第五章 第二話
「……お前、絶対に嫌がらせだろ、これ?」
「何のことやら」
翌日。
王宮に出たラルヴァを待っていたのは、またしても書類の山だった。
本当ならばバルデス将軍かヴォルクス大臣と幾つかの案件を打ち合わせるために出てきた筈のラルヴァだったが、王宮入り口でアルス政務官に捕まったのだ。
「どうやれば、一日でこんなに溜まるんだよ?」
「それだけ、政治は大変ということです」
ラルヴァの殺意混じりの視線を受けても、半強制的に彼を執務室まで引っ張ってきたアルス政務官はしれっとそう答えるだけで、特に反応がない。
その無反応を見たラルヴァは舌打ちして……結局、色々なことを諦めて書類の山を切り崩しにかかる。
こういう細かい作業ははっきり言ってラルヴァにとっては苦手分野だし、面倒ごとは大嫌いなのだが、流石に自分までサボったらランシア王国が酷いことになるということくらいは分かっていた。
……政治も行政も謀略も、時間がどれだけ大事かを教え込まれていたからだ。
正直な話、彼が今まで政治に関わる一切から身を遠ざけていたのは、単に父親である国王と弟のラスカル王子に甘えていたのに過ぎないのを……実はラルヴァ自身が一番良く理解していた。
それでも彼が王位を欲しがるのは、単に弟であるラスカル王子より下位に立たされるのが癪であるという、彼自身の自尊心の所為である。
「……ちっ。こんなことなら、王位狙っても仕方ないかもな」
そんなことを愚痴りながらも、ラルヴァは書類を見、理解し、考え、指示を出し続ける。
結局、この執政で半日以上の時間を浪費してしまう。
それは、ラルヴァにとって最も重要だった時間を失うことになり……
ラルヴァ王子の別宅の、彼のベッドの上で寝転がっていたキリアは、近づいてくる気配に不意に目を開いて起き上がる。
「?」
基本的にキリアという少女は、近づいてくる人間の足音だけで、その相手が彼女にとってどういう存在かを判断する癖があった。
僅かな体重差や足に込められた力の入り具合によって異なる足音を聞けば、その相手が近づいてくる凡その感情が理解出来るからだ。
少なくとも今までのキリアの人生では、彼女の知る足音の種類は五つだった。
キリアに気付いて居ない普通の足音。キリアに怒りをぶつけてくる人間の足音。キリアを狙おうと気配を消して近づいてくる人間の足音。暗がりに脅えて自分の存在を隠そうとする不安そうな人間の足音。
そして、ラルヴァだけから放たれる、キリアに全く害意のない足音である。
勿論、靴の種類や相手の体重によっても音がそれぞれ異なるが、そこに込められている感情はほぼ同じで……だからこそ、それを感じ取れるキリアは誰かに不意を打たれることもなく、ランシア王国で殺人鬼として生き続けてこられたのだ。
特に軍靴の音や甲冑の音は敵に回ることが多いとか、そういう経験則もあったため、バルデス将軍が近づく度に彼女は警戒しているのだが。
「……?」
だけど、今彼女に向かってきている足音はそのどれとも違っていた。
怒りを発しているような強い足音だと言うのに、不安を隠せないような。この部屋に近づいてきているのが分かるのに、少しずつその威勢が弱まっているような。
ただ、キリアにとって敵に違いはない。だからこそ、キリアは短剣の柄に手を当てたまま、ベッドの片隅に身を隠す。
「ここね!」
ドアが威勢良く開かれ、赤いドレスを纏った女性がキリアの居る部屋に入ってきた。その女性は室内を睨みつける。
そして、キリアを見つけた瞬間。呆気に取られた顔をしたかと思うと……不意に自分が絶対的に優位に立ったという余裕の笑みを浮かべ……
「貴女が、あの方の新しい妾ですか?」
と、キリアに対して言い放ったのである。




