょうどいい温度になる。ガロンは鍛冶場から直接ここに来ることが多いから、足元の快適さにはこだわった。……楽をしたかっただけだが。
「これの設計者は?」
ヴェルナーが聞いた。
「おい人間、お前だろ」
「設計しただけだ。建てたのはガロンだ」
頭の奥で、【効率化】が数字を弾き始めた。聞いてないのに。
『融合建築──石造り単体と比較して、建設にかかる手間は約八割。耐久性は二倍以上。美しさに関しては数値化が困難だが、旧大陸の最高級建築と比較しても遜色なし。種族ごとの得意分野を組み合わせた結果、全ての指標で単独建築を上回る』
「……ガロン、聞いたか」
「何がだ」
「石だけで建てるより手間が二割減で、強度は倍以上だと」
ヴェルナーが振り返った。
「……手間が減るのに、耐久性が倍以上?」
「種族ごとの得意なところを組み合わせた結果だ。一人でやるより楽だから、こうしてるだけだけど」
ヴェルナーの唇が僅かに開いたまま、閉じなかった。
官僚の仮面が、ほんの少しだけずれている。
「開拓者。この建築の図面を、見せていただくことは可能ですか」
「めんどい」
「……」
「まあ、ガロンに聞いてくれ。ガロンの方が詳しい」
ヴェルナーが頷いて、去っていった。
その背中は、来たときより少しだけ軽く見えた。仮面が重かったのかもしれない。
***
ヴェルナーが去った後、ガロンが建物の前に残った。
壁を見上げている。自分が建てた壁を。
「こいつは……ワシの最高傑作かもしれん」
低い声だった。
誇りがある。自分の仕事への、確かな誇り。
だが、顔が曇った。
「師匠なら、こうは言わない」
「……またそれか」
「『お前は他人に頼ったのか』と……きっとそう言う。師匠は、孤独の中から最高の一品を生み出す人だった。一人で、自分の手だけで。それがドワーフの職人の誇りだと」
ガロンの手が、ハンマーの柄を握りしめた。節くれ立った指が白くなるほど、力が入っている。
この手で何百もの石を削り、何千もの金属を叩いてきた。傷だらけの手だ。だが今、その手が震えている。
「ワシにはそれができなかった。一人では、この壁は作れなかった」
声が低く沈んだ。誇りと後ろめたさが混ざった、重い声だった。
沈黙が落ちた。
夕暮れの光が、融合建築の壁を橙色に染めている。石と木が混ざり合った表面が、夕日を受けて柔らかく光っていた。
「できなかったんじゃない」
俺は言った。めんどいが、放っておけなかった。
「やり方が違っただけだろ」
「……」
「一人で作る最高傑作と、みんなで作る最高傑作は、別のものだ。どっちが上とか下とかじゃない」
ガロンが俺を見た。
しばらく黙って、それから、少しだけ笑った。不器用な笑みだ。
「……そうだと、思いたいがな」
ハンマーを握りしめたまま、答えは出ない。
でも、前に聞いたとき——あの建設現場で同じことを言ったときより、声が柔らかかった。
握りしめていた指が、ほんの少し緩んだ。
夕暮れの中、ガロンが一人で融合建築の壁を磨いていた。
「師匠。ワシは——間違っとるんですかね」
同じ言葉だ。でも今度は、声のどこかに温度が混じっていた。
答えはまだ出ない。でも、問いかけの形が変わっている。それだけで、十分だと俺は思う。
……まあ、それを言ったら面倒なことになるから、黙って帰る。
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