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第11話「血まみれの客と、迫り来る面倒」

 血まみれの男を罠から下ろすと、見た目よりずっと重かった。

 革鎧に染み込んだ血が、俺のシャツにべったりと移る。──勘弁してくれ。この服、替えがないんだぞ。

 しかし、こいつは一体どこから来た。この森に、俺たち以外の人間がいたのか。


「テオ、足を持て。カルル、シェルターの毛布を敷いとけ」


 テオが太い腕で男の下半身を支え、俺が上半身を抱える。

 ずっしりとした体躯は筋肉質で、革鎧の下の胴は鍛え抜かれていた。剣士か、あるいは斥候か。どちらにしろ、ただの開拓民の体つきじゃない。


 拠点まで運ぶ間に、男の傷口からぽたぽたと血が垂れた。

 右腕に深い裂傷が三本。左脇腹にも噛み痕のような傷。獣にやられたのは間違いない。


「マーレン、薬草の在庫はあるか」

「傷薬に使える葉なら乾燥させたのが少し。でもこの出血量だと──」


 マーレンの声が不安に揺れている。

 俺は男をシェルターの毛布の上に横たえながら、【効率化】を起動した。

 指先を傷口の近くにかざすと、頭の中に情報が流れ込んでくる。

 肉の裂け方、血の色、傷の深さ──スキルが全部読み取っていく。


 『右腕の裂傷三本──深部の損傷あり。ただし動脈への到達はなし。圧迫止血の推奨角度、四十五度。止血帯の位置、傷口の指二本分上──左脇腹の噛み痕──肋骨で止まっている。内臓の損傷なし。まず右腕の止血を最優先』


 助かる。こいつは助かる。

 その判定が出た瞬間、肩の力がわずかに抜けた。

 死なれたら後味が悪い。──いや、死体の処理がめんどくさい。そう思っておくことにする。


「マーレン、乾燥葉をすり潰して練れ。テオ、ツルを二本切ってこい。細くて丈夫なやつだ」

「分かった!」

「了解っす!」


 俺は男の右腕を持ち上げ、スキルが示した角度に合わせた。傷口を四十五度に傾けると、噴き出していた血の勢いが目に見えて弱まる。

 次に、テオが持ってきたツルを指二本分上できつく縛る。

 マーレンが練り上げた薬草の泥を傷口に塗り込むと、鉄さびのような血の匂いに混じって、青臭い草の香りが鼻を突いた。


「……止まったわ。血、止まってる」


 マーレンが掠れた声で言った。

 俺は左脇腹の傷にも同じ要領で薬草を塗り、布を巻いた。こっちは浅い。放っておいても死なない程度だ。


「ひとまず、死なないな」


 言ってから、自分の両手が血で真っ赤に染まっていることに気づいた。

 ……風呂に入りたい。切実に。


 男が意識を取り戻したのは、それから二時間ほど後だった。


 焚き火の前で木の実を齧っていた俺の耳に、低い呻き声が届いた。

 シェルターの中を覗くと、男が薄く目を開けている。ぎょろりとした目が天井を見つめ、それからゆっくりと俺を捉えた。


「……ここは……」

「俺の拠点だ。お前は俺の罠に引っかかって逆さ吊りになってた」


 男の目に、かすかに安堵の色が浮かんだ。


「……命を、救われたのか」

「たまたまだ。放っておいたら罠が壊れて修理がめんどくさかっただけだ」


 マーレンが水を持ってきて、男の唇に含ませた。

 数口飲んでから、男はようやくまともに喋れるようになった。


「俺は……ドスだ。カイの開拓団で、斥候をやっていた」

「カイの開拓団?」


 マーレンが息を呑んだ。


「あたしたちの本隊じゃない……! ドス、カイは無事なの?」

「……分からん。本隊とはぐれた。三日、走り続けた」


 ドスが咳き込んだ。マーレンが背中をさすり、俺は黙って待った。

 急かしたところで、こいつの回復が早まるわけじゃない。


「──魔物の群れが、南から来てる」


 焚き火の爆ぜる音だけが、沈黙を埋めた。


「大狼が六匹以上。通常の狼の倍はある化け物だ。そいつらに追われて、この森に逃げ込んだ」

「大狼……? この辺りにそんなのがいるのか」

「群れで動いてる。今まで見たことがない規模だ。大狼の後ろにも、もっと大きな──いや、とにかく南には近づくな」


 ドスの目が切迫した光を帯びている。

 こいつは嘘をつく余裕すらない状態だ。本物の恐怖だった。


 俺は焚き火の前に戻り、空を見上げた。

 星が綺麗だ。こんなに穏やかな夜なのに、南の森の奥には牙を剥いた化け物が群れをなしているらしい。

 焚き火の薪が崩れ、小さな火の粉が宙に舞った。赤い光の粒が夜空に溶けて消えていく。木が焼ける乾いた匂いと、冷えた夜気が混ざって肺を満たした。

 焚き火の爆ぜる音が、やけに大きく聞こえる。つい昨日まで、この音は安眠の合図だった。明日からは、脅威の接近を知らせる篝火の音に変わる。


 ……めんどくさい。心の底から、めんどくさい。

 せっかく水路も風呂も整えて、ようやくまともに怠けられる暮らしが始まったのに。


「ユウト」

 マーレンが隣に座った。普段のサバサバした口調が、少しだけ硬い。

「どうするの。逃げる?」

「逃げたい。本気で逃げたい」


 嘘じゃない。この場から全力で走り去りたい。

 焚き火の温もりが頬に触れる。背中に感じる夜風は冷たい。この温度差が、妙に居心地よくて腹が立つ。

 だが──。


 俺は【効率化】を起動し、頭の中で二つの選択肢を並べた。


 『逃走経路を算出──経路A、東へ。途上に水場なし、食料の現地調達困難。六人での移動速度を考慮した生存率──三割。経路B、北東の山地へ。傾斜が急で負傷者の搬送に難あり──四割。拠点に留まり防衛した場合──現有の罠と地形を活用し、堀と土塁を追加すれば生存率は七割。防衛を推奨』


 三割。四割。七割。

 逃げた方が死ぬ確率が高い。


「……ああもう。結局、めんどくさい方が正解かよ」


 マーレンが不安げにこちらを見ている。

 あたしたちだけで守れるの、と目が訊いている。


「マーレン。明日から忙しくなる」

「え?」


 俺は焚き火の脇に落ちていた小枝を拾い、地面に文字を刻み始めた。

 堀。土塁。逆茂木。見張り台。

 ──前世で嫌というほど書かされた「やることの一覧」あの頃は誰かに押し付けられた雑務だったが、今は違う。


 やりたくない。本当にやりたくない。だが──


「明日から、拠点を要塞にする」


 マーレンが目を丸くした。

 ユウトが「やる」と言ったのは、これが初めてだったからだ。

お読みいただきありがとうございました!


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