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第10話「異世界の知識と、忍び寄る開拓者たち」

 前世の休日は、大抵昼過ぎまで死んだように眠っていた。

 誰の足音も、話し声もしない、静かで孤独なワンルーム。

 それが俺にとっての至福であり、あるべき日常だった。


「ユウトさーん! 朝ごはんできましたよー!」

「おいこらカルル、薪の割り方が甘いぞ! もっと細かくしろ!」


 だが今の朝は──やけに騒がしい。

 俺の静かなる仮拠点は、いつの間にか五人の男女がせわしなく動き回る村の広場と化していた。


「ユウト。この周辺で採れる香草なんだけど、根っこの方が防腐効果が高いと思うの。試していい?」

 マーレンがエプロン代わりに俺の予備のシャツを腰に巻いた姿で、かまどの前から身を乗り出してくる。


「ちょっと待て」

 俺は寝転がったまま【効率化】を起動し、彼女が握っている赤い根を鑑定した。


 『レッドルート──根に強い殺菌と防腐の効果あり。燻製の表面に塗れば保存期間が跳ね上がる』


「正解だ。根を石ですり潰して、肉の表面に薄く塗ってから燻せ」

「りょーかい!」


 マーレンが嬉々としてかまどに戻る。

 俺はそのまま寝返りを打ち、テオとカルルに声だけ飛ばした。


「テオ、右足が痛むならツル編みに回れ。カルルは竹筒の継ぎ手を四本追加しろ。水路の分岐がもう一本欲しい」

「了解っす!」

「分かったー!」


 指示を出すと、拠点の空気がすっと整い、作業音がリズミカルに響き始める。

 テオが力任せに薪を割る小気味いい音。カルルが繊細な手つきで竹筒の接合部を調整する気配。残りの二人が運搬と片付けを黙々とこなし、マーレンの鼻歌がかまどの煙と一緒に空へ昇っていく。

 拠点は、もはや俺一人のキャンプ地ではなかった。


 ──快適なボッチ・スローライフが崩壊していく音が聞こえる。


 俺が求めていたのは、誰にも干渉されない究極の怠惰だったはずだ。なのに朝から晩まで五人の人間が俺の周りをうろちょろし、指示を仰ぎに来る。

 端から見れば、俺はどう見てもこの集団のまとめ役だった。

 前世のブラック企業で一番なりたくなかったもの──人に指示を出す側の人間だ。


 だが──認めたくはないが、一人でやっていた時より圧倒的に暮らしの質が上がっている。

 寝転がりながら口を動かすだけで、良質な飯が出てきて、風呂に入れて、備蓄がみるみる積み上がっていく。

 今朝の時点で、燻製肉は十日分。水は水路から無限に供給される。薪も三日分が常に積まれている。

 一人で全部やっていた頃が嘘みたいだ。


「……これも一つの怠惰の形か」


 他人に働いてもらって楽をする。この甘い蜜の味を、ここ数日の俺は完全に覚えてしまっていた。


 昼過ぎ。

 備蓄の確認を済ませた俺は、木の実でも拾おうと川辺の茂みに向かった。


 ──そこで、目に入ってはいけないものが目に入った。


 川の浅瀬で、マーレンが水浴びをしていた。

 濡れた赤毛が白い背中に張り付き、水を弾く肩から鎖骨のラインが真昼の陽光を受けて眩しく光っている。腰まで浸かった水面が、ゆらゆらと危うい境界線を描いていた。


「──ッ」


 俺は反射的に踵を返した。

 が、枝を踏んだ。盛大に。


「……あんた、いつからそこにいたの」

 振り返るな。振り返るな。振り返ったら負けだ。


「見てない。断じて見てない」

「ふーん。顔、真っ赤だけど」

「太陽のせいだ」

「はいはい。──細かいこと気にしなさんな。旧大陸じゃ川で体洗うなんて日常だったし」


 背後で水音がして、マーレンが浅瀬から上がる気配がした。

 濡れた布が肌に張り付く衣擦れの音が、やけに生々しく耳に残る。


「もう振り向いていいわよ」

「……本当だな?」


 恐る恐る振り返ると、マーレンは大きな葉で体を拭きながら、悪戯っぽく笑っていた。

 その笑顔がふと翳る。


「ねえ、ユウト。あたしたち、ずっとここにいてもいいの?」

 声のトーンが変わった。普段のサバサバした姿の奥にある、本当の不安が滲んでいる。


「本隊が迎えに来るって言ったけど……正直、あんまり期待してないの。あの化け物の群れの後だもの」

 マーレンは膝を抱え、川面を見つめた。


「……お前らが飯を作って設備を回してくれるなら、いていい。俺一人じゃもう怠いんだ、この拠点を維持するの」


 マーレンが小さく吹き出した。

「あんたらしいわ。……ありがと」


 彼女が安堵の息を吐いた、その時だった。


「おーい! 見回りの罠に何か引っかかってるぞ!」

 森の方からカルルの叫びが響いた。


「猪か!?」

 テオが目を輝かせて立ち上がる。


「……確認してくる」

 俺はだるい体を起こし、カルルの声がした方角──拠点から少し外れた獣道へ向かった。


 近づくにつれ、【効率化】が鋭い警告を飛ばしてきた。


 『警告──罠の周辺に大量の血の反応。対象の体格、大型の獣の基準を大きく超えている』


 獣じゃない。

 嫌な予感に足が速まる。鉄さびに似た匂いが風に乗って鼻を突いた。

 茂みを押し退けると、太い枝から頑丈なツルで吊り上げられた「獲物」が見えた。


「……た、助け……て……」

 掠れた、今にも消えそうな声。


 そこに逆さ吊りになっていたのは、猪でもウサギでもなかった。

 血まみれの革鎧を着た、見知らぬ大柄な男だ。深い裂傷があちこちに走り、刃こぼれした剣を死後硬直のように握りしめている。

 ツルを外そうと男の腕に触れた瞬間、ぬるりとした血の感触と、異様に冷たい体温が指先に伝わった。

 革鎧の染めは旧大陸風。マーレンたちが着ていたものと同じ系統だ。


 ──昨夜、森の奥から感じた、あの視線。

 獣とは違う、知性のある「観察」の気配。

 あれは、この男だったのか。拠点の焚き火の明かりに引き寄せられて、偵察に来ていたのだ。

 だが今は、何かに追われてボロボロになり、俺の罠に突っ込んだ。


「なんで……こんな森の奥に……武装した人間が……?」

 追いついてきたマーレンが、蒼白な顔でへたり込んだ。

 男の革鎧に刻まれた紋章を見て、マーレンの顔がさらに強張る。


「この紋章……あたしたちの本隊と同じ……」


 この数日間、完璧に整えた平穏な怠惰の暮らし。

 それが足元から大きく音を立てて崩れ、外の世界と強引に繋がる──そんな予感がした。

 ……めんどくさいことが、向こうからやってくる。

お読みいただきありがとうございました!


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