第五話
魔道具、魔法書に魔法薬。魔法が失われつつある世界で偉大なる魔法の香りが残されている国、セアモンテ。王都にあるサン・マルクイエ通り、有名店の立ち並ぶ繁華街でそれは起きた。
「つかまえたぞ、リアーナ・ダルトワ!」
「あら、バリエ子爵令息。突然いかがされました?」
「話が違うではないか!」
「何のことでしょう?」
極度のあがり症のせいでリアーナの手はいつも冷えて震えていた。
心から慕っていたリュドヴィク・バリエ子爵令息の前では特に顕著で。ろくに会話もできず聞かれたことに答えることが精一杯のために気の利いたお世辞すら言えない。口下手だの不器用だのと、何度呆れられたことか。
でも、もう大丈夫。
「この私を婚約者候補から外すとはどういう了見だ!」
「だって私のことを自分にふさわしくないとおっしゃっていたじゃありませんか。婚約者にするなら、あがり症の無能ではなく、愛嬌のある要領の良い女性がいいと。ですからお断りしたまでです」
リアーナはどこまでも冷静だ。それなのにリュドヴィクが突然大きな声で叫ぶから、嫌でも周囲の注目を嫌でも引いてしまう。
「君は私が好きなのに、候補から外すなんて愚かの極みだ!」
うわー、最低。自分でいうのもなんだけど、どこが好きだったのかしら?
「いいえ、好きではありませんよ」
「は?」
「もうスッキリさっぱり興味はありません」
だってあなたへの愛は買い取ってもらったもの。それにね……。
「バリエ子爵令息には、喧嘩するほど仲のいいと評判のマリアンヌ様がいるではありませんか。しかも愛嬌のある要領の良い女性です。理想的なお相手ではありませんか」
「バカが、マリアンヌは平民だ! 私と身分が釣り合うわけがないだろう」
「物語にもありますでしょう? 真実の愛の前に身分は関係ありませんわ。どちらにしろあなたは私の婚約者候補から外れたのですから、真実の愛を邪魔するものはありません。どうぞ末永くお幸せに!」
リアーナは心を込めて祝福する。だって、いろいろな意味でとてもお似合いだもの。
マリアンヌはリアーナの従姉妹だ。父の妹が大恋愛の末に平民に嫁いだ結果、生まれた貴族の血を引く平民の娘。そして生まれ持った愛らしい容姿と愛嬌でリアーナの全てを奪おうと画策した女性でもある。
自分のほうが伯爵令嬢にふさわしいと断言するのだから悪意があるのは間違いはないわよね。
彼は知っていたはずだ。従姉妹だからというだけで、私がマリアンヌに物や人を奪われてきたことを。あがり症のせいでうまく反論できないことを良いことに、家族、友人、贈り物や与えられる正当な機会すら奪って。リュドヴィクとの関係を邪魔すると家族や友人の見えないところでさんざん悪口を流していたことを知っていたはずだ。
だがリュドヴィクは放置するどころか、むしろ積極的に彼女の悪意を煽った。正当な貴族の血を引くけれど不器用なリアーナよりも平民でも容姿が整った要領の良いマリアンヌを選んだのだ。
「お二人の計画は裏付けの証拠を添えて両家に提出済みです」
なんでもリュドヴィクはマリアンヌと共謀して結婚後に私の不貞をでっちあげ、修道院に閉じ込める気だったらしい。そして離婚したら伯爵家の血を引くマリアンヌをリアーナの代わりに娶って妻とするつもりだった。その目的を達成するためには、まずリュドヴィクが私の婚約者になることが必須だ。
そんな一見すると完璧なはずの計画が出足でつまずいただけでなく、完全に頓挫したのだから、それは怒りもするだろう。でも残念、もう遅い。勘違い男子とお花畑女子には揃って退場いただくつもりだ。
「婚約どころか、子爵家には賠償金を請求していますので覚悟なさいませ」
無能と馬鹿にされているうちがチャンスだ。証拠はできる限り自分で集めて、足りないところは人の手を借りた。こちらの動きを悟らせないため時間はかかったけれど、その代わり隙なく完璧なものに仕上がったと自負している。無能だと舐めていたリアーナから証拠の内容を聞いたリュドヴィクは青ざめた。
「そんなもの、どこから」
「それより早く助け出さなければマリアンヌ様が修道院に行ってしまうかもしれませんわよ?」
策略を知った叔母さまが激怒していたからね。甘やかすばかりでマリアンヌを叱らないご主人にも心底愛想が尽きたそうで、マリアンヌを修道院に入れたらスッキリさっぱり離婚するらしい。
「あ、そうそう。ちなみに接近禁止の措置を取りましたので私の半径一メートル以内には絶対近づかないでくださいな」
正直なところ、顔も見たくない。リアーナは清々しい気持ちで真っ青な顔をしたリュドヴィクに背を向けた。
「では、ごきげんよう! 私、官吏になるための勉強で忙しいので」
「は?」
「表舞台に立つことなく、国を裏から支えることに決めたのです。予算や法律に関する部署なら人前に出ることもないし、極度のあがり症でも十分に能力を活かせると推薦していただいたの」
「待って、リアーナ! 結婚は⁉︎ 婚約者は⁉︎」
「バリエ子爵令息のせいで傷心中なので、当分保留ですわ!」
「ちょっと待って、話せばわかる!」
「あ、接近禁止令違反」
伸ばした手がピタリと止まった。周囲のリュドヴィクを見る目が変わる。振られたんだから、潔くあきらめればいいのに。リアーナは固まったリュドヴィクを置き去りにしたまま、軽やかに手を振った。
「さようなら、ざまあみなさい!」
あんな顔で笑えるのか。失ってから知る彼女の価値とともにリュドヴィクの脳裏にはリアーナの微笑みが忘れられない記憶として刻まれる。
その一部始終を、じっと植え込みの陰から見守る人物がいた。
「お見事!」
謎の草が枯れてしまったので、本日は奇妙な動物の絵の描かれた不気味な壺を両手で抱えている。ちなみにこちらの品は取引先の店に飾られていた魔除けの壺。彼女の見た目には怪しさしかなかった。でも誰も咎めない。
なぜなら隣にもうひとつ魔除けの壺が並んでいるせいで怪しさが倍増しているから!
「リアーナさんをスカウトしたのはあなた?」
「採用担当者に情報として教えただけだ。彼女、成績だけなら法学と経済学で首席だった」
「有望株ね!」
「国として、優秀な官吏はいくらでもほしいからな。法務と財務に声をかけたらノリノリで勘違い男とお花畑女の悪事を証明する物的証拠を集めてくれたよ。私はそれを正規の手順を踏んで合法的に提供しただけだ。しかも各部署には独身男が山ほどいて、すでに水面下では彼女の争奪戦が始まっているらしい」
「やだモテモテじゃないの、ときめくわー!」
「で、満足したか? もういいなら帰るぞ」
お礼を言って、魔除けの壺を戻すとリゲルはフォルテューナの手を握った。フォルテューナはリゲルの前髪に指を伸ばす。
「それにしても思い切りよく切ったわね!」
リゲルは長かった前髪を切った。全体的に短くしたせいで、整った顔立ちがよくわかる。視線が合うと、目元がふっとゆるんだ。
「どうしたの、心境の変化?」
「もう隠す必要はないからな」
顔を上げて、胸を張りなさい。フォルテューナの言葉はリゲルの心に深く響いたらしい。いきなり髪を切ってきってきたから一瞬誰かわからなくて呆然としたのを覚えている。
「それに……」
「ん?」
「フォルテューナは、この瞳が好きだと言ったから」
これなら前髪の隙間をのぞき込まなくても、見たいときに青白い星が見える。
ほんの少しだけ頬を赤らめて、リゲルは口元を手で覆った。一瞬惚けたフォルテューナは勢いよく視線を逸らす。……しまった、不覚にもかわいいと思ってしまったわ。
「もう仕事は終わったの?」
「ああ、だから一緒に食事へ行くか」
「いいわね、肉のおいしいお店がいいわ」
「相変わらず食い意地張ってるよなー」
「一言多いのよ、やっぱりかわいくない!」
ありふれた景色、よくある流れの会話。だけど今のフォルテューナは普通こそ何ものにも変えがたい幸せだと知っている。大切な人と食事をして、おいしいお酒を飲んで。平凡、バンザイ。浮かれた気持ちで夜空を見上げたフォルテューナは、あっと小さな声で叫んで空を指した。
「今、星が流れた!」
「フォルテューナは流れ星を見つけるのが得意だよな。それで願い事は言えたの?」
「それが間に合わなかったのよ!」
「それは残念」
小さく笑ってリゲルはフォルテューナの瞳をのぞき込んだ。彼女のすぐ目の前に、ずっと大切に守ってきた青白い星が浮かんでいる。
「願い事は?」
「そうね……」
この星に願ったら叶うだろうか。思案するフォルテューナの唇にリゲルの口づけが落ちた。まったくもう、本当に油断も隙もない。
「いきなり襲うのはダメだって言ったでしょう!」
「それで、願い事は?」
「言うわけないじゃないの、願いごとは人に教えたら叶わないものよ」
フォルテューナは唇に指を当てた。だから大切なことほど秘密にしておくの。するとリゲルは柔らかく目を細めてニヤリと笑った。
「でもフォルテューナの願い事は、意外とすぐに叶うかもよ?」
なんだそのわかってますという顔は……だから余計に言えないのよ! 赤くなった頬を隠して横を向くと、肩を震わせて笑うリゲルの温かい手が頬に触れた。
見上げれば、本当に忌々しいくらいの美しい青だ。温かいリゲルの手のひらに頬を寄せてフォルテューナは瞳を閉じる。祈りのような口づけを捧げながら、瞬く青白い星にそっと願いを込めた。
どうか、この幸せな気持ちが愛でありますように。
これでおしまいです。書きたい内容は全部書けたように思います! もどかしく思うかもしれませんが、リゲルは愛してるとは言いませんし、フォルテューナも同様です。愛してるという代わりに、どうやったら愛が伝わるのかな、と考えながら書きました。途中で迷走しましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました!




