Chapter 14 「告白の返事」
石造りの太古の神殿に踏み入れて最初に現れたのは三叉路だった。
初っ端からこれだと、この先、何度選択を強いられるのだろうか?
「えっと……どの道に進めばいい?」
悩んでいると、肩に乗せた鳥の使い魔の目が何かを見つけた。
俺は箒から一度降り、しゃがみ込んで鳥が見つけた銃の薬莢を拾い上げた。
薄暗い神殿の内部とはいえ、白い大理石の石畳に金属色の薬莢が転がっていれば、かなり目立つので分かりやすい。
「ランボーかコマンドー……どちらかは分からないけど、目印に落としていってくれたみたいだな。良い仕事をしてくれる」
リプリィさんの部下の軍人が追いかけていったということで、後から来る者と自分たちが帰るための目印を何かしら残していると予想はしていた。
どうやら「ヘンゼルとグレーテル」の童話のように、通り道に物を落としていく方法を取っていたようだ。
落としていったパンくずは鳥に目を付けられ、悪い魔女にお菓子の家に誘い込まれるのだ。
箒を再度浮上させて遺跡の道を進む。
遺跡の内部はまるで迷路のようで、複雑に入り組んでいた。
冷たく重い石壁が闇を呑み込み、わずかな光さえも吸い込んでしまう。
その闇の中を俺の全身に浮かんだ紋様、そして箒の穂先から噴き出す虹色の光だけが明るく照らしている。
さすがに遺跡の通路は狭く、幅もあまりないのでゆっくり飛行させているだけだというのに天井や壁に体を何度もぶつける。
それでも、歩くよりは確実に速く移動できている。
しばらく飛行させているうちに何となく勘が掴めてきた。
「これはバイクで言うところのジムカーナと同じ低速でのコントロール技術が求められているのか。ということは、最高速はそこまででなくてもいい」
カーブはブレーキ……ならぬスピード制御で十分に曲がれる速度まで落としてから車体……いや、箒を傾斜させてターン。
カーブを抜けたら一気に最高速まで加速。その繰り返し。
奥に進むにつれてさらに暗くなってきたので、灯り代わりに鳥の使い魔を数メートル先に先行させる。
鳥の青白い光がぼんやりと薄暗い迷宮を照らした。
「かなり距離は進んだはずだが、なんで誰も先にいないんだ?」
◆ ◆ ◆
「リプリィさん、待って!」
俺……モーリスはようやく遺跡の中へ飛び込んだリプリィに追いつくことができた。
だが、リプリィさんは理解できない奇声を上げるのみで話を聞いてもらえる様子ではない。
「ごめんなさい!」
俺はリプリィさんが背中に担いでいたライフルを固定している紐を掴んで力任せに手繰り寄せた。
呻き声と共に、彼女の柔らかい体が俺の近くに飛び込んでくる。
これで大人しくなれば良かったのだが、今度は手足を激しく振り回して抵抗する様子を見せた。
羽交い絞めにして何とか拘束しようとするが、それでも暴れる彼女の手足があちこちに当たる。
「これで治ってくれれば良いけど……回復能力!」
密着した状態で全身に対して回復能力のスキルを発動させるが、それで彼女が動きを止める気配はない。
「怪我の類じゃないんだ。何か精神的に落ち着かせる方法は……何かないか? 何か」
リプリィさんは相変わらず目の焦点を失い、カエルがどうのと意味が通じない言葉をブツブツと発しているだけだった。
「お願いだ、元に戻ってくれ!」
力いっぱいに叫ぶが、彼女はただ意味のない声を呻き、身体を震わせるだけだった。
「どうすれば良いんだ、結依……」
つい口癖のように結依に対して呼びかけた時に、恵理子の言葉が頭の中をよぎった。
(なんで目の前にいる人じゃなくて、ここにいない死んだ人の話をしてるの! なんで目の前の相手を見られないの!)
そうだ。彼女は結依ではない。
結依は死んだ。もうどこにもいない。
そんなことはとっくに分かっていた。
俺は怖かっただけなんだ……。
アヤちゃんがバレンタインチョコをくれた時……彼女の好意を知っていたのに。
結依や他のクラスメイトに茶化されるのが怖くて、酷いことを言って断った。そして関係は断たれた。
結依が助けを求めていたのに、自分が傷つくのが嫌で、踏み込んでやれなかった。
メールで「さよなら」と届いたから何だ。
彼女の家は隣だ。無理にでも押しかけて謝るべきだった。
俺は彼女に罵られることを恐れて動けなかっただけだ。
結依の死からも逃げた。
リプリィさんの返事から逃げるために変なことを言った。
異世界転生なんて自分でもおかしいと思っていた。
でも、永遠に失われたという事実が怖くて、そんな理屈にしがみつくしかなかった。
恵理子から……逃げた。
怖かった。
愛おしい彼女から罵倒されるのが怖かった。
本当はまだ怖い。
だけど、このままはもう嫌だ。
生きている彼女は俺の助けを必要としている。
俺が何とかしないと彼女は助からない。
状態異常回復の能力があれば良かったのかもしれないが、今の俺には傷を癒すことしかできない。
今のリプリィさんは何かに操られている。
一時的にでも自我を取り戻せるような……そんな強い精神的なショックが必要だ。
肉体的な痛みは無理だ。
それならば、俺が拘束した時点で意識を取り戻せている。
だから……今の俺にできる、彼女の精神に強いショックを与える劇的な方法は……これしかない。
瞬時に決断した。
「本当にごめん」
俺はそっと囁いてリプリィさんの顔を両手で包み込む。
そして、唇を彼女の唇に重ねた。
まるで時間が止まったように感じた。
冷たい洞窟の中で、彼女の唇の温もりだけが現実感を持っていた。
しばらくの間、そのままキスを続けると、彼女の震えが次第に収まり、呼吸がゆっくりと整っていくのを感じた。
しばらくして唇を離すと、リプリィさんの目に光が戻っていた。
先程までずっと繰り返していたカエルうんぬんという言葉も止まっている。
今度はリプリィさんの方からキスを求められた。
俺はそれを拒まず応える。
「モーリスさん……」
「この前の船では本当に中途半端な答えしか返せなくてごめん。だから、今度こそ俺の本当の気持ちを聞いて欲しい」
リプリィさんはしばらく無言で震えていたが、やがて首を縦に振った。
「俺はあなたの気持ちには応えられません。まだこれが恋なのかは分からないけど、他に守りたい、守らないといけない人がいます」
「……それはエリスさんですか?」
合っているが、この点だけは修正しておかないといけないだろう。
「いいえ、それはこの世界へ来た時にどこの誰だか知らない誰かに与えられた嘘の名前です。俺が守りたい人の本当の名前は赤土恵理子です」
「エリ……子さん」
「それに、結依のこともやっぱり忘れられません。だから、結依が生きていた元の世界、日本に戻って、結依の生きていた証を探さないといけないんです」
ここで一度言葉を切った。
一度自分の気持ちを整理した上で、はっきりと言葉にする。
「俺は日本へ帰ります。この世界に残ることはできません」
いつの間にか涙が流れていた。
リプリィさんも俺と同じように涙を流している。
どうして俺と彼女は同じ世界の住人ではなかったのだろう。
どうして俺と恵理子はリプリィさんより先に出会ってしまったのだろう。
残念だけど、俺にはこの世界には残れない。
そしてリプリィさんも大切だけど、それ以上に大切な人がいる。
「俺の本当の名前も覚えておいてもらえると嬉しいです。俺の名前は小森裕和です。昔はカズって呼ばれていました」
「ラヴィさんがモリ君と呼ぶのはそういうことなんですね」
リプリィさんは少しだが笑みを見せた。
「ラビさんは結依の声に似ているから、小森くんと呼ぶのは止めてくれと言ったらモリ君になったんですよ」
「ラヴィさんが結依さんの生まれ変わりだったりしたら凄いですね」
「そんなわけはないですよ。あの人は――」
「――23歳のオッサンなんですよね、何度も聞きました」
ラビさんと結依は確かに似ている箇所などないはずなのに、たまにイメージが被る時がある。
だが、異世界転生など存在しないのだ。
同一人物のわけがない。
俺とリプリィさんはここで初めて笑った。
彼女との関係はこれで一区切りだ。
未練がないとは言えない。
だけど、俺とは文字通り「住む世界が違う」
この関係は決して埋められない。
それに……
「あの、ヒロカズさん。ところでここはどこなんでしょう?」
「えっ?」
「えっ?」
◆ ◆ ◆
私……エリスは目の前の敵、頭にイソギンチャクのようなものを乗せた謎の男を倒せずに苛立ちを募らせていた。
服の隙間には何かに切られただろう大きな傷が入っていた。
普通の人間なら、死んでいるようなひどい傷だ。
左腕も関節がない場所で不自然な方向に曲がっている。
ただ、身体がそのような状態なので、お世辞にも移動速度が速いわけじゃない。
一般人と比べると確かに素早いけど、普通に移動するだけで身体が左右にブレてバランスが悪いので、その身体能力を生かせていない。
だけど「それ」に対して攻撃が一切当たらない。
もう人間とは思えない見た目なので手加減をするつもりも、無意識に手加減するということは一切ない。
でも、いくらパンチやキックを繰り出しても、拳法の達人かの如く、巧みな回避方法で全ていなされてしまう。
同行していたリプリィさんの部下、サティンクさんによる射撃も同様だ。
柔軟性と体捌き。
不自然なくらい体を捻る奇妙な動きによって、ギリギリのところで直撃を避けられてしまう。
まるで宙をヒラヒラと舞う羽か紙切れをなかなか掴めないような感覚だった。
私が気にしていたのはそれだけじゃない。
身体が接触する度に、謎の男は小さなミミズのような何かを飛ばしてくることだ。
ミミズは身体に付着すると、そのまま皮膚の中に侵入しようとしてくる。
多分、これが寄生体なんだろう。
スキルを発動すれば、その光に焼かれて消える上に、摘まむと簡単に潰れて消える。
念のためサティンクさんに飛んでいく分も空中で掴み取って潰している。
今のところ影響はないけど、接触される度にそれなのでキリがない。
リプリィさんの部下の一人の軍人、サンクさんの方は先程、謎の男の蹴りをもろに受けた。
今は部屋の隅に退避している。
命に別状はないようだけど、ミミズのような物に侵入されている可能性は否定できない。
一度サティンクさんの近くまで下がった。
「さてどうします?」
「血が出るのならば倒せるはずだ」
「それは頼もしいことで」
血が出るなら倒せる理屈は分かる。
だけど、攻撃が当たらないことにはどうしようもない。
その時、遺跡の奥の方から足音が近付いてきた。
「すまない遅くなった。こっちは解決した」
足音の主はモリ君とリプリィさんの二人だった。
どうやらリプリィさんを正気に戻すことは成功したようだと安心した。
「何をすればいい?」
「相当素早いから動きを止めたい」
「分かった!」
モリ君が槍の先に横へ広く長い光の壁――プロテクションを展開したまま、謎の男に対して突撃を敢行した。
力任せ、脚力任せの単純な突撃だけど、面積が広い光の壁による面制圧からは体捌きで逃れることはできなかった。
謎の男は身体を捻った不自然な体勢のまま、遺跡の壁へと叩きつけられた。
そこに銃声が轟く。
サティンクさんが構えたライフル銃から発射された弾丸がようやく謎の男を捉えた。
装填して射撃。装填して射撃。
拘束されて動けない「それ」に対して10発近い銃弾が撃ち込まれたことにより、謎の男は体を何度か痙攣させた後に動かなくなった。
メダルは……出てこない。
「やったの?」
「多分……」
倒したけど、あまりにも異質な「それ」に対して近寄ろうとは思わない。
これの始末をどう付けるべきか。
思案しているところに、通路の奥から勢い良く箒に乗ったラビちゃんが飛び出してきた。
「みんな、遅くなった!」
帽子やローブのあちこちには大理石の壁で擦ったであろう白い粉が付いていた。
多分、よっぽど無理して箒で狭い通路を飛んできたんだろう。
「状況は? リプリィさんは? モリ君は? みんな無事か?」
「それなら今終わったところ。みんな無事だよ」
「えっ?」
◆ ◆ ◆
「寄生生物に寄生されている可能性があるのか?」
「こういう状態異常系は俺のヒールでは消せないようなので」
状況は聞かせてもらったが、なかなか面倒な事態になっている。
何かしらの生物による寄生。
病気になって倒れるだけならともかく、目の前にいる化け物と同じような変異をされて襲い掛かってこられても困る。
「事前に説明したとおり、俺の『収穫』を使う。これならば弱い生命体を霧化するから、体内に侵入した寄生生物だけを処理できるかもしれない」
「でも、それって一歩間違えると」
「その人間ごと霧化して消滅させる」
これが問題だ。
霧化はあの異常なまでの再生能力を持つ巨人ですら消滅させた、ある意味熱線よりも強力な攻撃だ。
カーターは概念攻撃と言っていた。
この収穫はあらゆる防御を貫通する。
マリアさんのバリアでも防げないかもしれない。
そして、範囲と対象を選ぶことができない。
魔女の呪いは発動した瞬間にこの世の全てが憎いと言わんばかりに射程内すべての生命体に対して攻撃を仕掛ける。
山の遺跡の泉の広場で使用した時は射程内にいた瀕死のエリちゃんもギリギリ対象外だった。
なので3羽使用なら大丈夫かもしれないが、試してみたところ「ダメでした」となればシャレでは済まない。
「射程内ギリギリに立ってもらって危ないようなら射程外に逃げてもらうとか? モリ君のヒール前提で」
「それが無難な落としどころか」
魔女の呪いの収穫に巻き込まないギリギリの位置に立ってもらって、能力を発動する。
まず最初に球体の頭部が破壊された謎の男の死体が霧化して消滅した。これは想定内。
一番弱いのは生命体よりも死体だからだ。
次に床のあちこちから霧が立ち上る。
床にも同様の寄生生物が潜伏していたのだろう。
想定外だがこれは良し。
続いてランボーとコマンドーの2人から少量の霧が立ち上る。
出血した血液なども霧化の対象ではあるが、それなりに寄生はされていたのだろう。
霧の発生が一度落ち着いたところで射程外に退避してもらう。
後で地上にいる教授やパタムンカさん。
そしてハセベさんたちにも同様の措置を施しておくべきだろう。
ひどかったのはリプリィさんだった。
まるで体が消滅でもするのかとばかりに全身から大量に霧が吹き出した。
慌ててモリ君が回復能力を使用するために近寄るが、そのモリ君の口からも霧が立ち上っている。
口だけというのが気になるが、そこらに生えている変なキノコでも食べたのだろうか?
「ラビさん、リプリィさんは大丈夫なんですか?」
「分からない。だけど臓器やあちこちまで侵食されているなら、駆除したらその分だけ臓器にダメージが入るはず。だからヒールで絶えず回復を!」
思っていたより事態は深刻だった。
リプリィさんが無事なうちに手を打てて良かったかもしれない。
戦闘に間に合わなかったのは遺憾だが、こうやって人助けに貢献できたのならば結果オーライと言えよう。
「ヒロカズさん、私……」
「大丈夫、俺が守るから」
……うん?
うん?
たった今、聞こえてはいけない言葉が聞こえてしまった。
昨日の船の件でリプリィさん失恋、モリ君は仕切り直し、エリちゃん勝利で、この人間関係は一段落ついたのではなかっただろうか?
なぜその話がいつの間にか再開して、しかも状況が悪化しているのか?
このわずかな時間に遺跡の中で何があったのか?
誰か俺に説明してほしい。
「ラビちゃん、私は何も出ないんだけど」
「出ないならひとまず退避。できるだけ距離を取って。なるべく距離多め。なるべく遠くへ」
「一歩下がるだけじゃダメ?」
「とりあえず遠くへ行ってもらえると助かる」
どうやらエリちゃんはセーフのようである。
距離を取って欲しいのは寄生生物の件でもそうだし、まだモリ君とリプリィさんの関係にも気付いていない点についてもだ。
せめてこの遺跡を脱出するまでは、少し距離を取ってもらうことにする。
しばらくリプリィさんの様子を観察していたところ、霧の発生は収まったようだ。
身体が霧化するようなことはないので、モリ君と一緒に下がってもらう。
モリ君より高性能の回復能力を持っているマリアさんに念のために治療してもらった方が良いだろう。
残る問題は、このチャージが完了していないので熱線化もせず、近づく生命体を無差別に食い荒らしにかかる危険物質である。
「それでカエルが呼んでいるとかいうのは?」
「まだ聞こえます。またいつ意識を引っ張られるかわかりません」
リプリィさんが辛そうに答えた。
傷はモリ君の回復能力である程度は癒えたようだが失われた体力までは戻らない。
俺には全く聞こえないのだが、ひとまず声の影響範囲外まで離脱して欲しいところだ。
「まずはクロウさんに報告。マリアさんの治療を受けてから仕切り直してきてくれ」
「ラビさんはどうするんですか?」
「仕方がないので、俺1人でこのまま遺跡の最深部に向かう」
俺は全員に呼びかけた。
若干ヤケクソ気味だが、一番効率が良いのはこれだ。
俺には理由は不明だが催眠術は通じない。
なので、どこに潜んでいるか分からない寄生生物を「収穫」で全て刈り取る。
安全が確認できた時点で、改めて攻略を再開する。
寄生生物だらけの危険な遺跡を突破するには、もうこれしかない。
こうしている今も、床や天井のあちこちから寄生体らしきものが消滅した黒い霧が立ち上っている。
ダニの時と同じで、注意だけで避けるのは無理だ。
「1人で大丈夫なんですか?」
「こいつを抱えているうちは並の相手なら消し飛ばせるから大丈夫。まずは俺が先行して、寄生生物を駆除する」
「分かりました。でも、他に罠があるかもしれませんし、リプリィさんを送り届けたらまた合流します」
「適当に距離を開けてついていくようにはするから」
本来ならば時間をかけて攻略するはずの遺跡を、俺1人で調査することになってしまった。
なぜこうなってしまったのか?
ここで愚痴っても仕方ない。
俺は箒の先にあらゆる生命体を食い尽くす危険物質を抱えたままで遺跡の奥へと進む。




