ベイリーとソフィアの隠しごと 1
〜登場人物〜
ソフィア……昔から屋敷で働く真面目なメイド
ベイリー……昔から屋敷で働く魔女メイド
「すいません、ベイリーさん、少しお話があるのでわたしのお部屋に来てもらえませんか?」
カロリーナの部屋を出て、1階に降りてきたベイリーに、ソフィアが声をかけた。
「いいわよ。でも、ソフィアからお話なんて珍しいわね。何か楽しいお話でもしてもらえるのかしら?」
ふざけた調子のベイリーに苛立って、ソフィアが静かに怒りを込めた声を出す。
「あなた、それ本気で言ってるのですか?」
「……まさか」
ソフィアは普段犬猿の仲であるベイリーに声をかけて、部屋に入るように指示をした。本当なら自分の部屋にベイリーを呼ぶなんて絶対に嫌なのだけれど、今はそんなことを言っている場合ではない。さすがに昨日のカロリーナの姿を見たら、我慢なんてできなかった。
「まあ、お話がある、と言ったら語弊があるかもしれませんね。話なんてしたくないけれど、さすがに許せなかったから、話さざるを得ないというだけなので」
ソフィアがゆっくりと自室のドアを閉めながら言う。
綺麗に整頓された部屋の壁には映写機で写したように大きな写真が貼り付けてあった。パトリシアお嬢様、レジーナお嬢様、アリシアお嬢様、ソフィア、エミリア、そしてベイリーの6人で一緒に撮った写真。多分5、6年ほど前、まだみんな元の大きさで、そしてとても仲睦まじい様子だった。
このすぐ後から関係が崩壊していくことを知ったうえで見る微笑ましい様子は、ただ辛かった。それでも、この頃の思い出は何よりも大切にしておきたいから、貼りっぱなしにしているのだ。
「わたしはこの写真嫌いだわ。みんなバラバラになっちゃうのに、趣味が悪い」
ベイリーが壁の写真をチラリと見ながら呟く。
「私も嫌いです。あなたの横にいるのに、こんなにも笑顔の自分を見るなんて、嫌ですから」
「じゃあどうして飾っているのかしら?」
「さあ、知りませんね」
ソフィアは無理やり話を終わらせて、メガネの位置を人差し指で押し上げてから、ベイリーの方を見上げた。小柄なソフィアは、ベイリーと普通に話すだけで上目遣いのようになる。
「私がどうしてこの部屋にあなたを呼んだのかはわかりますよね?」
「わたしはエスパーでは無いから残念ながらわからないわ」
とぼけたように微笑んだベイリーを見て、ソフィアが奥歯をぎゅっと噛み締めた。そして、躊躇いなく大きく振り上げた右手のひらをベイリーの頬に叩きつけた。
「いきなり頬を引っ叩くなんて、メイドとして褒められた行為じゃないわね」
「こんなの昨日のカロリーナさんの痛みに比べてら、なんてことないですから」
「でも、今は彼女に痛みは何もないわよ。怪我も痛みもなかったことになったのだもの」
「あなたね……!」
冷静な口調のベイリーとは違い、ソフィアは息を荒げていた。
「あなた、昨日カロリーナさんに何をしたか、忘れたわけじゃ無いですよね?」
「あの子がわたしの姿を見たから仕方がなかったのよ。やりたくてやったわけじゃないわ。正当防衛よ」
「過剰防衛です! それに、カロリーナさんは別に意図的にあなたの秘密を覗こうとはしていないはずですよ!」
「意図的か故意かなんて関係ないわ。あの子は見てしまったの。だから、現実のものとして受け入れてはいけない。それだけよ」
ベイリーの答えを聞いて、ソフィアがギュッと唇を噛んだ。
昨日ソフィアが見たのは屋敷の外にやってきた、元の大きなサイズのベイリーの姿。部屋の窓から巨大な彼女の姿を見ることはそこまで珍しくはなかったけれど、昨日はいつもと様子が違った。
手のひらの上にソッと抱えられている人物の姿を見て、叫び声をあげそうになった。実際に叫んでしまったら、みんながソフィアの部屋にやってくるかもしれないから、口に手を押し込むように当てて、必死に声を殺したのだった。
慌てて外にやってきたソフィアを見て、ベイリーが困ったように伝える。
「その大きさで見たら、少しショッキングかもしれないわよ?」
「ショッキングって……」
ベイリーの手の隙間から血が溢れて、ポタポタと赤い液体が落ちていた。その手の上に乗っているカロリーナの姿を見て、ソフィアは胃液を吐き出しそうになった。
「カ、カロリーナに何したのよ!」
「何もしていない、そういうことにするの」
カロリーナを机の上に置いてから、ベイリーは淡々と作業を始める。手のひらをソッと乗せて、口の中で小さく呪文を唱えると、あっという間にカロリーナは無傷の状態に戻った。本当に、何事もなかったかのように、元の姿に戻る。昔は応急手当的にしか治癒の魔法を使えなかったベイリーは、今は完璧に手当をすることができていた。
「気を失わせないと、夢として処理するのに不都合だったのよ。酷いことはしてしまったけれど、一応叩きつける時には重力操作をしてダメージは最低限にまで軽減したし、踏みつけは寸前でわたしの体を宙に浮かせて実際には踏まないようにした。多少の怪我はさせてしまったけれど、これくらいの怪我なら簡単に治せるし」
元の手のひらサイズに戻ろうとしたベイリーに向かって、ソフィアが大きな声を出した。
「今は戻らないで!」
「え……?」
ベイリーが困ったように首を傾げた。
「私、今あなたにとっても腹が立っていますから」
ソフィアが、カロリーナのことをそっと抱きしめてから、小さな体で引きずるようにしておんぶをする。
「今あなたが大きくて、私の力じゃ敵わないような姿でいてくれないと、あなたに何をするかわかりませんから」
ソフィアがベイリーに背中を向けながら言うと、「わかったわ……」と静かな声が聞こえてきた。
ベイリーはそれから何も言わずにドールハウスサイズのメイド屋敷からは離れて、アリシアお嬢様の部屋の外に出ていったのだった。それが昨日の出来事。