1.彼女の人生
王都ペッカータのとある宿の一室。
ベットの他にはいくつかの家具しか置いていない簡素な部屋の一室で、1人の少女がため息をついていた。
名をアルトゥ・プリンシパルというこの少女は、汚れが目立つ姿見に映る自らの顔を見つめ呟く。
「私、本当に出来るのかな……」
そう言って少女はまた、胸に詰まったものを吐き出すかのように重い溜息をついた。
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彼女が憂鬱な気分でいるのには訳がある。
王国の南に位置する街、その街にある孤児院で育ったアルトゥは今年で16歳を迎える。
16歳ともなれば仕事に就くのにも十分な年齢だ、アルトゥもそろそろ孤児院を出て独り立ちする時が近づいていた。
そんな時に近くに住む老夫婦から自分たちの店で働かないかと声を掛けられた。
小さな料理店を営んでいる夫婦は昔からアルトゥの事を実の孫の様に可愛がってくれていた。
彼女自身もそんな二人の事が好きでよく店を手伝っており、誘われた時には嬉しくて涙を流して喜んだ。
しかしその日の夜ことだ、なかなか寝付けなかった彼女はほんの気まぐれでに夜風に当たる為に外に出た。
冷たい夜風に当たりながら、散りばめられた宝石のような星空を見上げる。
そのまましばらく眺めていたアルトゥだったが、やがて孤児院の近くにある教会から誰かの話声が聞こえてくるのに気が付いた。
耳を澄ませるとその声が孤児院の管理者でもある教会の神父とシスターであることに気が付いた。
こんな夜更け、いつもならとっくに寝ているはずの二人が起きていることに違和感を覚え、彼女は教会へとこっそりと近づいていく。
大方、昼間にカイルとヴィヴィがシスターの下着を使って遊んでいたことでも神父さんに愚痴ってるのだろう、そんな軽い気持ちで盗み聞きをしたアルトゥだったが彼女の甘い予想は辛い現実にすぐに押しつぶされることになった。
孤児院を経営していくための資金がない。
簡潔ながら重大な問題だった。
孤児は減りはしない、それどころかアルトゥが来た時よりも人数でいえば増えているだろう。
もちろん、寄付金をくれる者や職に就き孤児院を出た者たちからの仕送りもあるのだが、それでも賄えないほどの資金不足に陥っているのだ。
入り口の影から見える二人は肩を落としていて小さく見える。
だがそれでも二人の口から孤児院を閉めるという言葉は聞こえてこない。
どうにかして続けていけないかと真剣に、必死に考えているのだ。
アルトゥは目から、そして心から零れてくるものを抑えることが出来なくなる。
孤児達の為に、二人の為に自分は何が出来るのか。
そう考えた彼女の身体は自然と動いていた。
涙を拭い、二人の前に姿を現してからまっすぐにその顔を見てこう言った。
――私が何とかして見せる。
自らが孤児院を救って見せると宣言した翌日から、彼女は準備に取り掛かった。
私たちに任せなさいという神父達を説得し、店で働く約束をしていた老夫婦に断りを入れ、王都へ向かう為に荷物をまとめる。
そう、王都に向かう。
これがアルトゥが出した結論だった。
アルトゥの住む街もそれなりに大きくはあるが、王都であるペッカータに比べれば大きさ、貿易の盛んさ、その他何を比べても負けてしまう。
逆に言えばペッカータはそれだけ大きな街であり、お金の額も手段も豊富にあるのだ。
具体的に何が出来るかはわからない。
もしかしたら老夫婦の元で店を手伝った方が確実にお金は集まるのかもしれない。
だがこれからも孤児は増えていくのかもしれない、それにアルトゥの仕送りが増えれば増えるほど兄弟たちにおもちゃや服などを買い与えてあげることが出来るのだ。
嬉しいことに老夫婦は、
『働きたくなったらいつでもきなさい』
と、言ってくれた。
ならばと、元より内気な挑戦者として有名なアルトゥは当たって砕けろの精神でこうして王都へとやって来たのだ。
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「そうだ、私が皆を助けなきゃ。その為に王都まで来たんだから。だから……明日も……!」
街に残してきた家族の事を思い返して、アルトゥは再び決意を固めた。
鏡に映る彼女の顔に先ほどまでの暗いものはなく、覚悟の光が目に灯っている
「じゃあそろそろ寝ようか……んっ? 何だろうあれ……?」
アルトゥが鏡越しに目をしたのは奇怪な紋様の光だ。
鈍く光るそれはアルトゥの背後、丁度頭の横くらいに音もなく現れた。
不気味に思って、腰かけていた椅子から立ち上がってそちらの方に向き直る。
やはりそこには窓越しの景色と同じように、謎の円形の文字が浮かんでいた。
だが紋様はただ浮かんでいるだけで、それから変化は一切ない。
訳が分からないが取り敢えず危険は無いようだとアルトゥが警戒を緩めたその時、紋様から突如として何かが彼女目掛けて飛び出してきた。
アルトゥの目ではそれが青白い何かである事しか捉えられず、飛び出してきたそれを避けることは不可能だった
何かがその勢いのまま彼女に当たるが、まるで煙が当たったかのように衝撃はない。
部屋の中に目を向けてみても謎の物体はおろか先ほどまで確かにあったあの紋様すら嘘のように無くなっていた。
「何だったんだろう今の……?」
『取り敢えず移動は成功したみたいだな。身体の感覚もしっかりとある、天才だな俺は』
謎の声が聞こえてくる。
もう一度部屋の中を見回してみるがやっぱり変な物はない、ましてや声を上げるような人物はいなかった。
「疲れてるのかな、私。それとも……もしかして、幽霊……とか……?」
『ん、おかしいな。感覚はあるのに身体が思い通りに動かないぞ。というか何か勝手に動くし、それに妙に目線が低いよ――あれ……ない?』
一瞬、自分も頭の声もピタリと止まる。
最後の確認として今一度、鏡に向き直る。
『ぎゃああああああああ!』
「きゃああああああああ!!」
これが二人の数奇な運命の始まりだった。