第四話
チェチーリアは今でも時折、運命が決まったあの日のこと思い出す。
結局、両親はダリアとラウルの婚約を継続することに決めた。両親の決断を聞いたダリアは泣き叫び、二人に縋りついた。
「どうしてですか! エドガルド様と結婚するのは私しかいないと、そうおっしゃったではないですか!」
「だがこうして婚約者の変更の承認が下りてしまったのだ。諦めなさい」
「いや、いやよ! 私はエドガルド様がいいの!」
チェチーリアはダリアの醜態を目の当たりにして、呆気にとられて言葉を失った。まるで聞き分けのない幼い子供みたいだ。その様子を見ていたイヴァーノが眉間に皺を寄せてため息をついた。
「また始まったか」
「ええと、お兄様?」
「チェチーリアには極力見せないようにしていたからね。おまえは優しいから、ああしてねだられたら大切なものでも譲ってしまいそうで怖かった」
奪われるのが服や小物だけならまだいい。ダリアは姉を貶めるために醜聞をばら撒き、ついには婚約者まで奪い取ったのだ。だから、それ以上のもので何を望むか考えただけでも怖かった。そう嘆く兄は、暗い眼差しをして暴れるダリアを見つめている。
「あの子はね、昔から一番でなくては許せない質なんだ。二番手でいることが我慢できなくて、暴れるとああやって手がつけられなくなる。幼いころは両親も私も厳しく叱ったものだけれどね、あまり効果がなかった」
その反面、幼いころからチェチーリアは聞き分けがよく、手がかからなかった。だから放置されていたそうだ。そんな事情があったなんて知らなかったわ。どうやら愛されていなかったわけではないらしい。
「しかも困ったことにね、ダリアが一度ああなってしまうと落ち着くまでにとても手がかかるんだ。そのうち両親は叱ることを諦めて、ダリアのいうことをなんでも聞くようになってしまった。ダリアが周りに合わせるよりも、周囲がダリアに合わせるほうが楽だからね。やがて時が経つにつれて、あの子も両親もそれが当たり前のことだと思い込むようになってしまった」
慣れとは恐ろしいものだ。駄目だとわかっていたのに、いつしか駄目なことが普通になる。本来ならチェチーリアのものなのに、両親はダリアがそれを奪っても当たり前と思うようになっていたのだ。それでもイヴァーノだけは諦めることなく叱っていたが、今度はダリアから避けられるようになってしまった。しかも知恵のついたダリアは表立って批判されることのないよう、裏で手を回して気に入らない相手を貶めるという悪質なやり方を覚えてしまった。
「あの子の一番の被害者はチェチーリアなんだよ。君は歳を重ねるごとに美しくなり、聡明な女性に成長した。両親は分け隔てなく教育を施したけれど、ダリアよりも手がかからなくて優秀な結果を残す君に期待を寄せるようになっていたんだ。そのことを敏感に察したダリアは君を貶めるために裏で悪評を流し続けた」
そして、未来を分けるような出来事が起きる。
「私がラウル様と婚約したことですね」
「自分が一番でなくなってしまうと考えたんだろうね」
「だから私からラウル様を奪い、今回はエドガルド様を奪おうとしたのですね」
一番にならなければ許せないダリア。ラウルにとっての一番がチェチーリアであることが許せなかった。そこでダリアは華麗で優美な自分の容姿を活用してラウルの心を奪いとることにしたのだ。そして同時に社交という舞台を利用してチェチーリアの悪評をばら撒き、気まぐれに他人を貶めてはチェチーリアの姿を借りて相手を翻弄した。そのうえで、さらにエドガルドにまで触手を伸ばしたのは、ラウルよりも圧倒的に身分が高いから。
「狂気に支配されたダリアに翻弄されてラウルは君を手放す羽目になった。チェチーリアに執着するところはそっくりだから、ある意味で彼らは似た者同士なのだろうね」
ラウルはダリアの持つ破滅的な危うさに魅せられたのだろう。そして二人は手をたずさえて地に堕ちた。
「落ち着きなさい、ダリア!」
「どうして、どうしてよ! なんで一番が私ではないの!」
今の不安定な状態のダリアには誰の声も届かない。激しい声で両親を罵り、暴れる彼女の姿には恐怖すら覚えるくらいだ。強すぎる自己愛ということなのか。それともこれは愛ではないの?
「よし、チェチーリア嬢を保護しよう」
「えっ!」
「心身に危害を加える恐れがあるとして妹と両親から引き離し、一旦、王城に避難させる」
暴れるダリアを、じっと見つめていた王太子殿下の口から想定外の台詞が飛び出した。驚いたチェチーリアは目を丸くしたけれど、エドガルド様は同意するように大きくうなずいた。
「それがいいね。そこから先の身の振り方はこちらで調整しておくから心配しないで」
「ですが皆様を家族の問題に巻き込むわけには」
「チェチーリア。君はエドガルド第二王子殿下の求婚を受け入れた。彼の婚約者候補となり、セアモンテにとっても重要人物となったんだ。だから国が保護するという考え方は間違いではないんだよ」
「でも、それではお兄様が……」
ダリアを持て余し、困り果てた両親は兄を頼るだろう。そうなれば兄は次期当主として責任を一身に負うしかない。つらく、苦しいときもたった一人で。だが兄は笑って、優しくチェチーリアを抱きしめた。
「チェチーリアが悪評で困っていたのに、自分のことやダリアの事後処理で手一杯になって何の助けにもなれなかった。せめてそのくらいは罪滅ぼしをさせてほしい」
「お兄様……」
「ラウルがあんな卑劣な男だとわかっていたら、チェチーリアの婚約者にはしなかった。私に人を見る目がなかったせいだ。ずっとつらい思いをさせてすまなかったね」
お兄様の声が震えている。優しいけれど、どこか一線を引いたような兄の態度は罪悪感からくるものだったのか。それがわかったから、過去のことはもういい。
「気にしていませんわ。今の私の婚約者はラウル様ではありませんもの」
「やはりチェチーリアは甘くて優しいね」
視線の先にはエドガルド様がいる。彼の指先が優しく頬をなでた。恥ずかしくなって下を向くと、頭上から呆れたような声がする。
「ちょっとは自重しなよ。甘すぎて胸焼けがする」
「今まで必死で抑えつけていたから自制できないのでしょうね」
眉を顰めた王太子殿下は、苦笑いを浮かべるイヴァーノに視線を向けた。
「イヴァーノ。チェチーリア嬢は王城の客間に逗留させる。できる限り早急に彼女の身の回りのものを運ばせて」
「かしこまりました」
「エドガルド、チェチーリア嬢の愛らしさに腑抜けている場合じゃないよ。自国との調整はどうなった?」
「そうだな、そろそろ王城に親書を携えた使節が到着するころかな?」
エドガルド様がそう答えた瞬間、王太子殿下は一瞬固まって額を押さえた。
「その情報、超大事なんだけど⁉︎ ねえ、使節を誰が迎えるの? その準備をするのは誰だと思っている? 事前情報は、根回しは、報告連絡相談は?」
「相談したじゃないか、根回しの結果は報告したし。連絡は……したと思っていた」
「いやもうほんとに腑抜けてる場合じゃないよ!」
しれっと答えたエドガルド様に、王太子殿下は軽くキレた。チェチーリアはなんだか申し訳なくて頭を下げる。
「申し訳ございません、何もお手伝いできず……」
「ああ、チェチーリア嬢は悪くないよ。エミリアーナにもどうにかしろと言われていたから、こうなると王城に逗留できるのはむしろちょうどいい」
「そういえば、王太子殿下はエミリアーナ様の従兄でしたわね」
「事あるごとにせっつかれて、地味にチクチクと責めるひどい従妹だけどね! まあ、なりふりかまっていられないほど君は彼女にとって大事な友人らしい」
「ええ、本当に。私もそう思っていますわ」
あの方の助言があって、フォルテューナ・パンタシア魔道具店を知った。そして不要となったラウル様への愛を買い取ってもらえたのだ。だから深く感謝している。
「さあ、急いで帰ろう。やることが目白押しだ。いいかエドガルドは覚悟しておけよ。こき使ってやる!」
「もちろん手伝うよ。さあ行こう……チェチーリア」
「っ、はい!」
ほんの少しだけ間があいたけれど、頬を赤らめたエドガルド様が私の名前を呼んだ。チェチーリアは、うれしくなって差し出された手をつかむ。
「ちょっとどこに行くのよ、逃さないわよ!」
「黙りなさいダリア、不敬だぞ!」
ダリアの怒り狂う声も、父や兄が彼女を怒鳴る声も、家の外に出てしまえばなにも聞こえない。チェチーリアは住み慣れた我が家を振り向いた。なんとなく、もう二度とこの家には戻らない予感がしたから。
さようなら、いつか誰かの一番になれるといいわね。
そして王城に着くと、そこはすでに嵐の真っ只中だった。マウケーニア王国から先ぶれが到着したそうで、使用人達が最低限の秩序を保ちつつ血相を変えて動き回っていた。一瞬、踏み込むことを躊躇した王太子殿下の元に鬼気迫る顔つきの使用人達の群れが押し寄せて、あっという間に嵐の真っ只中へと連れ去っていく。そしてその群れの一角に、同じように連行されるエドガルド様の背中があった。
――――また、あとで。
微笑みながら彼と視線だけで会話を交わした。些細なことだけど、なんだかうれしい。
私のことは事前に王太子殿下が指示していたようで、無事に城の侍女によって回収され、客間の一つに落ち着いた。そして伯爵家から荷物が到着する。身の回りの品のほかにドレスもあって、一度も着たことがない華やかで明るい色合いのものが混じっていた。運んできた侍従曰く、イヴァーノお兄様がこっそり注文しておいてくれたものだそうだ。サイズもぴったりだし、ありがたく受け取ってそのうちの一枚に着替える。
ちなみに私が地味で垢抜けないと揶揄される原因となったドレスはダリアの指示で注文していたらしい。自分のドレスを作るついでに、お姉様はこういうドレスが好きなのだと言って。そしてそのうちの数枚が私になりすますときに使われたそうだから用意周到とはあの子のためにあるような言葉ね。
衣装を整えたところで謁見の間に来るようにと言われた。控え室に到着するとそこにはなぜかモンタルク公爵家の皆様が揃っていた。エミリアーナ様が誇らしげに胸を張る。
「えっ、養女⁉︎」
「そうよ、私と同じ公爵令嬢となるの。だからもう誰にもあなたの悪口なんて言わせないわ!」
なんと、いつの間にか王命で公爵家の養女となることが決まっていた。あくまでも書類上のことだから、王が署名したらそれで終わりだ。エミリアーナ様のご両親である公爵夫妻は、降って湧いたような養女の話について最初は目を丸くしたけれど、もともと、友人として何度もお会いしていたということもあって快く承諾してくださったそうだ。もちろんその裏にはエドガルド様の報告書と、エミリアーナ様の後押しがあったのは言うまでもない。
「こちらでも調べてみたが、君の悪評は信憑性に欠けるものばかりだ。ちょっと調べれば作り話だとわかることなのに、なぜこんな簡単に皆が踊らされたのだろう?」
モンタルク公爵夫妻は最後まで首をかしげていたが、それこそダリアの怖いところだ。嘘にほんの少しだけ本当のことを混ぜる。そうすれば格段に噂の信憑性が増すのだ。この頭の良さと回転の速さがもっと勉学に活かせたらよかったのに。
というのも、これからダリアにはラウル様の婚約者として厳しい教育が課されるはずだから。基礎学力のある私ですら二年もかかったというのに、それを自宅学習や淑女教育をサボってきたせいで貴族学院では最下位を争っているダリアについていけるのかしら? とはいえ、もう関係のないことだ。
「これでクレイン伯爵家とも、サバティーノ伯爵家とも縁が切れるわね! おめでとう、幸せになるのよ!」
「はい!」
数時間後に到着した使節と面会し、王家を交えて婚約が取り交わされた。国同士の友好関係に関わる婚約だから、誰が何を言おうと取り消されることはない。
当然、ダリアにも、両親にだって無理だ。
そして迎えた週末、私とエドガルド様の婚約が発表された。両親は会場の隅で失ったものの大きさに後悔しているようだが、残念ながら取り返しはつかない。お兄様は、腑抜けて使い物にならなくなった両親の代わりに伯爵家を切り盛りしているそうで相当忙しいらしい。それでも今までよりずっと充実した日々を送っているそうだ。王太子殿下の配慮により短い時間だけど会えたときは、思っていたよりも元気そうな顔をしていて安心した。それと同時になぜか涙が止まらなくなって、兄の胸の中でたくさん泣いてしまった。
「私にとってチェチーリアはいつまでもかわいい妹だ。体に気をつけて、元気で。そしてきっと幸せに」
お兄様もね。そう答えたかったのに、ただただうなずくことしかできなくて。そんな私の背中をエドガルド様はずっと支えていてくれた。その後、王城から公爵家に移って嫁ぎ先で必要となる教育を受けて半年後……。
「迎えにきたよ、チェチーリア」
卒業と同時にマウケーニア王国へと旅立つことになった。そして新居に落ち着いた今も、隣には優しく頼もしい彼がいる。あと一ヶ月後には結婚式だ。あのときよりもずっと距離が近くなったエドガルド様は、人目を気にすることもなく私の頬に口づける。
そんな彼が、そういえばと小さな声でつぶやいた。
「チェチーリアから好きだって言われたことあったかな?」
「と、突然、なんですの?」
「だって好きだという言葉を君の口から直接聞きたいじゃないか」
思えば付き合ったときから結婚するのが当然のような雰囲気で。
言ったような気もするし、言わなかったような気もする。
「今言わないとダメ?」
「うん、聞きたい」
強引な態度、期待を込めた眼差しで、うっすらと頬を染めて。そんなふうに懇願されたら願いを叶えてあげたくなる。チェチーリアは真っ赤な顔でエドガルドの耳元に唇を寄せた。
――――さて言ったか、言わなかったか。ここから先は二人だけの秘密。
ハロウィンですね! どうか素敵な夜をお過ごしください!




