踏んで踏まれて、靴の底
……最近、やけにぺらっぺらなのが増えた気がする。
ちょっと歩いただけで穴が開いたり。
あっと言う間にすり減ったり。
ぶ厚くなったり、滑りにくくなったり、軽くなったり…イイ感じに進化してきたと思ってたんだけど、物価高騰化の影響で退化し始めてるのが残念でならない。
俺は、靴底の神をやっている。
あらゆる靴の底の部分だけを担当している、ぼちぼちショボい神だ。
この日本という国には、実に多種多様の神が存在している。
俺は、数多の神々の一柱として…靴底の平和と安全、幸せ、発展などなどを願いながら過ごしているのだ。
神といっても…、特別にできる事は、ほぼ、なかったりする。
せいぜい、目をかけてくれた人間のために小さな喜びにつながる何かを縁付ける…その程度だ。
俺を崇めて祭ったら陸上競技の世界大会で優勝するとか、そういうのはない。
なぜなら、俺は…靴を履くすべての人間が愛おしくて、身近な神になったからだ。
あくまでも、靴を履くすべての人をサポートしたい。
特別な才能を持つ誰かのためではなく、あらゆる人のために幸せを願いたい。
そもそも…大げさに祭り上げられるのは、くすぐったいのだ。
毎日気軽に履いてもらえたら、地面と足の裏に挟まれていたら…それだけでいい。
だというのに。
……いつ頃からだろうか?
履かない靴の数が増え始めたのは…。
薄かった靴底が厚くなって、硬くなって、やわらかくなって、薄くなって、ぶ厚くなって、薄くなって、重くなって、軽くなって。
目まぐるしい靴底の変容に心が躍ったのは確かだ。けれど、愚痴らずには…いられない。
俺は……できれば、すり減っていくことを願っている。
室内に飾られて賛美を受けながら過ごすよりも、誰かに履いてもらって摩耗し、汚れて穴が開く方が魅力的なのだ。
……靴の神になっていればと、思う事も…なくはない。
靴というひとくくりを統べる神になれば、見目麗しい姿を保つことが誇りになっていたかもしれないからだ。
靴という芸術品として注目を集めることに、この上ない喜びを感じる日々を過ごしていたのかもしれないのだ。
だが……。
いくら見た目に最高だったとしても、履いたら、歩いたら最悪というパターンだってあるじゃないか。
飾られてホコリを払われる毎日よりも、砂埃を浴びながら真っ黒になる方がいさぎ良いじゃないか。
フィット感のいい中敷きに出会って感心する喜びに出会えなくなるんだぞ?
思いがけず派手に汚れて、たわしと洗剤でゴリゴリやられて太陽の光をガッツリ浴びる楽しみだって味わえないわけで……。
俺は、靴底の神として…、満たされてはいる。
満たされない瞬間も確かにあるが…、そんなのは些細なことだ。
安すぎる靴の貧弱な靴底に嘆く時も。
老舗のメーカーの安定した作りの良さに満足する時も。
犬のフンを踏んだだけで即ごみ箱に入れるような軟弱ものに遭遇した時も。
尖った石ころを踏んでも傷ひとつつかない強靭な靴底を見た時も。
ツルっツルに摩耗した靴底を修繕して履く誰かを見つけた時も。
プレゼントしてもらった靴を趣味じゃないからといって一度も靴底に大地を踏ませることなくゴミ箱に突っ込まれた時も。
……人間を恋い慕うせいか、だんだん考え方が神らしからぬ方向に向かっている気がする。
人が身近になったことで、神の常識が薄れてきたんだろう。
……はは、それこそまさに、願ったりかなったりってね。
人に踏まれて、大地を踏んで。
今日もショボい神様業、頑張るぞ~!




