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フォルテューナ・パンタシア魔道具店 ~店主の私が守護天使に連行されるまでの顛末~  作者: ゆうひかんな
四章 蜘蛛の咬み傷

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第五話


 旦那様――――エリアスは、ただ感情のおもむくままに語り続ける。


「部屋に閉じこもって一週間後、ようやく鍵が開きました。ですが駆け込んだときに人々の見たものは、見る影もなく痩せ衰えて息絶えた蜘蛛と、蜘蛛の力を練り込んだ糸の山でした。そして一年はかかるだろうと思われていた発注書の商品が全て仕上げてあって、きちんと発注書ごとに部屋の隅に並べてあったのです。何があってこうなったのか、一目瞭然でした。まさに心血を注ぎ、寿命を削って仕事を全うしたのです。全ては旦那様のために」


 そして成果物とは別にして、一つ包みが置かれていた。真っ白な繭に包まれていたのは最初で最後に織った蜘蛛から旦那様への贈り物。まさに魂の籠った素晴らしい出来栄えだった。痛みに耐えるように、エリアスは両手を強く握った。


「包みには遺書が残されていました。遺書によると、彼女は愛の証として自らの命を捧げたのです」


 痛みを堪えて、なのに幸せを噛み締めるような顔でエリアスは微笑んだ。オリヴィアはカップの中で不安げに揺れる紅茶へと視線を落とした。


 そして、蜘蛛――――オリヴィアが聞きたいのは、そこから先にあった真実だ。


「それで、旦那様はどうされたの?」


 何があったのか、旦那様が執事を問いただすと彼は青白い顔で数名の使用人を呼び寄せた。彼らなりに不審に思う点があって、一週間をかけて屋内を調べたそうだ。そして使用人達の持ち込んだ証拠と証言により事実が明らかになる。


「侍女達は寝室や応接室などの主要な場所に盗聴用の魔道具を仕掛けて、蜘蛛と旦那様の行動を監視していました。そしてあの日の夜、蜘蛛が一人きりになったところで盗み聞きした内容を悪用し、蜘蛛をさらに追い詰めたそうです」

「つまり蜘蛛に旦那様から捨てられたとでも思わせたわけね」

「それだけでなく、使用人達の証言から日常的に侍女達が蜘蛛を虐げていたこともわかりました」


 嫌がらせのために食事の量を減らし、掃除に入るふりをして糸を捨てたり道具を壊したりして作業の邪魔をする。彼女がやつれていたのはそのためだ。それだけでなく、部屋に置かれた高価な家具や身を飾る装飾品を盗み売りさばいては不当な利益を得ていたらしい。そして全てを蜘蛛のわがままのせいにして悪評を流し続けた。旦那様は家内でのわがままくらいなら許そうと放置してきたが、それすらも捏造だったとは。ところが侍女達は悪意を持って人命を奪ったというのに、全く悪びれることがなかった。


「私達は旦那様のために悪しき蜘蛛を退治したのです」

「邪魔者を排除したのですから褒めてもらいたいくらいですわ!」

 

 呼び名は違っていても蜘蛛とは聖女のことだ。国が保護する大切な人材。侍女が尽くす相手を蔑ろにするという時点でおかしいのに、どうして誰も疑問に思わない?


「怪しいと思った時点で、どうして報告しなかった!」


 執事や使用人達は叱責されても黙ったままだ。だが連絡を受けた王太子殿下が公爵家に到着したことで状況は一変する。まず侍女達が拘束された。しかも全員もれなくだ。そして使用人達の数名が続けて捕縛された。


「こ、これは一体……」

「調査の結果、公爵家の侍女は全員アデライーデの配下だった。そして使用人のうち今回捕縛された人物も王女の息がかかった者だ。アデライーデは公爵家の使用人全員を支配下に置き、内側から公爵家を支配しようとしたらしい」

「まさか、そんな!」

「三年後、おまえにオリヴィエラを離縁させて代わりに嫁ぎ、絶大な権力と潤沢な資金を持つ公爵家当主夫人の座を手に入れる。そのうえで病とか適当な理由をつけて当主を隔離し、当主の権限まで奪うつもりだったそうだ」

「なんておそろしいことを……」

「アデライーデに投げつけられたという証拠を王家の影にあらためて調べさせた。捏造なのはもちろんだが、それ以上に闇は深かったよ」


 王女の配下が捕縛されたことで安心したのか、執事を筆頭とした古参の使用人達がようやく重い口を開いた。自分達はずっと監視されていたこと、王女殿下の紹介で次の勤め先を斡旋するから出て行けと催促されていたこと。そして旦那様には言うなと脅されていたこと。侍女や使用人の中には旦那様に伝えようとして命を奪われた者までいたそうだ。なんてことを……だから彼らは当主である自分にも言えず固く口を閉ざしていたのか。


「アデライーデ王女はどうしてそんなことを考えたのでしょうか」

「……が、いたそうだ」

「は、今なんと?」

「アデライーデには()がいた。相手は男爵家の次男。見目は天使のように美しいそうだが、秀でた能力もない軽薄な男だそうだ」


 外向きには旦那様をお飾りの当主に据え、使用人達に監視させる。そして裏では公爵家の資産と権力を使い、堂々と浮気するつもりだったらしい。爵位と貴族の義務を軽んじているばかりか、人の命を何だと思っているのか。王家の影が調べ上げたと思われる調査資料を差し出しながら、苦虫を噛み潰したような顔で王太子殿下は深々と息を吐いた。


「我が妹ながら、こんな恐ろしいことをよく実行する気になったものだ」


 男に唆されたのか、それともただ単に欲望に火がついたのか。王女が男爵子息と手を組んで公爵家の乗っ取りを図った。これが事実なら王家の醜聞どころじゃない。今後、王家と婚姻する貴族家がなくなってしまうだろう。彼の脳裏にアデライーデの言葉がよみがえる。


『もちろん、子供なんて作ってはダメよ。身持ちの悪い娘だもの、誰の子かわからないわ』


 オリヴィエラとの間に子供ができなければ、アデライーデとの間に生まれた子が嫡子となる。だがアデライーデの言葉を借りれば、()()()()()()()()()


「まさか私を標的に選んだのは……!」

「相手の男と容姿の特徴が似ていたからだ」


 プラチナブロンドの髪に、同じ色の瞳。王女が嫁ぐにふさわしい上位貴族で、男爵子息と同じ色合いを持つ男は自分しかいなかった。


『私の()()()()姿()()()()を持つのはあなただけ』


 アデライーデの言葉の真意はこういうことだった。つまりアデライーデの自分への愛は見せかけで、オリヴィエラは巻き込まれただけの犠牲者だ。自分を愛したばかりに、彼女はアデライーデの配下によって排除された被害者ということになる。


「やめなさい、私は伯爵家の娘よ! 兵士ごときが穢らわしい手で触れていい相手ではないわ!」

「卑しい娘が亡くなったくらいで、どうして私達が捕らえられなければならないの!」


 捕らえられた侍女や使用人達は皆、激しく抵抗しながら同じような言葉を口にする。そういえば王女の取り巻き達は皆、身分至上主義者ばかりだった。こうして観察すれば彼らの繋がりなんて容易にわかりそうなものなのに……最後まで気がつくことができなかった。全ては、自分の不甲斐なさのせいだ。


「おまえ達は何もわかっていない。あれほど秀でた能力を持つオリヴィエラが普通の娘なわけがないじゃないか!」


 温厚と評判の王太子殿下があまりの醜態に耐えかねたようで声を荒げた。


「蜘蛛としての役目を全うさせるため、適性のある人間は生まれたときから身分に関係なく召集される。そして身分によって忖度されないよう蜘蛛の出自は徹底的に隠すことになっていた。国家機密の扱いだから、オリヴィエラの生まれや身分も私と王しか知らない」


 両親は名前すら付けさせてもらえないというのだから徹底している。他国では尊い存在と持ち上げられた聖女が傲慢になり力を失うという事例が後を絶たず、聖女を生んだ家が不相応な利益や権勢を握ることで争いを生むことを避けるためだ。

 

「だが蜘蛛が亡くなったとき、国は彼女達の出自を公表する。今まで家族と引き離した償いに、国が主導して蜘蛛を家族の手で弔ってもらうためだ。残された家族には蜘蛛の功績を讃えて褒賞を支払い、埋葬まで見届ける義務を負っているのはおまえ達も知っているだろう?」


 そして皮肉にもオリヴィエラが亡くなったことで、ようやく身分を明らかにすることができる。


「オリヴィエラは王女だ。私とアデライーデの妹」

「……っ!」

「王女であり、蜘蛛として国家に尽くしたオリヴィエラの葬儀は国が執り行う――――アデライーデの処罰についてはこれから話し合われるが、同じだけの熱意を持っておまえ達を裁くことを約束しよう。覚悟しておくがいい」


 その場に痛いほどの沈黙が落ちた。罪を犯した侍女や使用人達は衝撃に耐えかねて崩れ落ち、小刻みに震えている。知らないとはいえ、王女の命を奪ったのだ。命令に従っただけであっても幇助した罪は想像以上に重いものとなるだろう。


 別の意味で阿鼻叫喚渦巻く部屋から次々と罪人が引きずり出されていく。そして王太子殿下はオリヴィエラの部屋に踏み込んだ。繭のように糸でびっしりと囲われた部屋の内部にギョッとした顔で目を見開いて……ベットに横たわるオリヴィエラの脇に静かにひざまずいた。息絶えたオリヴィエラは幸せそうに微笑んでいる。


「こんなになるまで追い詰められて。許されるとは思わないが、すまない。アデライーデの狂気に気がつかなかった私の落ち度だ」


 王女の狂気。身分や性別など関係ない。たった一人のために無実の人々を次々に死へと追いやったことを狂気以外なんと呼ぶのか。


「申し訳ありません、オリヴィエラを……王女をお守りすることができず」

「……っ、た」

「殿下?」

「どうして見捨てた、おまえになら託せると信じていたのに!」


 胸ぐらを掴んだ殿下の手が震えている。彼の絞り出すような言葉は嗚咽に呑み込まれた。旦那様の視界が涙でにじむ。

 自分もそう思っていた、蜘蛛を守ることができるのは自分だけだと。

 これは驕った私の罪だ。たとえ巻き込まれた側であったとしても自分は許されないだろう。

 そして盛大に執り行われたオリヴィエラの葬儀のあと、今回の件に関わった者全員にふさわしい罰が下された。


 まず、首謀者であるアデライーデ王女は。


「どうして私があんな男に嫁ぐのよ!」

「自分がオリヴィエラを嫁がせようとした相手をあんな男と呼ぶとはな。身分は申し分ないし、聖女が嫁いでも疑問には思わない相手だとそう言っていたじゃないか」


 彼女は王命により降嫁した。相手はオリヴィエラを嫁がせようとした陰湿で粗暴と評判の男性のうちの一人。そのほうが、死を賜るよりもきびしい罰となるだろうという判断からだ。人には言えない悪癖を持つと囁かれる夫は監獄のような別邸を用意して、そこにアデライーデ王女を住まわせたという。侍女や使用人達は当主の指示に従ってアデライーデを奴隷のように扱って……それ以降、アデライーデ王女の消息は記録に残されていない。


 続いて、唆したとされる男爵子息は。


「違う、全部彼女が勝手にしたことだ!」

「公爵家のことには関与していないとしても、王女から多額の資金援助を受けていただろう。あれは国庫の金だ。つまりおまえは国庫の金を横領したことになる。借りた金は国に返還してもらわねばならない」


 金遣いの荒さから予算を使い切ったアデライーデ王女は、取り巻きを唆して国庫の金を流用し、男爵子息に貢いでいた。男爵子息は使った金の返還を要求されたが、すでに男爵家は取り潰しになっている。家に頼ることもできず、己の才覚で稼ぐこともできない男は結局奴隷に身を落とし、一生かけても返しきれない借金を抱えることになったという。


 そして証拠を捏造した王女の取り巻きや、彼女を虐げていた公爵家の侍女や使用人達は。


「私達は皆、アデライーデ様のご命令に従っただけです!」

「臣下として諌めることをしなかった。この期に及んで言い逃れはできない」

「相手は王女殿下です、断るなんてことができるわけがないじゃないですか!」

「公爵に通報しようとした侍女の命を奪ったのは命令ではなかったはずだ。自分を守るための犯行だったということは調べがついている」


 全員、命は残されたものの身分は剥奪、平民に落とされた。特に悪質だとされた侍女三人は罪人として国外に追放されることも決まっている。貴族の身分と特権を失うということは身分至上主義の彼らにとって死ぬよりも厳しい罰だ。アデライーデに守ってもらえると思っていた彼らは想定外の結末を受け入れがたいようで、判決を聞き暴れて取り乱すばかりだ。そんな彼らを王太子は冷ややかに笑った。


「死んだほうがマシだというのなら、それでもかまわないぞ」

「……そ、それは」

「貴族にふさわしい死を与えるだけだ。さあ、誰からはじめる?」


 取り巻きも、侍女や使用人達も、全員が沈黙した。

 そして最後は旦那様の番。


「我々は、おまえを許すことはできない」

「覚悟はできております」


 虚言に惑わされ、蜘蛛を守りきれなかった罪。旦那様は爵位を落として伯爵となった。彼は命をもって償う代わりに、王の命に背いた者の末路を人々に知らしめる見せしめとして生かされることになったという。


「旦那様は独身を貫き、蜘蛛への愛に殉じました。そんな彼が死ぬまで願い続けたことは一つ。生まれ変わったら、もう一度蜘蛛に会いたい。そして次に会ったときは今度こそ自らの手で幸せにすると誓ったのです」


 使用人達はそっと胸の奥で物語に現実を重ねる。旦那様とはまるでエリアス自身のようではないか。そして彼の愛する蜘蛛とは……オリヴィア王女のこと。エリアスの軽妙な語り口は聞き手を惑わせる魅力にあふれていて、使用人達はいつのまにか彼の話術にはまっていた。


「邪悪な王女に翻弄されながらも旦那様が愛したのは蜘蛛だけです。そして蜘蛛もまた、命をかけて愛したのは旦那様だけでした。これこそ命をかけて愛を貫いた男女の美しい物語だとは思いませんか?」


 そう締めくくり、エリアスは口をつぐんだ。何かが起きる期待と予感に、侍女や使用人達は胸を膨らませる。どこか波乱を待ち望む彼らの期待に満ちた表情をみて、エリアスはひっそりと口角をあげた。よかった、うまくいきそうだ。手ごたえを感じた彼もまた期待に胸を躍らせる。


 大丈夫だよ、オリヴィエラ。私はもう間違えない。


 記憶を取り戻した今、君は私が守る。さあ、難しく考えることはない。昔みたいに、この胸へ飛び込んでくればいい。君の名誉が傷つくことなく王弟殿下との婚約を覆すための手筈は整えてあるから。

 

「この物語になぞらえるならば、今も旦那様(エリアス)が愛するのは蜘蛛(オリヴィア様)だけです。そして蜘蛛(オリヴィア様)が愛するのもまた旦那様(エリアス)だけのはず。どうでしょう、違いますか?」


 エリアスは甘やかな微笑みを浮かべた。大人の色気が滴るようで、若い侍女達はほんのり頬を赤らめる。エリアスは席を立ち、乞い願うようにオリヴィアの前にひざまずいた。


「私()今もあなたを愛しています」


 部屋にいる誰もが息を呑んだ。もちろん、オリヴィアも。こうも堂々と口説いてくるとは思わなかったわ。見上げるようにしてエリアスはオリヴィアの瞳の奥を覗き込んだ。

 彼は自分が選ばれることを疑っていないし、周囲の人間は緊張と期待が入り混じった複雑な表情を浮かべている。思考を読まれないようにオリヴィアはそっと瞳を伏せた。


 ――――よかった、フォルテューナに愛を買い取ってもらって。


 オリヴィアは心からそう思った。もし愛を失っていなければ、当初懸念していたものとは全く異なる感情が支配していただろう。別の意味で問題を起こしていたかもしれない。

 オリヴィアはエリアスを睨みつける。


 よくも自分は被害者だという顔でここに来れたものね!


 真実を話したのは私が感謝して再び彼を愛するとでも思ったからか。ふざけないでほしいわ。今の話のどこにときめく要素がある。どれだけうまく取り繕っても、今のオリヴィアには誠意の欠片も感じられなかった。

 蜘蛛のもっとも近くにいて、唯一味方になってくれるはずの旦那様。旦那様が毅然とした態度でアデライーデの要求を跳ね除けていたら、蜘蛛は無駄に命を散らすことはなかった。それを中途半端に拗らせたからこそ、蜘蛛は命がけで身の潔白を証明しなくてはならなかったのだ。


 なんて、くだらない男。彼に囚われるなんて時間の無駄だわ。


 胸に手を当ててもオリヴィアの心音は変わらないし、体温も上がらない。つまり内側に潜むオリヴィエラにとっても憎む価値すらない男となったということだ。


 いいわ、きっちり私が退治してあげる。

 オリヴィアは怒りを抑えて伏せた視線をあげると、なんの感情も浮かんでいないきれいな顔で笑った。


「つまり要約すると旦那様がしくじって蜘蛛を失ったということね。そこに美しさなんて欠片も感じないけれど、公爵閣下の感性は独特のようだわ」

「……は?」

「だって蜘蛛の言い分を聞かずに王女の嘘をまるっと信じたわけでしょう。蜘蛛にすればいい迷惑よ」


 冷ややかな視線がエリアスを射抜いた。オリヴィアの口調はどこまでも冷淡で皮肉げだ。そして使用人達もハタと我に返った。……アレ、あらためて言われてみれば。部屋を満たしていた異様な興奮は、あっという間に霧散する。

 

 さあ、絶望しなさい。あなたには憎しみすら与えてあげないから。

 そう心に決めたオリヴィアの顔には何の感情も浮かんでいない。


「閣下がおっしゃりたいのは、大切にすべきものを見誤ると幸せにはなれないという教訓。すばらしいわ、先人の教えの一つとして覚えておきましょう」

「教訓? そういう意図があって話したわけではない!」

「あら、そうなの。でも物語には聞き手への教訓が含まれているものだと、よく言われていることでしょう?」


 にっこりと笑ったオリヴィアは侍女に合図を送り、席を立った。


「時間になったわね。二度とお会いすることはないでしょうけれど、ご健勝で」


 非公式の場ではあっても他国の王女が会わないと宣言したのだ。

 事実上の決別だった。


「ま、待ってくれ、オリヴィエラ」

「名前を間違えるのは不敬ですわよ。私はオリヴィア・グレース・セアモンテ。いくらご自身に価値のある物語だろうと取り憑かれすぎてはいけませんわ、公爵閣下」


 オリヴィアは、あからさまに眉を顰めて見せる。


「貴国には婚約者選定の折に大変お世話になりましたから、この場での不敬は問わずにおきましょう。ではこれで失礼します。これから王弟殿下……婚約者に会う準備をしないといけませんの」


 若い娘らしく、オリヴィアは華やかに笑った。

 婚約式はセアモンテで行われる予定だ。王の立ち合いのもと、二人が契約書に記名すれば婚約は成立する。オリヴィアは正式に王弟殿下の婚約者となるのだ。あの包み込むような眼差しを思い浮かべると、ほんの少しだけ胸の奥が熱くなる。


 よかった、愛を買い取ってもらえて。

 もう二度とこんな気持ちを味わうことなんてないと思っていたのに……とてもうれしい。


「あなたの教えてくださったとおり、大切にすべきものを見誤っては幸せになれないものね!」


 エリアスは顔色を青くする。

 そんなバカな、先日別れたときはたしかに愛が残っていたはずだ。煽り立てれば容易に燃え上がるような残り火があったはず。

 変わった、とまどうようなエリアスの声が震えている。


「ここ数日であなたに何があった?」

「特に何もありませんわ。日々忙しくて()()()をする余裕もないのよ」

 

 オリヴィアは大真面目な顔で、さらっと嫌味を返した。背後から使用人達の呆れたような視線がエリアスに突き刺さる。

 オリヴィアはふふっと笑った。

 お互い別々の人生を歩んでいるのだ。いまさら不幸になれとは思わないが、物語に振り回されて王女に横恋慕した勘違い男と思わせるくらいは許されるでしょう。


 これに懲りて二度と手出しするんじゃないわよ!

 オリヴィアは軽やかな足取りで扉に向かう。その背中にエリアスの声が響いた。


「君は私を捨てるのか!」

「捨てるも何も、最初から選んでいないのですが……でもそうね、もし私が蜘蛛だったら旦那様にこう申し上げるでしょう」


 振り向いたオリヴィアはオリヴィエラと同じ色合いの瞳を愉快そうに細め、剣先のように扇子をエリアスに向ける。


「小さな蜘蛛の咬み傷と甘くみているから痛い目にあうのよ」


 小さな傷は熱を孕み、膿んで本体を腐らせることもある。

 オリヴィアの嘲るような声にエリアスは顔を跳ね上げた。

 無償の愛だって与えるばかりでは枯れてしまうもの。何度生まれ変わっても、あなたを選ぶことは二度とない。

 オリヴィアなりの決別の言葉だ。


「オリヴィエラ……」

「失恋の傷を癒してくれる誰かに出会えることを祈っていますわ」


 呆然と膝をついているエリアスを残して、振り向くことなくオリヴィアは部屋を出て行った。


 ――――


 そして一ヶ月後、つつがなく婚約式は執り行われオリヴィア・グレース・セアモンテ王女はテナモジュール王国の王弟ロラン・テナモジュールの婚約者となった。二人は時間の許す限り両国を行き来して、ゆっくりと着実に愛を深めていく。誠実で優しく頼もしい婚約者ができた彼女は、自信に満ちあふれ、バラが花開くように気品ある優美な女性へと成長した。そんな彼女を王弟殿下は他人にわかりやすく溺愛したという。

 それがオリヴィアの希望でもあるから、と。

 それから一年後、王女はテナモジュールへと嫁いだ。


 彼女が愛した赤いバラと、国民による祝福の声に包まれながら。


 

オリヴィアのお話は終わりです。過去に囚われる男性と未来を向く女性の決して交わることのない恋のお話でした。次からはフォルテューナの周囲が騒がしくなる閑話のようなお話が続きます。引き続き、お楽しみいただけるとうれしいです。

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