第70話 お疲れ様会はお風呂上がりにも
凛とは初めて会ったにも関わらず、宇月さんは落ち着いていて、それに上機嫌で隣を歩いている。
「そういえば宇月さん、凛にはあんまり人見知り発動しなかったね」
「たしかにっ、いつもより大丈夫だった」
宇月さんはハッして自分でも驚いている。
「思えば松村くんと初めて会ったときも普通に話せてたかも」
「お兄は緊張感の欠片もない顔してるからね~」
凛があはは~と、まったりした顔で笑う。
「つまりその俺に似てる凛にも緊張しなかったって事では?」
言い返してやると、凛は横からむぅっと睨み付けてきた。
「い、いやっ、そんなに似てないよっ、いい意味で!」
宇月さんが必死にフォローに入る。
優しさで付け加えた"いい意味で"が、逆に言葉を軽くしてしまっていて実に宇月さんらしい。
3人で歩いていたが、いつの間にか2人の後ろから俺が歩く構図になっていた。凛と宇月さんはなかなか波長が合うようで、俺の存在なんか忘れて2人で楽しそうに話している。
「宇月さん、明澄ちゃんって呼んでもいいですか?」
「もちろんっ。敬語もなしでいいよ?」
「やったぁ~」
「へへっ。妹ができたみたいで嬉しいっ。凛ちゃんほんと可愛いね」
そう言うと、宇月さんは後ろを歩いていた俺の方を振り返る。
「あっ、でも、松村くんも可愛いところあるよ? 凛ちゃんには敵わないかもしれないけど、相手が悪かっただけだから。大丈夫、気にしないで?」
……一体俺は何を励まされてるんだ。
楽しそうに話す2人を後ろから見ていると、凛のケガの事なんて無かったみたいで、なんだか親心のような温かくてホッコリする気分になった。
「今日ね~、松村くんと何回もオセロしたんだよ」
「え、そうなんだ~。お兄どうだった?」
宇月さんはまたこちらに振り返ると、フッと笑って凛に言い返した。
「んー、お兄ちゃんの可愛い一面が見れたかな~」
「え?どんな?」
「何回負けても、悔しそうに"もう一回!"って挑んできてね~」
「あはは、そんなことがあったんだ~」
なんか俺の少し恥ずかしい話をされている。
宇月さんと凛が組み合わさると、色んな情報が共有されてしまいそうだな……。
「途中から、"白でやってるから勝てないのかも"って言い出してね、松村くんが黒に変えてやってみたんだけど。それでも私が勝っちゃった」
「えぇ~、お兄、めっちゃ弱いんだね~」
「……やめて、もう俺の黒歴史だから」
「黒だけに? ふふっ」
そんなこんなでしばらく歩くと、俺たちの家の前に着いた。凛は怪我した腕を抑えながら、寂しそうに宇月さんの方を見つめる。
「明澄ちゃん、もうお別れだね」
「うん、ありがとね、凛ちゃん。一緒に帰れて楽しかったよ」
「うん……」
「そんな悲しい顔しないでよ~。また会えるしっ」
「そ、そうだよね」
宇月さんがこちらを見つめるので、凛を静かに引き剥がし、玄関の方に優しく背中を押した。
「宇月さん、じゃあ、ありがとう。気を付けて帰って」
「うん。じゃあまた学校でねっ」
お別れを言うと、宇月さんはニコッと笑って自分の家の方に歩いて行った。
帰る間ずっと感じていたが、凛と話してくれていた彼女は、いつものノリも少しだけ控え目で、何か気遣っているように見えた。
初めて凛に接してお姉さんのような気持ちになった、というのもあるだろうが。凛の試合についてや、怪我の様子について一切触れてこなかった事から、余計な詮索はせず、デリケートな部分は俺に任せるという想いだったのかもしれない。
凛は家に入ると、んん~っと疲れた声をあげてソファに座る。
「明澄ちゃん、可愛くて面白い人だったね。あんな子と一緒な部活なんて、お兄羨ましい~」
「いや、宇月さんはまだまだあんなもんじゃないよ」
「どういう意味で~?」
「いい意味で」
今日はお疲れ様会だという理由を付け、ラクをして夕飯は出前を取った。
凛は食事中も相変わらず宇月さんの話を訊いてくる。部活の事を嬉しそうにグイグイ質問してきたが、未だに自分の話はしないまま。
俺も凛の試合の事は気になっていたが、ここにきてそんな野暮な事は訊かなかった。
夕飯を食べ終え、お風呂に入ってきた凛が濡れた頭でドライヤーを持ってきた。
今日は頭がいつも以上に濡れている。タオルは肩にかけているが、おそらく左手が上手く動かせなかったのだろう。
俺はドライヤーをかける前に、凛の頭をタオルでゴシゴシと乾かす。
「お風呂大丈夫だったか?」
「うん。右手は動くからなんとか洗えたよ。あ、もしかして頼んだら一緒に入ってくれたの?」
「いや、それはないけど。ってか凛が嫌でしょ」
「うん、やだ」
「……即答すぎてお兄ちゃん悲しいかも」
「へへ~っ」
控えめに笑う凛の頭にタオルをのせ、優しく髪を撫でるように手を動かす。
黙って大人しく撫でられている凛は、リビングの一角、斜め前に置いてある自分の部活用バッグを見ていた。
いつもだったら次の日の朝練の準備が終えられていて、バッグの中身はパンパンなはず。しかし今日は、帰ってきて洗濯物を出しただけ。バッグのファスナーは開いたまま、中身がなく自立していない。
怪我予防のためと言って、ここ最近は風呂上がりに欠かさずストレッチもしていた。それも、今日はしていない。
いつもと同じパジャマ、同じ後ろ姿。それなのに、彼女の背中は少しだけ小さく見える。
凛は静かに話し出した。
「……今日の最後の試合、勝てたら北信越大会まで進めたんだよ」
「そっか」
「それなのに、私が怪我したせいで、負けちゃった」
「うん」
「最後の試合だったのに」
「うん」
タオル越しに撫でられる凛は、前を向いたまま。
「でも、みんな心配してくれてさ」
「うん」
「試合、負けちゃったのに。誰も責める子なんていなかった」
「それは凛が頑張ってたの、みんな分かってたんだよ」
「そうだと嬉しいな」
凛は弱々しく笑う。
「……あ~あ、まだみんなと部活したかったな」
「そうだね」
「練習はキツかったけど、少しは上手くなれたかな……」
「うん、よく頑張ったよ」
「しんどくても、みんながいて。……やっぱり、楽しかったな……」
そして、崩していた両膝を立てて顎の下に抱え込む。
「でもっ、でもさっ……。明日、もう部活ないんだよね……。もう、終わっちゃったんだよね……」
小さく震え始めると、グスッと鼻をすする音が聞こえた。
そして声を絞り出す。
「…………ドライヤー、おねがい……」
「うん」
ドライヤーを風を当て始めると、少しして凛の肩がヒクヒクと揺れ始めた。
前を向いているため、後ろからその表情は見えない。
ドライヤーの音がうるさく、その泣き声は聞こえない。
髪が乾かしながら、何も言わずに凛の頭を優しく撫でた。
彼女の濡れた髪と頬が乾くまで。ゆっくりと。




