03 柳橋美湖 著 『アッシャー冒険商会 29』
29 魔法の鏡
――ロデリックの視点――
家中の家具には、埃が被らないように、白い布が被せられていた。
だが白い布にはまだほとんど埃が被っていない。
――というのも、家の前の持ち主が亡くなったのは数週間ほど前のことだったからだ。ボストンの一等地に構える屋敷は売却し、半分は本土にいる遠縁の親戚に遺産として送金。残りは暇をだす老執事以下使用人たちへの退職金に当てられることになっていた。
生前、老人は僕を、この物件売却の仲介者として指名していたのだった。
「ロデリック様、お屋敷の様子を見に参りましょう」
管財人の案内で僕は、古びた植民地様式の館に入った。
エントランスから踊り場のある階段を昇り、二階の各部屋を見てまわる。
通路の途中にあった部屋に入ったとき、よせばいいのに、窓を開けて見たくなった。
窓を開けるとフローラルな香りのする風が吹き込み、カーテンが揺れ、家具に掛けてあった白い布の一枚がハラリ床に落ちた。
鏡台には引き出しのついた卓が備えられている。卓上にはなぜだか、羊皮紙装丁された古文書が開いた状態で置かれていたのだ。
風は悪戯だ。ページがパラパラめくれていき、魔法陣が描かれた中ほどで止った。
さらに、この瞬間を待っていたかのように、烏が飛んで来た。そいつは人の言葉で、術式詠唱を始めた。
鏡に映った僕の足元・床に、本と同じ魔法陣が現れたかと思いきや、瞬く間に、白い光に包まれた。
やがて気づけば僕は、いままで立っていた位置に僕の姿はなく、それでいて部屋をでていない、明らかに僕は先ほど目にした鏡台のあったところから、部屋を眺めている。つまるところ鏡の向こう側に閉じ込められてしまっているというわけだ。
慌てふためいた管財人は牧師さんを呼んで来て、福音を唱えて戴いたのだが、
「ああ、ロデリック様のお身体が霞んでいく」
と二人が叫び、儀式は中断された。
そこへ、「旦那様の一大事!」と、木剣を持った妻のマデラインが駆け込んできた。妻は鏡を叩き割ろうしたのだが、妻を乗せた馬車を御して来たうちの老執事アラン・ポオが、「奥様、それでは旦那様まで木っ端微塵でございます」と羽交い絞めにして、どうにか止めた。
「管財人さん、この部屋の主は魔法使いかい?」
「このお屋敷の執事さんによると、亡くなられた大旦那様の奥方が部屋の主で、魔術を嗜んでいたとのことです」
やはりそうか!
*
新大陸に来る前僕は祖父とイタリアを旅したことがある。ローマにいた神父からこんな話しを聞いたことがあった。神父はイエズス会の人で、若いときは中国南部の港町・広東で布教していた。地元で伝わる伝説だそうだ。
むかし、鏡の世界と人間の世界は、今日のように切り離されていなかった。さらに双方がまるで異なっていた。存在も色彩も形も同じではなかった。双方の王国、つまり鏡の王億と人間の王国は円満に共存していた。鏡を通って行き来できたのだった。ある夜、鏡の人々が地上に侵入した。彼らの力は兄弟だったが、血まみれの戦いが終わる頃、黄帝の魔力が支配した。彼は侵入者たちを撃退し、彼らの鏡のなかに閉じ込め、あたかも一種の夢のなかでのように、人間のすべての行為を反復する仕事を課した。彼は彼らの力と形とを吐くだし、彼らをたんに奴隷のような反射像にしてしまったのだ。しかしながら、いつかその魔力の解ける日がやってくる。――と。
つまるところは異世界ゲートに関わる伝承というわけだ。
僕は鏡の外にいる古参の執事アラン・ポオを呼んで、
「ベン・ミアを呼んでくれないか? それと、僕が閉じ込められている鏡台によく似たものを用意して、向かい合うような部屋の位置に据えて欲しい」
「御意のままに」
妻のマデラインは、昔、僕と恋仲だった学友ベン・ミアに、少しばかり嫉妬している。――だが脳筋な彼女でも、この窮地を救ってくれるのは彼しかいないことは理解していた。
夕刻、神父様にはお引き取り戴いた。
翌日、入れ違いに、鑑が部屋に運び込まれるや期せずして。ベン・ミア親子がやって来た。
対になった鏡台と鏡台の間に生じたスペースの、天井・壁・床の四面に、古文書に記されたものと同じ魔法陣を助手役の養子アーサーと描き、術式詠唱を始めた。
そうしてつつがなく儀式は無事に終わり、僕は鏡の向こう側から解放されたというわけだ。
*
後日談――
管財人が屋敷を競売にかける少し前、問題の鏡台と羊皮紙の魔導書は僕が引き取り、地下室の頑丈な扉にで錠をかけ、封印している。
了
【参考文献】
ボルヘス『幻獣事典』94頁:「鏡の動物誌」より




