第1話「目覚めたら草原だった。スキルは地味だった」
初めまして、あるいはこんにちは。
効率化の果てに、意図せず文明を築いてしまう男の物語を始めます。
ゆるっとお楽しみいただければ幸いです!
残業二百時間の末に死んだ俺が、目を覚ましたら草原の真ん中にいた。
空は青い。めちゃくちゃ青い。前世じゃ見たことないくらい、バカみたいに青い空が、どこまでも続いている。
風が吹く。草が揺れる。遠くで鳥が鳴いている。──もう会社に行かなくていい。
その事実だけで、なんか泣きそうになった。
蛍光灯の白い光。満員電車の汗の匂い。上司の怒鳴り声。終電のホームで立ち尽くす夜。全部、もう終わったのだ。
仰向けのまま深呼吸すると、草の甘い匂いが鼻をくすぐった。風が頬を撫でていく。背中に当たる地面はちょっと硬いが、オフィスの椅子よりはマシだ。
……最高かよ。
とはいえ、だ。いつまでも寝転がってはいられない。
起き上がって周囲を見渡すと、どこまでも草原が広がっている。北には山脈のシルエット。西には深い緑の森。南には大きな丘が連なり、東は少し空の色が違う気がする。
人の気配はない。建物も、道も、何もない。
そして俺は手ぶらだ。
着ているのは見覚えのない麻っぽい簡素な服。ポケットの中身は空っぽ。
あるのは──頭の奥で、何かが薄くぼんやりと光っている感覚だけだった。
なんだこれ。
意識を向けると、それは少しずつ輪郭を持ち始めた。声でも映像でもない。ただ「理解」がすとんと落ちてくる。
どうやらこの身体には、スキルというものが備わっているらしい。
名前は【効率化】
……地味。
いや、地味すぎないか。見知らぬ世界に放り出されて、もらえたのが【効率化】って。もうちょっとこう、火を出すとか剣が光るとか、そういう派手なやつはなかったのか。
効率化、ね。
前世で効率化の提案書を何枚書いたと思ってるんだ。「業務改善提案書」を毎月出しては、上司に「いいね、じゃあそれも君がやって」と笑顔で返される日々。効率化すればするほど仕事が増えるという地獄の矛盾を、誰よりも知っている。
──もう誰にも効率を求められない。
その事実に、少しだけ救われた。
だが感傷に浸っている場合でもない。腹が減ったし、喉が渇いた。手ぶらで草原に放り出されて、このままだと普通に死ぬ。
……めんどくさい。死にたくはないけど、めんどくさい。
しゃーない。水だ。水がないと人は三日で死ぬらしい。
水源を探すか、と思った瞬間だった。
頭の奥で、あの薄い光がふわりと揺れた。
『南西の方角──ここから約八百歩。水が流れている音がする』
声でも文字でもない。ただ「分かる」南西に水がある、と。距離まで含めて、直感のように頭に流れ込んでくる。
……え、便利じゃないか。
半信半疑のまま南西に歩き始める。草を踏む感触が足の裏に心地いい。空気が澄んでいて、深呼吸するだけで肺が洗われるようだ。
体力がない。前世のデスクワーク生活が魂にまで染みついているのか、十五分歩いただけで息が上がる。効率悪すぎだろ、この身体。
しかし──水の音が聞こえてきた。
草原を割るように、透き通った川が流れている。幅は三歩分ほど。浅くて穏やかで、底の石まではっきり見えた。
膝をついて両手で水をすくい、口に含む。
冷たい。そして甘い。
とんでもなく美味い水が、喉を通って身体の隅々まで染み渡っていく。生き返った。比喩じゃなく、一回死んでるから、文字通り生き返った気分だ。
川辺に座り込んで一息つく。ふと足元の石に手を伸ばした。
瞬間、またあの感覚が走った。
『断面が鋭い。刃物の代用に最適』
石を持ち替える。
『こちらは重い。打撃用、もしくは土台として最適』
隣の石を拾う。
『脆い。砕いて粉にすれば研磨に使える』
次から次へと。触れるだけで、その石が何に向いているかが分かる。
地味だ。相変わらず地味だ。火の玉も出ないし剣も光らない。
でも──使える。
鋭い断面の石で枝を削り、簡易的なナイフのようなものを作った。不格好だが、木の実を割ったり蔓を切ったりはできるはずだ。
川沿いを少し歩くと、低木に赤い実がなっているのが目に入った。手を伸ばすと、スキルが囁く。
『毒性なし。酸味が強いが食用可能。水分の補給にも向く』
齧ると、確かに酸っぱい。だが飢えた身体には十分すぎる味だった。
日が傾き始めた。
夕暮れの空が橙色に染まり、川面がきらきらと光を返している。前世では見る余裕すらなかった夕焼けだ。
火を起こさないと夜は越せない。めんどくさいけど、これだけはやるしかない。
木の枝を二本拾い上げると、またスキルが反応した。
『この二本の組み合わせが摩擦発火に最適。角度は四十五度、回転は速すぎず一定の速さで』
言われた通りにやってみる。腕がだるい。体力がなさすぎる。前世のデスクワーク生活を呪いながら、ひたすら棒を回し続けた。
煙が出る。火種ができる。枯れ草に移して、ふうっと息を吹きかけると──小さな炎が生まれた。
枯れ枝を足して炎を育てる。パチパチと木の爆ぜる音。焚き火の暖かさが顔を照らす。
……悪くない。
思えば、前世にはこんな時間がなかった。朝は満員電車、昼は蛍光灯の下、夜は残業。空を見上げる余裕なんて一秒もなかった。
このスキルは地味だ。けど、確実に俺の役に立っている。
前世では、効率化の提案書を出しても「じゃあもっとやれ」と返されるだけだった。やればやるほど報われない。それが俺の知っている「効率化」だった。
だが今は違う。この【効率化】は、俺が楽をするためだけに使える。誰にも横取りされない。誰にも「もっとやれ」と言われない。
──全力で、楽をする。
それが、この世界での俺の生き方だ。
焚き火に枝を足しながら、南の方角に目をやった。暗くなりかけた空の下に、大きな丘のシルエットが見える。
──アォォォォォンッ。
はるか遠く、丘の向こうから、獣の遠吠えが響いた。
……まあ、別にいいか。今はこっちに来てないし、関係ない。
めんどくさい事には極力関わらず、俺はここで、静かに暮らすんだ。
お読みいただきありがとうございました!
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