第六章 第一話
ラルヴァ王子の別宅の一階は暫くの間、使い物にならなくなってしまった。
何しろ、文字通りの意味で死屍累々という有様なのだ。
死体を運び出す人手は幾らあっても足りず、絨毯は踏めば浮くほどに血を吸い、室内を漂う鉄の匂いが抜ける日は二度と来ないだろうという有様であった。
「ったく。暗殺者風情が……
良い迷惑だな、畜生」
暗殺者騒動で自分の生活を乱されるのを厭ったラルヴァは、二階の一室を自室と同じ間取りに変えさせ、そこを自分の部屋とした。
元来物臭なラルヴァは階段を上る手間を嫌っており、二階は滅多に使わなかったのだが……今回は状況が状況なだけに仕方ない。
流石に血まみれと化した一階の死体掃除、二階の部屋の清掃・家具の運び入れには幾人もの人を雇うこととなり、その際、キリアの存在を隠し通すのが困難になると予想された。
が……元々王都の路地裏で殺人鬼と呼ばれていたキリアは、どうやら隠れるのは得意のようで、特に問題は生じなかった。
そして、翌日の朝……
「……ラルヴァ、王子」
「ヴォルクス、済まんな。
……俺の力が足りなかった」
「いえ。王子には何一つ問題ありません」
娘の遺体を引き取りに来たヴォルクス大臣の顔は、全ての血色を失ったかのように真っ青になっていた。
商売の見返りとして娘を……レイシアをラルヴァに差し出した親とは言え、彼は彼なりに娘を溺愛していたのだろう。
少なくともこのランシア王国では「王族に嫁ぐ以上に幸せなことなどあり得ない」というのが世間一般の常識であり、ヴォルクスは彼なりにではあるが、金と権力を思うがままに行使して娘の幸せを必死に追い求めていたのだった。
勿論、ヴォルクス自身はとても潔癖とは言えず、娘を差し出したことで出来た王族との関係を仄めかして権力拡大や金儲けを実行していた訳ではあるが、そんな我欲まみれであったとしても、彼が娘を溺愛していたことに変わりはない。
強欲非道であっても身内には極悪ではなかったヴォルクスの見せるその表情に、ラルヴァも一瞬だけ顔を歪める。
……が、彼はやはり歯を食いしばってその感情に耐える。
彼自身の迂闊さがレイシアの死を招いたことを自覚し、自責の念に捉われていた彼は、娘の死を悼む父親に対して自分が何かを言う資格などないと思っていたのだ。
その王子の葛藤が分かっているヴォルクス大臣は……結局、王子には何も言わなかった。
ただ、泣きはらしたその赤い瞳がキリアを見た瞬間だけ、凄まじい殺意を放っていたのだが……自分の感情を押し殺すのに必死だったラルヴァはそれに気付かない。
「……では、私は娘の葬儀を手配いたしますので」
「……ああ。頼む」
ヴォルクス大臣の言葉に、ラルヴァは珍しく頭を下げる。
王族である彼が頭を下げる行為がどういうものか、それを十分に理解した上でのラルヴァ王子のその行動。
ヴォルクスとしてはそれだけで十分……娘が王子と上手くやっていたと思え、ふっと笑みを零すと、娘の遺体を載せた馬車に乗る。
……だけど。
「済みません、王子。
貴方の夢が潰えることになるかも知れません」
ヴォルクスはヴォルクスなりの思惑がある。
それが今、王子の思惑と衝突している。
彼はそれを知った上で……忠誠よりも自らの思惑を優先した。
「……早急に腕の立つ人間を手配しろ。
ああ、そうだ。レイシアの敵討ちだ。
金なんぞ幾ら使っても構わん」
ヴォルクスは部下にそう指示すると……窓の外に目を向ける。
だが、見ていたのは窓の外の景色などではない。
王都の街並みを眺めるのに、そんな殺意と憎悪で歪んだ瞳は必要ないのだから。
「……見ていろ、『鮮血』のキリアめ」
ヴォルクスはそう呟いて……彼を載せた馬車は王都を走り続けたのである。
「これで、七箇所目。何と酷い状態だ」
バルデス将軍は治安維持部隊を指揮しながら、その錬度の低さにため息を吐かざるを得ない。
何しろ彼が指揮しただけで、その日の午前中には既に七箇所、異国の暗殺者の活動拠点が発見され、内部の人間が全て捕縛されているのだ。
尤も、バルデスは軍を統括する身であり、治安維持部隊に関しては直接の指揮権はない。
つまり、現在彼が行っている行動は越権行為である。
だが、ラルヴァ王子直々に頼まれた以上、彼は二度と王都内での暗殺者騒ぎを起こすつもりはなかった。
(しかし、妙だな……)
順調に行き過ぎているその治安維持活動に、バルデスは僅かに首を傾げざるを得ない。
何しろ、幾ら指揮官が変わったからと言っても……順調に行き過ぎているのだ。
これでは、まるで……
「……流石は、バルデス将軍」
「これは、ラスカル王子に……カール副長」
と、バルデスがそこまで考えた時だった。
ラルヴァの弟であるラスカル王子と、カール治安維持部隊副長が彼の天幕に入ってきたのは。
「見事なお手並みですね。
私も素直に勉強したいと思います」
「……別に、この程度」
ラスカル王子が妙に謙遜しているのを見てバルデスは眉を顰める。
彼の記憶では、ラスカル王子というのは不正や規律違反を極端に嫌う傾向があるため……今、バルデスが行っているような越権行為は許せない性質だった筈だが。
「本来ならば将軍の行っていることは越権行為で許されないものです」
(……ほら、来た)
予想通りのラスカル王子の言葉に、引きつった笑みを浮かべるバルデス。
彼はラスカル王子のこういうところが我慢ならず……ラルヴァ王子の側についているのだ。
瞬き一つで命がなくなる戦場で、ルールや命令系統を守ることだけを絶対視していたら命が幾つあっても足りないだろう。
それを知っているからこそ、バルデス将軍は細かい規則よりも効率を重視する。
元々、抜け駆けや命令違反を繰り返しながらも己の剣力によって手柄を勝ち取り、地方の貧乏貴族という立場から将軍の地位まで上り詰めた人間だ。
効率の最重視が彼の生き様であり、だからこそラスカル王子派の連中と彼は馴染めない。
そういった事情もあり、彼はルールよりも手柄や能力を認めてくれるラルヴァ王子に付き従っているのである。
「貴方が兄上の想い人の敵討ちをしたい気持ちは分かります。
ですが、それでも治安維持に当たるべきは治安維持部隊であり……」
「あ~。了解しました」
ラスカル王子の聞くに堪えない決まりごとのお話を遮って、バルデスはその場を立ち去る。
正直な話、暗殺者たちの主要な拠点は押さえた筈で、彼がこれ以上治安維持部隊を指揮しても仕方ないのも事実である。
ただ、まぁ……その為にカール副長を追い出したのはちょっとやり過ぎたようだ。
権威には権威で対抗するとばかりに、カール副長はラスカル王子なんて御輿を引っ張り出してきた訳だし。
「ふん、殊勝なことだな、バルデス将軍」
「いえいえ。
ちょっと隊員を借りた程度すよ。
もう目的は果たせましたので」
カール副長の引きつった笑みに、余裕の笑みを返すバルデス。
……正直な話、二人は格が違いすぎていた。
カールは捜査能力に長けているとは言え、所詮はぬるい王都で犯罪者を相手にしていた治安維持部隊の副長に過ぎない。
だが、バルデスは何度も戦場を経験した歴戦の勇者であり、国防軍を統括する立場の将軍である。
「……くっ」
その格の違いは歴然であり……カールは悔しさに顔を歪めながらも、こうしてバルデスと視線が合うだけで萎縮してしまい何も言えなくなってしまう。
「では、私はこれで」
そうして格の違いを見せ付けたバルデスが、仕事を終えたとばかりに堂々と立ち去ろうとした、その時だった。
「……バルデス将軍、貴方は誰に仕えていますか?」
背後から、ラスカル王子のそんな言葉が投げかけられる。
「私は、国家と王家に忠実なだけでございます、王子」
ラスカル王子の問いかけに、バルデスはしれっとした声で模範解答を返す。
ただ、バルデスの顔からは、欠片もラスカル王子に対する敬意は窺えない。
少なくとも、バルデスにとって……目の前の王子は敬愛に値する存在ではなかったのだ。
それを瞬間で見抜いたのだろう。
「きさっ……っ」
ラスカル王子への忠誠心だけは高いカール副長が眉を吊り上げ、怒鳴りつけようと一歩前へ踏み出す。
だが、背中を向けながらも歴戦の勇者が放つ圧力は凄まじく、勢いに任せて口を開いたカールは、結局口を開閉するばかりで声が出せない。
ラスカル王子はそんなカール副長を片手で制しつつ、将軍に向けて口を開く。
「ならば結構です。
今後とも励んで欲しいものですね」
「……ええ。ランシア王国のために」
ラスカル王子の社交辞令としか思えない言葉に、バルデスも社交辞令を返す。
そのまま治安維持部隊から離れていくバルデスだったが……そうしている間も、彼の脳裏には疑念が一つ浮かび上がってくる。
(何故、こんなにも治安維持部隊は腑抜けている?)
……そう。
幾らバルデス将軍が有能でも、一晩も経たない内に制圧できるような敵のアジトである。
実際、治安維持部隊の人間は、既にその八箇所の暗殺者のアジトを発見していた。
だと言うのに……治安維持部隊は色々な言い訳を理由に、そのアジトへと踏み込んでいなかったのだ。
彼らも確かに隊長が死んだばかりで混乱し、次々に隊員が暗殺される日々に怖気づいていたとは言え……。
(やはり、おかしい)
その事実にバルデスは……一つの答えを出す。
つまり、ラルヴァ王子が異国の暗殺者を泳がせていたのと同様に……ラスカル王子の方も同じ考えを持って連中を泳がせていたという答えを。
「……まさか、な」
あの堅物で不正嫌いのラスカル王子が……しかも、王位が確実と言われているラスカル王子が、そんな危険な橋を渡る必要がない。
幾らなんでもその推理は無茶苦茶で意味がない……と、バルデスは頭を振ってその思考を切り捨てる。
恐らく……『鮮血』のキリアによる暗殺を彼らは異国の暗殺者の仕業だと思い込み、怖気づいていただけ、なのだろう。
……だけど、もし。
(もし、ラスカル王子の方こそ追い詰められているという確証があったのならば……全ての前提が狂ってくるのだが……)
バルデス将軍はそんなことを考えながら、返り血だらけになった服を着替えるために、王都内の彼の別宅の方へと向かっていたのだった。




