Chapter 1 「空の散歩」
「飽きた」
タウンティンを出港してわずか3日。
俺は既に交易船の狭い船室での生活に飽きていた。
交易船はあくまでも交易品を運ぶための船であって客船ではない。
船内には商会の人間が乗る個室の船室は用意されているが、便乗で交易船に乗り込んだ俺たちにはそのような環境の良い部屋は用意されていない。
州知事が特権で男女の船室を2部屋は用意したのだが、狭い船室に俺とエリちゃんとリプリィさんの3人。
そして、それなりに大きい旅の荷物が寿司詰め状態だ。
そう女子部屋だ。
女子部屋なのだ。
内鍵がかかる安全な部屋ではあるが、女子部屋だ。
初日こそは
「ラビちゃんは絶対見ないでね」
「配慮していただけるとありがたいです」
と着替えや、汗を拭いたりする際に、お互いの裸身を見ない、見られない配慮をしていた。
だが、2日目で面倒になり、お互いに下着が見えた、素肌が見えた程度では何も言わなくなった。
そして本日の3日目では換気の悪さによる蒸し暑さも相まって、3人とも下着姿でただベッドに腰をかけて、何をするでもなく、ただ虚空を見ていた。
日中は服を着ているが、夜は暑いしもう誰も来ないことが分かっているので服は脱ぐ。
初日は暇潰しのため、雑談に興じていた。
エリちゃんとリプリィさんによるモリ君がいかに素晴らしいかという、途轍もなくどうでもいい話。
料理のレシピ。
過去につらかった話、楽しかった思い出……それらについて語ったが、それも3日目の本日朝についに話題が尽きた。
女子校とはこういうものなのだろう。
もう誰が何をやっていても何も言わない。
他人が何をやろうと、何が見えようと何の感情も沸いてこない。
完全に虚無だ。
船内に娯楽施設などはなく、甲板に出て外の景色を見るくらいしかやることはないが、何もない太平洋の海のど真ん中の景色は1時間が限界だった。
食事は保存食が中心だ。
ジャガイモで作られたカピカピに乾燥した無味のピザのようなものを3日間、3食同じものを食べ続けている。
これは最終日まで同じらしい。
味は……まあ保存食ということでお察しだ。
顎は鍛えられるだろう。
そのため食事を楽しみにすることもできない。
「隣の男子部屋は何をやってんの?」
「さっきトイレへ行くついでに前を通ったんだけど、ドアが全開していて……」
「なんで?」
「暑くて蒸すから換気しているんだろう。それで、ちょっと覗いたら、モリ君とランボーとコマンドーがひたすら腹筋をする中で、カーターが頭を抱えてベッドの隅で丸まっていた」
「地獄かな?」
前を通っただけで、むせるような漢の臭いが漏れ出してきて、ただ辛かった。
もしパナマに着いた時、モリ君がムキムキマッチョマンになっていたら、俺たちはどうしたら良いのだろう。
「暇な時間を訓練に充てるなんてさすがです」とモリ君を絶賛しているのはリプリィさん。
リプリィさんが初対面の時と別人です。
なんとかしてください。
ああ、カーターは別にどうでもいいです。
エリちゃんの方も「裕和が頑張っているんだし私も頑張らないと」と上機嫌に言って、何やら張り切っている。
エリちゃんは真夜中に部屋を抜け出して、甲板で何かのトレーニングをやっているようだ。
だけど、その内容は俺には教えてくれない。
もし何をやっているのか分かれば、アドバイスもできるし、俺の暇つぶしにもなるのだが、どうやら秘密の特訓らしくて教えてくれない。
だけど、それは深夜になってからの話だ。
それ以外の時間は何をするでもなく、ただぼーっとしている時間が長い。
「他に何か娯楽とかないの?」
「船員たちは下の船室で何か娯楽をやっているらしいですが、この船に乗船している女性は私たち3人だけですので、もめ事は避けるべきかと」
リプリィさんが聞いただけでも嫌な話を説明してくれた。
「それはさすがに近寄らないのが正解だな」
おかしい。
環境の問題があるとはいえ、完全に女子に馴染みつつある。
そもそも下着姿の半裸女子2人の前で無反応のまま座っている今の状況がもうアウト中のアウトだ。
マッチョメンに染まりつつあるモリ君以上に俺の精神が危険だ。
何かしらのストレス解消策が必要だ。
服を着るのは面倒だったので、下着の上に直接ローブだけを羽織り、帽子と箒を掴んで船室のドアを開けた。
「ラビちゃんどこに行くの?」
「ちょっと散歩」
◆ ◆ ◆
夜の太平洋は現代の日本ではまず見られないような満天の星空が広がっていた。
星の光は真っ黒な海に反射して、どちらが海面で、どちらが空なのか分からない、そんな不思議な光景が広がっている。
まず、タウンティンで購入した騎竜用の左右一対の鐙を箒に括り付けてバランスを確認する。
「みんなには悪いけど、俺だけでもちょっとストレス解消をさせてもらうよ……浮遊」
ふわりと箒が浮き上がった。
鐙は州知事が騎竜に騎乗している際に使用していたものと同じものだ。
これならば体重は鐙に乗せている足だけにかかるので、箒が食い込む痛みを解消できる。
革紐と足を乗せるための金具というシンプルな構成なので、これならば使わないときは巻き付けておけば、箒を杖として使う際にも邪魔にならない。
空を飛ぶのは、慣れるまでは難しいだろうが、自由に乗りこなせるようになれば、これからの調査や旅では大きな武器になる。
今のうちに乗りこなせるようになっておきたい。
鐙に足をかけて左右のバランスを取る。
足だけではバランスが悪いので、膝と太ももで箒を挟み込む。
バイクでいうところのニーグリップで姿勢を安定させる。
交易船の甲板から浮上する。
思えばランクアップ後の箒での飛行は初めてだ。
船の上空を旋回しながら移動速度と操作性などを確認する。
鐙の右足を強く踏めば箒は右方向に傾き、そのまま右に旋回。
左だと逆。
これも完全にバイク感覚で操縦できる。
「この船はだいたい15ノット、時速30キロってところだから、それ以上の速度で飛べば、少し離れても戻ってこれるな」
鳥を5羽召喚して、それから発せられる青白い光を頼りに俺は漆黒の太平洋の大海原に飛び出した。
眼下に浮かぶ交易船は蒸気エンジンが発電する電力によってライトで進行方向を照らしていた。
真っ暗な海の中で、唯一光を放つそれは、遮蔽物がない洋上では距離が離れたとしてもかなり目立つ。
帰還先を見失うということはないだろう。
それでもあまり離れすぎてもいけない。
交易船のライトが灯台のように視界に入る範囲内での飛行テストを行う。
潮風で煽られて少しバランスを崩すが、なんとか立て直した。
いざ実戦となった時に、強風なので飛べませんなどとは言っていられない。
どんな環境でも安定して飛行できるようにならないといけない。
今の飛行はその訓練も兼ねている。
箒の速度は念じればどんどんと加速していく。
ランクアップ前とは比べ物にならない速さと安定感だ。
箒の穂先からはエンジンの排気ガスのように虹色の光が吹き出しており、それが漆黒の空に光の軌跡を残している。
巨人戦で使用した飛行機のエンジン付きの特製箒に比べれば劣るものの、それでも体感で時速80キロは出ているだろうか。
遺跡で出現したワイバーンがもしここに出現したとしても、この速度と機動性さえあれば、空中戦で圧倒できるだろう。
ローブの裾と帽子が千切れそうなくらい風圧でバタバタと暴れている。
これ以上の速度で飛び回るにはさすがにゴーグルのような風防が必要だろう。
帽子だけで風を防ぐのは無理そうだ。
時速40キロ、スクーター程度に速度を落とす。
慣れてきたので宙返り、キリモミ飛行、天地逆転にもチャレンジしてみる。
様々な曲芸飛行を試していると、眼下の海には月明かりに照らされて回遊しているイルカの姿が見えた。
イルカも俺の姿に気付いたのか、キュキューという鳴き声で答えてくれたので、しばらく高度を落として波を切りながら併走して遊んだ。
「そろそろ1時間くらいか。さすがにこれが限度だな。せっかくだし土産を持って帰るか」
海面スレスレを飛び回り、適当なところで海中に3羽の鳥を突撃させた。
しばらく潜行させた後に盾を形成。
これまた適当なタイミングで海上に金魚掬いの要領でそのまま持ち上げると、目当ての物……十数匹の魚が盾の上でバタバタと飛び跳ねていた。
サイズはそこまで大きくはないが、脂がのっていて丸々と太っている。
何をどう調理しても旨そうだ。
「シマアジかその仲間かな? 焼いても干物にしても旨そうだが、新鮮だから寄生虫にさえ気を付ければ刺身でもいけそうだ」
腰の儀式用短剣を抜いて空中で頭を落として内臓を取り除く。
スキルこそ使えないが、刀を使いこなす技術自体は身に付いている。
こうして空中で魚を三枚に卸すという器用なこともできるようになったのは大きい。
内臓や血合いなど海水で洗浄していると、その匂いに惹かれたのか、先程並走して遊んでいたイルカが寄ってきていた。
「必要な魚は7匹だけだから、残りはやるぞ」
盾を解除して余った魚を海面に落とすと、イルカたちはそれらの魚を目掛けて群がっていった。
箒とスキルの練習をしつつ、ストレスの解消にもなった。
目的としては十分だろう。
そろそろ交易船に戻るか。
◆ ◆ ◆
「というわけで魚を獲ってきました。明日はこれを食べよう」
「えっと……何から突っ込んだらいいのか」
「そうですよ。船の場所が分からなくなったらどうするつもりだったんですか!」
正直に空の散歩の話をすると、エリちゃんとリプリィさんに怒られてしまった。
「いや、鳥を真上に高く飛ばせば船の位置くらいわかるから……」
「それでも1人でまっ暗闇の中を飛んでいくのは危険すぎるでしょ!」
エリちゃんやリプリィさんが俺を心配する気持ちも分かる。
だが、飛行能力の訓練は、今のうちの暇な時間しかできない。
海に出るのはなしにしても、甲板の上での曲芸飛行は続けて、乗りこなせるようにはしておきたい。
「それに、船室で干物なんて焼いたら船中に臭いが広がってひんしゅくものだと思うんだけど」
「あっ」
臭いのことは全く考えていなかった。
つまり、これは臭いを出さない調理方法で食べる必要があるのか。
◆ ◆ ◆
「カーターいるか! お前酒を持ってただろう!」
「うわぁ、いきなり入ってくるな! お前はおかんかよ!」
男部屋を開けるとカーターがベッドの上で飛び上がって驚いていた。
換気されずに濃縮された強烈な汗と漢臭い臭いが鼻に流れてきて頭がクラクラしてくるが、それは今は良い。
「いやなら鍵をかけてくれ。船室は内鍵がかかるだろう」
「なるべく扉は開けておきたいんだよ。換気がちょっと……」
「まあ、ラビさんはお母さんって感じですよね」
「はいはい、ママンがカーター君の持ってる酒を貰いに来ましたよ」
せっかくなのでモリ君のボケに応えることにした。
俺はおかんだ。
「いや、これはオレが飲む酒だから、いくらママンが相手でも渡す気はないぞ」
「新鮮な魚料理が食べられると言っても? それに使うと言っても隠し味に使う小さじ一杯だけだ」
俺が三枚に下した新鮮なアジを見せると、カーターの目の色が変わった。
「あのパッサパサのイモピザ以外の物を食えるのか? それなら出すぞ」
「よし、今から準備するから待ってろ」
俺はカーターから酒瓶を受け取ると船の調理場に走った。
調理室は船のボイラーの熱を利用した火を使わない調理場だ。
真水は節約のために使用は禁じられているが、簡単な蒸し料理などは作ることができる。
タウンティンで出発前に購入した鍋にカーターから借りた酒を少し入れた。
匂いだけでも酸味が強いのが分かる、白く濁った酒だ。
まずは鍋で温めてアルコール分を飛ばすと、良い香りが漂ってきた。
料理に使えば日本酒や洋酒とはまた違うスープになりそうだが、今回使うのは香りのみだ。
まず、魚を包丁でひたすら叩いて細切れにする。
そこに香辛料……唐辛子とパクチーっぽい乾燥した謎の香草を加えて混ぜ合わせて団子状にする。
乾燥豆も入れたいところだが、戻すための水がない。海水で戻すと塩辛くなりすぎるので断念だ。
団子にアルコール分を抜いた酒を混ぜ合わせる。
海水を温めて、煮立ったところで団子を投入。
ひと煮立ちさせて、団子が白くなれば完成。
煮込みすぎると塩味が染み込み辛くなりすぎるので火を止める時間がポイントだ。
男子部屋のモリ君、カーター、ランボーとコマンドー。
女子部屋のエリちゃんとリプリィさんを呼んで、完成した料理を披露した。
「これは、つみれ汁か?」
「昔に食べたことがある漁師料理を再現してみた。汁は煮詰めた海水そのままで、塩分過多なので辛いから飲むなよ。汁を切って団子だけを食べるんだ」
「見た目だけなら出汁も美味そうなのにな」
せっかくなのでランボーとコマンドーも含めた7人全員が食べられるようにしてみた。
「なかなかいけるな。日本でも南米でもなく、ベトナムかフィリピン料理かって感じの味だが」
「臭い消しに使った葉っぱがパクチーっぽいし、下味の酒の酸味が強めだったからまあそうなるな。ここから日本料理に近づけるにはやっぱり味噌か醤油が要る」
調味料に関しては課題があるだろう。
ただ、この先のルートは南米、中米、北米。
トウガラシは原産国である南米だけあって赤、青、黄と日本ではあまり見ることがない多彩な種類が手に入った。
だが、日本料理っぽくするための味噌や醤油などの調味料が手に入る見込みはない。
カーターが持っていた「チチャ」という酒は、酸味が強いので酢やみりん代わりには使えそうではあるが。
「たくさん作ったから、これをイモピザに乗せれば、味変ができるからまあ食えるだろう」
「でも、なんでこんな調理ができるんだ? 元は料理人か何か?」
「友人が頻繁に金がないと言って俺の部屋に転がり込んできて泊まっていくし、飯を作れと暴れるので、そのリクエストに応えていたら覚えたんだよ」
俺も高校時代は料理などできなかった。
貧乏大学生時代に一人暮らしで自炊を覚える必要があったのと、生活力が低すぎて、放置すると餓死しそうな友人に飯を食わせる必要があったからだ。
「嫌な友人だなそれ。そいつの言うことを聞いて料理を作ったり一緒に寝たり、ホモかよ」
「いやホモではないぞ。そいつ女だし」
「なんだそれなら別におかしくないな」
しばしの沈黙。
「いやちょっと待ってラビちゃん、それ全然聞いてない!」
何やら慌てふためいて詰め寄ってきたエリちゃんに俺は冷静に答えた。
「そりゃ言ってないからな」
「一緒の部屋で寝てたとか、飯を毎日食べさせてたとか言ってましたけど、おかしいですよその距離感」
「おかしくないぞ。別にあいつはそういう奴だし、俺も気にしないから」
いや何がおかしいのだろう?
あいつは三次元に興味がないオタク。
俺もリアル女性に手を出す気はしないヘタレ。
それで何も関係など進展するわけがない。
そもそも、俺とあいつはそういう関係じゃない。
もっと、別のもので繋がっている……そういう関係だ。
「ラビちゃん、部屋に戻ってコイバナしましょう。主にその話について」
「私も聞きたいです、その話」
エリちゃんとリプリィさんが何やら物凄い勢いで食いついてきた。
本当に女子は恋バナが好きだな。
まあ要望があるというならそれくらい暇つぶしに良いだろう。
「別に面白い話じゃないよ。俺と友人君の馴れ初めから召喚されるまでの……日本中どこにでもいる一般人の……つまらない話だ」




