Chapter 17 「オアシス」
灼熱の太陽が照りつける砂漠の中、思いもよらない光景が広がった。
生えている植物も葉が細くて短い乾燥に強い草やサボテンばかりだったのが、水辺にしか生えない葦のような草が多数見られるようになった。
やがて沼のようなものが現れ始めて、更に進むと巨大な湖が姿を現した。
琵琶湖程ではないが、湖の対岸が霞むくらいの距離なので、かなり広大な湖だ。
水分があるおかげか砂漠の暑さも少し和らいだ気がする。
湖面は風に揺られてさざ波を立て、その上を水鳥たちが優雅に滑るように泳いでいる。
時折、鳥の群れが舞い上がっては、陽光に輝く水しぶきを上げながら再び水面に降り立つ。
周囲を見回すと、それなりに高い山が見える。
どうやら近くの山から流れ出した湧き水などがここへ集まってきているのだろう。
ただ、湖畔にあるというサルナスの町とやらが全く見当たらない。
「サルナスってのは湖畔にある大きな町って聞いたよな」
もしかしたら小さい集落を町と呼んでいるだけではないかと思って目を凝らすが、人の営みの跡すら一切見当たらない。
周辺にいるのは水鳥くらいだ。
葦の群生場所からはガサガサと音がするのでネズミなどの小動物は住んでいるかもしれないが、少なくとも人はいない。
「ここって別の湖なんじゃないですか? ラビさん、地球ではどうなんですか?」
「俺は全知全能じゃない。知らないことは知らんよ」
そうは言っても何かヒントになりそうな情報を過去に得ていないか記憶の奥底に沈んでいる知識を引っ張り出す。
「この辺りには確かラムサール条約で登録されている湿地帯か何かがあったはずだ。メキシコの国定公園になってた」
「なんて名前なんですか?」
「そこまでは覚えてない」
そもそもここがラムサール条約の場所かどうかも不明なのだ。
それに、分かったところで別に目指していたサルナスの町がヌッと生えてくるわけではない。
「でも、風は気持ちいいよ。湖の近くだからか温度も安定してるし」
「確かにそうですね。サルナスがどこかはともかく、今日はここでキャンプをしませんか?」
モリ君とエリちゃんはここでキャンプをする気満々のようだ。
子供達もお疲れなので、確かに休憩には丁度良いタイミングではあるが。
「一応明日以降のルートは確定させておきたいけどな。その確認さえ済めばキャンプで良いと思う。少なくとも明日の展望なしで休憩は避けたい」
「そんなに気を張っても辛いだけだろう。ちょっとは息抜きをしようぜ」
「お前はずっと息抜きしかしてないだろ」
倒木に座り込んで水を飲んでいるカーターには言われたくはなかった。
「ちょっと空から周りの状況を見てくる」
まずは鳥を召喚。
箒にまたがって真上へ空高く飛翔。
更にそこから使い魔モードへ切り替えた鳥を射程限界の2kmまで高く打ち上げるように飛ばす。
タウンティンからアカプルコまでの交易船に乗っている時に夜の散歩をよく楽しんでいたが、帰りに目印のない太平洋上で離れた位置に移動した船を探すためによく使った手段。ちょっとした偵察衛星感覚だ。
こうすれば普通に鳥を飛ばすよりも広い範囲を確認出来る。
3000m級の山の頂上から見るようなものなので、この砂漠のような広い場所ならば、半径50kmくらいに何があるかは簡単に分かる。
湖のサイズは意外と大きい。
周辺は300m以下の低山が連なっており、水はそこから流れてきたことは分かる。
南と西方面には特に何もなし。
東方面はテロスの町があった標高の高い岩山地帯が見えた。
見えたのだが……俺が思っていたよりもかなり北にある。
本来ならテロスの町は真東にないとダメなはずだ。
これはもしかして、例の無人の村に迷い込んだ後に方角を見誤って、ルートが少し南にぶれたのかもしれない。
北方面を集中して見ると、霞んでよく見えないが、彼方に別の湖らしきものがあるように見えた。
テロスの位置からして、あの北の湖がサルナスのある湖だろうか?
周辺には街道らしき整地された道も見えるので、町がある可能性は高い。
少なくとも街道には復帰しないとダメだろう。
そこより先は地平線の彼方。
地球が丸い以上はもうその先を見通すことは出来ないが、どうも川が有るように見える。
この湖や北の湖を含めた半径50Kmくらいが巨大な湿原なのだろう。
「北の湖が目的地だとすると、湖を右手に見るように山沿いの道を歩いていけば良いか。明日の夜か明後日の午前中には着けそうだな」
山中には何箇所か水溜まりが見えた。
木もそれなりに茂っているので食料調達も出来るかもしれない。
ルート確認を済ませて地上へ降りてくると、早くもモリ君とエリちゃんが野営用の天幕を張り始めていた。
タルタロスさんが枯れ木などを集めてきて焚火の準備を始めている。
「みんな判断が早い!」
「でも、見つかったんでしょ、明日のルート。そういう点ではラビさんを信頼してます」
「まあ見つかったんだけどさぁ」
信頼していると言われると、こちらもあまり色々と言いにくい。
「でも仲間が3人増えたから、幌布も足りなくなってきたな」
「毛布も足りませんね」
子供達とタルタロスさんは手ぶらで加入しているので、テント代わりに使っている幌布も毛布も当然持っていない。
今のところは砂漠地帯で温かいので地面に敷く2枚と夜露を凌ぐ屋根の2枚で何とか凌いでいるが、これを続けられるかと聞かれるとさすがに厳しい。
少々金がかかったとしても、次のサルナスで買い足さないといけないだろう。
「それはそれとして、凄いのが捕れたぞ」
レルム君を連れたカーターが大きな魚を抱えて戻ってきた。
形はバス系に見えるが、やたら大きい。
「道具もなしでどうやって獲ったんだ?」
「そりゃレルムが電気をバチって」
「ここは異世界だから良いけど日本でやったら怒られる奴だな」
まあここは異世界だから別に良いが、生態系の破壊だけは気を付けて欲しい。
「これって食えるのか?」
「淡水魚だから泥臭いかもな。まあ一応捌いてみるけど」
内臓は泥臭いので捨てる。
皮も臭いので剥いで捨てる。
骨も頭もヒレもゴミっぽそうなので捨てる。
塩で揉んだ後に湖の水ではなく、ドロシーにスキルで出してもらった水で身を洗うとドブ臭さはほぼ消えたので、駄目押しで、そこら辺に生えてる草で香り付け。
魚は食べやすくするのと寄生虫対策で細かく包丁を入れて、手頃なサイズにカットした後、酒に漬け込む。
野生のベリーが有ったので磨り潰して、アルコール分を飛ばした酒と少量の塩で味を整えると甘みと酸味のあるソースが完成。
クッキーを砕いて作った粉で魚の身をコーティングして表面を焦がして外はカリカリ、中は予熱でふんわりと火が通るように焼く。
ソースを掛ければなんか分からん魚のソテーの完成。
付け合わせにそこら辺の草を軽く湯通ししたものを添える。
お好みでトウモロコシ粉を焼いて作ったトルティーヤに巻いてタコスにして食べても美味しいだろう。
「キャンプ飯をどうぞ。完成BGMは個人で勝手に添えて」
「なんというかお前凄いな。単純に塩焼きにするのかと」
魚を釣ってきたカーターが料理を突きながら言った。
「この手の川魚はそのまま焼いたって泥臭いし、油ものっていなくてパッサパサだから一手間加えた方が美味くなる。やらない理由がない」
食べてみると白身で意外と美味しい魚だ。
味付けも有り物で適当に作った割にはなかなか好みの味だ。
甘めのソースのおかげで子供達も喜んで食べていた。
「今まで釣った魚は即リリースしてたが、食べるのも良いな。日本に帰ったらオレも本格的にやってみるか」
カーターが釣竿を持つような動きをした。
「カーターは釣りに興味があったのか?」
「オレが住んでるのは山梨の田舎だから穴場だらけなんだよ。富士五湖も近いし、海釣りも車なら日帰りで行ける距離だし」
そう言えばカーターは山梨の市役所勤務とか言ってたな。
確かにそれならばより取り見取りだろう。
「うちの近く……葉山や三浦にも良い海釣りの釣り場がありますよ。学校の友人と電車で行ったこと有ります」
関東だと房総あたりに釣り場は多そうだが、モリ君は横浜在住らしいので、薦めるならやはりそちらの方か。
「静岡とか伊豆の方ばっかり行ってたけどそっちも有りだな。でも、途中の横浜とか鎌倉は混んでないか?」
「海沿いを避ければ大丈夫ですよ。俺の家の近所から逗子の山の中を抜けていけばすぐです」
「有りだな。そのうち案内してくれや」
こういう会話が出てくるのも日本へ帰ることが出来る望みが出てきたからだ。
少し安心出来る。
ただ、気になったことが一つだけ。
「モリ君とエリちゃんは来年受験なんだからあんまり遊びに誘うなよ」
「それでもたまには息抜きは必要だぞ」
「そうですよ。今は少子化だから普通の私立大学なら入れますって。それくらいの成績は取ってますよ」
モリ君は気楽なものだ。
まあ、本人が言うならばそこそこの成績はあるのだろう。
「トチ狂って東大を受けるだの医学部受験だの言い出さなければまあ大丈夫ってくらいか?」
「医学に興味がないと言えば噓ですけど、うちの両親は普通のサラリーマンですよ。医学は無理です」
「興味があるなら頑張って欲しい……と言いたいところだけど、流石に学費の問題はなぁ」
ここで俺が
「医大の学費くらいくれてやらぁ!」
とポンと金を出せるとカッコ良いのだが、こちとら入社2年目のサラリーマンだ。
流石に医学部の学費は逆立ちしても出てこない。
若いうちだけの特権なので、興味があれば挑戦はして欲しいところだが、無理強いは出来ない。
どこかにハンターライセンスでも落ちていないものか。
「エリちゃんはどうだい?」
「成績のことは聞かないで」
いつもの元気は全くなく、完全に虚無の表情で答えた。
これはかなり深刻そうだ。
「うん……まあ……Webでなら家庭教師をするよ。モリ君と同じ大学に入れるくらいまでは頑張ろう」
「はーい」
力が全くない返事だ。
これはこちらもやる気を出さないとダメそうだ。
「タルタロスさんはどうですか? 日本に戻ったらやりたいことは?」
何気なく尋ねたが、表情が妙に重い。
「どうされましたか?」
「ああ、いや……家族に会いたいとだけ」
「なるほど、それは大事なことですね」
これは深刻そうな問題だ。
タルタロスさんは最低でも30代。
家庭を持っていて子供もいるとしたら、長い間会えないというのは深刻な問題だろう。
これは子供達も同じだろう。
小学生なので親が心配しているというのはありそうだし、学校にも友達は大勢いる……居るよな?
いや知らんけど、いるということにしよう。
ドロシーについては怪しい点は多いが、なるべくそこらの問題を解決して親元へ帰してやりたいというのは本音だ。
本当になんとかならないものか。
「じゃあ食べたら明日も早いし寝るぞ」
毛布の枚数は全く足りないので、俺とエリちゃんがドロシーを挟み込んで1枚。
モリ君とレルム君で1枚。
カーターとタルタロスさんがそれぞれ1枚。
なんとか4枚で回してはいるが、全く足りていないのが現状だ。
毛布が足りないための措置として無理矢理1枚に3人入っているために性的な同衾ではございません!
ございません!
そして夜中に至近距離からドロシーの鋭いキックを腹に食らって、毛布どころか地面に敷いている帆布シートから蹴り出されて地面の上に転がされるところまでがお約束。
泣きたい。
◆ ◆ ◆
翌日は早朝から出発した。
なんとか街道に復帰したいと湖を右手にひたすら歩き続ける。
湖が見えなくなっても更に歩き続けて、そろそろ野営を考えるかというタイミングでようやく街道……そして大きな湖が見えてきた。
一度間違えた湖よりも更に大きいし、水草の種類や数も多い。
何よりも決定的な違いは、湖畔にはかなり大きな城壁に囲まれた都市が見えることだ。
これが話に聞いていた街道の終点にあるというサルナスの町だろう。
「久しぶりの町だね」
エリちゃんは久々の町で浮かれ気味だ。
だが、その気持ちは俺も分かる。
「ここなら水も豊富だろうし、臭い服を洗濯したいし風呂にも入りたい」
飲水はドロシーのスキルでなんとかなるが、身体も服も長期間洗えていないので、なかなか臭いが酷くなってきた。
そろそろなんとかしたい。
「オレは酒!」
「みんな忘れないでください! まずはこの先へのルートを調べることですよ!」
浮かれる俺達の中で、モリ君だけが冷静にこの先のことを考えていた。
本当にモリ君は真面目だなと思う。
俺の頭の中は既に目の前の町にあるで満たされるであろう風呂と洗濯で一杯だというのに、私情を殺してリーダーとしての役割を務めてくれている。
とてもぼくにはできない。
モリ君は年下だというのに頼りきりで本当に申し訳ない。
《でもカズ君はそういう頼れるところが昔からあるから頼もしいんだ》
……いや、カズ君って誰だよ。モリ君だろ。
「そうは言っても、もうすぐ夕方だ。人の流れのピークも過ぎているだろし、まずは宿の確保と食事を摂ってからにしよう」
「……まあ、それもそうですね。明日の朝から調べましょう」
モリ君もしぶしぶ納得してくれたようだ。
ここはまず町で宿を探して――
――そう考えていた時、背後からガラガラと車輪の音が鳴り響いてきた。
慌てて振り返ると、数台の馬車が街道を進んできているのが見えたので、邪魔にならないように道の脇に避ける。
馬車は俺達を避けて、そのまま先へと進んでった。
「馬車だ……馬が車を引いてる……」
車を引いているのはトリケラトプスでも牛でも蒸気エンジンでもない。
馬が引いている本物の馬車だ。
俺達は馬車が通り過ぎるのをポカンと口を開けた間抜けな姿勢のまま見送っていた。
「この世界って馬が実在したのか……」
「多分馬がいない世界の方が珍しいんじゃないでしょうか」
「こんなヘンテコな世界もあるくらいだし、どこかにウマが人間の姿をしてレースをしている世界だって多分あるだろ」
俺達が馬の存在について話していると、今度は駱駝に荷物を載せた隊商、徒歩の旅人など、様々な人々が次々に歩いてきた。
まだ町の外の街道だというのに、ふと気がつくと、大きな街の商店街を歩いているのかと錯覚するほどの大勢の群衆の中を歩いていた。
テロスの町を出てからは街道でほぼ人に会うことはなかったというのに、これほどの人間はどこにいたのだろうか?
疑問に思い、そのうちの一人を捕まえた。
「すみません、どちらから来られました? 私達は南……じゃない、東の方から来たのですが、全然人がいなかったので」
「東に町なんて有ったの?」
予想外の答えが返ってきた。
テロスの町と交流はないのだろうか?
「私達は北からだよ。アイ川沿いに南に下ってきたの。今日は千年祭なんだから」
「千年祭?」
鸚鵡返しに問い返すと、「そんなことも知らなかったのかい?」と笑われた。
「毎年やってるイブ討伐祭だけど、今年はついに千年目だよ。最近は変な気候続きで祭りはどうするんだろうと思ってたけど、千年目なんだから、やっぱりやるみたいで」
「千年目ねぇ……」
礼を言うと通行人は俺を変人のような目でみた後に去っていった。
どうやらこの行列の大半は祭り目当ての観光客のようだ。
試しに空に鳥を飛ばして周辺の地形を確認すると、湖の北に向かって意外と大きな川が延びている。
アメリカやメキシコにこんな川が有ったのかは不明だが、ともかくこの川沿いに町があるようだ。
川には手漕ぎの船も数隻確認出来た。
この川を使って町へ荷物を運んでいるのだろう。
「祭りはともかくとして、やっぱりこの町から別の方向に街道が伸びてるみたいだな。少なくとも北方向に伸びていることだけはわかった」
「良い話を聞きましたね」
「目指すは北西方向、出来れば海岸に出る西ルートだけど、砂漠を歩くより川が有る街道沿いを進む方が楽だから、アイ川沿いルートとやらも調べてみよう」
周辺の地理について聞いた後に、どこをどう進めば良いか検討したいところだ。
俺達は街道の先にある町、サルナスを目指して歩き始めた。




