第136話「正直者の交渉は、意外と刺さる」
カイが朝から資料を並べている。
税の仕組み、交易路の収益、町の設備の一覧。作業場の机が紙で埋まった。
「ユウト。俺、今日あいつに本気でぶつかる」
カイの目が、昨晩と同じ光を帯びている。
あの目をされると、断れなくなるから困る。
「……で、俺は何をすればいいんだ」
「数字だ。俺は口で伝える。でも、数字がないと説得力がない」
欠伸が口の奥からせり上がってきた。
交渉なんて、一番やりたくない仕事の筆頭だ。前の世界でも、営業が数字を持ってこなくて事務方が尻拭いする構図は何度も見た。
今回は尻拭いじゃない。これをやらないと、俺の昼寝の時間が削られる。ヴェルナーに好き勝手されたら、もっと面倒なことになる。
「しゃーない。数字だけ出す。交渉は全部お前の仕事だからな」
「ああ。任せろ」
頭の中で、【効率化】を起動した。
***
町の年間生産額。交易路の通行量。市場の取引高。住民の消費量。
頭の奥に、声が響く。
『町の年間生産額──交易品・農産物・工芸品・建築資材を合算して、金貨換算で約八百枚相当。交易路の通行量は月あたり商人二十組超。成長率を加味すると、来年には一千二百枚規模に達する見込み』
でかい。思ったより、ずっとでかい。
道がだるくて作った交易路が、こんな規模の経済を生んでいるのか。
『納税率五分──年間四十枚。旧大陸の辺境総督府への上納金として十分な額。見返りとして自治権を要求する交渉材料として成立する』
「……五分か」
「五分?」
「町の生産額の五分を納税する。その代わり、自治を認めろ。どっちにも得がある提案だ」
カイが目を見開いた。
「五分か。それなら、住民も納得できる。ガロンもフィーネも文句は言わないだろう」
「数字は用意した。あとは、お前の仕事だ」
カイが立ち上がった。資料を丁寧にまとめて、脇に抱える。
「ああ。今度は……やり方を変える」
前回の住民集会では、カイは熱くなりすぎた。ヴェルナーの要求に真っ向からぶつかって、空回りした。
今のカイの目は、あのときとは違う。熱いけれど、静かだ。
***
仮設の交渉場。
ヴェルナーの仮設宿舎の前に、机と椅子が二つ置かれている。カイが向かい側に座った。俺は少し離れた場所に立って、見ている。
めんどいから帰りたい。でも、数字の説明を求められたら困るから、いちおう残っている。いちおう、だ。
ヴェルナーが現れた。いつもの仕立ての良い上着。表情は鉄のように固い。
「……交渉の申し入れ、とのことですが」
「ああ。座ってくれ」
カイが資料を出した——が、すぐには広げなかった。
「ヴェルナー殿。一つ聞きたい」
「……何ですか」
「あんたは、何のためにここに来たんだ」
ヴェルナーの眉が、僅かに動いた。予想外の質問だったらしい。
「……任務です。旧大陸の法に基づき、新大陸の定住地を——」
「任務、か」
カイが遮った。失礼な男だ。だが、その声には怒りも挑発もなかった。
「俺はこの町が好きだ」
直球だった。
計算も駆け引きもない。カイという男は、そういうやつだ。
「ここの人たちが好きだ。ドワーフもエルフも獣人も、みんな一緒に暮らしてる。喧嘩もするし、面倒なこともある。でも、俺はこの町が好きだ」
ヴェルナーが黙っている。
「あんたを追い出したいわけじゃない。一緒にやれる方法を探したい」
カイの目が、真っ直ぐにヴェルナーを見ている。
ヴェルナーの視線が揺れた。ほんの僅かだが、確かに揺れた。背筋を正したまま、指先だけが膝の上で組み直される。
カイが資料を広げた。
「年間生産額の五分を納税する。金貨四十枚。旧大陸への上納金として十分な額だ。その代わり、この町の自治を認めてくれ」
数字を並べていく。交易路の通行量、市場の取引高、来年の成長予測。
俺が出した数字を、カイが自分の言葉で説明していく。不器用だが、一つ一つ丁寧に。
「どちらにも得がある話だ。あんたは本国に成果を報告できる。俺たちは暮らしを守れる」
沈黙が落ちた。
ヴェルナーが資料を見ている。指先が、無意識に懐の何かを探った。あの金属板——父親の形見だろう。
「……検討する」
短い一言だった。
「結論は、後日」
立ち上がり、背を向けて去っていく。
退けなかった。即座に却下しなかった。前回とは、明らかに違う。
***
広場のベンチに座った。
カイが隣に座る。しばらく、二人とも黙っていた。
「……どうだった?」
「検討すると言った。前回は即座に却下だっただろ」
「そうだな」
カイが空を見上げた。
「俺、初めてわかった。剣じゃなくても、人を動かせるんだな」
「……お前の武器は、そっちの方が向いてる」
口から出た言葉に、自分で驚いた。視線をベンチの木目に落とす。最近、こういうことが多い。
「ありがとう、ユウト」
「礼を言われることはしてない。数字を出しただけだ」
「数字がなかったら、何も始まらなかった」
めんどいから、黙った。
カイが立ち上がった。拳を握っている。
「でも、まだ足りない。あいつを本当に動かすには、もっと見せなきゃいけない」
「……見せる?」
「明日、あいつに町の全てを見せる。交易品も、技術も、この町にしかないものを」
「……勝手にやれ」
「おう、勝手にやるさ」
カイの背中が、広場の向こうに消えていく。
前より歩幅が広い。肩の位置が高い。——口が裂けても言わないが、あいつは強くなった。
ベンチの背もたれに体を預けて、目を閉じた。昼寝の時間は、もう戻ってこない気がする。
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