第一話
兆しとは、唐突にやってくるものだ。
フォルテューナは常と変わらず庭掃除をしている。ほんのわずかな空気の揺れを感じ、掃く手を止めて唐突に口を開いた。
「そんなところでウロウロせずに堂々と入ってくればいいじゃない」
「……」
「ホラ、寝床はきれいにしておいたわよ!」
からかうように笑って、フォルテューナは白いベンチをポンポンと叩いた。
「そろそろ霜の降りる季節になったから、うたた寝は推奨しないけれどね」
「やはり気がつくんだな」
「もちろん。外部から結界に触れるものはね」
「内部から出ていくのは緩いのにな」
「っ、あのあと強化したわよ!」
冗談を言いながら、緊張を滲ませたリゲルの顔がのぞく。あら、少し痩せた?
「きちんとごはん食べているの?」
「……なんか本当に飼い主みたいだ」
「違うわよ!」
呆れたように笑ってフォルテューナは箒を置いた。店に戻っていつものテーブルに座ると、皿にかけておいた布を取った。薄切りにしたハムやチーズ、卵や野菜の挟まった一口サイズのサンドイッチだ。
「ちょうどお昼にするところだったの。よかったら一緒に食べましょう」
ポットのお湯を注いで二人分のハーブティーを入れる。カップの一つをリゲルに差し出した。受け取ったリゲルは、わずかに口角をあげた。好みの香りみたいね。相変わらず前髪が長いから目から表情は読みにくいけれど、慣れたせいか以前よりもわかりやすい。
しばらく無言のままサンドイッチを摘んで、お茶を飲んで。カップが空になりかけたところで、フォルテューナは口を開いた。
「それで、何か聞きたいことがあるのではなくて?」
「気にはなっていた。ときどきフォルテューナは見えないものが見えているかのような行動をする。そこに我々に対する悪意はなくて、結果的には利となるから見過ごされがちだけれど、だからこそ納得がいかない」
「あら、何が納得いかないの?」
「どうして内通者のことまでわかった?」
リゲルの顔は真剣そのものだ。甘さの欠片もない表情で、ただ静かにフォルテューナを見つめている。これはフォルテューナを見極めるためのもので、かつて幾度となく経験した類のものだ。答える代わりに、フォルテューナは静かに笑った。
「ダメじゃないの。不正を疑っているのなら、相手の差し出すものを無防備に飲み食いしては」
「はぐらかさないでほしい。三人の暗殺者に追われて消えかけた私の命を救ってくれたのはフォルテューナだ。そんな人間がいまさら毒を盛って私の命を奪うようなことをする理由がない」
「……」
「内通者のことだけじゃない。この店も、あなたの使う純度の高い魔法も。魔法が失われつつある世界において貴重なものだ。あなたは……フォルテューナだけは何かを知っている。私はそれが何か知りたい」
きっと、いつか伝える日が来るとは思っていたけれど。
思いのほか、楽しい日々を過ごしていから残念といえば残念ね。フォルテューナは深く息を吐いた。そして窓の外に広がる曇りひとつない澄み切った景色に目を細める。かつても、こんな日があったわ。鮮烈で、まぶしくて。忘れたくても、忘れられない、そんな日が。
――――二度と来ないことを願っていたのに。
「リゲル、あなたは王家の守護天使でしょう? 名前がなかったというのが、その証拠。両親が用意した名を洗礼の場で弾かれることで判明するそうね」
セアモンテの守護天使は決まって王家に生まれる。王族以外、ほんの一握りの人間しか知らないはずの事実を言い当てられ、リゲルは言葉を失った。
「オリヴィア様を呼び捨てにしていたし、見た目の年齢から推測して第三王子かしら?」
「どうしてそれを……」
「それは私の人生において守護者があなたで二人目だからよ」
さらりと答えたフォルテューナは苦笑いを浮かべた。どうしても彼らを守護天使とは呼びたくないのよね。だって天使と呼ぶには性格が捻くれてて、かわいくないのだもの。だからフォルテューナだけは彼らのことを守護者と呼ぶ。
「守護者は運命の乙女と出会い真名をつけてもらえるまで、どう試しても名がつけられない。たとえばあだ名のような仮称をつけても、それすら呼ぶことすらできないなんて徹底しているわよね。名がないと色々大変そうだけれど、王子であれば余計に不自由を感じるでしょう?」
王子なのに自国の人間すら名を知らないなんて他国に知られたら要らぬ憶測を生む。だから彼らは表舞台に立つことなく、ひっそりと暮らすのだ。そしてただひたすらに運命の乙女を待ち続ける。
「運に恵まれず、名前のないまま人生を終えた王子もいると聞いたわ」
リゲルの呆けたような顔を笑ってフォルテューナは唇を歪めた。
「内通者の件はね、一人目の守護者が内通者によって命を奪われかけたことがあるからよ。かつて守護者のそばに内通者がいたことを知る私が彼らの存在を疑うのは当然ではなくて?」
「それでは……」
「魔道具のような店と、私の魔法。なぜこんなものが残されているのかというあなたの疑問の説明も簡単につくわ。私はあなたが思うよりもずっと長い時を生きている。私は偉大なる魔法という力が最も濃く受け継がれる時代に生まれた人間なの。だから私は人が失ってしまった魔法の力を今も変わらずに振るうことができる」
翳りを帯び、淡々とした表情で語るフォルテューナはどこか他人事のように冷ややかだ。リゲルの目には、彼女がまるで別人のように映った。
「魔法が失われつつあるこの世界で、今でもかつてと変わらない魔法を操ることができるとすればごく一部の素養のある者か、もしくは……私のような不死者だけ」
死を奪われた愚かな娘、それがフォルテューナの真の姿だ。リゲルは青ざめた。
「どうして、そんなことに」
「事故よ。魔法を使った後遺症のようなもの。私はただ愛した人を助けたかっただけなのにね」
「……」
「彼もまた、あなたと同じ守護者だったわ。あなたに語った知識はそのときに得たものよ」
当時、守護者はセアモンテに対する神の愛だと言われていた。人の身でありながら神のもの。だから名前がつけられないのだと。そして運命に導かれてセアモンテを守護する神の使徒だと考えられていた。
本当は、はじめて彼の顔を見たときにわかっていたのだ。同じ王家の血を引くからだけではなく、リゲルと彼の容姿の特徴はとてもよく似ていた。
「あなた達の使命はセアモンテを守ること。当時は国を救う対価に命を失ったとしても、それすら神の定めた運命とまで言われていたわ。それでも……たとえそれが運命であっても私は彼を失いたくなかった」
奇しくも彼の名をつけたのもフォルテューナだった。唯一、守護者に名前がつけられるのは運命の乙女だけ。偶然が重なって名前を呼んだだけなのに、それだけでフォルテューナの運命は変わってしまった。
「彼に全身全霊をかけて愛されたことで驕ってしまったのかもしれない。だから己が全てをかけて、死にかけた彼を生かそうとした」
「……」
「治癒と回復のさらに上位である、蘇生。今は禁呪とされている高位魔法によって彼は息を吹き返したわ。これぞ運命の乙女が起こした奇跡だと誰もが私を褒め称えた。でもね、やがて私は気がついたの。彼の死を回避する対価を私自身が支払っていたことに」
表面上気づきにくかったささやかな変化。だがフォルテューナ自身はそれが何かをすぐに理解した。
「彼を生かした代わりに私は二つのものを失ったの。まずひとつは死よ」
傷を負っても肉体が勝手に蘇生するから、歳をとらなくなったし、病気もしない。たぶん肉体にどれほどの損傷を受けても死ぬことはないだろう。
「大規模な魔法を行使することで深く影響を受け、肉体が変異することは稀にあるわ。そのひとつでしょうね。ただ年齢のことや病気のことはともかく、怪我については試したことはないから、どこまで有効かはわからないの。死にはしないとしても後遺症が残る可能性はあるかもしれなから試す勇気がなかったのよ」
そしてもうひとつ。フォルテューナは、かけがえのないものを失った。
「彼だけじゃないわ、誰のことも愛せないの」
思いもよらなかった言葉にリゲルは息を呑んだ。
「愛おしいはずの彼と話しても切なさも喜びも感じない。それどころか、誰と話しても憎しみも怒りすら感じることはなかった。平坦で抑揚のない人形みたいな自分しかいないのよ。今思い出しても、悪夢のような日々だったわ」
「……」
「愛されないのは不幸よ。それは間違いないわ。でもね、人を愛することができないということもまた別の意味で不幸なのね。それがよくわかった」
溢れるほどの愛を与えてもらってもフォルテューナは愛を返せない。応えてもらえないことが彼の心を削っていくのにさほど時間はかからなかった。そして愛を失ったフォルテューナには、彼が何に苦しんでいるのかさえわからないのだ。
「それでも次第に病んでいく彼を放置するわけにはいかなくて。いろんな人の意見を聞きながら、ようやく理解したの。私への愛が邪魔をするから彼は幸せになれないのだと」
だからフォルテューナは新たな魔法を編んだ。それこそが、愛を買い取る魔法だった。いくたびか実験を重ね、ようやく完成したとき。フォルテューナはためらうことなく彼にこの魔法を使った。フォルテューナは螺旋階段の下にある部屋の扉を脳裏に思い描く。
「あの部屋には数えきれないほどの愛の骸が埋まっている。あまりにも時間が経ちすぎて場所なんて覚えていないけれど、あの部屋のどこかに彼が捨てた私への愛が残っているわ」
彼が愛を捨てた日。すでに愛を忘れているフォルテューナに悲しみはなかった。残ったのは仕事を全うしたという達成感だけ。冷血、薄情。感情の温度差が周囲との軋轢を生み、やがてフォルテューナは王子の命を救ったにも関わらず王家からも疎まれるようになった。
「運命の乙女を騙る悪女という噂まで流れたのに王家は否定しなかったわ」
「……つらかっただろうな」
「まあ、楽勝ではなかったわね」
「その後、彼はどうした?」
「かわいらしいご令嬢と結婚したわ。たくさんの子供ができて、最後は愛する奥様に看取られながら老衰で亡くなったそうよ。そのころの私はいろいろ面倒ごとに巻き込まれるのが嫌で他国を渡り歩いていたから人伝に聞いた話だけれどね――――幸せだったみたい」
こうしてフォルテューナは対価を支払ってまで救った彼を失ったのだ。
「それでも後悔なんてしないわ。彼の命を救ったことも、そして彼を愛したこともね」
フォルテューナの手元に何も残らなかったとしても、同じことがあれば私はまた同じ道を選ぶだろう。
「でもね、そこから生きていくのもなかなか大変だったのよ。人の世はね、愛で成り立っているの。隣人愛、家族愛、男女の恋愛感情もそう。平穏を維持する根底には愛があって、私が違和感なく人に混じって生きるには愛が何かを知る必要があった」
「……」
「だからこの店を作ったの。いらなくなった愛を買い取るのは愛というものを知識として学ぶため。取り戻せないものもあるけれど、それでも取り戻せるものもあるはずだと信じて作った」
泣いているのだろうか。少女のように無垢な瞳が瞬くたび、リゲルの胸の奥が掻き乱される。
「それでもまだ、愛が何かわからない」
途方に暮れたような声とともに無垢な色をした涙が一粒こぼれ落ちた。とっさに触れたリゲルの指先を伝い、雫は瞬く間に流れて落ちる。フォルテューナは知っていた。この小さな欠片だけがフォルテューナに残された唯一愛に近いものだと。
「それでも長い時間をかけて経験を積みながら、ようやく私は愛らしきものを行動として身につけたの。私の示す愛は感情からくるものではなく、作られたもの。根底に情はある気がするけれど、誰に対してもそれ以上の熱量は持てない」
誰に対しても平等。それを本当に愛と呼ぶのだろうか?
「私の愛は愛ではない。それは私自身がよく知っている。リゲルを助けたのは私の矜持を守るためであって愛があるからではないわ。だから相手を選びなさいと教えたのにね、困った人だわ」
「……」
「ごめんなさい、私はあなたに愛を返せない」
愛を忘れたフォルテューナがリゲルに差し出せるものは愛に見せかけた作りものの愛だけだ。
「呼びにくいからと気まぐれに名前をつけただけなのにね。まさかあなたが守護者だと思わなかったの。そして私があなたの運命の乙女だなんて思いもしなかった」
「……」
「でももうあなたは真名を得た。名無しの影として裏でひっそりと生きることはないわ。堂々と表に出て、王子としての職責を果たすこともできる。かつて私が真名をつけたもうひとりの守護者のようにね。実際のところ、名前を得たあなたにはすでにそういう話もきているのではない?」
リゲルは黙ったままだった。名前がつけられなかったからこそ表に出ることができなかっただけで、元々リゲルは一国の王子だ。真名を得て、王家が公式に認めればすぐにでも地位を取り戻すことができるだろう。そしてかわいらしいご令嬢と夫婦になって幸せに暮らせるのだ。
「運命の乙女として、あらためて王子に相応しい真名を贈るわ。リゲル・テオドロス・セアモンテ。祝福名のテオドロスは古語で神の贈り物という意味があるの。そのうえで、あなたが望むなら私への愛を買い取ってもいいわ。だからもう店に来てはダメよ? ここはあなたにとって必要のない場所になったのだから」
かつての守護者と同じだ。フォルテューナへの愛を捨てることでリゲルは幸せになれる。決して愉快な話ではないだけに、フォルテューナはできるだけ明るい声で話した。普段と変わらない笑顔を浮かべながら、揺れる心を戒めるように自らの手をきつく握る。するとそれまで黙っていたリゲルが視線をあげた。
「たしかに傲慢だな」
彼の唸るような声が響く。前髪の隙間から除く青白い星――――リゲルが怒りに燃えていた。あまりの温度の高さにフォルテューナの背筋が凍りついた。
「っ、だからそうだと自分でも言っているでしょう!」
膿んだままの傷口を深く抉られたような気がして反射的に言い返した。するとリゲルの大きな手が伸びてフォルテューナの体を壁に縫いつける。力強く、それでいて決して傷つけないよう加減ができるあたりで、圧倒的な力の差を見せつけられた。魔法ならともかく力技では絶対に太刀打ちできないわ。フォルテューナの目と鼻の先にリゲルの美しい顔があった。瞬きすら忘れて思わず見惚れてしまう。
「フォルテューナは思い違いをしている」
「思い違い?」
「この愛が私にとって不要なものと決めつける権利はフォルテューナにはないはずだ。耳障りのいい言葉で誤魔化そうとしたってそうはいかない。私が誰を愛するかは、私が決める」
フォルテューナはハッとした。全くもってそのとおりだわ。沈黙が落ちて、フォルテューナは視線を下げた。
「ごめんなさい」
「いや、謝ってもらおうとまでは思っていなかった。素直だと逆にこわいな」
頭上から忍び笑いが落ちてくる。フォルテューナが不満げな表情で顔をあげると、リゲルは壁に縫いつけた力をゆるめた。
「傷つけるようなことを言ってすまない。でもわかってほしくて。私にはフォルテューナが必要だ」
「だけど私には……」
労わるような手つきでリゲルはフォルテューナを抱き寄せると、自分の腕の中に閉じ込めた。
「かつてのフォルテューナは愛を忘れてしまったことでたくさん人を傷つけたんじゃないか?」
「っ、そうよ。私はもう誰も傷つけたくないの!」
「でもきっと同じだけフォルテューナも傷ついたはずだ。傷つけようと思っていたわけじゃないから余計にだろうな」
「……どうして、それを」
「だから愛を買取って、愛とは何かを学んだ。そうすればこれ以上誰かを傷つけないで済むから」
言葉を失ったフォルテューナの髪をリゲルの手がなでる。慣れていないせいか不器用な手つきだ。でも繰り返されるうちに不思議な居心地の良さを感じてフォルテューナは瞳を閉じた。
「その優しさを私は愛だと思うよ」
そんなバカな。こんな後付けの優しさが愛のわけはない。
「フォルテューナの愛は作り物だというけれど、真摯に相手と向き合おうとする気持ちは本物だ。暴力的で一方的に蹂躙するような愛に比べたら、フォルテューナの相手に寄り添おうとする気持ちのほうがよほど愛に近いと私は思うよ」
「……」
「感じ方は人それぞれだ。愛ではなかったとしても、私にはフォルテューナの捧げる優しさのほうが好ましい」
「……なにか適当なことを言って誤魔化そうとしていない?」
「愛を忘れるという状況はなかなか厄介だな。人の好意を感覚的に受け止められない。言葉に置き換えて理解して、ようやく納得できるということか」
苦笑いを浮かべたリゲルの視線がソファーに向いた。
「フォルテューナはあのソファーで寝ていただろう。あれはなぜ?」
「一階には捕獲した三人を閉じ込めている絵があるでしょう? 一応、不測の事態に備えて待機しておいたほうがいいかなと思ったのよ」
「嘘だな。不自然に視線をそらした」
表情を読むな。無言で抗議するように睨みつけると、リゲルは口角を上げた。
「隣に私がいると落ち着かないとかじゃないか?」
「ど、どうしてそれを!」
「恥ずかしいときのフォルテューナは、首筋がほんのり赤く染まる」
とっさにフォルテューナは両手で顔を覆った。私は今、どんな顔をしているのだろう。
「無意識だとしても、その行動が私には愛を感じさせる」
リゲルはフォルテューナの両手を外し、彼女の顔を覗き込んだ。
「ただ暗殺者を閉じ込めた絵と同じ部屋で寝るというのはやめてほしい。城で聞いたときは心臓止まるかと思った」
「えっ、安全対策はバッチリだったのよ?」
「それと無防備な姿で寝こけるのもやめてくれ。隣に私が立っているのに気がつかないなんて襲ってくださいという意思表示かと思った」
「なななんてこと言うの! 乙女の敵だわ!」
「もしくは城に連れ帰って安全確保のために監禁?」
「落ち着きなさい、軽くない犯罪よ!」
「助けてもらった身で資格はないのはわかっているけれど、心配なんだ」
そういえばフォルテューナを部屋のベットに運んだのは彼だ。よくわからないけれど、これも愛ゆえの行動なのだろうか?
「同じ失態を繰り返さないように策を講じてきた。今度こそ私がフォルテューナを守る」
「……」
「君に愛がないことも理解できた。それ以外にも、さまざまな制約を抱えていることも承知している。それでも私はフォルテューナの隣にいたい。ダメかな?」
前髪の間から覗いた青白い瞳が切なく歪む。ああそうか、これがリゲルの捧げる愛なのか。
「それって、つまり私のことが好きっていうこと?」
「なんだ、よくわかっているじゃないか」
「……!」
ますます混乱するフォルテューナを腕の中に閉じ込めたままリゲルは頭頂部に口づけを落とした。ピシリと音がしそうなほどフォルテューナが固まっている。ああ、かわいい。愛を忘れたフォルテューナにこうして少しずつ愛を教えていけば、いつか彼女はそれを愛だと思うようになるだろうか。
「魔法が使えるというだけでなんでも許されるような緩い時代とは違うから、いまさら王子には戻れない。戻る気もないし、意思表示も根回しもしてきた。国を出ることはできないけれど、父からは国内であれば自由に生きていいと言われている」
元々、王家にはいないものとして扱われてきた身だ。そんな自分に名前をつけて、命を繋ぎ止めてくれた幸運と比べるまでもない。真摯なリゲルの言葉にフォルテューナは迷いながらも、ぎゅっと手を握った。
「少しだけ時間をちょうだい。今後のことを含めて、きちんと考えたいの」
「わかった、いい返事を待っている」
手首に軽やかな口づけが落ちた。ああもう、油断も隙もない。あっと口を開いたフォルテューナを笑って、リゲルは音も立てずに店を出て行った。くっ、内側からの警備も厳重にしたのに。どういうわけかリゲルには歯が立たない。それが答えのような気がするけれど認めるみたいで腹が立つのよね!
だからといって忘れていたわけじゃない。
別れの兆しとは、唐突にやってくるものだということを。
原題は『天使の涙』でした……大丈夫か、というくらいに内容が変わってしまったのでタイトルも変えました。




