第一話
息抜きで書きました。お楽しみいただけるとうれしいです。
「まあ、本当に。こんなところに魔道具店が」
スウォル通り、まっすぐ進んで突き当たりを右に曲がったところにある荒屋と教会の間。鬱蒼と繁った木の隙間から生えるように建っている変わったお店なのよ。友人は謎めいた表情で店の場所をチェチーリアに教えてくれた。
「雑然としているけれど、小綺麗にはしているわね」
表通りの店はともかく、通りから外れた場所にある店は酷く汚れたり、屋根が傾いたりして何を売っているのかわからない店も多いと聞く。だからこんな裏通りの最果てにあるような店が、噂に聞くよりも、きちんとした外観をしていることに驚いた。まあ、店の端に積み上げた木箱と樽の隙間からのぞく薬草や何かわからない素材が気になるけれど……。建物の外観に大きなシミや汚れもないことから、まめに掃除はされているようだ。
扉のガラス越しに店内を覗き込むけれど、人の姿は見えない。天井や窓から降り注ぐ陽の光で店内は明るく照らされているから、雑然としていても嫌な感じはしなかった。白く塗られた扉を開けるとカランカランという軽快なドアベルの音が鳴る。
「誰もいないのかしら?」
「いいえ、ここにおります。お待たせして申し訳ありません」
ハッとしてチェチーリアが振り向くと、扉の脇にある小部屋から店主らしき女性が姿を現した。焦茶色の瞳に焦茶色の髪、白地の上着に丈の長いスカートを履いて金の縁取りがついた紺色のローブを羽織っている。どこか神秘的な雰囲気を漂わせる美しい人だ。視線が合うと、彼女の深い知性を湛える瞳が柔らかく弧を描いた。
「フォルテューナ・パンタシア魔道具店へようこそ。私が店主のフォルテューナですわ」
胸に手を当てる礼の姿勢がきれいだ。下町の店の店主にしては所作が洗練されている。フォルテューナは日当たりの良い一角に設えたテーブルへとチェチーリアを誘うと、慣れた手つきでティーカップに紅茶を注いだ。
「本日はどのようなご用件でしょう?」
「こちらは魔道具店と聞いているのだけれど、間違いないかしら?」
「はい、間違いございません。当店では古今東西の珍品から日用品まで、魔道具であれば幅広く取り扱っております。ごく一部ではありますが魔法薬や魔法書のお取扱いもございますので、お探しのものがあればお伺いしますわ」
「買い取りはなさらないの?」
「もちろん、買い取りも受けておりますわ。どのような品でしょう?」
少しだけ迷ったけれど、チェチーリアは覚悟を決めて口を開いた。
「愛を買い取っていただきたいの」
するとフォルテューナの表情が変わった。柔らかく微笑む顔に影がさした。
「それはどういうことでしょうか?」
「友人に教えてもらいました。こちらでは不要となった愛を買い取ってもらえると」
「……もしかしてモンタルク様からお聞きになりました?」
「ええ、彼女とは貴族学院の友人なのよ! ずっと悩んでいて相談していたから、もしよかったらとこちらを」
「でしたら、お受けしなくてはなりませんね」
断られることもあると聞いたけれど、よかった。手応えを感じたチェチーリアは、ほっと息を吐いた。
「それでは、どのような商品なのか教えていただけますか?」
小皿に盛られた甘いお菓子が紅茶の隣に並ぶ。あっ、と小さく叫んでチェチーリアは唇を噛んだ。
「甘いものは心が落ち着くといいますので……っと、どうされました?」
「これは、あの方が好きなお菓子なのです」
フォルテューナが首をかしげると、かすかに震えるチェチーリアの指が小さなチョコレートのお菓子を示した。それだけでも察するものがあったようで、フォルテューナは皿を下げるために手を伸ばした。
「嫌な思いをさせたようですね、申し訳ありませんでした」
「いいえ、いいえ……むしろもういいのです!」
チェチーリアはチョコレートの菓子をひとつ摘んで、勢いよく口に入れた。甘い、私には甘すぎる。だけどこれが好きだというのなら、やっぱり私には無理だった。
「聞いてくださいますか、私の話を」
「もちろんです、是非聞かせてください」
向かい合わせに座ったフォルテューナは優しく彼女の手を握った。
――――
チェチーリア・クレイン。クレイン伯爵家の長女で、二つ歳上の兄イヴァーノと二つ歳下の妹ダリアがいる。黒髪に焦茶色の瞳、地味な容姿に落ち着いた性格で、体を動かすよりも勉強したり本を読むほうが好きだ。でも決して口下手なわけではなく、聞かれればきちんと意見を言うし、友人とのおしゃべりだって嫌いじゃない。そんなチェチーリアには兄と同級生の婚約者がいた。
彼の名はラウル・サバティーノ。サバティーノ伯爵家の次男、当時は貴族学院の生徒で騎士になるため訓練をしていた。友人である兄経由で知り合ったのだが、婚約者となったのはチェチーリアの一目惚れからだ。見た目がチェチーリアの理想を絵にしたような男性で、実直な物言いにも好感が持てた。そんなチェチーリアの好意にまずは兄が気がつき、母に伝えて母が父に話して。父はラウルの身辺調査を行って婚約者はいないし、素行も問題なしと判じた。年齢差もちょうどいいし、家格も釣り合う。相手方は騎士の家系だから堅実なチェチーリアの性格にも合うだろう。そう判断してサバティーノ家に縁談を持ちかけた。
そして相手方もチェチーリアの釣書を見て乗り気になり、縁談はまとまった。チェチーリアが十四歳、ラウルが十六歳のときだ。そこから少しずつ二人で過ごす時間を増やして距離が近づいていく。あのときはたしかに愛されていたのに。
「障害がなさそうに思えますが……何があったのですか?」
「妹がラウル様を好きになったの」
沈黙が落ちた部屋に不吉な未来を予感させる言葉が響く。
妹のダリアは名前のとおりに花のような娘だった。同じ黒髪に焦茶色の目をしていたけれど、お姫様みたいな、気品のある優美な顔立ちをしている。そして言動が派手で、そこにいるだけで人目を引くような華やかさがあった。愛嬌もあり社交的で、屋内に閉じこもるよりもお茶会や買い物に行くのが大好き。そんな軽やかなところも注目を集める要因だった。性格も印象も自分とはまるで違う妹。だからまさか同じ相手を好きになるなんて思いもしなかった。
「姉妹だから好みが似てしまうのは仕方がないと思っていたわ。だけど婚約者は私なの。両家の契約があるのだから二人の婚約は守られると思っていた」
結婚後は伯爵家の持つ子爵位が与えられることになっていた。分家としてこなす役割や家内を差配する勉強も修了し、貴族学院の成績も上位三位内を保って成績優秀者として表彰もされたチェチーリアに瑕疵はない。だからこの状況で婚約をどうするなんて話が出るわけがないと、そう固く信じてきたのに。
「気がついたときには、妹が私の居場所を奪っていたのよ」
「たとえばどんなふうに?」
「婚約者としての義務である月に一度のお茶会では私の代わりに話すの。毎回、ラウル様と二人楽しそうに話すのを見せつける。挙げ句、私のことを愛嬌がなく気遣いのできない人間なのだと困った顔で言っていたわ。どちらが気遣いできない人間なのかしらね? それにラウル様から贈られた花も、お菓子も装飾品も。妹に甘い両親を巻き込んで欲しいとねだるから、全て妹のものになってしまった」
妹が泣き出すと両親はこういうのだ。可哀想に、姉なのだから譲ってあげなさいと。どうして婚約者からの贈り物まで譲ってやらなくてはいけないの。可哀想なのは私じゃないとそう答えれば、今度は意地悪だとチェチーリアが責められる。やがてダリアはお茶会や買い物の際に、仲の良い友人達へチェチーリアの愚痴を漏らすようになった。
姉に意地悪されているの。
妹にとって都合の良い内容に書き換えられた噂は瞬く間に広まって、チェチーリアは嫉妬深い姉で、妹をいじめる性格の悪い女だと噂されるようになってしまった。やがてその噂はサバティーノ家の耳にも入り、クレイン家に苦情が入った。質の悪い噂が流れているが、どういう教育をしているのかと。するとどういうわけか、両親はチェチーリアを叱責した。
「要約するとね、疑われるほうが悪いという理屈らしいわ。品行方正であれば誰も悪口なんて信じないから、こんな噂が立つわけがないと。噂が立つのは、私の素行が良くないからだと言うのよ。無責任に面白おかしく脚色した噂を流す人間だっているのにね」
「それはつらかったですわね」
「でもね、一番つらかったのは妹の流した噂をラウル様が否定されなかったことよ」
たった一言でいい。周囲にそれは違うよと言ってくれたら、まだ救われたのに。彼女の胸の痛みを想像してフォルテューナは瞳を伏せた。
「騎士になるくらいだから、曲がったことが嫌いで真っ直ぐな性格だとは知っているの。でも婚約者として過ごした期間があるのだから、いくらでも私を知る機会はあったでしょうに。私がどんな性格で、どういう考え方をする人間かわかっていたでしょうに!」
誰が疑おうと、ラウルには最後まで信じてもらいたかった。
「それが悪いことをしていないと神に誓えるか、ですって!」
神に縋らなければ、婚約者の無実が信じられない。それはもはや信用していないのと同じことだ。憤るチェチーリアの瞳から涙がひと粒、あふれて落ちた。
「それで、どうされましたか?」
「迷わず誓ったわよ、本当にやっていないもの。そしたらね、ようやく信じてくれる気になったらしいわ」
だがもう手遅れだった。家族と婚約者が否定しないから、周囲は妹の虚言を本当のことだと信じている。噂は真実として語られ、もはや払拭することができないほどに広まっていた。
「噂を聞いた誰もがこの愛を悪だというの。嫉妬するほど愛するのは間違っている、と」
もちろん意地悪で揶揄する人もいた。だが親切心から諭す人間もいて、それがかえってつらいのだ。
「もし彼らのいうように私の愛が間違っているのなら、買い取ってもらいたいの」
痛みに耐えるチェチーリアはフォルテューナの手を強い力で握り返した。この痛みは、怒りの裏返し。ああ、こんなにも彼女は怒りに震え、現実に絶望している。
――――これほどまで、愛を捨てたいと願っているのか。
「味方はいないのですか?」
「兄と、一握りの友人は私の無実を信じてくれた。チェチーリアはそんなことをする娘ではないって。だからこそ、余計に薄っぺらい彼の気持ちに気がついてしまって、もうどうでも良くなったの」
とはいえ、婚約は契約と同じだ。解消にしろ、破棄にしろ、どちらを選んでも傷がつく。それならむしろダリアと婚約を結び直すよう父に勧めたい。婚約者の変更、そうすれば誰も傷つかずに幸せになれるから。チェチーリアは胸の辺りを押さえた。
「最善の手段だとわかっているのに。いざ実行しようとすると、この気持ちが邪魔をするのよ」
なぜかしらね。微笑む彼女の声が震えている。
「愛を捨てた先にあなたの幸せはありますか?」
「私の幸せなんて……そんなもの、もうどうでも良くなってしまったの」
「いけませんね。あなたには幸せになる権利がある」
誰もが幸せになれる輪の中にチェチーリアが含まれていない。最後に残された愛は、彼女に大切なことを教えようとしてくれたのだろう。フォルテューナは自らの手からチェチーリアの強く握った手をやんわりと外した。
「あ、ごめんなさい! 痛かったわよね?」
「大丈夫ですよ、その気持ちがわかりますから」
そしてチェチーリアの手を包み込むように握り返した。
「不愉快に思われるかもしれませんが、ひとつ、本当の気持ちを聞かせていただいてもいいですか?」
「ええ、もちろん。何かしら?」
「私はあなただけが幸せになるような結末を選んでもいいと思うのです」
「えっ?」
「あなたの愛が間違っていると決めつける権利は他人にないのですよ。あなたは婚約者を愛していて、婚約関係は継続しています。このままいけば数年後にあなたは愛する人と結婚できる。そして数年を待たずして、あなたの妹にも別に婚約者ができるでしょう。彼女だっていつまでも姉の婚約者を愛してはいられない」
「……それは」
「噂だって賞味期限があります。時間が経てば陰で囁かれることはあっても表立ってあなたを批判することはできません。だってあなたは彼の妻なのですから。話を聞く限り、婚約者としての務めを立派に果たしてこられたあなたに落ち度はありません。でしたら、ただ待てば良いのです。愛を捨てることなく時間が過ぎるのを待つ。そういう道もあなたには残されています」
「……」
「一度、失われた愛を取り戻す魔法はありません。それでも、あなたに愛を捨てる覚悟はありますか?」
チェチーリアは、ぎゅっと目をつぶる。そして脳裏に浮かんだ思い出を語るようにつぶやいた。
「先ほど食べたチョコレートはラウル様が好きだというお菓子なの」
「ええ、そう聞いています」
「でもねこれ、元々は妹が好きだからと買ってきたお菓子なのよ」
「……」
「妹が美味しいのよ、って教えたお菓子をラウル様が好きになったの。美味しいね、って笑って好きになった」
声が震えて、閉じた瞳の奥から涙がこぼれ落ちる。
――――あんな無防備で優しい笑顔をラウルはチェチーリアに見せたことがなかった。
「ラウル様が好きだというチョコレートのお菓子が、私には甘すぎる」
チェチーリアは、瞬きすることで目尻に残った涙をふり落とした。そして覚悟を決めた眼差しでフォルテューナの視線を受け止める。
「私だけでなくラウル様にとっても、この愛は不要なものになったの。だからもう、いらないわ」
「いいでしょう、お買い取りいたします」
ハンカチを手渡しながらそう答えると、フォルテューナはテーブルの脇にある文机の引き出しから古びた鍵の束を取り出した。それを見やすいようにとテーブルの真ん中に置く。
「これは鍵よね?」
「はい。しかも特別な部屋の鍵です」
フォルテューナは鍵を握りしめると、反対の手でチェチーリアの手を取った。そのまま導くように螺旋階段で地下に降りていく。壁のいたるところに蝋燭が灯されて、地下だというのにとても明るい。しかもこれはハーブの香りかしら? 心地よい香りに包まれていると、陽だまりにまどろむような幸せを感じる。
誘われるようにして地下に到着すると地下室には形状の異なる木製の扉があった。全部で三つ……チェチーリアの視線がそのひとつに引き寄せられた。
「こちらの扉が気になりますかしら、さあどうぞ」
視線の先にある縁の丸い扉を指して、フォルテューナはチェチーリアの手の上に鍵を置いた。
「この部屋に入ったら、机の上に指示書があります。その指示に従ってください。部屋の中にはベットや食事も用意されていますから休憩されてもかまいませんよ。その代わり、自分自身が納得するまで向き合うこと。そして全てが終わったら、この鍵をご自身の手で外側からしっかりと掛けてくださいね。それが一番重要です。お忘れなきように」
「あなたは一緒にいてくださらないの?」
「部屋に入ればわかると思います。この部屋はあなたのためにあるものです」
「……」
「ご不安でしたら引き返すこともできますよ。そういうお客様もいらっしゃいました。どうされますか?」
大きく息を吐いて、チェチーリアは扉を見つめた。
「行くわ。この気持ちを止められるのなら何でもする」
「ご心配いただかなくても大丈夫です。こわいことは何もありません」
そして最後にフォルテューナは唇に指を添えた。
「ご承知のこととは存じますが、この先で見たことはくれぐれも秘密に」
ひとつ大きくうなずいてチェチーリアは自ら扉を開いて奥へと消えた。
そこから、どれくらい時が過ぎただろうか。
カチリ。
部屋に鍵の掛かる気配がして、フォルテューナは地下へと向かった。視線の先ではチェチーリアが扉の鍵を握りしめたまま、ぼんやりと立ち尽くしている。
「気分はいかがですか?」
「悪くないわ。新しい自分に生まれ変わった気分よ」
焦点が合ったチェチーリアの顔に幸せそうな笑みが浮かぶ。フォルテューナは微笑んだ。
――――間違いない、成功だ。
「そうですとも、まさに生まれ変わったのです。どうぞ、お幸せに」
「もちろん幸せになるわ!」
弾むように答えてチェチーリアは軽やかに階段を上がっていく。来たときとは違って自信に満ちあふれた背中だ。それにしても、とフォルテューナは皮肉げに笑う。チェチーリアは自分が愛を捨てたら誰もが幸せになると言っていたけれど、本当にそうかしらね。この後の展開が楽しみだ。
店を出て、大通りまで見送ったフォルテューナは最後にチェチーリアの手を握った。
「チェチーリア様に幸運を。またのお越しをお待ちしております」
どうしても、店主にこの先で見たことはくれぐれも秘密にと言わせたくて書きました。たびたび出てくるのでそこも含めてお楽しみいただけるとうれしいです。