弐拾四巻
よく粘る。
これが率直な感想だった。
俺の一撃を防御したとはいえ、もろに喰らい立ち上がっただけでも称賛に値するのだが、その後も上手く立ち回り、ふらつく足で躱し続けている。
だが、それも最初と比べれば精彩を欠いている。
徐々にこちらの攻撃を躱すことが出来なくなり、躱すよりも受ける事が多くなってきている。だが、受けるだけだとただでは済まないのが俺の力だ。
糸屑の様に吹き飛んだ。だが、受け身を取る事で被害を最小限に抑えているようだ。
こ奴程の技量を持つ者が我が一族に居たのならば、勝つ事は出来ないだろう。
――恐ろしい。
天狗の俺にそう思わせるだけの技術があった。
何度も攻撃、躱し、受けを繰り返すうちに相手の動きがさらに洗練されてきた。
受けるだけでなく受け流しを繰り出してきたのだ。そこから繰り出される急所狙いの攻撃にはヒヤッとくるものがある。
鬱陶しい。
何よりあの目が一番鬱陶しい。
まだ、勝つ気でいるような決して諦めずに立ち向かう者の目だ。
そして、俺が忘れてしまった目でもある。
いつだろう?
いつ、あの想いを忘れてしまったのだろう。
かつての俺は天狗一族の中で最強となる事を目指し、ひたすら自分を苛め抜き鍛錬に明け暮れた。
いつからだろう?
高みを目指すことを諦め、歩みを止めてしまったのは。
なぜだ?
どうして、その足を止めた?
どうしたらこの猫のように自分を疑わずに歩み続けることが出来るのだろう?
分からない。が、しかし。分かりそうな。痒い所にあと少しで届くような気分だった。
どうすれば届くかは分からない。
だから……、
殺すことに決めた。
我が血肉とすれば何かわかるかもしれない。
だから、これからは手を抜かず全力で相手をしよう。
小さき武人よ。
そして、死ぬがいい。
「【大地よ……】」
土属性の魔法を放とうと手を上にあげた時だった。
状況が一変した。
左の脇腹に何か温かいものを感じた。
不思議に思いそこを見る。
血だ。
血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血、血。
「ガアァァッ!」
これほどの痛みは味わう事はない。俺のような肉体を持つ者ならばなおさらだ。
同族の者の暴力にさらされようと生傷が増えるだけで深い傷を負う事はなかった。
だからこそ、この痛みは何だ? 何が起きた?
「誰がやったぁぁぁあっ!」
「俺だよ、くそ野郎」
声のする方を見ればぽっかりと空いた穴から一筋の光が差し込んでいた。
そして、崩れ落ちる土壁。
現れる声の主。
日差しをまともに浴び、その眩しさに顔をしかめた。
そこにいたのは一体の大きな狐だった。
まず最初に白く美しい毛に目がいく。次に先端を赤く染めた尾。一際赤くなっているものがある。あれで俺の腹を貫いたのだろう。顔に広がった迫力のある黒い模様。
そして、最も目を奪われたのは綺麗な金色の瞳だった。
「……美しい」
心の内か、もしくは声に出ていたのかもしれない。それが分からなくなる程の美しさを誇っていた。
だが、その想いも他でもない狐の咆哮によってかき消された。
びりびりと鼓膜を揺らし、その衝撃で吹き飛びそうになった。とっさに土壁を盾代わりに出現させて耐えた。
「よくも、鈴を傷つけてくれたな。ただで済むと思うなぁっ!」
静かに発せられる殺気。その冷たさは身を切り裂いた。いや、比喩ではなくその通りの事が起きた。
言葉を発しただけで俺の身体を切り裂く目の前の狐、いや、敵に恐れおののいた。
遅れながらもやっとここで目の前の狐が敵なのだと、俺は傷つけてはいけない者を傷つけてしまったのだと自覚した。
「クッ! 化け狐がっ!」
腹の傷は塞がってはいるがいつ開くとも分からない状態で全力を出すのは仕方ない。出さなければこちらが死ぬだけだ。
「【大地よ、彼の者を地に縛れ(グラン・ダウン)】」
一刻も早く逃げたかった。恐ろしくて堪らなかった。だから、先ほど止めを刺すために使おうとした魔法を足止めに使った。
この魔法は大地を揺らし、それにより地面に縛り付けるというものだ。相手の身体の一部分が地面に触れいなければ効果が無いが、この場合は関係ない。
だが、それはいとも簡単に防がれた。
最初の咆哮だ。それにより揺れと衝撃波で相殺し、高速で六本の尾が迫ってきた。
小細工無し一直線に伸びる尾。その速度は猫の全力を超え、同族の者の飛行速度すらも超えた。
【見切り】を使い辛うじて捉える事に成功するが、肝心の身体がついていかない。動かそうにも遅すぎて防御に間に合わないのだ。
せめて、魔力を練り上げ、間に土壁を作るが突破してその勢いは止まらなかった。
ドス、ドス、ドス、ドス、ドス、ドス、ドスッ!
寸分違わず、放たれたそれは俺の身体を貫き、大地に突き刺さった。
「くそっ……最強になりたかった……」
思わず漏れた本心。それを最後に意識は闇に沈んだ。
「さて、帰るか」
尻尾を天狗から抜き、血を落とすと鈴に声をかけた。
「待って、ここに置いていったら、その天狗死んじゃうよ?」
帰ってきた答えは俺の予想を裏切った。
「ああ、そうだな。だが、当然だろ?」
因果応報。それに尽きる。こいつは鈴を傷つけた。それが死とは少々重い気がするがな。まあ、友人と赤の他人を秤にかければ、友人に傾くのは当然だろう。
「放っておけばいいじゃないか。それよりも、鈴、お前の方が心配だ」
「違うよ、小次郎。同じ妖怪なのに殺しちゃっていいの?」
言われて気付く。こちらの倫理観は相手が妖怪かどうかという事なのだと。考えてみればそうだ。俺は頼る人がいなくて師匠に頼った。次に師匠から紹介された妖怪。そう妖怪なのだ。
元の世界で人を殺してはいけない様に、こちらでは妖怪を殺してはいけないのだ。
「でも、こいつは鈴を殺そうとしたじゃないか。なら、殺しても……」
「違う。鈴は小次郎に妖怪殺しになって欲しくないの。この人は殺してきたかもしれないけど、小次郎には同じ事をして欲しくないよ!」
ああ、そういう事か。鈴は俺の為に、俺は鈴の為に。それに気付くのに時間がかかったのは未だに自分自身の事を人間だと思っているせいなのかもしれないな。もう、人とはかけ離れた姿をしているのに。
「分かった。鈴と一緒に養成所に連れていこう。だけど、俺は鈴を助けたかったんだ」
「分かってるよ。それはとても嬉しい。だって、小次郎は鈴が呼んだんだしね」
その通りだ。風に運ばれてきた鈴の血の臭いは作業を終えた俺をここへ導いた。
鈴と天狗を背中に乗せると里へと戻った。
「どうだ?」
養成所の治療室から出てきた寧々に話しかけた。鈴にああいう風に言われた以上はちゃんと助けなければならない。帰途に就く間に【付与術】を使って治療を試みたが、何せ出血量が酷いのでどうなるか分からなかった。
「まあ、大丈夫でしょ。私の腕とあの天狗の体力さえあれば――」
やれ血が大量に吹き出すものだから治療するのが大変だったとか、やれ私以外の人が治療してたら助けられなかったとか愚痴二割、自慢八割の話しをしてきたので華麗に流す。
だが、これで鈴の忌避する妖怪殺しにはならずに済みそうだ。
倫理、道徳か。今まで考えたことが無かったが、今の俺はあの天狗の言うとおり化け狐のわけだし考えないとな。
ちなみに鈴は比較的軽症で済んでいるので治療は終わり今は俺の背中の上で寝ている。涎を垂らすなよ?
「まあ、ありがとな。もう入って大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。じゃあね」
言いたいことを言って満足した寧々は去って行った。
入ると、横たわる天狗がいた。
まだ、目を覚ます事はない。
改めて感じるのは妖怪と人間の違いだ。
あの出血量からして、人ならば助からない。
だが、この天狗は生きている。おそらくだが、俺も同じような状況に陥ったならば生き残る自信がある。やはり、人外へとなってしまったのだろう。
それにこいつが眠る布団は大きい。更には俺が入って窮屈な思いをしないくらいこの治療室は広い。
それは人を相手にというよりもどんな妖怪でも治療できるようにという事なのだろう。
「こんなことにも気づいていなかったなんてな」
自嘲気味の笑いが漏れる。
「ま、なんにしろ。身から出た錆、自分で蒔いた種だ。目が覚めるまで待ってるか」
そう決めるとまだまだ時間がかかりそうなのでそっと目を閉じた。
ガッシャーン! キャー!
そんなけたたましい音で目が覚めた。
「何だよ。うるさいな」
「起きたんなら手伝いなさい!」
苛立った声がかかる。寝起きにそんな声を聴いていささか不快な気分になりムッとした。
「うっさいなぁ。もうちょっと寝る」
「ごめんよ、小次郎。少し手伝ってくれるかな?」
少し困ったようなそれでいて優しげな声は……時宗か?
「……!? どうやら手伝った方がよさそうだな」
「何で時宗様には素直に従うのよ。いらつくわね。アンタが連れてきたんだから、さっさとしなさい」
苛立ちを隠そうともしない声の主は寧々だ。いつもなら文句の一つでも返してやるのだが、今はそんなことを言っている暇はないようだ。
事態は混迷を極めていた。
医療用の道具は辺りに散らばり、気を失って倒れている者もいる。
そして、何よりも際立って異常なのがおそらくこの問題を引き起こしたであろう奴だ。
ここに運ばれた天狗は俺が眠っている間に目を覚まし、何かの拍子で暴れだしたのだろう。
体からは動いたせいで少なくない量の血が流れている。
「はぁ、まったく……」
まあ、眠気覚ましくらいにはなるか。
『みんな退いてろ』
新たに覚えたスキル【威圧】に、加えて【咆哮・衝】も使い、黙らせる。
どうやら素直に下がってくれるようだ。
誰かが唾を呑む音が聞こえた。
ある者は腰を抜かして、その場に座り込んでいる者もいた。
少し力加減を間違えたかもしれない。
「何で暴れてるんだお前は? 傷が開いているじゃないか」
俺をじっと見る天狗に語りかける。話をする余地はあるらしい。
「そんな事はどうでもいいっ! 質問に答えろっ!」
余程頭に血が上っているようだ。下手に刺激を与えない方がいいだろう。とは言え、その状態で闘えば、俺が勝つのは明白だがな。
とりあえず了承の意を頷く事で示す。
「ここはどこだ?」
「養成所の中の治療室だよ」
見て分かるだろうに。そして、お前がこれだけ散らかしたんだ後でちゃんと治せよという言葉をグッと堪える。
「なぜ、俺はここに居る?」
「そりゃあ。俺が連れてきたからだよ」
まあ、渋々だがな。鈴に頼まれて仕方なくだ。とするとこいつの命の恩人は鈴になるのか。
「――ッ!」
強く唇を噛み締めているようだ。口からも血が流れ出した。
「情けでもかけたつもりかっ! 俺は……俺は! そこまで弱くはないっ!」
ダメだ。なぜかは分からないが人の話を聞けるような状態じゃない。それにこいつの言い分を聞いているとまるで生きたくなどないと言っているように聞こえる。
段々と俺の中で怒りの火が灯り始めているのを感じた。
「じゃあ、あれか。お前はあのまま死にたかったのか?」
「そうだ! こうして生き恥を晒す位なら死んだ方がましだ!」
胸の火は今や完全に燃え上っている。だが、不思議と落ちついていた。
「なぜだ?」
「そんな事……決まっているだろう! 我が天狗一族だからだ! 負けて生き恥を晒すなど死んだも同然! なぜ、殺さなかった!」
「理由があるのかと思えば、そんな事か」
「そんな事だと……?」
こいつの一族云々の話だが、正直分からない。何しろその天狗一族に対しての情報が少なすぎるからだ。
だが、身近な物で例えられそうな気がする。
これも元の世界の言葉だが、
『武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり』
これは潔く死ぬ事を美徳とする意味ではないのだ。
死に物狂いで事に当たれ、決して言い訳や犬死のために使われる言葉ではないのだ。
この場合、この天狗は何かから逃げいている、目を背けているように見える。
なぜ、そう思うかって? 理由はあの様子を見ればわかるだろう。
手足は震え、喚き暴れている。この行動すべてが俺には哀しくてたまらない。
自分を傷つけ、この世界を、一族を、そして、自分自身を拒絶しているようにしか見えない。
だが、俺には分かる。それでも信じたいのだ。自分を世界を。
だからこそ、もがき、苦しむ。
必死に抗っているのがいい証拠だ。
「俺は誇り高き天狗一族だ! お前に――」
声を荒げていう言葉を遮り、話しかけた。
「そんなのどうでもいいさ。それよりもお前の名は? 俺は小次郎って言うんだが」
「……っ! そのような事は聞いていない! 俺はっ」
「そんなに怒っていて疲れないか? なぁ、何でそれほどまでに自分を嫌う? 何から、お前は逃げいるんだ?」
「俺は逃げてなどっ! 嫌ってな……どいな……」
俺の問いは天狗に取って答え辛い、そして、それだけ核心に迫ったものだったのだろう。過呼吸に陥り、気を失って倒れてしまった。
「とりあえず落ち着いたな。寧々、悪い。片付けは俺がしとくからさ。倒れている奴らの治療を頼むよ」
「ええ、分かったわ」
まだ動ける者が外へと運び出す。俺はその人たちに礼と詫びを入れながら、粉々砕けて散らばった何かの破片を片付けていく。
「悪いな、時宗。また巻き込んで」
「ははっ。大丈夫だよ」
口ではそう言っているが、足元はふらつき顔色も心なしか青白い。
さり気なく時宗の仕事を奪い、早く休める事にする。病み上がりなのに無理させてしまったな。
そんなこんなで片付けが終了する頃には日が落ちかけていた。
最後の方はなんやかんやで寧々も手伝いに来てくれたから助かった。
この調子なら淀の願いを叶えることは出来そうである。
今日はここで寝泊まりをするつもりだ。
なぜかと言うのと、何かあった時に止められる奴が近くにいた方がいいからだ。すなわち、俺の事だ。 さて、夜になると、ようやくもそもそと頭の上で何かが動き始めた。
「やっと起きたか鈴」
呆れた口調に寝ぼけた声で鈴は答えた。
「おはよー。ごはん、食べよう」
出だしからこれだ。こいつはなかなかの大物だと思う。全く、それでいて考えさせられることをぽつりと言うのだから敵わないな。
「ああ、そうだな。だが、俺はここから離れられないんだ。養成所の厨房を借りて何か作ってここに持ってきてくれないか?」
尻尾で天狗の方を指しながら鈴に頼んだ。
「うん、分かった。楽しみに待っててね」
「ああ、鈴の料理を食べるのは久々だからな。楽しみだよ」
嬉しそうに出ていく鈴の後姿を見ながら思い返す。
鈴との付き合いはかれこれ一ヶ月と少しだ。
そうなると、師匠よりも長く一緒にいるという事になるな。最初はただの元気な猫かと思っていたが、今では頼りになる相棒だ。
そうか。だから、あの時あんなに怒ったのか。危うく天狗を殺してしまう所だったしな。
まあ、何はともあれ。掛け替えのない仲間ってところだな。
そうこうしている内に鈴が戻ってきて、二人で食事をしている最中だ。
「ここはどこだ?」
二人で談笑しているところで別の声が聞こえた。天狗が目を覚ましたようだ。
「よお、起きたみたいだな。食うか?」
鈴の手作り料理、白蛇鍋だ。ぶつ切りの蛇の肉がぶち込まれていて、醤油と塩で味付けられる精のつく料理として知られている。
それを鼻先に持って行き、興味を引く。
「俺はお前たちを殺そうとしたのだぞ? なぜ、ここまでする?」
「んな事、どうでもいいじゃねえか。それよりも食うのか、食わないのか?」
「頂こう」
箸を受け取ると律儀にも頭を下げて食べ始めた。
一心不乱かっ込む姿を横目に俺は語りかける。
「食べながらで良いから、聞いてくれ。
俺はお前の悩みの苦しみも理解することは出来ない。生まれも考え方も違うからな。
だがな、これだけは言わせてくれ。
辛い時は逃げたっていいんだ。逃げるのは恥じゃない。
逃げるのにも労力はいるからな。
逃げる時点でお前は何かを変えようと努力しているんだよ。
お前は凄いよ、偉いよ。よく頑張ったと思う。
だから、今度は独りで抱え込むんじゃなくて、周りを頼る事を覚えろ」
そこまで言うと、天狗の持つ箸は止まり、仮面の下からは涙が流れていた。
「我は……いや、俺は劉石と申す者。そちらの猫の方の御尊名もお聞かせ願えないだろう?」
「にゃ!? 鈴、鈴は鈴だよ!」
鈴よ、三回同じ事を言っているぞ。まあ、鈴らしいが。
その後は泣き止むのを待ち、頻りに礼を言うのを止めさせた。
これ程までに感謝されるのは初めてだな。少々照れ臭い。
この時、俺は確信した。
劉石は俺たちの仲間になると。
『武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり』
この言葉の解釈には多くの説があるかとは思いますが、今回はWikiを参照した後、考えて出した説でございます。
これは違うと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、人それぞれの正義があるように、価値観が異なるように、皆様それぞれの考えがあるかと存じます。
そちらも考慮したうえでご了承いただければな、と思います。




