Chapter 4 「謎の少女ドロシー」
俺たちが歩き始めたソノラ砂漠は、メキシコ北部からカリフォルニア州に広がる砂漠だ。
年間降水量が極端に少なく、乾燥しきっている。
そして、夏の気温は熊谷や多治見に匹敵する温度まで上昇する過酷な環境である。
……いや、どうなってるんだよ21世紀の日本は。
そして、この世界はそこまで地球温暖化が進んでいないと思い知る。
「砂漠縦断の時期が冬で良かったよ」
夏場ならば毎日が熊谷になるところだった。
だが、冬場だからなのか気温は初夏程度の暑さに留まっており、歩きやすい。
ただ、遮るものがないからなのか、それとも空気中に水蒸気が少ないからなのか。
日差しはかなり強いので全員に帽子はしっかりかぶらせた。
見るからに暑そうだったモリ君の金属鎧は脱がせて袋に入れさせた。
荷物がかさばって大変そうではあるが、金属は一度温まると冷えにくい。
付けたままだと体温調整に支障がありそうな上に、低温火傷をしそうで怖い。
俺も分厚い生地のローブは脱いで、タウンティンで買ったブラウスの上にマントを羽織った。
ランクアップで生えてきた剣道着はまったく温度調節が効かないので、鞄の隅で眠っていてもらう。
「ラビさん、そのミュールで大丈夫なんですか?」
「信じられないかもしれないけど、こんな靴でも地面からの熱は全然来ない。割と快適だ」
「どういう理屈なんですか?」
「計算されているんだろう。角度とか」
一応はランクアップで生えてきた装備品だ。
密かに熱耐性などがあるのだろう。
エリちゃんの服は、どう見てもペラペラのパーカーなのに金属鎧以上に頑丈なのと同じ理屈だ。
歩き慣れていないので足は痛むが、さすがに俺だけ箒に乗って飛び始めるとみんなに悪いので付き合って歩く。
「水分はしっかり摂るように。あと汗で塩とミネラルが不足しがちだから水を飲む時はドライフルーツも適量食べること」
「お前はおかんか!」
「はいはい、おかんで結構。熱中症で倒れられたらみんな迷惑するからな」
砂漠地帯を歩く上での注意点はこれくらいだろうか?
「水の補給はどうします? 今のペースだと1日で水筒の水を飲みきりますよ」
「そこらのサボテンを切って絞った液を沸かして水分を取り出すか、最悪は俺がマサトランの町まで戻って水筒に汲んでくるよ」
「俺たちってなんで歩いてるんでしたっけ?」
全員が飛べないのだから仕方がない。
「同行を使用! マサドラへ!」と全員で空を飛んでいくことなどできないのだ。
なんでもいいけどマサドラとマサトランって文字の並びは似てるよな。
今までは船で楽をしてきたが、これからは一歩一歩を踏みしめる歩き旅だ。
当面の目的は、北に突如出現したという謎の町、タラリオンだ。
今のところ魔物が徘徊していること以外、すべてが謎だが、町というからには食料や水の補給はできるだろう。
【1日目】
特に何もなし。
サハラ砂漠や鳥取砂丘のような砂だらけの場所を想像していたが、実際は乾燥した短い草やサボテンの生えた赤土の砂漠だった。
意外と歩きやすいので、1日10キロという予想よりも距離を進めている。
GPSがないので移動距離は分からないが、おそらく20キロだ。
夜はタウンティンで買った旅の基本セットに入っていた幌布を使って初の野営チャレンジを試みる。
素人なりになんとかテントらしき形を作ったが、深夜にみんなが寝ている時に突然崩壊。
全員が幌布に押し潰されて叩き起こされた。
明日はもっとうまく張りたい。
【2日目】
上空にワイバーンらしき影が見えたので、町へ向かう前に鳥を放って撃ち落とした。
特筆事項なし。
命を無駄にするのも忍びないので焼いて食べようと試みたが、肉は固いし臭いしでとても食べられたものではなかった。
香草と一緒に煮込めば美味しく調理できるかもしれないが、煮込むための水がない。
仕方ないので放置していると、どこからか臭いを嗅ぎつけたのだろう。
コンドルやキツネ、蟻などがワイバーンの死体に群がり、彼らのパーティー会場と化していた。
生態系とはこうやって回っていくのだろう。
昨日よりはうまく天幕を張れた。
キャンプの達人になった気がする。
【3日目】
カーターがこの砂漠にはサキュバスはいないのかよとぐずりだした。
どこの世界の話なんだよそれは。
ここはアメリカ大陸だ。
水筒の水が減ってきたので、夜の涼しい時間を利用して空路でマサトランまで水を汲みに戻った。
多分箒の飛行速度は時速120キロを越えていたと思う。
住民に「まだ町にいたのか?」と不審がられたが、適当に誤魔化した。
まさか町から3日歩いた場所から、水だけ汲みに戻ってきて、この後すぐに帰るとは言えない。
水を汲んで戻ってくると、モリ君から「なんで俺たちって砂漠を歩いているんでしょう?」と、何度目かの質問をされたが、適当に誤魔化した。
全員が飛べないのだから仕方がない。この回答も何度目だ?
なお今日も天幕は深夜に崩壊した。
おかしい。
俺たちはキャンプの達人になったはずでは?
【4日目】
俺たちは早朝から自分の手も見えないほどの濃霧に包まれていた。
霧は水分飽和がなければ発生しないはずだが、砂漠の真ん中で濃霧を発生させるような水分がどこから出現したというのか?
幻覚ではない。
肌には水滴が付着しており、服も汗以外の水分でしっとりと湿っている。
足元の砂も、どこかしっとりとしていて、靴には泥の汚れが付いている。
顔を服の袖で拭うも、その袖が濡れているので気持ちよく拭き取れない。
本物の霧だ。
「エリスー! ラビさーん! カーターさーん、いますかー?」
「ここにいるぞ!」
視界不良の中、モリ君の声が聞こえてきた。
他の仲間の声も次々と聞こえてきたので、近くにはいるようだ。
一度集まった方がいいだろうと声のする方向に歩いていくと、不意に左手を誰かに掴まれた。
「これ誰の手? ラビちゃん?」
声の主はエリちゃんだった。
どうやら、はぐれないように手を掴んでくれたようだ。
俺もその手を握り返した。
「俺だよ。何も見えないし、一度モリ君のところに集まろう。手は絶対に離さないで」
「分かった」
「うん」
返事が1人分多かった気がした。
濃霧による視覚不良の悪影響が聴覚にも不調をもたらしているのだろうか?
早く集合した方がいいだろう。
モリ君の声を頼りに歩いていくと、霧の向こうにうっすらと2人の長身の男の影が見えた。
こちらはモリ君とカーターで間違いないだろう。
距離は2メートルもないはずなのに、視界はぼんやりとして、顔がろくに見えない。
「この霧、なんとかできないんですか?」
「温度が上がれば霧は晴れるはずだ。カーター、火のスキルを使えただろ。遺跡でユッグを焼いたやつ」
「まあできなくはないが、長持ちはしないぞ。何か燃えるものがなけりゃ、炎はずっと出し続けられないから」
「ないよりはマシだ。やってくれ」
カーターに頼むと、目の前に火柱が吹き上がった。
一瞬だけクリアになったので、近くにあった枯れたサボテンの残骸を火柱の中に投げ込んだ。
焦げた臭いが立ち上った後に、火はサボテンの残骸に燃え移ってくれた。
「これだけじゃすぐに消える。そこらの燃えそうなものを集めてくれ」
「燃えそうなものと言ったって……」
近くにあった紐のような植物の残骸。何かの動物の皮。枯草……近くにあった燃えそうなものをどんどん火の中へ投げ込んでいく。
火が高く燃え上がると、周辺の霧が薄れて視界が開けた。
モリ君とカーターの顔が見えた。
エリちゃんの顔も霧の中から浮き上がってきた。
そして――俺とエリちゃんに両手を繋がれている10歳くらいの金髪の少女が1人いた。
「……この子、どこの子?」
「さあ?」
俺がエリちゃんと思って繋いでいた手は、この少女のものだったようだ。
同じようにエリちゃんも、少女を俺と思って手を繋いでいたのだろう。
昨晩までは間違いなくこんな子供は存在していなかった。
現在の位置は町の中ではなく、砂漠の真ん中だ。
マサトランあたりの住民が迷い込んできたというのも考えにくい。
あからさまに怪しい。
理性では距離を取って警戒しろと判断しているのだが、なぜか手をふりほどけない。
その手をふりほどいてはいけないと考えてしまう。
「あなた、どこの子?」
エリちゃんがしゃがみ込んで少女に話しかけるが、怯えた表情でうつむいたまま何も話そうとしない。
白のブラウスにジャンパースカートという現代の子供にしか見えない服装だ。
とても砂漠を旅してきたとは思えないほど綺麗な服だ。
この世界、この時代では違和感の塊でしかない。
金髪に白い肌も、南米では見かけた記憶が全くない。
やはり、俺たちと同じ召喚者で姿を変えられた元日本人なのだろうか?
「お腹は空いてない? はいクッキーをどうぞ」
俺はクッキーを取り出して差し出すが、少女は無言で首を横に振った。
「なら水はどうかな?」
水筒の水をコップに注いで差し出すと、俺からコップを奪い取るように取り上げた。
そのまま、がぶがぶと一気に飲み干した。
水筒から追加の水をコップに注ぎ足した上で、今度はドライフルーツと一緒に手渡した。
ドライフルーツを一口で食べた後に、コップの水をまた空にした。
さらに先程は拒否したクッキーも奪い取るとまた一口で頬張り、さらに足した水で流し込んだ。
「まあ、水がないとクッキーは辛いよな」
少女はそれで満足したのか、目を擦ったと思うと、そのまま目を閉じて倒れていく。
なんとか抱き留めたものの、ぐったりとして起きようとしない。
近くで見ることでようやく気付いたのだが、顔が紅潮しており、やたら息遣いも荒い。
単純に疲れて眠っただけには見えない。
額に手を当ててみると、かなり熱っぽいようだ。
「モリ君、回復能力を!」
「俺のヒールは怪我専門で、病気なんかは治せませんよ」
「何もしないよりはマシだ」
モリ君がしゃがみ込んで少女に回復能力をかける。
だが、光るだけで特に何も体調が改善したようには見えない。
病気に関しては俺たちは素人である。
ここで何をどうして良いものやら分からない。
毒も病気も治せるマリアちゃんがいてくれると助かったのだが、ここにいない人間の話をしても仕方ない。
対応について思案をしていると、ヒールをかけていたモリ君が、唐突に少女のスカートをまさぐり始めた。
「あんた、何やってんの!」
「そうだぞセクハラ魔人、ついにロリまで毒牙にかける気か!」
「いや違う、違うって! ポケットに何か入ってるのが分かったんだよ」
モリ君は弁明しつつ少女のスカートに付いていたポケットから1枚のカードを取り出した。
[ドロシー R]
完全に俺たちと同じカードのフォーマットだ。
カードを所持しているということは、やはりこの少女も召喚者で元日本人と思って間違いないだろう。
モリ君がカードの存在に気づけたのは、治療のために近くに寄ったからか。
思っている以上に霧の悪影響が大きい。
「まさかこんなところにと確信を持てなかったのですが、はっきりしました。この子は俺たちの直前、16チームとしてあの部屋から出ていった子供のうちの1人です」
全50人で3人のチームを組んでいくと、16チームが作られて、2人余る。
前からモリ君とエリちゃんが最後まで子供2人が残っていたとは言っていたが、この少女がその片割れなのだろうか?
「前に話していた、最後まで残っていたのってこの子か?」
「はい。あの部屋に俺とエリス、それに中年の男性と子供2人の5人が残っていたんです。そうしたら中年の男性が俺たちに『悪いが子供をこんなところに残すわけにはいかない』と言って子供2人を連れて3人で扉を出て行って……」
モリ君が何とも言えない表情をした。
子供を守るためには自分たちが残るしかないという、諦めにも近い割り切り。
それでも自分たちが取り残されて犠牲にならないといけなかったのかという悔しさ。
当時さまざまな気持ちがあったのだと想像はできる。
「でも、なんで最初の50人に戦力外の子供が2人も混じってたんだ? いや、見た目が子供なだけで中身は子供じゃないのかもしれないが。そこのところどうなんだ?」
「だからオレはそこまでの事情は知らないっての」
俺がカーターに聞くと何度も聞いたテンプレートのような回答が返ってきた。
「召喚は老若男女無差別完全ランダム……のはずだ。だから、極端に若かったり、逆に年寄りがメンバーの中に混じっていてもおかしくはない……もちろん子供もな」
ここでカーターに対して怒っても何も解決しないのは分かっている。
分かってはいたが、運営の悪辣さには反吐が出る。
「ただ、ある程度は元の人間に合わせるので、子供キャラは中身も子供の可能性は高い。見た目は子供、頭脳は大人なんて例はないはずだ」
「年齢も性別も何1つ合ってない実例がここにいるわけだが何か一言?」
「だから本当に知らないんだって」
カーターが嘘を言っているとは思えない。
それなりの長い付き合いになってきたので、こいつが嘘をついているときはすぐに分かる。
そして、嘘をついていないと分かるのと同じで、何か重要な情報を話さず黙っているということも分かる。
毎日のように顔を突き合わせていれば、それくらい分かる。
だけど、この場でカーターをいじめたところで、追加の情報は出てこないだろう。
こいつにも何らかの事情があって、出せない情報があるのだ。
ドロシーのカードを改めて見る。
スキルのアイコンは3つ。
イラストは水滴、川、間欠泉。
アイコンから推測するに、ドロシーは水系統の魔法使いだろうか?
カードに記載されたフレーバーテキストは村の子供がどうのという説明が記載されているが、これは別に元の人間とは何の関係もない情報だ。
「なんでこんな砂漠を1人で歩いていたのかは謎だけど、まずは町でゆっくり休ませて、それから詳しい話を聞いてみたいところだ」
一度、マサトランの町まで戻るか、それともタラリオンを目指すかは悩むところである。
もしかしたら、もう1人子供が近くにいるかもしれないが、この濃い霧の中では探せない。
「何にせよ、この霧が晴れないことには」
「ラビさんの極光でどうにかならないんですか?」
「俺の極光は、要はレーザー光線だから、霧の中では拡散するんだよ。一応やってみるけど」
試しに手のひらから極光を放ってみるも、光線は放った直後に霧で乱反射して、虹色のきらめく万華鏡のような模様を作っただけだった。
光はすぐに霧で拡散して消えてしまった。
まともに飛んだのはせいぜい2メートルほどか。
「なら魔女の呪いで何とかならないんですか?」
「熱線なら霧を晴らすことはできるだろうけど、何かの間違いで町の方へ飛んで行ったら大惨事になると思う。建物だけならともかく、人間に当たったら間違いなくアウトだ」
「そういう理由があるならダメですね」
セーフな要素がない。
霧で視界が確保できない現状では、射程内に何があるのか分からないので迂闊には使えない。
それこそ、16番目に部屋を出た……第16チームにはもう1人子供がいるはずだ。
近くにその子供が立っていて、そこに命中でもしようものならば、一生の後悔ものだ。
俺の能力は魔女らしく社会から排除されるような効果に偏っているのだ。
「ラビさん、これなんてどうです?」
モリ君が枯れ切った1メートルほどのサボテンの残骸を見つけてきた。
火にくべてみると、乾燥しきっているからかよく燃える。
「これを松明がわりに抱えていけば、なんとか視界は確保できるか」
モリ君が槍の穂先でサボテンの残骸を少し削り取り、持ちやすい太さに整えた。
少なくとも仲間の顔や3メートルくらいまでの視界は確保できるようになった。
そうやって歩いているうちに、先の方、霧の彼方に石を積み上げて作った石垣のようなものがぼんやりと見えてきた。
「もしかして、これがタラリオンの町か?」
霧に包まれて全貌は把握できないが、石垣……いや、城壁は左右とも霧の向こうへ続いているようだった。
高さも相当高いということだけは分かる。
ぼんやりとだが、城壁の向こうに建っているであろう建物の屋根が影として見えている。
「町まで7日かかるって話だったよな」
「商人が商売のために向かったという話なので、荷車を押して7日だったのかもしれません」
「それなら納得の数字か。1日あたり20キロ近くは歩けていたから、マサトランからの距離は70から100キロという予想の範囲内ではある」
話に聞いていたワイバーンの姿は近くにはいないようだ。
しかし、これは霧で見えないだけだろう。
比較的近い場所で、相当巨大な生き物だと推定できる大きな鳴き声のようなものが聞こえてくるからだ。
ワイバーンの羽音は聞こえないので、近くを飛んではいない。
あいつらも、この濃い霧の中では視界を確保できないので飛びたくはないのだろう。
「城壁の周りには魔物もいないし、怪しげな雰囲気は何も感じないが……霧で見えないだけなのか?」
「砂漠のど真ん中で霧が出ている時点で怪しいんですよ」
「それはそう」
モリ君が正直な感想を漏らした。
確かにその通りだが、ここで霧に対して文句を言っても何も始まらない。
魔物のことや、ドロシーの仲間がどこにいるのかは気になるが、今は後回しだ。
まずはドロシーをゆっくり休めさせる場所へ行かなければならない。
俺たちは城壁沿いに歩いて、町への出入り口……城門を探し始めた。




