躊躇と油断
ベスパたちは、試しの洞窟の最奥にある巨大ホールと呼ばれる広場にいた。
「確かにアルネの言う通り、鎖に繋がれているが…」
鎖に繋がれているのは年老いたゴブリンだった。ゴブリンは興奮してこちらを威嚇している。そしてゴブリンの後ろには卒業プレートが見えていた。
「弓矢や魔法を使えば、こちらに被害なく、一方的に倒せるよ」
ホルスが提案する内容には間違いはない。だけど…こんな一方的な殺戮が許されるのだろうか? ベスパの中に疑問が残る。
「これをどう乗り越えるかも、試験の課題なんだろう」アロックが剣を構えながら話を続ける。「あれだけ動いていると、アルネの弓矢では一撃で急所は狙えない。ホルスの電撃で仕留めるのが一番良いと思うのだが、心苦しいならば、俺が剣で仕留めよう」
洞窟までの道のり、洞窟内の様子、つまりここでMPを使い果たしても、問題はない。ホルスは何も役に立っていないのも心に引っかかっていたのだ。
「わかった。僕が殺ろう」
電撃の詠唱が完了するまで、年老いたゴブリンを見る。威嚇しているようだが、その眼は恐怖に支配されていた。立場が違ったら、僕だって、こんな…殺され方は嫌だな。
詠唱が完了するまで、残り一秒にも満たない短い時間に悲劇は起こった。ゴブリンを繋いでいた鎖が切れたのである。それが老朽化が原因なのかどうかなど誰もわからない。ゴブリンはただ年老いたわけではない。若き日に他の種族と命を懸けた戦いを生き抜いてきた知識と経験があった。ゴブリンは詠唱を中断させるため、ホルスの喉に尖った爪を刺し込んだ。
人が眼の前で殺される恐怖。それは体験した者でないとわからないだろう。アルネも恐怖で全身が硬直していた。そんなアルネを狙ってゴブリンは、尖った爪でアルネの両肩にガッシリと差し込み逃げられないようにしてから、汚く鋭い牙で首に噛み付いたのである。
ベスパは先にホルスへ止血Lv1、再生Lv1、回復Lv1を連続してかけていたため、アルネがゴブリンに襲われている様子は見ていなかった。
俺がやるしかないのかっ! ガタガタと震える右手を左手で押さえて、アロックがゴブリンに近づく。
ゴブリンは抵抗する気力もない人間の頸動脈を食いちぎると、女の腰にあった短剣を抜き、近づく戦士と対峙する。
ベスパは先にホルスへ止血Lv1、再生Lv1、回復Lv1を3セットかけると、周囲の様子を確認する。すると、今度はアルネが首から血を大量に垂れ流し倒れているのを発見する。アルネに近づくと、止血Lv1、再生Lv1、回復Lv1を連続してかけ始めた。
アロックは恐怖で剣を落としてしまい、盾の裏側で亀のように丸くなり、ゴブリンの猛攻を防いでいた。アロックは自分の死を予感していた。嫌だ。死にたくないよ。俺は鍛冶屋になるんだ…。
ベスパがアルネを回復させるまで、アロックがただ守りに徹していたことは間違っていなかった。
ベスパはゆっくりと立ち上がると、近くにあったアルネの弓をゴブリンに投げつけた。ゴブリンの頭部を狙ったのだけれども、元々投げ難い弓であったため、ゴブリンの左腕にずれてしまった。しかしSTR100のステータスで投げた弓だ。ゴブリンの左腕はオーガに引き千切られたように切断された。
「ギャァァァァッ!!」ゴブリンは痛みで叫ぶ。弓を投げてきたベスパに向き直ると全力で走り出し、短剣をベスパに突き刺した。しかし、短剣はVIT88のベスパには刺さらない。勿論、どんなにステータスの値が高くても、防御する意志がなければ意味がないのだ。だが、ベスパは短剣を受け付けないように意識しているのだ。それすなわちVIT88の数値をフルに使った防御力となる。初級冒険者と対等なゴブリン如きの攻撃力では、今のベスパに傷一つ付けることはできない。
あのとき上級冒険者パラディンのエッジに止められたパンチ。全身のバネを使い踏み込み、全体重を乗せた一撃を、ゴブリンの顔面に打ち込む。STR100…上級冒険者と同等のラインのその数値を込めた攻撃力での攻撃は、ゴブリンの頭部を完全に吹き飛ばした。