第六章 第五話
別宅に帰ったラルヴァを待っていたのは、丸まった自室のベッドだった。
そこには当たり前のようにキリアが眠っているのだろう。
ベッドの周囲には当たり前のように脱ぎ散らかした侍女の服が山になっており……鉄の匂いが鼻を突く。
「……っ」
……鉄の匂いによってラルヴァの脳裏には、原形さえ留めていなかった忠臣ヴォルクスの無残な姿が浮かび上がってくる。
血と肉塊が周囲に飛び散る、あまりにも凄惨なその光景を思い出した瞬間、ラルヴァの手は……知らず知らずの内に腰元の剣へ手が伸びていた。
「っ」
……だが。
──そこで手が止まる。
まだ、未だに……ラルヴァにとって王位はそこまで大事なものだった。
少なくとも……自分の持つ中で最高の武器であるキリアを、怒りに任せて手放せない程度には。
「……おうじさま?」
「ああ、悪い。
起こしてしまったか?」
相変わらずの無邪気な声に、ラルヴァは自分の感情を全て押し殺すと、いつも通りの声を装って静かに話す。
「……おうじさま、おこってる?」
だけど、言葉の節々に何かを感じ取ったのだろうか?
毛布に包まったままのキリアはそんなことを聞いてくる。
「……いや、俺にはお前が必要だからな」
心の中を覗かれたようなキリアの言葉にラルヴァは動揺しながらも、それでも笑顔を取り繕うのを辞めない。
ただ、ゆっくりと……彼女が丸まっている毛布に手を当て、緩やかに撫でさする。
「……もうちょっとだ。
もう少しだけ、俺の為に働いてくれよ、キリア」
「うん。おうじさまのためなら、がんばる」
ラルヴァの言葉にキリアは頷いたようだった。
それを聞いてラルヴァは頷くと鞘ごと剣を外し、上着を脱いでキリアが丸まっているベッドに入る。
ベッドに入ったラルヴァに対し、下着姿のキリアが寄り添ってくる。
まるで自分だけでは生きられない子犬のように……僅かに震えながら。
「……どうした、何かあったのか?」
その様子に気付いたラルヴァは、それが寒さからの震えではないことに気付く。
キリアの体温は確かにラルヴァのソレよりは遥かに高いが、それはいつものことであり、彼女に熱がある様子はない。
大体、彼女が丸まっていたベッドは暖かく……外で眠るなら兎も角、ベッドの中で寒さを感じるような季節でもないのだ。
「……こわい」
「……は?」
ラルヴァは、自分の問いかけに返ってきたその返事の意味が、全く理解出来なかった。
何しろ、ラルヴァに今抱きついて震えている少女は……『鮮血』の二つ名を持つ殺人鬼である。
ランシア王国で五指に入ると言われていたダールトン男爵を傷一つなく屠り、二〇人を越える傭兵を蹴散らすような、そんな少女なのだ。
そんな少女が恐怖に震えているなんてこと、ラルヴァにとっては理解の範疇外でしかなかったのだ。
「はは、何をバカな……」
だからこそ、彼女の言葉を笑い飛ばそうと声を出し……その声を聞いても震えを止めないキリアを見て、ようやく彼女が本当に脅えているというのに気付く。
「……あ~。えっと」
ラルヴァは彼女を慰めようと口を開くが……何があったのかなんて聞きたくもないし、キリアの言語能力では聞いても分からない可能性が高かった。
だから、ラルヴァは……尋ねるのを辞めた。
「……大丈夫、大丈夫だ」
ただ、彼女を優しく抱きしめ、その頭や肩を優しく撫でながら、耳元でそう囁きかける。
……まるで、泣きじゃくる子供にするように。
何度も何度も何度も何度も。
「……すぅ」
そうしている内に、キリアは寝息を立て始める。
「ったく。幸せそうな寝顔をしやがって」
その寝顔を見た瞬間、ラルヴァの頬が自然と緩む。
さっきまでの無理矢理貼り付けたような笑みではなく、もっと普通の……自然の笑みが。
そして、自分のその感情に気付いた瞬間……ラルヴァは愕然と自分の顔に手を当てると……そのまま自分の正気を疑い始めた。
「……おいおい、情でも移ったのか?
この俺が、こんな殺人鬼に」
だからだろう。
ラルヴァが思わずそんなことを呟いていたのは。
そもそもラルヴァ王子にとって、キリアとは『ただの武器』に過ぎない筈だった。
──凄まじい切れ味の、彼のためだけの凶器。
だからこそ、彼はキリアを大事にしようとしていたし、王位を手に入れるためには必要と分かってい たから、自身の右腕とも言えるヴォルクス大臣を殺されても……彼女を手放す気にはなれなかったのだ。
キリアを大事にするのは王位を手に入れるためだけであり、王位を手に入れてしまえばこれほどの切れ味の凶器は捨てざるを得ない。
キリアという凶器はあまりにも切れ過ぎて、いずれ我が身を切り裂くのが目に見えているからだ。
少なくともラルヴァはそう計画していたし、表には出さないものの、キリアを切り捨てるタイミングまでしっかりと頭で思い描いていた。
「おいおい。
一体、俺は……どうしたってんだ」
なのに、今、キリアの幸せそうな寝顔を見た時、ラルヴァは……普通に笑っていたのだ。
いつも浮かべる笑みのような……誰かを惹き付けるための笑みでもなく、自信を見せ付けるための笑みでもなく、群集に愛想を振りまくための笑みでもなく……
……本当に、ただ自然と、笑うだけの笑みが、こぼれていたのだ。
「……ちっ。寝よ寝よ」
その意味を考えようとしたラルヴァだったが結局すぐに思考を放棄して、舌打ちを一つして毛布を被る。
今日も色々あり過ぎて彼は疲れていた。
だからなのだろう。
ラルヴァの思考回路が……冷静に考えると『あり得ない』筈の答えを導き出そうとしていたのは。
「……馬鹿馬鹿しい」
声を出すことでその答えを振り払ったラルヴァは、静かに目を閉じ……近くに感じる半裸の少女の体温を少しだけ意識しながら。
彼の意識は静かに闇の中に沈んでいったのである。




